楽しいはずの大型連休が、困窮家庭の子にはつらいのだという。大阪社会保障推進協議会の事務局長で、シングルマザーを支援する寺内順子さんの話だ。
旅行や遊びに行けないからではない。「学校の給食がなくて、おなかがすくんです。連休も働かなくてはいけない親も多い。今年のように日の並びがいいと、なおさら」
寺内さんはそんな子どもたちと、兵庫県内の一軒家に泊まり込む「キャンプ」を予定している。これまでのキャンプで、三度三度おなかいっぱいのご飯を食べて「ぼく、なんか心が平和や」とほほえむ子や、荒っぽい言動が消えて甘えだす子を見てきた。「食べ物には大きな力がある」というのが実感だ。
福岡県も子どもの貧困対策として「食の力」に期待する。コンビニエンスストアから売れ残った弁当やおにぎりなどを分けてもらい、支援団体などを通じて学習支援の場で、子どもに提供する。
売れ残りとはいえ、店頭に置く期限が過ぎただけで消費期限は来ていない。コンビニには各団体が引き取りに行く。福岡県は、学習支援の場13カ所の助成金計260万円を予算化した。居場所づくりも兼ねて手料理を出す「子ども食堂」が各地に広がっているが、頻度は月に2回程度。福岡県は、日常的に子どもを支援しようと考えた。
この対策は賛否を呼んだ。
毎日新聞西部本社発行の夕刊は、困窮家庭の子どもたちへの偏見やいじめを助長したり、子どもたちの誇りを傷つけたりしないかと問いかけた。学習支援に携わる人の「今日、明日食べるものにも困る絶対的貧困下の子どもにとっては一つの手段になる」との声を紹介しつつ、「効率ではなく、こどもとその家族の尊厳を守ることが最優先。『ない』よりマシの考えはよくない」との意見を載せた。
困窮する子は、それだけで傷つき孤立している。ならば食事一つにも、いやさまざまな力を持つ食だからこその心配りが大切かもしれない。
寺内さんは「自治体が危機感を持ち、新しい試みをやるのはとりあえずいいことだ」と言い、「やってみて子どもの反応や課題を知り、臨機応変に対応してほしい」と話す。そして、できあいの物であっても、ご飯はお茶わん、おかずはお皿にと付け加えた。「それだけで、子どもは大事にされていると感じる」と。
「心が平和や」。そんな言葉をすべての子が口にできるために何が求められるのか、賛否を超えて、私たちも考えたい。(論説委員)
毎日新聞2016年5月4日 東京朝刊
<所感>
旅行や遊びに行けないからではない。「学校の給食がなくて、おなかがすくんです。連休も働かなくてはいけない親も多い。今年のように日の並びがいいと、なおさら」・・・
今の日本社会で「学校の給食がなくて、おなかがすく」子供がいるのか?と信じがたい。
何かをしてあげたいとの素朴な気持ちを持っていても、相手の自尊心を傷つけるのではなかろうかと躊躇している人は多いと考える。
早朝に愛犬を連れて路肩の空き缶等を拾う人がいた。私も犬の散歩を出勤前の早朝にしていたのでよく出会った。背に大きなかごを背負い、深々と帽子をかぶってマスクをしていた。その方は、私の親友の兄貴さんで、小学5年のときの担任だった人で、すでにガンに侵されていたことをあとになって知った。
その方が亡くなられて半年くらいたった頃に、犬と私の散歩をしながら空き缶拾いを始めた。
「表彰されるわ、あははは」と隣家の婆さんから言われた。素朴な善意が逆目にでることはよくあること。
善意の押し付けとか売名行為とか言われることがある。その覚悟をもって事に当たらねばなるまい。
<👀も>
今日の木津公民館は安藤氏も出席した。タイム測定をそれぞれ2回実施。8日のユーリンピックは、杉本氏、表氏と3人で一台の車で行くこととした。