裁判員制度は一体何の為?
モノの本によると、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、
司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的。
やさしく言い換えると、裁判官と国民から選ばれた裁判員が、それぞれの知識経験を生かしつつ一緒に判断する
ことにより、より国民の理解しやすい裁判を実現することが出来るとの考えのもとに裁判員制度が提案された。
らしい。
しかしこのところ、1審の裁判員裁判で死刑になった被告が、2審3審で破棄され無期懲役になる事例が相次いでいる。
そこで、そんなことなら裁判員制度要らないのでは?と言う声も多数。
そもそもが無差別に選ばれた裁判員は普通断ることは出来ない。
仕事を抜け、夫々が時間を遣り繰りし、多くの人がそれが国民の義務だからと努めているのが実情だろう。
そしてやはり一番悩ましいのは量刑だと思う。自分の判断ひとつで・・・と言う思いは誰にでもあるだろう。
だから悩むのだ。悩みぬいた末の例えば死刑判決。それをいわゆる専門家の裁判官が、いとも簡単にひっくり
返すなら、必死になって悩んだのは一体何だったの!?ってなるだろう。
国民の理解しやすい裁判って一体何よ?裁判員が何人か掛かりで出した結論。それが一番世論に近いに決まってる。
それを破棄するなら、何の為の裁判員制度だ?
殺めた相手が1人であろうが2人であろうが、そんなの関係ない。人数なんて関係ない。過去の事例なんて関係ない。
そもそもが心神耗弱であるとか総合失調症であるとか関係ないでしょ。人を殺したことに変わりはない。
病気であれば人を殺してもいいんかいっ!
そんなことで刑が軽くなるなら、殺された人の家族はたまったもんじゃない。殺された家族が帰って来る訳じゃない。
お前も死んで謝れ!死んで罪を償え!私ならそう思う。キリスト教じゃないから。
日本はホント古いよね。感覚がおかしいんじゃない?と思うことがいっぱい。
そして何で”終身刑”が無いのよと思うよ。無期懲役なんて無期じゃないじゃん。だましも良いところ。
皆忙しい中義務を果たそうとしているのに、無駄働きだったな・・と思わせるようなやり方はやめて欲しい。
一般人をバカにしているの?と思わざるを得ないね。