ショーが終り、空港に直行し、午前1時のフライトに乗り、ミネアポリス経由でニューヨークへ行きました。
ニューヨークはとても寒いです。
マンハッタンへ行くシャトルの運転手さんがおもしろく、『Door to door』と書いてあるのに、「ここは通行止だから、1ブロック歩いて欲しい」とか、「ここは一方通行。ぼくは反対方向に行きたいから、降りて1ブロック歩いて欲しい」とか、挙句の果てに、白髪のお客さんに、「あなたはお年寄りだから歩かせたくないのだけれど…。」とまで言ってしまい、お客さんを怒らせてしまいました。もちろん私達も「1ブロックだから…。」と降ろされて、目的地まで歩くと3ブロック以上ありました。
ニューヨークについて初めての“出来事”に「いろいろな人がいて“普通”を感じるね。」と笑いました。
アナトリはタップのクラスを受けに、私は友達と彼のご両親とお食事をご一緒させて頂きました。
おいしい北京ダックを頂いた後、『wintnk』まで時間があり、私は着いたばかりで右も左も分からず、ご家族と行動を共にさせて頂きました。
洒落た食料品のお店は、人がごった返していて、体を斜めにしながら先に進むようでした。お母様は食材に詳しく、いろいろと教えて頂きました。
街には、会社員、学生、家族連れ、観光客…、いろいろな人が、いろいろなスピードで動いています。こういう所、久しぶりです。こういう中にいるというだけで嬉しくなります。
お父様はショーの始まる時間を常に気にして下さって、間に合うように3人で送ってくださいました。
感性豊かで、楽しいお母様は母を思い出させ、静かに、一歩外から全体を見渡しているお父様は、父を思い出します。そしてご両親を敬い行動する友人。
私は、久しぶりで家族で集まったという、貴重な団欒の時間をお邪魔してしまいましたが、3人にとても親切にして頂き、心温まる素敵なひとときを共に過ごさせて頂きました。
アナトリは走って劇場へ向って来て、ギリギリでショーの開始に間に合いました。友人のお陰でセンターの良い席。
そして、セバスチャンは泥棒役ですぐ登場。相変わらず、小さな身体をすばしっこく動かしてエネルギッシュでした。
彼のオリジナルのアクト、ビックボールの演技もとても楽しく、彼は生き生きしていました。
終って彼を待つと、変わらない姿のセバスチャンが、ショーで降らせた雪を投げつけながら登場しました。楽しく嬉しい再会。
バックステージを案内してもらいました。外灯は機械で動いているのかと思っていたら、人が動かしていると。なるほど16名もの操り人形師が働いているわけです。
あとから聞いたのですが、この方々は裏で、ものすごい勢いで動いて走りまわっているのですが、実際、操られるものが動くのは、その10分の1位にしか感じられないそうです。
舞台の上にあがらせてもらい、客席をながめていると、4000人以上の観客席数があると教えてくれました。KAの倍以上の客席数があるとは思えないのは、立端の違いでしょうか。この客席数で毎日満員とはすごいことです。
セバスチャンと一度別れて、私達は夕食をとってから、エンパイア・スティト・ビルディングからの夜景を見に行きました。寒さはさらにこたえましたが、360度に広がる夜景は見事でした。アナトリがどうしても見たいという自由の女神像はとても小さく、望遠鏡を使ってもう一度確認しました。
そして、セバスチャンから電話。サルサダンスパーティはなくなり、彼の住まいに行くことになりました。
展望台を降りる途中、行きに撮った写真が出来上がっていました。二人とも全く買う気はありませんでしたが、興味本位で見てみると、大笑い。お互いおかしな顔をしていました。そんなわけで購入…。
セバスチャンの住まいへは、地下鉄で行ってみることにしました。アナトリとモントリオールで地下鉄に乗って映画を観に行ったことがあります。彼とその話をしながら懐しみました。
彼の住まいはホテルです。そして中へ入ると広いこと。2つのベットルームに、リビングルーム、台所とダイニングルームまであります。角部屋で広々としたリビングルームからダイニングルームにかけてはガラス張りになっています。バルコニーも透明です。
「映画に出て来そうな部屋だね。」
「そうでしょ。向こう側のビルの部屋も覗けて、正にそんな感じ。ショーの期間も短いし、ニューヨークでこんなところに住むことができて、ラッキーだと思うよ。」
ショーを終え、ひと息ついたアーティスト達が、彼の部屋に集まって来て、しばらくみなで笑いました。
本当は違う友人の家に泊まらせて頂く予定でしたが、あまりにも遅くなってしまい、ここに泊まることになりました。
セバスチャンは手馴れた様子でソファベットをひとつ用意してくれました。
「これでいいかな。」
「う、うーん…。」
あまり良くないけど、あのベットは大きいから、縦長ではなくて、横長に使えばいいかな、などと考えながら寝る支度をしていました。
するとセバスチャンが真面目な顔をして来て、
「ノリコ、もし君がそうしたいのなら、ぼくのベットに寝たらいい。ぼくは仲間がみなこのホテルに住んでいるのだから、寝るところはどこにでもあるから。日本人はこういう風にはしないんだったね。」
セバスチャン…。アナトリもすぐに、
「そうしてもらおうよ。」
と言ってくれました。
