昨晩は目覚まし時計の時刻を設定するのではなく、タイマーをかけて眠りにつきました。
3:45起床。4:10出発。
今日はトライアスロンの日、KAのアーティストが立ち上げた会社、『SOUL ACROBATS』が行うレース撮影の手伝いをする日でした。5:00から簡単にミーティングをし、配られた資料にビックリ。あまりにも立派な資料です。私の役目は“スポッター”車を止めた撮影場所から少し戻り、選手が来るのを双眼鏡で見て、追いかけている選手が来たらカメラマンに知らせる役でした。
選手はベッキー、ベッキーのお父様であるダンケンさん、そしてチームKAはダランが水泳、ルックが自転車、サラがマラソンとリレーします。私は撮影チームAに入ってケリーの運転する車で、ビデオ撮影のアリスタと写真担当のマリレンとダンケンさんを追うことになっていました。
ミーティングを終え水泳会場のミド湖に向かいました。ようやく朝日が昇ってきます。
会場に着くとウエットスーツ姿の選手がたくさんいました。運よく友達に会えました。いい顔をしています。6:30、レースがスタート。私はジャケットを着ていても寒いのに、湖に入っていく選手を見ていてたら「がんばって。」と叫ぶのとは何か違うような気がして選手たちをじーっと見つめてしまいました。
ようやく太陽の暖かみを感じてきたころ18度というアナウンスが入りました。そしてプロペラの音に空を見上げ「あ、アルビンだ!」なんと彼ら、ヘリコプターをチャーターしてたのです。
7:14、一番の選手が戻ってきました。7:32、一番の女性の選手。その5分後ぐらいから選手が次々に戻ります。みな同じようなウエットスーツを着ていて友達を見つけることさえ大変なのに、初めてお会いするダンケンさんを探すのは本当に大変でした。でも私の役目は誰よりも早く彼を探し出さなくてはいけません。ご覧になっているご家族の反応なども見ながら探しました。7:44には片足をなくしている女性が戻りました。続いてダランが。ベッキーは8:00に戻ってきました。
水から上がると“ウエットスーツ脱がせ隊”がいて、上半身を脱いだあと寝転んで2、3人が一組でウエットスーツを引っ張って脱がせてくれます。
ダンケンさんが2.6マイル(3.8キロ)の水泳を終え着替えてきました。8:30。蛍光色ではない黄色の服が目立って、自転車レースの中では探しやすそうに思えました。
さあ、本格的に“スポッター”の役目が始まります。
配られた資料には地図だけではなく写真入りで撮影場所が載っています。確認をしながら車を進めるとすぐにレースのコースは走れなくなっていました。初めてのポジション取りなので焦ります。一番の撮影場所にようやく着いたとき、果たしてダンケンさんはここを通過したのかまだなのか、彼の前後の選手が全くわからないので見当がつきませんでした。2番の撮影場所に行ったほうがいいかと話しているうちに黄色が見えました。
「ダンケーン!」
急いで車に乗り込み次に向かいます。トランシーバーの準備もしたので今度は離れて位置を取り、合図ができます。そして私は覚えやすそうな選手を見つけながら、車で追い越した選手の数を数えていました。
自転車は意外に速く、撮影位置の間隔が近いとすぐに追いつかれます。自分の前もあっという間に過ぎ、撮影場所にもすぐに到達してしまいます。ダンケンさんを確認する前に覚えた選手で確認し「スタンバイ。」の合図と「来た。」という合図を入れるようにしました。
ダンケンさんは私を見ると「ノリコー!」と叫んでくださいました。私は自分を紹介する暇もなかったのに、彼が私の名前をご存知で嬉しくなりました。そしてそれが続きなんだか自分が励まされているようでした。
役目にも慣れてくるとお腹もすき、朝に配られた食事セットを見てビックリ。手作りのサンドウィッチとご飯が入っていたのです。撮影隊15人分、サミとレスリは寝ないで用意してくれたのでしょう。ありがたくおいしくいただきました。
自転車を始めてから2時間もするとダンケンさんの口から「疲れた。」という言葉が出るようになりました。言い方が少し冗談ぽくも聞こえました。でも、湖の周りの山道を2時間走ったことを考えればそれは冗談ではないことはわかります。“シルバーマン”という名前は普通の“鉄人”レースより過酷なのでその名が付いたともケリーが言います。車を伴走しながら励ましました。そんなときもカメラが回っていて、私だったら「しばらく静かにして欲しい。」といってしまいそうなのに、彼は面白く対応しています。そして何度も「あなたたちはすばらしい。」と声をかけてくださいました。
