第一次世界大戦後のロンドンやパリで、絵画や彫刻を買いまくる日本人がいた。一点ずつでは面倒とばかり、手にしたステッキで画廊の壁をぐるりと指し示し、画商に尋ねる。「全部でいくらかね」。
▼有名な「ステッキ買い」伝説を残したのは、川崎造船所(現・川崎重工業)の社長を務めていた松方幸次郎である。戦時下のロンドンに拠点を置いて船舶を売りまくり、「造船成り金」と呼ばれた。一説によれば、購入に費やしたのは3千万円、現在の貨幣価値に換算すれば900億円以上にもなる。
▼印象派の巨匠、モネの自宅を訪ねたとき、邸内にある絵を全部買いたいと申し出て、モネを怒らせた。「私は自分のために買うのではない。フランスまで来られない日本の若い画家たちのために本物の油絵を見せてやりたいのだ」。松方の説明で、モネは納得したという。
▼「松方コレクション」と呼ばれた収集作品の一部は、フランスに残されたまま第二次大戦終結を迎えた。戦後、日本政府による粘り強い交渉によって、ようやく返還が決まる。フランス側の要請によって、作品展示のために建設されたのが、ル・コルビュジエ設計による、国立西洋美術館である。開館は昭和34年、松方が84歳で亡くなって9年後だった。
▼美術館が世界文化遺産に登録されれば、あらためて松方の生涯にスポットが当たるかもしれない。自宅に油絵一枚飾らなかった質素な生活ぶりからも、美術品収集に私心を持ち込まなかった、松方の信念がうかがえる。
▼それにひきかえ…。政治資金の使い道は、家族との温泉宿での宿泊や、料理店通いだけではなかった。趣味の美術品購入にもせっせとつぎ込んでいた、東京都の舛添要一知事とは大違いである。
2016.5.19 【産経抄】
ルノワール『アルジェリア風のパリの女たち』1872年 国立西洋美術館
モネ『睡蓮』1916年 国立西洋美術館
ロダン『地獄の門』1880 - 1917年 国立西洋美術館
(画像はウイキペディアより)
<所感> 「東京都の舛添要一知事とは大違いである」 = 松方幸次郎を引き合いに出すことも大違いである。