年があけて、はや10日になろうとしている。
早い、早すぎる。ビックリである。
新年には、主人の実家と私の実家を横断した。
山口と兵庫…、ふたつの郷里で無事「元旦」を過ごすことができて、
ホントに良かった。
片道7時間も車を走らせていると、旅の気分も味わうことができるし(道中にサービスエリアへ立ち寄り、お土産物を見たり食べたり)。
その土地ならではのお雑煮や正月風景に出会えた。
思い巡らせるのは、ふたりの「お母さん」(両家の父は天国)の顔を見て過ごせたお正月。
これは意義深かった。
娘のNはそれぞれの母から手料理を習えたし、お年玉もダブルで…!!
互いの親戚とも交われ、やっぱりお正月はそうでなくては。
普段は遠くに感じる郷里が近くなる。
なんともいえず、温かい気持ちになった、いいお正月であったと思う。
そして、今、思い出すのは、互いの母たちのことだ。
母たちは、会うたびに少し、また少し、と小さくなっていく。
どことなく、人としての輪郭のようなものが
ぼんやりしてきた(まるくなった)そう気付く。
微笑んでいる時間は増える一方なのに。
顔には皺が刻まれ、ほうれい線は深く彫られ、背中あたりが小さくなっていく。
主人の母は今年77歳だ(5人弟妹の長女)。
男勝りで、気丈。昔バレーボールの選手だったというだけあって、
正義感が強くて、俗にいう「いけず」体質。口は悪いが、人情に厚い人だと
私は解釈していた。
そんなお母さんは一昨年の春、肺がんの手術をしてからというもの、会うたびに元気が吸い取られていくようだ。
いろんなことが億劫になり、普段も横になる日が増えに増えていると聞く。
そうこうしているうちに、骨が脆くなって、今は骨密度が実年齢の半分しかないのだという。骨に穴があいてスカスカなのだ。
加えて、持病のぜんそくもあるらしい。
この家は小高い丘の中腹にあるのだが、
坂の下から家までの10分ほどの坂道を一緒にのぼりきった後で、ふと隣をみると
肩というよりも体全体で大きく息をしていらして、
それがいつまでも、いつまでも20分くらい苦しそうにしていらっしゃったので本当に驚いてしまった。あんなお母さん、始めてみた。
顔は笑っているのに、呼吸がどうしても平常に戻らないのだ。
「肝っ玉母さん」。という言葉がピッタリの人なのだが。
料亭に35年も勤め上げて調理師の免許まで習得し、いつもの正月なら朝6時から夜中の11時ごろまで働きまくっていられて(正月は稼ぎ時)。
だからお母さんとの語らいといったら、夜中の11時~深夜まで。
それでも朝にはケロッとした顔をして割烹着を手にもって出勤していらした姿が印象的だった。
いつも帰省したら、私たちの話しをあれこれ聞く前に、
料亭での仕事ぶりや一部始終を一晩でも語っていらっしゃったほど、話し好き。ビールを飲んではタバコをくゆらす姿も見たことがある。
人の行動をよく観察して、短く褒め、短く叱ってくださった。
そんな、強い強いお母さんが今年は、子どもみたいによく笑って、笑って。あとはボーとされていた。
ぽかーんとした顔で人の話を聞きながら空を見られていた。あんな表情、みたことがなかった。
人が話すのを代わる代わる見ていらした時もあった。
3日間しか一緒に過ごせなかったけれど、
どことはなしに頼りない行動、物忘れ、勘違いが何十回も。毎日繰り返された。
なのに、どうしてなんだろう。これまで以上にお母さんとの距離が近く思えたのは、
なぜなんだろうか。
おせちやお雑煮も一緒に作ったのだが、台所に立っている時はさすが、キビキビしていらして、手早くて、
味付けも一瞬にして決めてしまうので、そこにあらためてこちらは感激し、涙がこみ上げてきたほど。
本当にいろいろな所を訪問したり、来客があったり、
床に伏しているのが信じられないくらいよく動かれていたから、
私たちが帰った後でよほど疲れられたのだろうなと思う。
「今日は愉しかったですね~…。疲れたでしょうお母さん」
と声を掛けると。
「愉しかったね。また次も必ず行こうね、愉しかった。良かった」
と何度もいわれ、かいらしい表情で笑われた。
小さな子どもみたいに。
大きな仕事を成し遂げた時の安堵感にも似た表情をして。
「ふうー」と。「ほっー」と。何度も息を吐きながら、満足していらした。
別れ際に、思わずくしゃくしゃの手を握って、
「また帰ってきますね。お元気で、ホントにお元気でいてくださいね。
お父さんもういらっしゃらなくて。お母さんだけなんですからね」
と私の口から自然に言葉が出ると、
嬉しそうに手を握り替えしてくださって、
玄関から出て、坂道の途中まで来て私たちが見えなくなるまでずっーと見送ってくださった。あんなことも今回が始めてだ。
主人の郷里へ行って良かったなー、と心から思った。
なんだか、お正月が過ぎて家に帰り、仕事もすでにはじまっているというのに、お母さんの表情(姿)が頭から消えない。鮮烈に浮かぶ。
うちの母も、今年80歳になる。
「もう何も出来ないから、あなたが早く帰省して全部、家のことは全部やってね」といいながら、
さすがに几帳面で完璧主義のAB型の母である(この人も5人きょうだいの長女)。
あいかわらず気がよくまわって、あれこれ世話をやいてくれ、
家事も正月支度も、例年と変わりなく抜かりなく、しつらえていた母。
私のすることも、あとでそっと手直ししたりしていた。
だけど、それでも着実に年齢を経て、老いているのは事実。
目をそむけたくても、母は小さくなって変わっていこうとしているのだ。
ふたりの大切な母を、そして今年104歳のおばあちゃんを、
今年はいつも以上に、しっかりと守っていかなければならない年齢になったのだなーと、今回あらためて感じた。
いつもまにか守られる側から、守る側に、なったのだね。
年齢。
そういう私だって着実に老いにむかっているのだ。
仕事だってそう。家事だってそう。
明日はもっと頑張れる!もっと頑張ろう!と思っていたら、
それは私の大きな勘違いで。
先日まで出来たことが、同じ感覚で出来なくなっていることすらあるのだから。
あの時と同じ感覚、同じ調子で、
むしろ俊敏になんて、走れないのだ。
毎日ちゃんと手当して、体をいたわり、
鍛えていかなくては走り続けられない。
そんなことに、ふと気付かされることも…。
今年届いた友達の年賀状にこんな言葉があった。
「私ら不安定な年ごろだけど、自分で自分をフォローしていいんだよね。(中略)
つつがない良い一年を!」
そうだ。そうなんだよね。
自分で自分を、時々「フォロー」したり、「渇!!」をいれたりしながら、
つつがなく上をむいて生きていこう!(くよくよは出来るだけやめよう。)
大切な人たちを大事にして、決して自分から手を離さず、
ずっと守りながら、守られながら…。
今年もよい一年を経て生きていこう!!
「2014年が、何度でも繰り返したくなる素晴らしい年でありますように」
これも友達の年賀状から。
皆様も、つつながく良い一年を。