月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

積み重ねたものたちが壊れるとき

2013-04-10 22:17:38 | 春夏秋冬の風

4月、新しい旅立ちの時である。
古い習慣やしきたりや積み重ねていったもの、時間、人達とも離れて
新しい空気をまとう時期なのかもしれない。

どうもそんな変化に対応できない自分がいる。
これまでの時間や空気に、未練たらたら、なのである。

そんな私を試すような事件が、相次いで勃発している。

それは例年より早い桜がちらほらと咲き始めた頃だった。
翌日は北陸への旅行を予定していて、午後にはJRの割引切符を買いに行ったり、
TSUTAYAに新譜のCDを求めに行ったりして、忙しく過ごしていた。
夕方6時には、JRに乗って実家の母もやってきて、
久しぶりの、「旅」前のウキウキ感に、浮き足立ち(?)
団らんのひとときを過ごしていた。

起こった時刻は夜中だった。
ほかの家族たちは翌日に備えて、12時には床につき、私はパパの帰宅を待ってリビングで本を読んでいた。
お酒に酔って1時前に帰宅したようなので食事はいらないかなあ、などと思いながら、
「食べる?」 と聞く。
「どっちでもいい」 との返事。
「今日はしゃぶしゃぶで材料は残してあるのよ」 と私。
「ふ~ん、ハイハイ」 と。

なので私はサッサと用意して、最初の鍋だけ炊いておいて、
1時半にお風呂に入り、2時頃にやっと床についたのである。
無論バスタブのなかでは、旅行ガイドをもう一度おさらいし、明日からの母の体調のことなどを思案し、
それでも布団にはいってもなかなか寝付かれず、本をめくったりトイレへ行ったりして、ようやく眠りについたのであった。
(寝る前に、リビングをのぞいたらすでにパパはうたた寝をしていたが、そのまま起こさずにベッドへ…)

そうして夜中の3時40分頃なのだ!

心臓を破るような「ガシャーン」とものすごい音が家のどこからか聞こえてきた。何?
なんの音だろう?

誰か、大きなものが倒れたような(脳しんとうでも起こして倒れ込んだような)すごい音だったので、
心臓をばくばくさせながら、闇のなかで目をあけたまま、身じろぎもできないでいた。
怖かったのである。ものすごい事が起こった気がした。そしてふと耳を澄ますと娘の声がしたので、
大急ぎで飛び起きてリビングへ走っていったのだ。
まぶたを閉じればダイニングルームでしゃぶしゃぶを前にしたまま、眠りこけていたあの人の姿が脳裏に浮かんだ。
そして、いそいでドアを開ける。
すると、倒れ込んでいたのは、パパではなくて、
もっと大きな長い木の物体!
一目でそれが何かがわかった。

それもそうだ!周囲は破片だらけで足も踏み入れられない状態だったのである。

ああそれは、もう思い出したくもないが、
私のごく個人的な趣味の器ばかりを入れていた「水屋箪笥」(たて長の楕円形)がリビングにど~んと大きく斜めに横たわっていて、
パパが周囲に飛び散る、茶碗の破片を下を向いてかき集めているのが目に映ったのだ。
娘が「大丈夫なのもあるから…ね」と気弱な声…で励ましてくれたが、
もうあとの始末。

珈琲カップやティーセット、ポット、酒器、ガラス製品、想い出の作家ものの器が全て
粉々になっていた…。
当然である、地震でもないのに水屋箪笥ごと倒れ込んでいたのだから。助かっているものがなくて当然なのである。

(後で聞くと寝ぼけたパパが空気清浄機を倒し、あまりに勢いよく倒れたのでそのまま勢い余って水屋箪笥も倒れてしまったのだろうという。しかし私は思う。肩でぶつかっていったか、
蹴ったかどちらかだ)


昔取材でお世話になったレギーナ・アルテールさんのお皿や花器が5つ全部割れたのが一番哀しかった。
硬い陶磁器は、かたちはあるにはあったが
それでもどこかしら欠けていたり、ヒビ割れているようである。
(一昨年買ったポットだけは、台所に置いていたので助かったが)
翌日にはそれらに目を向ける気にもならかった。
「まあ、モノは考えようよ。器やら水屋箪笥でよかったよ(箪笥のガラスにもヒビ)
これが人だってごらんよ。救急車で運ばれるような惨事だったら、
旅行も中止だからね」と翌日の母の言葉である。


ほんとうはその1カ月前も大好きなものが壊れていたのだ。
リビングの照明器具(シャンデリア)である。
わたしは大人になった頃からずっと白熱灯のオレンジの灯の下で
暮らしているのだが、つい1カ月前にそれらが落ちて、
ダイニングの照明器具の球も替えたところだったのである。

「オレンジの光ももう飽きただろう」
「新しい蛍光灯のほうが勉強もしやすいし、家のこともしやすい」ということで台所もダイニングもリビングも、
蛍光灯の青々とした光にチェンジした矢先であった。

アジアチックだな、まるでバリの屋台の光みたい、などと愉しもうと思いつつも、
どこか自分の家のようでなくて慣れない気持ちで過ごしていたのだ。

かたちあるものはいつかは壊れる。
かたちあるうちに、存分に出会い、愉しませてもらっていれば、それで十分「ありがとう」と
潔くさよならできるのだろうか。

先日ようやく、とりあえず須田青華の湯飲み茶碗と
河井久さんの珈琲茶碗を購入した。


そろそろ新しいものを揃えたり、始めたりする愉しみを見つけなくては!




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
十分にありがとう (アンデル)
2013-04-12 21:36:32
早速に、ありがとう。
うれしいです!というのも変だけど、分かってくれる友達がいると思うだけでうれしいです!
進化ですね。うん、頑張ってみます。

きょうは例の原谷苑と御室桜をみてきました!いつまでも寒いけど、
あっという間に新緑の山でしたよ。
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新化 (かおり)
2013-04-11 09:40:25
ああ……
もう、かける言葉も見当たらない。
同じ器好きとして、あなたの心中を思うと、それはもう本当に、ものすごいダメージだったんだろうと、哀しいというか呆然としてしまいます。
お気の毒でなりません。
そりゃ、ブログを書く気もなくなると思います。
当然です!!

私もたった1個、お気に入りの器を割ってしまっただけで、何日も凹んだことを思い出し、そんな大量に積み上げてきたものが壊れることを想像したら、恐怖すら感じました。
本当に残念だったね・・・
大切なものが壊れることの辛さを思うと、それだけで涙が出そうです。

ただ、この辛い記事の唯一の救いは、娘さんとお母様の優しい言葉でした。

すぐに切り替えはできないと思うけれど、昨年から「生まれ変わった」あなたです。
ここからまた新たに積み上げていってください。
前とはまた違ったものを。
これは進化であり、もしかしたら、そういう時期なのかもしれないです。
(と思うようにするしかないですね・・・)

長々と書いたわりには気の利いた言葉も見つからず・・・
すみません。
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