月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

あたらしいお茶椀を買いました その1

2013-05-14 23:48:58 | 器を買いに



長い間、更新を滞っていたら初夏になっていた。
緑の風吹く5月、などとよく形容されるが、ほんとうに最近は光る緑がきれいだ。
ああ。ゴールデンウィーク中のこと、その前の数週間のこと、いっぱいネタはたまっていく一方。
落ち着いてから、今なすべきことが片付いてから、書きたい気持ちになってから、などとその「時」がくるのをひそかに待っていても、
いつまでたってもその「時」は訪れないのである。

そこで強引にこちらから迎えにいくことにした。

そろそろ、まとめておかないと、もう書く気もうせてしまうのが怖くなったのである。

まず「器」のことから。

3月、母を伴って山代温泉に旅行した。
山代温泉といえばすでに書と篆刻で世の一定の評価をうけていた福田大観(後に魯山人)が金沢を訪れて細野えん台に自作の器でもてなされ、
料理と器の美しさに目覚めたのが、彼の芸術家としてのはじまりだったといわれている、ゆかりの地なのだ。

そうなると、
どうしても魯山人が同じ陶芸作家として影響をうけ、手ほどきをうけた初代須田菁華さんの窯を訪れてみないわけにはいかない。
旅行の2日目「須田菁華」4代目・3代目の器に会いにいく。

小さな日本家屋、玄関先からおびただしい器の数かず。
色、モチーフともに華やかで圧倒される。
どちらかといえば地味な器を好む私は、少々めんくらった。
2周、3周して器を見て歩いて、ようやく目が須田さんの器になれたころに、
目に飛び込んできたのがこれだった。

「矢啓赤絵花網文茶碗」(須田菁華)






編目文のなかの梅が赤く咲いていたり、白かったり。
まっすぐに前から見ても、上からのぞいても、花がきれい。




かたちもごく自然としぼんでいく様が、上品だし、
見たり、触ったりしているだけで幸せな気持ちになる器だと思った。
この花々には、煎茶の緑が美しく映えるに違いない。いまの季節にぴったりだ。

そう思ったが、値段は1万円以上も(9千円以下のものはほぼない)。
茶碗は1客あっても寂しい。
客人と一緒に同じ茶碗で飲みたい。
それで一度は諦めて、菓子を盛る小ぶりの器や刺身などを盛る鉢を見て歩く。
これは、と思うものは1客2万円以上である。
母も娘のNもいて、「早く、早く」と急かされる。
これ以上、ゆっくり器買いを愉しめそうになかったのでこの日は何も買わずに断念。
結局、帰る電車の中でも後ろ髪をひかれて、家についてからすぐ店へ電話して2客送ってもらったのである。
私の小さな頭は、ひとつのことで
よくよくいっぱいになることが多い。





続いてゴールデンウィークに信楽陶器市にでかけ、
「さがら」さんで購入したのがこのそば猪口。(柴垣六蔵)






そば猪口は手に持った時のおさまりが大好きで、よく買う器のひとつだ。
日本酒のほか、日本茶や紅茶などをいれるときもよく使う。
和総菜などを盛ってもいい。
シンプル極まりのないかたちが大好きなのである。

この器を購入した日も実に新緑がきれいな日だった。
あまりに品のあるウグイス色。
茶碗の肌色も透明感があって、ぽってりした印象なのに、ツルンともしている。
持った感じも手にほどよい重みがあって、中国のアンティークぽさが漂う。

おしりの六。柴垣六蔵さんの六。いいなあ、こういうの。



「さがら」には柴垣六蔵さんの器がいくつも展示してあり、
真っ白な取り皿や六号皿、湯飲み、
どれも色や重量感、空気感ともに素敵だった。
洋食器のような和食器のような。
アンティークのような近代もののような。その曖昧さが好きで買った。
この日はもうひとつ、取り皿と大きめの鉢も一緒に買った。


これは、河井一喜さんの器(珈琲茶碗)。



2年ほど前に友人のかおりさんに教えてもらった。
京都烏丸の「北欧. スタイル+1アンティカ とモダン」で買う。

雑貨店というか家具店で器を買うなどというのは、かつて経験なかったが、
一昨年前のじぶんの誕生日に、河井一喜さんの珈琲茶碗を購入し、これが見事に割れてしまったので
どうしても同じようなものがほしくて、行った。それでも薄ピンク色の、同じものはなくてガックリ。
このまま帰る気になれなくて、ぐるぐると何度も見渡し、この器を見つけた。

ほんとうはお皿とカップは別ものである。
でもよく合う。
青と紫、赤の独特な釉薬使いに惚れこんで購入する。
土もの茶碗なのにガラスのようにも見えて美しい。珈琲が映える器だ。

京都五条坂に記念館も有する河井寛次郎さんは、河井久(父)さんの叔父にあたる人。
久さんの器も素晴らしいが、息子である河井一喜さんの器も、
民藝の伝統をしっかり受け継ぎながらも、新しい次代の感性を作品に反映させ、モダンさを上手に表現される。

ほか、春から初夏のこの頃まで、もう少し器を買っている。
壊れたものを追い求めて、きょうも器屋さんをこっそりとのぞいているのかもしれない。











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