ダンケンさんがスポッターをしている私に胃に関して何か言いました。それがわからず車に戻ってからみなに訊くと、きっとおなかがすいたのではないかということになり、ダンケンさんに伴走して車からパワーバーのようなものを差し出しました。すると彼は「君たちはそれをしてはいけないんだよ。」と。所々に設けられた休憩所以外で物を補給すること、人の手を借りることは禁止されているとのことでした。
その休憩所には水、スポーツドリンク、バナナなどと、トイレが備えられています。そこには選手が事前に用意したものも置けるようになっていて、そこに入ってきた選手のゼッケンを見るとボランティアスタッフがすぐに同じ番号の袋を探して渡していました。中には特色を出しているところもあり、ハワイアンスタイルで曲や服装をまとめているところなどもありました。
天気もよくポカポカしてきておまけに景色もよく気持ちがいい日です。ダンケンさんの人柄も手伝って楽しく時間を過ごしていました。ところが一番の選手が白バイの先導で反対車線を走ってきたときはそこだけ雰囲気が違っていました。そしてあっという間に過ぎ去っていきました。
「折り返し地点があるということはどこかでルックとベッキーに会えるんだよね。」
社長のアルビンがヘリコプターの撮影から戻ってきました。ダンケンさんの様子を訊き、大丈夫だとは思うがと言いながら、どこかでカットされることがあるということをいいました。もしもカットされるようなことがあったら彼がどうなるかそのまま追いかけて欲しい。もちろん彼が嫌ならそれはしないでいい。そのあとはすぐにほかの選手について欲しいと言いました。少し緊張します。
ベッキーの撮影隊に会いました。ということは、先を走っているはずのルックはいつの間にかわれわれの横を通過してしまったということか…応援できませんでした。ベッキーが通過して行きダンケンさんはこれから来る。どこかで親子がすれ違う…素敵です。
折り返し地点に着きました。ダンケンさんも折り返しました。彼の位置はどの辺なのか、スピードはどうなのか。ダンケンさんを見ている限りではすいすいと走っていてカットされることなど考えられません。ゼッケン109番の女性のあたりがカットされる目安という情報だけ入りました。前にいるのか後ろにいるのか…
このあと30分ほど空白を置くということでした。今まで所々で撮影して応援してきたがしばらく選手を孤独にしたら表情にどう違いが出るのか、それをその次に撮影すると。
山をどんどん登りながら次の撮影所に向かいます。お昼ごろのこの30分は本当に眠かったです。睡魔と闘いながらようやく目を開けていました。
アリスタが撮影した場所に戻るごとにきょろきょろし始めました。トランシーバーをなくしてしまったと。そのうちに丘の上にダンケンさんの家族を見つけ止まりました。ケリーが車を降りて走って話に行くとやはりカットのことを話したそうで、いつカットがあるかわからなく心配になった私たちは戻ることにしました。
選手をチェックしながら戻ると、ダンケンさんと同じ黄色のジャケットを着た選手が現れていました。私たちは「偽ダンケン」と名づけました。もう少し戻るとダンケンさんが走ってきました。車をUターンさせ彼に伴走すると彼は「何マイル?」と訊きました。スピードメーターを見て「30マイル。」と答えると、「だめだもう少し早く走らないと…」
次の撮影場所に向かうとき、はじめの頃ダンケンさんの15人前を走っていた選手が2番前になっているのに気付きました。彼が遅れたのかダンケンさんが追い上げたのかそれはわかりませんでした。そしてトランシーバーも使えないので念入りに選手の順番を覚え直しました。
初めにダランにこの仕事を頼まれたとき、選手が来たらバトンを回して撮影隊に合図をして、などと言われていました。その後アルビンからトランシーバーを用意することを聞いていましたが、私は念のためバトンを持ってきていました。「この辺でひとつ…」と私はひそかにそのバトンを取り出し、撮影隊の目に入らない所で回しました。ダンケンさんが喜んでくれたこと!「それこそ僕に必要なことだよ!!!」
山から町へ入るあたりまで行きました。丘、谷、丘となるところでスポッターをしていました。そのあとは直線なのでかなり離れていても合図ができます。思ったよりも早く黄色い選手が登場。でも初めの黄色い選手は“偽ダンケン”です。すぐに本物が現れることはわかっていたのでスタンバイをしてもらうために合図を送りました。そして“偽ダンケン”が谷に入って見えないとき向こうの丘にダンケンさんの登場。一人目の黄色い選手が“偽”であることに間違いはありませんでした。そしてもう一度合図。“偽ダンケン”が丘を上がってきました。自転車の色が黄色で初めの選手は“偽”であることをもう一度確認しました。
