太平洋戦争敗戦前と違って今の刑法には、姦通罪という規定は存在していない。しかし、平均的な日本人の感覚は、太平洋戦争前のままなのであろうか。昔の刑法の姦通罪は、いわゆる不倫を処罰するための規定であった。この規定は極めて不平等であり、男性の既婚者が不倫しても処罰の対象にならなかったのに対して女性の既婚者が不倫をすると処罰される内容であった(1933年に刑法学者で京都帝国大学の滝川幸辰教授が姦通罪の処罰対象が女性だけなのは不平等でおかしい、男性も処罰対象にするべきだという旨を講演で主張した。このことにたいして滝川教授は弾圧を受けた)。
最近のこととしては、ある女性タレントが既婚者であるバンドグループの男性ヴォーカリストとの不倫交際がマスコミなどで取り沙汰された。だが、冷静に考えれば事の発端は、既婚者である男性ヴォーカリストが既婚者であることを隠しながら若い独身女性に言い寄ってきたことである。女性タレントは、交際当初においては、相手が既婚者であることを知らなかったのである。女性タレントが交際を始めるときに相手が既婚者であることを知らなかったことについて過失があったのかなかったのかについては、俺は分からない。女性タレントの過失として指摘するべきことがあるとすれば、交際相手が既婚者であることを知っても情に流されて交際関係を断ち切れなかったことくらいだろう。俺自身は、人間としての情を欠落させていて情に流される感覚を理解できない以上、当該女性タレントを一方的に責める気にはなれない。いずれにしても、不倫という公序良俗に反する行為について集中砲火を浴びせるとすれば自らを既婚者であることを隠しながら若い独身女性に言い寄ってたぶらかした男性ヴォーカリストの側ではないだろうか。ところが、マスコミなどでは若い独身女性をたぶらかした男性ヴォーカリストではなくて、一方的に女性タレントにバッシングの集中砲火が行われた。女性タレントは、心身を疲弊させて休業に追い込まれてしまった。一方で男性ヴォーカリストは、独身女性をたぶらかしたにも関わらず仕事を失ったり、休業に追い込まれているわけではない。俺の感覚では、休業に追い込む勢いで叩きのめす相手がいるとすれば、自らが既婚者であることを隠しながら若い独身女性をたぶらかした男性ヴォーカリストの側である。俺の感覚は、2016年現在の日本においてさえ一般的な日本人の感覚から逸脱しているのであろうか。
もし、2016年現在においてなお、平均的な日本人の感覚が太平洋戦争敗戦前のままだとすれば、本当にお寒い限りである。