月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

祗園祭フィナーレの晩

2015-07-24 21:56:08 | どこかへ行きたい(日本)


祗園祭のフィナーレを飾る「後祭」に昨晩出掛けました。

今年、京都は初参戦。(信じられないけれど)。


まずは八坂神社に、昨年の「長刀鉾」「菊水鉾」をお返しにいき、それから、一度いってみたかった安井金毘羅宮に
参拝。

ドロドロの気持ちも少しばかり清められて、夏の京の宵を歩く。

だんだん愉しくなってきた。
いい調子、いい調子。

友達と、明日は土用の丑だから、鰻を食べようと誘い、
「祗園 う」へ。






店を出ると
闇は一気に広がっていた。
祭だ、祭! 



















夜9時、烏丸界隈は若者が引き上げた後で、すっかり大人仕様。

深い夜の海のなかに、鉾の提灯や日本美術の装飾品や絵巻が幻想的にふわり、ふんわり、と紅色に浮かび上がり。
屋台もなく、人通りもまばらな名残のお祭り。

時折、思い出したように10基の鉾から古典的な祗園囃子の楽曲が奏でられては、闇に消えいる。

風がすっーと自分を流れて過ぎる、こんな古都の風雅は、
私にとって平成の祭のようではなく(もののあわれ)感じられ、逆に心に響いてきました。

大船鉾、南観音山、北観音山、八幡山、
役行者山、黒主山、鯉山、浄妙山、と、、、ほぼ全ての鉾を間近で眺められたのもよかった。

やはり日本の彩は美しい。日本の音も心に沁みる。

団扇の古美術や町内の屏風祭も
観覧できて、男衆たちは酒を飲み交わしている。
「八幡山」のところでは、浴衣姿の子どもたちの「ローソク1本いりますか」が
聴けた。

絵巻物のような幻想的な海を歩きながらも、私の心はある人の事がずっと頭から離れなかった。
むしろ鮮明に、寄り添ってきていた。ああ不条理、切ないなぁ。


さあ、明日からいよいよ夏がスタートする。