ところがその後いくら待ってもダンケンさんが現れないのです。合図を送ってしまった私は100メートルぐらい走って戻ってカメラを構えているアリスタに説明しました。そしてまたスポット位置に戻り、今度はもっと戻って谷底が見えるところまで走りました。するとなんと彼の自転車は道に倒れていてダンケンさんは脚をストレッチしているように見えました。トランシーバーはなく、電話は留守電になってしまうので私はまた走ってアリスタのところに行きそのことを告げました。そして車の横で待機しているケリーにも伝えに行くとダンケンさんのご家族がいらしていました。そしてそこを通過する選手からパンクをしている選手がいるということ聞いていることを知りました。「ダンケンさん脚を痛めたのではなくパンクしてしまったんだ…」
そこにサンドバギーに乗った警察が現れました。「あと9分でコースを閉めます。」私はまた走ってアリスタにパンクのこととカットのことを伝えにいきました。そして少し離れているところで待機しているマリレンのところに走り同じことを伝えました。時計を見ながらドキドキしながらスポット位置に戻ろうと走っているとダンケンさんが現れました。「がんばれー!!!」
あと2分のところで彼は無事にそこを通過し、その後来た選手はそこで止められていました。彼はぎりぎりで最後の通過選手となったのです。
ここからは町中になります。一箇所、住宅街で車を降りて撮影を終えるとあたりは暗くなってきました。そして2,3車線ある道路に移動をした後は、できる限りで伴走し撮影するようになっていました。
撮影隊は忙しくなります。伴走しながらレンズの向こうのダンケンさんを常に追っています。西へ向かうのぼり道、広い空に夕焼けがとてもきれいなのさえ私が言うまで気付いていませんでした。
日も落ち真っ暗になった頃、電話が入りました。「あと10分で自転車選手はカットされる。」
自転車コースの最終地点の公園にあとどのくらいで到着するのかわかりませんでした。ダンケンさんにはカットのことを知らせずにひたすらに応援を続けました。公園の標識が見えた後もそこからどれだけ距離があるのか誰にもわかりません。時間は確実に過ぎていきます。私は毎年お正月に観に行っていた箱根駅伝の伴走車に乗った監督を思い出し、声をかけ始めました。漕ぐ速さを見ながら「1,2,1,2…」と。
車の時計をちらちら見、走る先を見、涙目になっていきました。さっきの電話から10分経っているのです。そして10分後ということから考えてカットの時間と思われる5時も過ぎていました。それでも「1,2,1,2…」と声をかけ続けました。涙声にならないように頑張りながら。
公園の中に係員が誘導する光が見えてきました。「もう少し!!!がんばれー!!!」
フィニッシュのゲートは空気を抜き始めたところでした。そこにゴール。8時間35分、112マイル(180.2キロ)を走りきりました。
マラソンはもう走れないと思っていました。車の時計は5時をだいぶ過ぎていましたから。ところが大会側がカットの時間を延ばしてくれてダンケンさんはぎりぎり入ったというのです。ダンケンさんはまた最後の通過選手となりました。
5:14、彼は着替えのテントから出てきてマラソンをスタートさせました。真っ暗で寒い中を走ります。マラソンの一番の撮影場所に行く途中サラを見つけました。2時間前にマラソンをスタートさせた彼女、2週目を走っているところでした。ゆっくりと走りながら声援に笑顔で応え、横を一緒に走りながら話しかけても元気な様子でした。
一番の撮影場所ではお腹がすいたので車の外で立ちながらご飯を食べ、ダンケンさんを待っていました。まだ前を走る選手もわからず、また、暗すぎて双眼鏡を覗いても誰が誰だか見極められません。ダンケンさんらしき人が見え双眼鏡を覗くと服装が違います。そのまま追ってその人がダンケンさんと確認したときにはもうすぐそこに来ていてみなでご飯を投げ出すようにして追いかけました。彼はいつの間にか服を一枚重ねていて私は見極められず、危うく見逃すところでした。
自転車に比べるとスピードが断然に遅いので、撮影場所に着いてからの待ち時間が長くなりました。そんなこともあり、そのうちに撮影チームA,B,Cに関係なくどの選手といわず撮影することになりました。
