進行性核上性麻痺と闘った父とその家族の記録

進行性核上性麻痺と診断され6年2か月。89歳まで闘い抜いた父、それを支えた家族の記録。

親の愛情 子の愛情

2010-02-06 10:13:04 | Weblog
先日、父の病状説明会がありました。

定例ですが、私が入院したこともあり1か月遅れでした。
父の病状は安定しているとは言うものの、長期で見るとやはりわずかに進行していると。

それは、家族も感じていたことでした。
この先の進行に病院も家族も心構えはしておこうということ。

何よりも、この病気の他の患者さんと比べると、父がいかにこの病院で手厚く看護介護していただいているか…
そのおかげで誤嚥性肺炎をずっと起こさずにいます。
この病院に入院した当初は、いつ気管が痰で詰まるか分からないという状況でした。
この病気の死因は肺炎ですから。
主治医の先生は、呼吸器専門の先生です。
その先生が、「肺は専門ですから!」と言ってくださり、ありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。




そのあと、
医学的なことは十分にできても、精神的なことはやはりご家族だと・・・

1月になってから父が大声を出すようになったと。
精神的に不安定な状況だと。
でも、安定剤を使うことは考えていないと。


これは、父に不安な気持ちがあるんだろうと。


私が急に顔を出さなくなったことが原因のようでした。
胸が熱くなりました。

きちんと話した方が良かったかもしれません。
言うと心配かけると思った私が間違っていたかもしれません。

子が親を思う愛情より、親が子を思う愛情の方が大きい?


自分が親の立場で娘たちを思うことを考えたら…そうだよなぁ
何も言ってくれないことの方が心配でした。
父に悪いことをしたなぁと思う気持ちがいっぱいになり、胸が熱くなりました。

病室に行って、父にきちんと話して誤りました。
「椎間板ヘルニアで入院して手術をしてもらって完全に痛みが取れたよ。それでこれなくてごめんね。言わなくて余計に心配かけてごめんね。」と。

父は、返事をくれました。


ベッドの上で動けなくても、しゃべれなくても、子供のことを心配している。
85歳父の深~い愛情を感じました。

長時間でなくても、ちょこっとでも今より回数多く父のところに顔を見せに行こうと思いました。
今思えば以前より回数が減ったかも…
私の体調のこともあったけど。

私の入院体験でも、ほんのちょこっとでも毎日誰かが来てくれるのはうれしかったものね。

「でも、無理までしてきてほしいとはお父様は思われないと思いますよ」って。
いろんな話をしたら、看護師さんや相談員さんたちがそう言ってくださいました。

こんなふうなやり取りがスタッフと出来る病院で本当に父も家族も幸せです。
コメント (1)
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