気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

主がいない家を守り続ける犬たち

2016-06-02 14:29:43 | 日記

 私の胸が本当に痛んだのは生きていた動物たちです。犬の場合、「家を守る」という仕事があって、それを愚直に守っている犬がいました。

 鎖やロープを外されていても家から離れることもなく、飼い主が帰ってくるのをひたすら待っているのでした。

 飼い主以外に心を開かない犬も少なからずいて、そのために保護することができずに死んでいった犬もいました。

 ある犬は同じ飼い主に飼われていた鶏たちに自分の餌を与え、自分は落ちている餌を拾って食べていました。その犬は餌を与えようと近づく私に吠え掛かり攻撃をしてくるのです。家を守る。そのために彼らはそこにいたのでした。

 

鶏とエサを分け合う犬(撮影=太田康介氏) 


 またある犬は瀕死ひんしの重傷を負った状態で発見されました。同じく一緒に飼われていた鶏を守るために、野犬化した複数の犬と戦って傷を負っていたのでした。鶏などは食べるものがなくなった時など一番の食料になるはずです。しかし彼らにはまったく手をつけず、犬小屋の裏に積まれていた籾殻もみがらを食べていたのでした(保護後、フンの内容で確認されました)。


被災地に残された猫(撮影=太田康介氏)


飼い猫は家の中に閉じ込められ、やがて食料が尽きて死んで行きます。数軒ですが、外に出ようと、窓の内側の障子を必死で破った形跡があるお宅も確認しています。

 外で生きていた猫たちは、人馴なれしている子は私が行くと駆け寄ってきて餌をねだりました。人に馴れていない子たちは餌を置く私がその場を離れるまでじっと待っていました。馴れている子もいない子もそれぞれやせ細って首輪がゆるゆるの状態になっていました。死と隣り合わせの状態でいた訳です。

YOMIURI ONLINE  「震災5年 いまも待ち続ける動物たち 」 から抜粋


所感

 狸のポンタは餌を求めて毎晩来ている。被災地の動物たちはポンタより惨めに生きているようだ。