マラソンは町中、“グリーンバレー”といわれる地区を中心に走ります。ラスベガス市の隣のヘンダーソン市になります。ここは名前の通り緑が多く、また大きな新しい家が多く、私が住んでいるあたりとは階級が違うようにさえに思われます。グリーンバレーカジノやザ・ディストリクトにはレストランやお店がおしゃれに並んでいて、木々にはクリスマスのときのようにライトがついていて、ストリップとは全く違ったところです。建物の中ではなく、町を歩きながらぶらぶらとお店を見られるという、普通の町なら普通のことかもしれませんが、ここラスベガスに住んでいるとそれがとても新鮮な感じでした。
エレファントバーというレストランの横が撮影場所だったとき、選手が来るまでに一時間は掛かるだろうと、位置に付く前にトイレに行く時間がありました。私たちはトイレを借りにそのレストランに入り、店員さんは快く貸してくれました。この地域にふさわしいおしゃれなレストランでした。マリレンと私が先に行ってあとの二人がその後に来て大笑い。私はその直前にマリレンに借りたライトを頭につけ双眼鏡を首にぶら下げていました。その横にシルクドソレイユの大きなマークの付いたジャケットを着たマリレンが一眼レフカメラを持って“トイレ”に入っていったわけです。そのあと来た組も三脚を持ってビデオを持って…本当におかしかったです。
一時間、そのレストランのテラスで選手を待つこともできましたがそうはぜず、ダンケンさんを探しに行きました。
たぶんここだろうと行った先は、開拓中の地。土山の所々を工事用のライトで照らしていました。このまぶしい明るさにバトンが映えると思った私はバトンを持ち出し回しながら応援することにしました。自転車のダンケンさんの応援では、ひそかに一回だけバトンを使ったので、それを知らない撮影隊はビックリ。もちろん選手も喜んでくれました。
3名の選手を応援し、エレファントバーに戻りました。そこで選手を待ちながら横浜の伊勢佐木町を思い出していました。ここはもっとおしゃれですが、お店と木々の並ぶ通りに懐かしさを覚えていました。
日曜日の夜なのでレストラン以外のお店はすっかり閉まっていて、人通りも少なく、ゆっくりと走る選手がぽつぽつと通過するだけです。
20:00、少し前にサラがゴールしたという連絡が入りました。そしてベッキーが私たちの前を通過し20:35ゴール。あとはダンケンさんを追うだけとなりました。
ダンケンさんをエレファントバーの次の場所で撮影して移動していると、すぐに他の撮影隊に会いました。そこにはベッキーが毛布に包まって寝転がっていてました。ダンケンさんがすぐに来ることを告げるや否や彼は現れ、ベッキーはあとを追ってしばらく伴走していました。親子で…素敵です。
折り返し地点に全員で向かい応援と撮影。セブンイレブン横に移動し彼を待ちます。もうこの頃にはダンケンさんも時間内に完走できるという確信が私たちにあったので安心していました。そして無事通過。
再びエレファントバーに戻り、最後の撮影。ダンケンさんが来るのを見逃さないよう、今回は通りの向こうまで行ってダランと一緒に待ちました。ダランが湖を泳いだのははるか昔のことのようです。ダランは昨日二回目のショーをしないで帰ったので、早朝の水泳のために早く寝たのかと思っていたら、二回目のショーはお父様とショーを観ていたのであまり寝ていないと。恐ろしき体力の持ち主です。
ダンケンさんが現れ、私たちはエレファントバーまで走りました。ダランは携帯電話を使いすぎて初めてのバッテリー切れ、私はアリスタがトランシーバーを無くして使えないから、いつもこうやって走って叫んで連絡をしていたと彼に言いました。「バトンは持ってきたの?」と言う彼に「何度か使った。」と言うと大喜び。そして、みなが待つ撮影場所に戻り全員で応援しながら、コース途中最後の撮影を終えました。
さあ、あとはゴール。ゴールのある公園に向かいました。そして最後のスポッターの役目。ここではダランに携帯電話を使うように言われ、ダンケンさんの姿を見つけるとすぐにゴールで待つアルビンに連絡。私たちも走ってゴールに向かいました。
23:15:54、水泳、自転車、フルマラソンを終えゴールのテープを切りました。16時間45分54秒。私は崇めるようにやさしく拍手を送りました。そしてなんともいえない充実感と安堵感と幸福感と…涙が溢れます。
ダンケンさんと抱き合って喜び合いました。彼は疲れ切っているでしょうに、満面の笑顔で「あなたたちは本当に良くやってくれた。本当にありがとう。」と何度も何度もおっしゃっていました。そして私にはこっそりと「ショーの中で僕はあなたの踊るところが一番すきなんだ。だから今日はバトンを回してくれて本当に嬉しかったよ。」と教えてくださいました。
機材などを車に積み込み、公園を離れたのは真夜中過ぎ。長い長い長い一日は想像をはるかに超えて素晴らしい、人生の中で確実に記憶に残る一日になりました。
