6月29日(月曜日)曇りのち晴れ 豊岡にて
実家にきて3日目の晩になった。
日曜日の夕方。実家のそばのコープデイズまで一緒に行って買物をし、駐車場のところで、家族連れがあふれるところで家人に手を振って「気を付けて帰ってちょうだいね」と行ったときに、一体いつうちにかえられるのだろうか、と思った。実家にはWi-Fiがないので、携帯電話の会社にて、テザリングを取り付け、最低限のデジタル環境を整える。
朝早い時間に近所を散歩し、瞑想をし、それ以外は2階の12畳の和室にいて、たいてい仕事をしている。床の間を背にし、東向きに大きな座卓を置き、文人のようにモノを書いて、縁側の揺り椅子でポメラをたたいたり、本を読んだりしている。
わたしの幼い頃の書棚に、結構な本がそろっているのに驚く。
フランスワーズサガン、処女作の「悲しみよこんにちは」から晩年のものまで。シェイクピア、トルストイ、ヴォーヴォワール「第二の性」まで。
詩集が意外にあり、ヴェルレーヌ詩集、ゲーテ、リルケ、高村光太郎の詩集があった。ちなみに、「エースをねらえ」の全巻なども。
その中から集英社の川端康成のジュニア版をとりだし、「雪国」「伊豆の踊り子」「16歳の日記」「掌の小説」などを、いま拾い読みしている。
本を読んだり、書いたりしている以外は、母と買い物へ行き、食事をつくる。洗い物や片づけ、掃除機をかけて掃除をする。あとは母の話し相手になり、たっぷりと。そんな暮らしである。
先週の土曜日(6月20日)から、小説の講評を聞くために東京へ行き、Nの部屋を拠点にして、連日、10キロ東京都内をよく歩いた。「かえらないで、もう一日いいでしょう?」と毎朝引き止められ、定期モノの原稿を出したところだからと、4泊5日、東京にいた。
そして今度は、母のコロナウイルスワクチンを接種するサポート役として、母のところへ土曜日にやってきて、きょうで4泊目だ。そろそろ家が恋しくなってきた。88歳の母と過ごせる時間も貴重だろうと自分に言い聞かせ、こうしてふりこのように、あっちへこっちへ。
「人に求められているうちが花だから。まあ、せいぜいおったりよ」とパパさんは、ゆったり言う。ありがたいことだ。
わたしは、食事をつくることが苦にならない性格なので、もれなく、わたしがいくところには、家庭料理付きというのが、具合がいいようである。
今晩の夕ごはんは、アジの南蛮漬け、うのはな、じゃがいもとたまねぎ、長豆、胸肉の煮付け、酢の物。とりたて、ごちそうではないが。こういう家庭の味が誰しも恋しいようである。
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