陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

水神    帚木 蓬生

2011-01-10 18:30:08 | 
水神(上)
帚木 蓬生
新潮社
  
水神(下)
帚木 蓬生
新潮社


年末に図書館で借りてようやく読み終えた。
寒かったから三連休最後は、コタツこもり、猫子守。

筑後川にこんな貧しい農民の歴史があって、
命を賭して民を救おうとした庄屋が存在した事など露知らなかった。
昨年11月半ば、この物語の近くの川縁の築後川温泉に泊ったばかり。
明けて翌朝、吉井の白壁の町並みを地元の友に案内してもらった。
ちょうどフリマが並んでいたが、
ここで庄屋たちは大庄屋に詣でたり、金策に走っていたのだ。
 
写真は宿のベランダから撮ったもの。
    
その時にこれ読んでいたら感慨は違ったものになっていた。
浮羽まで行っていた。実際に大石堰を見れたのだ。無念。
ありがたいことに映像がyouTubeにあった。もしかすると、この近く走ってもらっていたのかも?

筑後川中流、五庄屋遺跡の大石堰と大石用水・うきは市



国銅〈上〉
帚木 蓬生
新潮社
 
国銅〈下〉
帚木 蓬生
新潮社


↑も地元の人も良くは知らないお国の施策に逆らえない庶民の悲惨な歴史と、その中での逞しさが描かれていた。
実際に山口にある廃れた銅山入口まで行ってみた。
こんなところから新幹線も飛行機もない時代に奈良まで!
路銀すら与えられず命の保証もないままに…と、当時に思いを馳せ胸キュン。

『水神』に出てきた貧し過ぎる農民の
米を作って米を口に出来ない食事の細かな描写を読みながら、
ダイエット、ダイエットと、
うっかりすれば食べ過ぎになる飽食の我らが恵まれ過ぎている事、
そして毎日、当たり前のようにきちんと戴けることに、
なんの感謝もないことに、ダメじゃんと思う。
食べ物の事だけでなく、もっと根幹。
庶民はチョイ前まで一握りの権力の前に、虫けら同然だったのだ。
人の尊厳なんてものが常識として語られることが出来る御代は
簡単に手に入ったのではなく
ものすごい人の努力があったなんて、大げさな事にまで気が回ってしまう。

医療系の話もうならされるが、帚木 蓬生の歴史物の筆もすごい。堪能しました。




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10年前の振り袖騒動

2011-01-10 14:22:58 | Weblog
夫が秋に逝って、喪中で年を越した。
娘に成人式の案内は来ていたが、準備などしてやる気力などさらさらなかった。

「 おかぁさんの赤い振袖ならあるよ?」

「イヤだ~七五三みたい」

参加すれば葬式の時の黒スーツで、と言う会話はあった。
喪中にあの真っ赤に金銀の刺繍は確かに不似合い。
七五三ねぇ~言ってくれる…母の振り袖写真がそうだってこと^^;

式の3日前になって、
友達が振袖一式を抱えて持ってきた。
できたら自分の娘2人が着たものだけど、着せてあげてと言う申し出。

  「娘さんに何の準備もしていないんじゃない?」

図星。
  
抑えたピンクで四季の話が描かれた友禅。
しっとりした振袖だった。

あわてて当日の着付け予約に空きがある美容院をさがした。

早朝なら空いているところがなんとか見つかった。
成人の日、
朝から母はお付きの運転手でカメラマン。
大体、成人を祝う日にまったく親がお姫様のために右往左往なのだ。
なんかヘンよね~

まだ、両ババさま方もしっかりしていた頃だ。
着付けと髪の出来上がった娘をババさま方に見せてまわり、
あわただしく会場へ連れて行った。

結果、人並みの成人式をさせてやれた。

いろんな人の助けがあって
悲嘆の時期をくぐり抜けられたと、
今更、思う。

成人の日午後、いつもの散歩道に可愛いあられが降って来た。
今年は寒い成人だ。

あの日の天気はもう思い出さない。

それから2年後、卒業式には娘が何を思ったのか
母の真っ赤っ赤の七五三振り袖が着たいと言いだした。
それっきり、また私の振り袖はタンスに寝ている。

あの時お借りしたピンクの振り袖は
3番目のお嬢さんの成人式に、おねぇさんたちの結婚式にと
活躍した証拠写真をいくつか見せて頂いた。

ニュース映像でみる振り袖のお嬢さんたちにいろんなドラマがあるや?なしや?


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