長い1日の終り、ゆっくりと寝ることができました。
ニューヨークはとても寒いです。
マンハッタンへ行くシャトルの運転手さんがおもしろく、『Door to door』と書いてあるのに、「ここは通行止だから、1ブロック歩いて欲しい」とか、「ここは一方通行。ぼくは反対方向に行きたいから、降りて1ブロック歩いて欲しい」とか、挙句の果てに、白髪のお客さんに、「あなたはお年寄りだから歩かせたくないのだけれど…。」とまで言ってしまい、お客さんを怒らせてしまいました。もちろん私達も「1ブロックだから…。」と降ろされて、目的地まで歩くと3ブロック以上ありました。
ニューヨークについて初めての“出来事”に「いろいろな人がいて“普通”を感じるね。」と笑いました。
アナトリはタップのクラスを受けに、私は友達と彼のご両親とお食事をご一緒させて頂きました。
おいしい北京ダックを頂いた後、『wintnk』まで時間があり、私は着いたばかりで右も左も分からず、ご家族と行動を共にさせて頂きました。
洒落た食料品のお店は、人がごった返していて、体を斜めにしながら先に進むようでした。お母様は食材に詳しく、いろいろと教えて頂きました。
街には、会社員、学生、家族連れ、観光客…、いろいろな人が、いろいろなスピードで動いています。こういう所、久しぶりです。こういう中にいるというだけで嬉しくなります。
お父様はショーの始まる時間を常に気にして下さって、間に合うように3人で送ってくださいました。
感性豊かで、楽しいお母様は母を思い出させ、静かに、一歩外から全体を見渡しているお父様は、父を思い出します。そしてご両親を敬い行動する友人。
私は、久しぶりで家族で集まったという、貴重な団欒の時間をお邪魔してしまいましたが、3人にとても親切にして頂き、心温まる素敵なひとときを共に過ごさせて頂きました。
アナトリは走って劇場へ向って来て、ギリギリでショーの開始に間に合いました。友人のお陰でセンターの良い席。
そして、セバスチャンは泥棒役ですぐ登場。相変わらず、小さな身体をすばしっこく動かしてエネルギッシュでした。
彼のオリジナルのアクト、ビックボールの演技もとても楽しく、彼は生き生きしていました。
終って彼を待つと、変わらない姿のセバスチャンが、ショーで降らせた雪を投げつけながら登場しました。楽しく嬉しい再会。
バックステージを案内してもらいました。外灯は機械で動いているのかと思っていたら、人が動かしていると。なるほど16名もの操り人形師が働いているわけです。
あとから聞いたのですが、この方々は裏で、ものすごい勢いで動いて走りまわっているのですが、実際、操られるものが動くのは、その10分の1位にしか感じられないそうです。
舞台の上にあがらせてもらい、客席をながめていると、4000人以上の観客席数があると教えてくれました。KAの倍以上の客席数があるとは思えないのは、立端の違いでしょうか。この客席数で毎日満員とはすごいことです。
セバスチャンと一度別れて、私達は夕食をとってから、エンパイア・スティト・ビルディングからの夜景を見に行きました。寒さはさらにこたえましたが、360度に広がる夜景は見事でした。アナトリがどうしても見たいという自由の女神像はとても小さく、望遠鏡を使ってもう一度確認しました。
そして、セバスチャンから電話。サルサダンスパーティはなくなり、彼の住まいに行くことになりました。
展望台を降りる途中、行きに撮った写真が出来上がっていました。二人とも全く買う気はありませんでしたが、興味本位で見てみると、大笑い。お互いおかしな顔をしていました。そんなわけで購入…。
セバスチャンの住まいへは、地下鉄で行ってみることにしました。アナトリとモントリオールで地下鉄に乗って映画を観に行ったことがあります。彼とその話をしながら懐しみました。
彼の住まいはホテルです。そして中へ入ると広いこと。2つのベットルームに、リビングルーム、台所とダイニングルームまであります。角部屋で広々としたリビングルームからダイニングルームにかけてはガラス張りになっています。バルコニーも透明です。
「映画に出て来そうな部屋だね。」
「そうでしょ。向こう側のビルの部屋も覗けて、正にそんな感じ。ショーの期間も短いし、ニューヨークでこんなところに住むことができて、ラッキーだと思うよ。」
ショーを終え、ひと息ついたアーティスト達が、彼の部屋に集まって来て、しばらくみなで笑いました。
本当は違う友人の家に泊まらせて頂く予定でしたが、あまりにも遅くなってしまい、ここに泊まることになりました。
セバスチャンは手馴れた様子でソファベットをひとつ用意してくれました。
「これでいいかな。」
「う、うーん…。」
あまり良くないけど、あのベットは大きいから、縦長ではなくて、横長に使えばいいかな、などと考えながら寝る支度をしていました。
するとセバスチャンが真面目な顔をして来て、
「ノリコ、もし君がそうしたいのなら、ぼくのベットに寝たらいい。ぼくは仲間がみなこのホテルに住んでいるのだから、寝るところはどこにでもあるから。日本人はこういう風にはしないんだったね。」
セバスチャン…。アナトリもすぐに、
「そうしてもらおうよ。」
と言ってくれました。
長い1日の終り、ゆっくりと寝ることができました。