気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

【産経抄】 10月26日  

2014-10-26 10:42:53 | 日記

 

 

 古来、剣術において「目のつけどころ」は生死を分かつ大事とされた。相手の剣先に惑わされるのはひよっこ。手だれは遠くの山を望むがごとく相手を視野に収め、心の奥底を読み取り、攻防の機微をわきまえた。「遠山(えんざん)の目付(めつけ)」という剣の心得は、「木を見て森を見ず」の戒めでもある。

 ▼これに似て、将棋にも「大局観」という言葉がある。論理的な「読み」とは別に、盤面のパッと見で、攻防を見極める物差しである。プロ棋士の羽生善治棋聖いわく、大局観は「経験を積めば積むほど精度は上がっていく」(『大局観』角川oneテーマ21)。

 ▼苦い水をさんざん飲まされ、培ったはずの大局観からいえば「悪手」に近い手だろう。北朝鮮による拉致被害者の再調査をめぐり、日本政府が担当者を平壌に派遣する。「詳細を聞きたければ来い」という北の高飛車に、日本が腰を上げるのは主客転倒ではないか。

 ▼「調査は初期段階」という北の言い分も、うさん臭い。終戦後に渡航した日本人妻の調査結果などを示し、それを「実績」として新たな制裁解除を求めてくる恐れもあろう。数手進めば、北にとって都合のよい盤面になっている。そんな交渉だけは避けたい。

 ▼リスクを背負ってでも局面を打開するという、安倍晋三首相の胸の内は理解できなくもない。一方で訪朝団には「行動対行動」を原則に、いつでも席を蹴る心構えを望みたい。北が指すべきは「拉致被害者の即時帰国」の一手だ。それ以外の手は一顧の価値もない。

 ▼余談ながら、剣術には「紅葉の目付」という戒めもある。色づいた一葉の美に目を奪われ、肝心の全景を見失うことの愚を指し示す。相手は国力疲弊の深手を負っている。目のつけどころを誤ってはなるまい。

 

 

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