月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

5月のまち風景。レトロ建築「芝川ビル」へ

2020-06-10 22:21:59 | コロナ禍日記 2020

 

5月6日(水曜日)晴

 7時におきる。瞑想10分、のちパパさんと朝食。

 午前。急ぎの原稿をひたすら書く。

 午後。来週の打ち合わせも飛び込んできたので、焦って淀屋橋のアトリエ・スタンズに電話。昨年12月から毛染めをしていない。家にいたら気にならないが、外光でみたら結構目立つ。美容室には行きづらいしどうしよう。そこで電話した。

「いつも施術をお願いしているヘナを分けていただくことはできますか」

「きょうは、仕事でいるわけじゃあないんですが、用事があって5時までサロンにおりますからどうぞ」

 パパさんのテレビ会議が終了するのを待って、家族総出で車に乗り込む。新緑の谷間をぬけて、山を横にみて、阪神高速道路へ乗った。新型感染拡大の影響で、静まりかえった大都会、大阪よ。

  目線を並行にして首をふれば、ビルが、樹海のようにのびている。

 一般道路に下りると、車は多く走っているが、人の歩く姿はぽつぽつ。普段なら人の姿など目もむけないのに、あまりに少ないのでどうしても顔の表情まで目がいく。頼りなげな様子で、ただ歩いているみたいにみえる。笑っている人はいただろうかーー。いるな、きっと。(私がそういう目で見るからだ)

 


                               

 淀屋橋のレトロ建築で知られる芝川ビル。2階のアトリエ・スタンズへ。

 オーナー(宅間さん)曰く

「人、少ないっすよ。普段の半分以下。この辺りでも潰れていってる店、何軒も知っています。収束はいつ? ま、夏くらいまでこのままの状態でいくでしょうね。いまは仕方ないっすよ」

 またお待ちしています、と気をよくヘナをビニールにいれてくれた。「2時間がんばって置いてから流して下さいね」、と3度も念をおされる。いつもの風景にいつもの顔。ちらりとでも会えて、うれしかった。がんばれ!と心の中で。

  帰り際。



 地階まで下りて、モール&ホソイコーヒーズで、テイクアウト用コーヒーを家族の人数分買った。待っている間に、2人の来客。カウンターの奥側に男性客がひとりコーヒーを飲んでいる。店内はいつものジャズナンバーがかかっていた。普段、なにげなく立ち寄っている場所がちゃんと動いているとうれしい。

 8時。自宅に戻る。きょうはパパさんがカレーをこしらえてくれた。ありがたい!私は、7日間ブックカバーチャレンジ、4日めの原稿をかいて、寝る前に投稿した。

 

 江國香織さんの「抱擁、あるいはライスには塩を」を供します。(エッセイのベストなら「物語のなかとそと」) ある日。流れてきた音楽に耳を傾けながら、あれをよく聞いたのは、自分が何歳で誰と過ごしていたな、など音楽が突破口になって、当時の記憶が紐解かれていくことがありますが、本の場合も、冒頭をみただけで同じ現象が起きる、そんなことがありませんか。

 「抱擁、あるいはライスには塩を」は、そういう意味で感慨深い一冊です。

 私は、西梅田の病院の個室で10日間の入院中、iPhoneの音楽を掛けっぱなしにして、一日の大半をこの本を読みながら過ごしていました。体は細い管に繫がっていながら、心は江國香織の書く本の中に居て、沢山のものをみていられたのです。

  (中略)

  江國さんは、本のトークイベントでお会いしたことがあり、ご本人には恐縮ですが「小さな子どもの眼をした魔法使い(老女)みたいな美しさを持った人」だという印象を覚えました。「言葉」を選ぶ力が、すごく真摯、純粋(真剣)で、自分が話す言葉に対するちょっとした反応や違いなどにも敏感に、よく考えながら話されていました。

 例えば、こんな風に語っていらしたと記憶します。

「紙で読む本は絶対になくならないと思います。本を読む行為は、すごく能動的で積極的な働きかけです。読むことでいろいろな人の人生を味わうことができる。人生の手応、みたいなものもちゃんと感じられます。それは、他のものでは絶対に置き換えることはできないと私は思うのです」

「誰のために書くか。そう自分のためや、読者のためでもないですね。やっぱり作品のため、かな」。

 

 



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