月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

釜揚げしらす丼とビールで「天使の涙」を鑑賞

2019-04-26 00:19:59 | writer希望を胸に執筆日記

4月26日(金曜日) 晴れ

昼には東京の編集部から音声データが届いたので、午後からはずっとテープおこしをしていた。
ゴールデンウィーク中につくる原稿は5本。音声をおこさないと、原稿にはとりかかれない。

夕方、陽子ちゃんからメールが届く。

1週間ほど前にお願いしていた「釜揚げしらす」が、神奈川から、今しがた到着したという。
すっかり忘れていたので、服を着替えて、車で引き取りにいくことにした。
お返しに、なにか気の利いたものがないかな、と探す。
そうだ昨日、主人が長崎から買ってきてくれた福砂屋のカステラがあった。

さっそくカステラと、北海道展で買い求めていた六花亭のマイセンバターサンドを少しずつ詰め合わせて、車で向かった。

静岡の吉田漁港から届いたばかりの「釜揚げしらす」。
昨年、一昨年と、3年め。見慣れたブルーの包装紙をみた時のうれしさよ。









それにつけても、一昨日にはご近所のFさんより、いただきものがあった。
「うちの雑草みたいなものだから」と比叡山延暦寺の塔頭、坂本の家の裏庭で収穫したたけのこを、お裾分けをいただいたばかりなのだった。
さっそくその日は深めの寸胴と大きめの鍋を2つ用意して、米糠をいれて、1時間ゆがいたのだ。

皮をかぶっているタケノコは、生あたたかなぬくもりを持っている。皮はしなやかな体毛(産毛)で覆われていて、野趣あふれた様相だ。
そのまま米糠のお風呂にいれると、気持ちよさそう。それをチラリチラリと何度ものぞきながら、原稿をつくっていたのだった。

きょうは、これに好物の釜揚げしらすが、加わる。
ありがたい。うれしい。

夜。仕事が一段落したら、かまどさん(土鍋)の炊き立てごはんに、しらすをたっぷりと山盛りのせて、「しらす丼」をつくる。
若竹煮、春のおじゃがとたまねぎの煮物、厚揚げ入りの味噌汁など。


身がやわらかく、ほのかな塩味と甘みがあって、まるごといただける至福。ほんまにうまい!





ささやかな美食に、気分が晴れて、TSUTAYAからレンタルしていたDVDをかけた。
ウォンカーウァイ監督の「天使の涙」。
たしか4回目くらい。いくつかのシーンを忘れていて新鮮な驚きをもって観る。小さなビール缶を冷蔵庫からとりだして、思いっきりのめりこんだ。


香港の夜の電光看板が重なる中、麻雀屋、地下街の道やネオン街のバーなど不健全きわまりないこの街らしい光景を、(3年前に訪れた香港を重ねて)なつかしく思い出しながら、観る。
女の孤独も、男の孤独も、身にしみるようにこたえる。人は誰しも不完全で、完全だ。

人が恋し、愛するのは一種、病気みたいなもので、切なくて、あたたかくて、そして抱きしめたくなるほど。愛おしい。
胸をあつくして、再鑑賞を終えた。
タイトルと映像が見事に合致している。「恋する惑星」に続く、このシリーズは最高傑作だ。
シーンが脳裏から離れない。


お風呂にはいって2時に就寝。
残業帰りの主人をのせたタクシーが家の前でキューンと止まった。