水神(上) | |
帚木 蓬生 | |
新潮社 |
水神(下) | |
帚木 蓬生 | |
新潮社 |
年末に図書館で借りてようやく読み終えた。
寒かったから三連休最後は、コタツこもり、猫子守。
筑後川にこんな貧しい農民の歴史があって、
命を賭して民を救おうとした庄屋が存在した事など露知らなかった。
昨年11月半ば、この物語の近くの川縁の築後川温泉に泊ったばかり。
明けて翌朝、吉井の白壁の町並みを地元の友に案内してもらった。
ちょうどフリマが並んでいたが、
ここで庄屋たちは大庄屋に詣でたり、金策に走っていたのだ。
写真は宿のベランダから撮ったもの。
その時にこれ読んでいたら感慨は違ったものになっていた。
浮羽まで行っていた。実際に大石堰を見れたのだ。無念。
ありがたいことに映像がyouTubeにあった。もしかすると、この近く走ってもらっていたのかも?
筑後川中流、五庄屋遺跡の大石堰と大石用水・うきは市
国銅〈上〉 | |
帚木 蓬生 | |
新潮社 |
国銅〈下〉 | |
帚木 蓬生 | |
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↑も地元の人も良くは知らないお国の施策に逆らえない庶民の悲惨な歴史と、その中での逞しさが描かれていた。
実際に山口にある廃れた銅山入口まで行ってみた。
こんなところから新幹線も飛行機もない時代に奈良まで!
路銀すら与えられず命の保証もないままに…と、当時に思いを馳せ胸キュン。
『水神』に出てきた貧し過ぎる農民の
米を作って米を口に出来ない食事の細かな描写を読みながら、
ダイエット、ダイエットと、
うっかりすれば食べ過ぎになる飽食の我らが恵まれ過ぎている事、
そして毎日、当たり前のようにきちんと戴けることに、
なんの感謝もないことに、ダメじゃんと思う。
食べ物の事だけでなく、もっと根幹。
庶民はチョイ前まで一握りの権力の前に、虫けら同然だったのだ。
人の尊厳なんてものが常識として語られることが出来る御代は
簡単に手に入ったのではなく
ものすごい人の努力があったなんて、大げさな事にまで気が回ってしまう。
医療系の話もうならされるが、帚木 蓬生の歴史物の筆もすごい。堪能しました。
← ぽっち ありがとうございますo(^▽^)o