3:45起床。4:10出発。
今日はトライアスロンの日、KAのアーティストが立ち上げた会社、『SOUL ACROBATS』が行うレース撮影の手伝いをする日でした。5:00から簡単にミーティングをし、配られた資料にビックリ。あまりにも立派な資料です。私の役目は“スポッター”車を止めた撮影場所から少し戻り、選手が来るのを双眼鏡で見て、追いかけている選手が来たらカメラマンに知らせる役でした。
選手はベッキー、ベッキーのお父様であるダンケンさん、そしてチームKAはダランが水泳、ルックが自転車、サラがマラソンとリレーします。私は撮影チームAに入ってケリーの運転する車で、ビデオ撮影のアリスタと写真担当のマリレンとダンケンさんを追うことになっていました。
ミーティングを終え水泳会場のミド湖に向かいました。ようやく朝日が昇ってきます。
会場に着くとウエットスーツ姿の選手がたくさんいました。運よく友達に会えました。いい顔をしています。6:30、レースがスタート。私はジャケットを着ていても寒いのに、湖に入っていく選手を見ていてたら「がんばって。」と叫ぶのとは何か違うような気がして選手たちをじーっと見つめてしまいました。
ようやく太陽の暖かみを感じてきたころ18度というアナウンスが入りました。そしてプロペラの音に空を見上げ「あ、アルビンだ!」なんと彼ら、ヘリコプターをチャーターしてたのです。
7:14、一番の選手が戻ってきました。7:32、一番の女性の選手。その5分後ぐらいから選手が次々に戻ります。みな同じようなウエットスーツを着ていて友達を見つけることさえ大変なのに、初めてお会いするダンケンさんを探すのは本当に大変でした。でも私の役目は誰よりも早く彼を探し出さなくてはいけません。ご覧になっているご家族の反応なども見ながら探しました。7:44には片足をなくしている女性が戻りました。続いてダランが。ベッキーは8:00に戻ってきました。
水から上がると“ウエットスーツ脱がせ隊”がいて、上半身を脱いだあと寝転んで2、3人が一組でウエットスーツを引っ張って脱がせてくれます。
ダンケンさんが2.6マイル(3.8キロ)の水泳を終え着替えてきました。8:30。蛍光色ではない黄色の服が目立って、自転車レースの中では探しやすそうに思えました。
さあ、本格的に“スポッター”の役目が始まります。
配られた資料には地図だけではなく写真入りで撮影場所が載っています。確認をしながら車を進めるとすぐにレースのコースは走れなくなっていました。初めてのポジション取りなので焦ります。一番の撮影場所にようやく着いたとき、果たしてダンケンさんはここを通過したのかまだなのか、彼の前後の選手が全くわからないので見当がつきませんでした。2番の撮影場所に行ったほうがいいかと話しているうちに黄色が見えました。
「ダンケーン!」
急いで車に乗り込み次に向かいます。トランシーバーの準備もしたので今度は離れて位置を取り、合図ができます。そして私は覚えやすそうな選手を見つけながら、車で追い越した選手の数を数えていました。
自転車は意外に速く、撮影位置の間隔が近いとすぐに追いつかれます。自分の前もあっという間に過ぎ、撮影場所にもすぐに到達してしまいます。ダンケンさんを確認する前に覚えた選手で確認し「スタンバイ。」の合図と「来た。」という合図を入れるようにしました。
ダンケンさんは私を見ると「ノリコー!」と叫んでくださいました。私は自分を紹介する暇もなかったのに、彼が私の名前をご存知で嬉しくなりました。そしてそれが続きなんだか自分が励まされているようでした。
役目にも慣れてくるとお腹もすき、朝に配られた食事セットを見てビックリ。手作りのサンドウィッチとご飯が入っていたのです。撮影隊15人分、サミとレスリは寝ないで用意してくれたのでしょう。ありがたくおいしくいただきました。
自転車を始めてから2時間もするとダンケンさんの口から「疲れた。」という言葉が出るようになりました。言い方が少し冗談ぽくも聞こえました。でも、湖の周りの山道を2時間走ったことを考えればそれは冗談ではないことはわかります。“シルバーマン”という名前は普通の“鉄人”レースより過酷なのでその名が付いたともケリーが言います。車を伴走しながら励ましました。そんなときもカメラが回っていて、私だったら「しばらく静かにして欲しい。」といってしまいそうなのに、彼は面白く対応しています。そして何度も「あなたたちはすばらしい。」と声をかけてくださいました。
