仮称 東日本大震災その意味とは 制作公開 001
この東日本大震災がもたらす人類的な意味合いが大きい感じがして、僕なりにビデオを制作したくなった。何かしたいという気持ちが世界中にわいた。それは、グローバル化して、情報が世界中に届くようにもなったからである。
とにかく何かしたかった。何も出来ない、震災当日から、自分の生活も、いや東日本が生活の危機に襲われた!ガソリンがない!一ヶ月続いた。
まるでそんなことが今はうそのようだ! 震災があったこと津波が起きたことさえ、今でも信じきることができない。
そして僕はとりあえず、支援ポスターを作ることにした。 接点は福島在住の第七回大会リポーターのゆかちゃんと学生時代の友人の小林君と戸沢。ゆかちゃんにコンタクトとるまえに、彼女の友人に電話、そして彼女に電話をした。 元気だった。友人へのコンタクト、残念ながら本人と連絡はとれなかった。 画学生時代の友人である。画学生時代の同級生の実家 数名が津波に被災していた。
大学生時代の同級生の実家も被災していた。
とにかく、ポスターを作ろうと思い、房総100kmWalk実行委員らに、支援メッセージを依頼しポスターを作った。
当然のことゆかちゃんをメインに制作した。 ポスターは協力者に配布、床ちゃんに送付、いわき市の避難所に送付した。
ゴールデンウイーク 東北へ行った。 まずは飯岡町 ここで津波の被害にあっとうされた。 旅立つ前 独自のボランテイアをする予定だったが、三泊から一泊二日に変更。 これじゃ何もできない。観光と交流に変更。 撮影も止めることにした。被災地に入ることも止めた。東北観光をすることにした。
千葉から茨木へ海沿いの一般道を北上。茨城 一戸建て 屋根瓦の被害が目立つ。 海岸で一休み とあるご夫婦と会話した。交流することが、大切であることを実感する。 北茨木手前で 一休み。