なんだろう。心が風邪をひいてから、なかなか直らない。
もう一カ月になるか。
ぽかっと穴のあいた傷口が、血を滲ませたまま塞がらない。
自分にたりないもの。
最近そればかりを探しているというか。目をそむけたくても、じわじわと感じてしまっている。
少しばかり努力した気になっていても、継続できず、
よく今日まで朴訥と生きてきたなぁーと思う。結構図太いわ。
まず勇気。それに裏付けされた自信。ユーモア。それに整理能力もない。
人生を自分らしく生きるには絶対に欲しいものなのに、なにをほっても大事にしたい性質なのに。
この年齢になってなお、自信がずるずると消えて薄まっていくようだ(やっぱ、お仕事を自分からお断りするというのは後々響くなぁ、心が痛い。
仕事ってクライアントさんから与えられるものじゃなく、もっと高いとこから降ってくるものなんだ、と気付く)。
いや、済んだこと。はさして関係なし。自分で自分が信じられないというか、許せないというか。
いったんそう思ってしまうと結構きつい。
そうして最近、出会った本が「あたらしい自分になる本」服部みれい著。
(ブログを通して出会ったあるライターさんがこの本のことを書いていた)
この本は、単にハウツーものではなくて、冷え取り健康法のこと。アーユルヴェーダ、白湯の話、
食べ物と食べ方や、お部屋を浄化する作戦、そして瞑想。人や自分を許して浄化するポ・オポノポノや。
作者の服部さんがすべて試したことがその体験談や、もっと詳しく掘り下げて解説する関連本などの紹介もふくめて沢山書かれていて、
決しておしつけがましくなく、語りかけるような自然な文体で
あたらしい自分になるための、処方箋を教えてくれている。
服部さん自身、大きな壁にぶちあたりボロボロだった自分を立て直す手立てを探り、探って。
編み出した、いろいろ、なんだそうだ。
今朝は、本の著者が薦める「黄金のアーユルヴェーダセルフマッサージ」に習い、
温かい部屋で太白ごま油を頭の先から、髪、顔、肩から胸、腰、おしり、手足の指先まで
自分の指先と手のひらでマッサージして、
バスローブを着て約20分。
日課である半身浴をしてから、釜定の鉄瓶で20分かけてこしらえた白湯を口にする。
マッサージしている間中、バリ島のヌサドゥアが映像として頭の中を流れていた。
ふん、ふーん。傷ついている私にしては能天気な気持ち。
セントレジス・バリリゾートの「ルメードゥスパ」で施術してもらったマッサージをずっーと思い出していた、というか感じていた。
閑静な場所にある鯉の池。その中央にたたずむスパ。
120分。ひたすらオイルをたっぷり塗って、ローストピーナッツ色の肌をしたきれいなお姉さんにさすってもらったねー。
「神経が高ぶって眠れないのね。今日はきっと眠れるわよ」。彼女はそう自信げに私に約束してくれた。
施術が終わったら、風呂場に据えられた滝にうたれた後で真っ白なフランジパニ(英語圏ではプルメリアという)とバラを浮かべたお風呂に、ゆっくり入った甘ったるい夢の時間。
お風呂の外から流れ込んでくる細長い線香とオイルと濃厚な花の匂い。ガムランの調べが遠くから、いつまでも聞こえていた。
私は、家族を離れて一人ゆっくりと3時間以上そのホテルで過ごしたんだっけ(あぁー妄想バリ島だ)。
でも、その後ジンバラビーチのバーベキューで活きているロブスターを食べて、ビールを飲んだだけで3万円も、ばくられた時はまいったしたけど)
ここは西宮の南向きのリビング。太陽が毛足の長い絨毯の端までしっかりと明るく照らしている。
お風呂から上がったら、
冷えないように、スパッツを2枚重ねではいて、
5本指ソックスを絹、綿、絹、綿の順に重ねてはく。
机の前に位置するガラスの向こうには、カレンダーの写真のように燃える山々。
こちらは、夕方Nが送ってくれた京都御所の紅葉。
今日も夜には湯たんぽをして眠ろう。
こうやって、自分を少しでも大切に、大切に保護してやろうと試みているが…、さて、12月は少しくらい回復してくれるだろうか。
まあ、自分を攻撃しているのもまた紛れもない自分自身なのだから。
理想どおりに生きられないからって(思い描く通りに全く行動できないポンコツの頭と体)、
容赦なく攻め続けているのは他ならぬ自分なのだから。仕方なし。
回りの人はやさしい。たくさんいいコトやモノを運んできてくれる。それはうれしいー。ありがたいー。
こうやって、じんわりじんわりと、子宮にある筋腫は膨大に育っていったんやろなぁーと客観視。
仕事はある意味、こんな自分を解放してくれるセラピーになる。忙しければいいリハビリだ。
この間は、これまであまり観ない映画「マラヴィータ」をみた。
窓から温められた冬の太陽が温かく注いでくれている。