月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

コロナ禍での仕事と生活

2020-09-29 11:46:00 | コロナ禍日記 2020






7月12日(日曜日)晴

 

10日、11日、12日の3日間で、仕事のリズムが規則的になりコロナ前に戻ってきたのかと錯覚するほど。

 

朝起きて、ヨガと瞑想。朝一番は、一から創り上げる仕事を2時間集中的にする。お昼ごはんをはさみ、朝ドラをみて、本を読んだり、紅茶を飲んでふらふらと少し遊び、切り替えたら、特急依頼の月刊雑誌の原稿をつくる。夜9時くらいまでにどうにか終わらせる。かかった時間、作業の詳細をノートに記録する。

改めて、自分のスキルと癖を日々確認するためだ。

 

このごろ、またパパさんが自宅にいらっしゃる。金曜から火曜日まで5日間。コロナ禍、感染拡大の影響で週に半分は在宅テレワークのよう。

人がいると、どうしても主婦としての役割が重くなりがちで「奉仕」の領域を超えたり超えなかったり。この考えを振り払い、ペースを崩さないようにしないと、このところのスケジュール、締め切りの波に乗れない。やりたいことも後回し。悪循環にならないように強引に前をみる。

 

友人がブログで、鷺沢萌さんのことを書いていた。

わが家には、鷺沢さんの本は2冊あった「海の鳥・空の魚」「愛してる」。改めて読む。あの頃の、1970年から80年代の、ふつふつ、朦朧とした中にあって必死でなにかを追い求めていた時代の空気がこぼれだし、平易なことばの中に、心臓を矢でぬかれるような真実(衝撃)が描かれていた。なんともいえない余韻。奇をてらわない、本物の才能。





いつも夕方から散歩にでるのだが、この日は5月にNと白摘草(クローバー)を摘んだ原っぱまで足をのばしてみた。たったの2ヶ月前なのに、白摘草は半分に縮んでしまった。泥で汚れていた。探すけれど、1本もみあたらない。みつからないような気が最初からしていた。10分も奇跡の葉を探せなかった。

 

ふと、あの子はどうしているのだろうか。なぜ、白摘草をたったひとりで黙々と摘むのか、住宅街になだれのように緑が続く原っぱを前にその心理を考えていた。

 

 

きょうの昼ごはんは、トマトソース味のナスのスパゲティ。グリーンサラダ。

夜は、枝豆をフライパンで蒸し焼き(こんがりしておいしい)、焼きナス、韓国産のごま油をかけて。かぼちゃの煮物、塩さけの焼き物。みそ汁。デザートにはさくらんぼ。

 

 

夜。明日締め切りの原稿を推敲。原稿を修正する。

11時30分。お風呂のなかで数ヶ月前にかいた日記をよみかえす。本を少し読む。足の裏から指を念入りにマッサージした。上がったあと栄養クリームを刷りこんで休む。就寝は1時半。

 

 



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