前日の晩に、激しい口論をした。
先月、東京へ来て2日目の晩だ。
いくら、自分の血をひいた娘といえども、24歳の社会に出ている女性のプライベートを詮索しすぎてはいけないと、頭では理解していながらも。理に反していることをいえば、カッと血が上るのはどうしようもない。普段は、おだやかさが信条で、他人と揉めたことなど数えるほどであるのに、(人事として)客観的に物事をとらえられていない証拠だった。
朝。言葉を交わさず、スマホの画面ばかりみているN。家の習慣にならって、わたしはアールグレイティーをいれて飲む。それでも、テーブルの上には2つのカップを並べ、軽い朝食を一緒にとった。一言でも、どちらが発したなら、その後は勝手にするするとつながっていくのがやはり長年ともに暮らしたNとの関係性なんだろうと思う。
1時間後には、新宿から小田急ロマンスカーにのって「箱根」へ向かっていたのだった。
お昼には、富士家ホテルのダイニングでカレーを食べる、というのが1つの目的だったが、行く道中に調べたら現在は改修工事中で、あの立派なダイニングを擁するクラシックホテルにはお目にかかれないとのこと。ものすごく落胆する。
それで、小田急百貨店の地階で求めた、牛たん弁当を買って特急電車に乗った。
箱根湯本から、箱根登山鉄道、箱根登山ケーブルカーを乗り継ぎ、「早雲山」から、さらにロープウエイで「大湧谷」まで。
約3千年前の箱根火山最後の爆発でうまれた神山火口からは、熱いエネルギーで押し出された爆裂の隙間から白煙がしゅるしゅると、あふれ出ていた。もうロープウエイにのっている最中から、火山ガスと硫黄の匂いがたちこめていて、遠く自分が幼かった頃の記憶へとつむがれていこうとするのを、急いで押し払って山の絶壁の展望台に立つ。
火口と反対側に、富士山がみえた。
名物の黒たまごは食べなかったが、私は炭ソフトクリーム、彼女はたまごソフトクリームをなめながら、火口からの煙をみる。ゆで卵みたいな色をした火口付近には雑草の1本も生えていない。 地球内部の圧力が蓄えられたエネルギーが漲っている、外国人たちは、この光景をどんな風にとらえるんだろう。誰もが、大自然の火口を背景に、笑って写真を撮っていた。
強羅あたりで一泊したい、という気持ちを抑えて、ロープウエイ、ケーブルカー、登山鉄道へと乗り継いで、箱根湯本での日帰り温泉「天山湯治郷」へ。
ここは、とても素敵だった。タクシーで5分ほど走りぬけて小さな谷間へどんどん下っていくと、8千坪の敷地に、古い温泉旅館風の湯治場が。
すっかりと日は落ちて、あたりは旅館の灯ばかり。真っ暗。近くに聞こえるのに見えない川のせせらぎや社寺の鐘の音。それがかえって情緒があるように思える。
箱根の湯の歴史は奈良時代までさかのぼるという。
天山湯治郷の創設は昭和41年とある。
源泉は7つあり、日量は五十万トン。それも泉質が異なっていて、他所へ配湯せず、加水なし(源泉を薄めない)、加温はなし。源泉から直に全浴槽へと注いでいるすばらしさよ。
野天風呂「一休」。
黒々とした夜の波間に音はなく、風だけが箱根の山から流れてくる。自然の中に開け放たれた檜舞台のような桧風呂で湯浴み。
透明な湯はやわらかく、木と葉の香りにあふれた静かな湯だった。
湯から出た後は、ひがな湯治天山の食事所「山法師」で。羽衣御膳と渚ビールで。
それから、また天山の湯へとつかる。
闇の中に、大小の野天風呂があり、とても気に入った。洗場も野天だ。おさるになった気分である。それもただの野天ではなく、目をこらしていくとあちらこちらに、観音さま・仏様が鎮座されていて、裸のわれらをみておられる不思議なロケーションだ。
泉質もよい。白濁の湯。とろんとぬるく、やさしく体がだるくなるような湯。ちょうどいい清い湯。洞窟の中の湯。湯上がりに浸かる熱湯は44度とある。
帰りは、9時半すぎ。これ以上いたら終電を逃しそうだ。
JRの各駅停車で、小田原、藤沢、横浜、川崎とゆっくりと駅名をみながら2時間かけて東京へ帰った。肩にはタオルをのっけて。
本に目を落としながらも、その実、ずっと人ばかりみていた。夜中12時になるというのに、関東の人は元気だ。どの駅についても、よくしゃべる人たちが乗ってきて、活気いっぱいの車内。関西の電車のように下をむいて眠っていたり携帯電話をさわっている人よりは、おしゃべりをしながら笑っている人が多い。
蛍光灯の白さが、昼より明るくみえた箱根の帰りなのだった。
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