ダンケンさんがスポッターをしている私に胃に関して何か言いました。それがわからず車に戻ってからみなに訊くと、きっとおなかがすいたのではないかということになり、ダンケンさんに伴走して車からパワーバーのようなものを差し出しました。すると彼は「君たちはそれをしてはいけないんだよ。」と。所々に設けられた休憩所以外で物を補給すること、人の手を借りることは禁止されているとのことでした。
その休憩所には水、スポーツドリンク、バナナなどと、トイレが備えられています。そこには選手が事前に用意したものも置けるようになっていて、そこに入ってきた選手のゼッケンを見るとボランティアスタッフがすぐに同じ番号の袋を探して渡していました。中には特色を出しているところもあり、ハワイアンスタイルで曲や服装をまとめているところなどもありました。
天気もよくポカポカしてきておまけに景色もよく気持ちがいい日です。ダンケンさんの人柄も手伝って楽しく時間を過ごしていました。ところが一番の選手が白バイの先導で反対車線を走ってきたときはそこだけ雰囲気が違っていました。そしてあっという間に過ぎ去っていきました。
「折り返し地点があるということはどこかでルックとベッキーに会えるんだよね。」
社長のアルビンがヘリコプターの撮影から戻ってきました。ダンケンさんの様子を訊き、大丈夫だとは思うがと言いながら、どこかでカットされることがあるということをいいました。もしもカットされるようなことがあったら彼がどうなるかそのまま追いかけて欲しい。もちろん彼が嫌ならそれはしないでいい。そのあとはすぐにほかの選手について欲しいと言いました。少し緊張します。
ベッキーの撮影隊に会いました。ということは、先を走っているはずのルックはいつの間にかわれわれの横を通過してしまったということか…応援できませんでした。ベッキーが通過して行きダンケンさんはこれから来る。どこかで親子がすれ違う…素敵です。
折り返し地点に着きました。ダンケンさんも折り返しました。彼の位置はどの辺なのか、スピードはどうなのか。ダンケンさんを見ている限りではすいすいと走っていてカットされることなど考えられません。ゼッケン109番の女性のあたりがカットされる目安という情報だけ入りました。前にいるのか後ろにいるのか…
このあと30分ほど空白を置くということでした。今まで所々で撮影して応援してきたがしばらく選手を孤独にしたら表情にどう違いが出るのか、それをその次に撮影すると。
山をどんどん登りながら次の撮影所に向かいます。お昼ごろのこの30分は本当に眠かったです。睡魔と闘いながらようやく目を開けていました。
アリスタが撮影した場所に戻るごとにきょろきょろし始めました。トランシーバーをなくしてしまったと。そのうちに丘の上にダンケンさんの家族を見つけ止まりました。ケリーが車を降りて走って話に行くとやはりカットのことを話したそうで、いつカットがあるかわからなく心配になった私たちは戻ることにしました。
選手をチェックしながら戻ると、ダンケンさんと同じ黄色のジャケットを着た選手が現れていました。私たちは「偽ダンケン」と名づけました。もう少し戻るとダンケンさんが走ってきました。車をUターンさせ彼に伴走すると彼は「何マイル?」と訊きました。スピードメーターを見て「30マイル。」と答えると、「だめだもう少し早く走らないと…」
次の撮影場所に向かうとき、はじめの頃ダンケンさんの15人前を走っていた選手が2番前になっているのに気付きました。彼が遅れたのかダンケンさんが追い上げたのかそれはわかりませんでした。そしてトランシーバーも使えないので念入りに選手の順番を覚え直しました。
初めにダランにこの仕事を頼まれたとき、選手が来たらバトンを回して撮影隊に合図をして、などと言われていました。その後アルビンからトランシーバーを用意することを聞いていましたが、私は念のためバトンを持ってきていました。「この辺でひとつ…」と私はひそかにそのバトンを取り出し、撮影隊の目に入らない所で回しました。ダンケンさんが喜んでくれたこと!「それこそ僕に必要なことだよ!!!」
山から町へ入るあたりまで行きました。丘、谷、丘となるところでスポッターをしていました。そのあとは直線なのでかなり離れていても合図ができます。思ったよりも早く黄色い選手が登場。でも初めの黄色い選手は“偽ダンケン”です。すぐに本物が現れることはわかっていたのでスタンバイをしてもらうために合図を送りました。そして“偽ダンケン”が谷に入って見えないとき向こうの丘にダンケンさんの登場。一人目の黄色い選手が“偽”であることに間違いはありませんでした。そしてもう一度合図。“偽ダンケン”が丘を上がってきました。自転車の色が黄色で初めの選手は“偽”であることをもう一度確認しました。
