5月4日(月曜日)晴
昨晩。夜10時30分から夜中の2時30分まで、Nが大学時代の友達とズーム飲み会をしていて、「早く寝なさい!」と2度いうも、完全スルー。LINEをしてもスルー。おかげで寝不足のまま目が覚めた。
6時30分に起床。家のまわりを散歩。新鮮な空気を肺に吸い込み、花々と緑をみて脳に朝を届ける。瞑想を10分。沸かしたての白湯を口にして、机の前に座り、ほーっと。そろそろ原稿を書き始めようかと思った頃に、家人が起き出したので朝食の準備を。コーヒーに黒豆入りの小西のパン(篠山の老舗店)を出す。手抜きだ。
お昼ごはんは、たぬき庵のうどんにした。鶏と、おあげ、ネギ、みょうがをたっぷり。煮立ったところに、たまごを散らして。
昼食のあと、郵便局に請求書を出しに行って、セブンイレブンでアイスを買った。最近のお気に入りが、ハーゲンダッツの「苺のトリュフ」である。チョコレートのウエハースで挟まれた甘酸っぱい苺。もはやアイスを超えた完璧なデザートだ。
今日は金のアイス(バニラ味)にしてみよう。
帰宅後。新原稿にかかる気になれない。昨晩の寝不足を解消するため、昼寝を決め込む。 Nが来てくだらないジョークばかり連発してしまい、結局は眠れず(Nはすぐ寝た)。
夕方6時に起きて、金のアイスクリームを食べる。バニラビーンズがたっぷり。濃厚で甘くつめたーいクリームソースが、頼もしいほど胃にぐんぐん吸い込まれて、気づいたらアッという間に平らげていた。10秒ほどで。
「金のアイスクリームなかなかやるわ。ちょっと食べてみてほら」(私)
「雪見だいふくの中味だね。まさに」(N)
「……!」(私)
昨日に続いてFacebookのブックカバーチャレンジの原稿を書く。15分くらいでサラサラっと完成した。冷たく甘い刺激か。森瑶子の「情事」(処女作)を紹介。
森瑶子は、自分の読書経歴を紐解くうえで、やはり外せない作家だ。
「夏が、終ろうとしていた。見捨てられたような一カ月の休暇を終えて、秋への旅立ちを急いでいる軽井沢を立ち去ろうとしながら、レイ・ブラックベリや、ダールの短編の中に逃げ込んで過ごした、悪夢のような夏の後半の日々を、考えている」
冒頭の文節から、もう森瑶子でしかない始まりかたです。私がこの本と(この作家と)出会ったのは、高校1年生。当時、父が山陰の夕日がみえる高台で旅館を営んでいて、誰もいない食堂でこの本をおしまいまで一気に読み終わり、鳥肌が立ち、「自分もこんな才能に恵まれて物語を書いてみたい」と衝撃的に思ったのを覚えている。
「カフェ・オリエンタル」も再読してみよう。本をきっかけにバンコクへ旅をし、チャオプラヤ川のほとりに佇むオリエンタルを訪れた。あの頃、むさぼるように森瑶子の都会的でノスタルジックな大人の世界観に浸ったものだ。
文のセンスもさることながら、よき妻、よき母、よき主婦であった。
忙しい執筆の最中にも「家族への惜しみない愛」を忘れなかった森瑤子は、女性としても仕事人としても永遠の憧れだ。「森瑤子の料理手帖」は、料理好きな彼女のレシピがちりばめられていて、缶詰オイルサーディンで作るヨロン丼や、イギリス式朝食、クリスマスのごちそうなど、わが家の食卓にも恐れながら登場する。
37歳でデビューしてから52歳で没するまでの執筆人生に書いた本は、ナント100冊以上。
死の床についた森瑶子は、最期ホスピスで療養しながらもペンを離さず、笑顔を浮かべながら『生きていくのも、死んでいくのもどっちも幸せ』とおっしゃったとか。
当時、森瑶子の死を職場のデスクで(ラジオから)聞いて、大泣きしました。
さて夕食。たけのこごはん、和歌山ぐれの梅香煮、つけあわせは焼きブロッコリーで。牛肉の煮込み、味噌汁、椎茸の佃煮。
映画「サマーフィーリング」を観る。「アマンダと僕」と同じく、フランスの新鋭ミカエル・アース監督が描く愛と再生をテーマにした物語。日常の小さな機微を、リアルに描く作品。好みのシネマでした。
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