陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

きゅうくつなしあわせ

2011-01-01 07:54:43 | Weblog
ドカッと分厚い元旦の新聞が届いていた。
最近、新聞を読まずに終わる日も多い。
もう止めようかな?と思いながら止めるきっかけもつかめずズルズル。
とりあえず天声人語から目を通した。
子供の詩があった。

   あたたかいこたつ
   家の家族は五人
   「五角ならいいなあ」
   と、おねえさん
   一番あとからはいる
   おかぁちゃんは
   私と同じところ
   私はやっぱり
   四角でもいい

年末の特集に「孤族」が毎日一面左に載っていた。
読むのが辛かった。
辛いのに手にすると目は自然にそこから見始めた。

詩の後に故河合隼雄さんの言葉が引用されている。

   自立とは独りで生きることではない。まして孤立ではない。
   自立している人とは、
   適切な依存ができて、
   そのことを自覚している人だ。

夫が亡くなって10年目の正月。
正月行事らしいことがほぼ我が家から消えた。
夫のために設えていた正月だったのだ。
子が帰省してきたから、元旦の家には欠損まま家族は3人。
テーブルもこたつも4人ジャストサイズ。
一つ空いたまま。
当時、意地になって孤の中に居た。
実家とは訳あって、夫の死と共に絶縁状態にまでしてしまった。
今は違う。
『適切な依存』
頼り頼られてそれで良いと感じている。
元旦の雑煮は実家で搗いた餅。

姑は人に頼らず生きてきたことが自慢だった。
亡夫を女手ひとつで育てあげ、死後ひとりで生きてきた。
大晦日におせち持って行ったら、新カレンダーが丸まったまま。
何かに掴まらなければ立っていることもできない状態で、
カレンダーの掛け替えは無理というもの。
一緒に行った子供たちと手分けして、掛け替えた。
古いのは「そこに置いておいて」自分で始末すると言う。
もっと頼ってくれても良いのにと思う…

夫が存命中、充分、夫が窮屈だった。
いなくなって知るその時のしあわせ。
持ちつ持たれつだったのだ。
介護は持ちつ持ちつなのかもしれない。
世話が出来るしあわせ?なんて甘くはないが、
きゅうくつなとことに、案外しあわせが隠れている気がする。

独り暮らしの姑など気にしいしい老猫介護などして年明ける。
モコや~おまえは天然に無邪気だね~

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