ところがその後いくら待ってもダンケンさんが現れないのです。合図を送ってしまった私は100メートルぐらい走って戻ってカメラを構えているアリスタに説明しました。そしてまたスポット位置に戻り、今度はもっと戻って谷底が見えるところまで走りました。するとなんと彼の自転車は道に倒れていてダンケンさんは脚をストレッチしているように見えました。トランシーバーはなく、電話は留守電になってしまうので私はまた走ってアリスタのところに行きそのことを告げました。そして車の横で待機しているケリーにも伝えに行くとダンケンさんのご家族がいらしていました。そしてそこを通過する選手からパンクをしている選手がいるということ聞いていることを知りました。「ダンケンさん脚を痛めたのではなくパンクしてしまったんだ…」
そこにサンドバギーに乗った警察が現れました。「あと9分でコースを閉めます。」私はまた走ってアリスタにパンクのこととカットのことを伝えにいきました。そして少し離れているところで待機しているマリレンのところに走り同じことを伝えました。時計を見ながらドキドキしながらスポット位置に戻ろうと走っているとダンケンさんが現れました。「がんばれー!!!」
あと2分のところで彼は無事にそこを通過し、その後来た選手はそこで止められていました。彼はぎりぎりで最後の通過選手となったのです。
ここからは町中になります。一箇所、住宅街で車を降りて撮影を終えるとあたりは暗くなってきました。そして2,3車線ある道路に移動をした後は、できる限りで伴走し撮影するようになっていました。
撮影隊は忙しくなります。伴走しながらレンズの向こうのダンケンさんを常に追っています。西へ向かうのぼり道、広い空に夕焼けがとてもきれいなのさえ私が言うまで気付いていませんでした。
日も落ち真っ暗になった頃、電話が入りました。「あと10分で自転車選手はカットされる。」
自転車コースの最終地点の公園にあとどのくらいで到着するのかわかりませんでした。ダンケンさんにはカットのことを知らせずにひたすらに応援を続けました。公園の標識が見えた後もそこからどれだけ距離があるのか誰にもわかりません。時間は確実に過ぎていきます。私は毎年お正月に観に行っていた箱根駅伝の伴走車に乗った監督を思い出し、声をかけ始めました。漕ぐ速さを見ながら「1,2,1,2…」と。
車の時計をちらちら見、走る先を見、涙目になっていきました。さっきの電話から10分経っているのです。そして10分後ということから考えてカットの時間と思われる5時も過ぎていました。それでも「1,2,1,2…」と声をかけ続けました。涙声にならないように頑張りながら。
公園の中に係員が誘導する光が見えてきました。「もう少し!!!がんばれー!!!」
フィニッシュのゲートは空気を抜き始めたところでした。そこにゴール。8時間35分、112マイル(180.2キロ)を走りきりました。
マラソンはもう走れないと思っていました。車の時計は5時をだいぶ過ぎていましたから。ところが大会側がカットの時間を延ばしてくれてダンケンさんはぎりぎり入ったというのです。ダンケンさんはまた最後の通過選手となりました。
5:14、彼は着替えのテントから出てきてマラソンをスタートさせました。真っ暗で寒い中を走ります。マラソンの一番の撮影場所に行く途中サラを見つけました。2時間前にマラソンをスタートさせた彼女、2週目を走っているところでした。ゆっくりと走りながら声援に笑顔で応え、横を一緒に走りながら話しかけても元気な様子でした。
一番の撮影場所ではお腹がすいたので車の外で立ちながらご飯を食べ、ダンケンさんを待っていました。まだ前を走る選手もわからず、また、暗すぎて双眼鏡を覗いても誰が誰だか見極められません。ダンケンさんらしき人が見え双眼鏡を覗くと服装が違います。そのまま追ってその人がダンケンさんと確認したときにはもうすぐそこに来ていてみなでご飯を投げ出すようにして追いかけました。彼はいつの間にか服を一枚重ねていて私は見極められず、危うく見逃すところでした。
自転車に比べるとスピードが断然に遅いので、撮影場所に着いてからの待ち時間が長くなりました。そんなこともあり、そのうちに撮影チームA,B,Cに関係なくどの選手といわず撮影することになりました。
マラソンは町中、“グリーンバレー”といわれる地区を中心に走ります。ラスベガス市の隣のヘンダーソン市になります。ここは名前の通り緑が多く、また大きな新しい家が多く、私が住んでいるあたりとは階級が違うようにさえに思われます。グリーンバレーカジノやザ・ディストリクトにはレストランやお店がおしゃれに並んでいて、木々にはクリスマスのときのようにライトがついていて、ストリップとは全く違ったところです。建物の中ではなく、町を歩きながらぶらぶらとお店を見られるという、普通の町なら普通のことかもしれませんが、ここラスベガスに住んでいるとそれがとても新鮮な感じでした。
エレファントバーというレストランの横が撮影場所だったとき、選手が来るまでに一時間は掛かるだろうと、位置に付く前にトイレに行く時間がありました。私たちはトイレを借りにそのレストランに入り、店員さんは快く貸してくれました。この地域にふさわしいおしゃれなレストランでした。マリレンと私が先に行ってあとの二人がその後に来て大笑い。私はその直前にマリレンに借りたライトを頭につけ双眼鏡を首にぶら下げていました。その横にシルクドソレイユの大きなマークの付いたジャケットを着たマリレンが一眼レフカメラを持って“トイレ”に入っていったわけです。そのあと来た組も三脚を持ってビデオを持って…本当におかしかったです。
一時間、そのレストランのテラスで選手を待つこともできましたがそうはぜず、ダンケンさんを探しに行きました。
たぶんここだろうと行った先は、開拓中の地。土山の所々を工事用のライトで照らしていました。このまぶしい明るさにバトンが映えると思った私はバトンを持ち出し回しながら応援することにしました。自転車のダンケンさんの応援では、ひそかに一回だけバトンを使ったので、それを知らない撮影隊はビックリ。もちろん選手も喜んでくれました。
3名の選手を応援し、エレファントバーに戻りました。そこで選手を待ちながら横浜の伊勢佐木町を思い出していました。ここはもっとおしゃれですが、お店と木々の並ぶ通りに懐かしさを覚えていました。
日曜日の夜なのでレストラン以外のお店はすっかり閉まっていて、人通りも少なく、ゆっくりと走る選手がぽつぽつと通過するだけです。
20:00、少し前にサラがゴールしたという連絡が入りました。そしてベッキーが私たちの前を通過し20:35ゴール。あとはダンケンさんを追うだけとなりました。
ダンケンさんをエレファントバーの次の場所で撮影して移動していると、すぐに他の撮影隊に会いました。そこにはベッキーが毛布に包まって寝転がっていてました。ダンケンさんがすぐに来ることを告げるや否や彼は現れ、ベッキーはあとを追ってしばらく伴走していました。親子で…素敵です。
折り返し地点に全員で向かい応援と撮影。セブンイレブン横に移動し彼を待ちます。もうこの頃にはダンケンさんも時間内に完走できるという確信が私たちにあったので安心していました。そして無事通過。
再びエレファントバーに戻り、最後の撮影。ダンケンさんが来るのを見逃さないよう、今回は通りの向こうまで行ってダランと一緒に待ちました。ダランが湖を泳いだのははるか昔のことのようです。ダランは昨日二回目のショーをしないで帰ったので、早朝の水泳のために早く寝たのかと思っていたら、二回目のショーはお父様とショーを観ていたのであまり寝ていないと。恐ろしき体力の持ち主です。
ダンケンさんが現れ、私たちはエレファントバーまで走りました。ダランは携帯電話を使いすぎて初めてのバッテリー切れ、私はアリスタがトランシーバーを無くして使えないから、いつもこうやって走って叫んで連絡をしていたと彼に言いました。「バトンは持ってきたの?」と言う彼に「何度か使った。」と言うと大喜び。そして、みなが待つ撮影場所に戻り全員で応援しながら、コース途中最後の撮影を終えました。
さあ、あとはゴール。ゴールのある公園に向かいました。そして最後のスポッターの役目。ここではダランに携帯電話を使うように言われ、ダンケンさんの姿を見つけるとすぐにゴールで待つアルビンに連絡。私たちも走ってゴールに向かいました。
23:15:54、水泳、自転車、フルマラソンを終えゴールのテープを切りました。16時間45分54秒。私は崇めるようにやさしく拍手を送りました。そしてなんともいえない充実感と安堵感と幸福感と…涙が溢れます。
ダンケンさんと抱き合って喜び合いました。彼は疲れ切っているでしょうに、満面の笑顔で「あなたたちは本当に良くやってくれた。本当にありがとう。」と何度も何度もおっしゃっていました。そして私にはこっそりと「ショーの中で僕はあなたの踊るところが一番すきなんだ。だから今日はバトンを回してくれて本当に嬉しかったよ。」と教えてくださいました。
機材などを車に積み込み、公園を離れたのは真夜中過ぎ。長い長い長い一日は想像をはるかに超えて素晴らしい、人生の中で確実に記憶に残る一日になりました。
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