会社は4月29日から大型連休だ。5月2日と6日は有給休暇取得奨励日なので、その2日間を有休に
すると連続で10日間の休みになる。
しかし今、自分営業担当の設備の仕上げでFATが12日に迫る中、調整が遅れているので
メカ・電気・協力会社の多くの人たちが休み返上で仕事をしてくれている。
なので私も、自分だけがのんびり休んでいる場合ではない。
29日は日頃の疲れがたまっていることと、前日夕食に出掛けたことも有り身体を休めたが、
30日(土)は遅めに出社して皆を昼食に誘った。営業なんて、それ位のことしか出来ない。
ましてや女で、71歳間近の私なんて、工具ひとつ扱えない。ボルト締めるくらいは出来るかな。
その日は自分案件の人たちだけが出社していた。勿論、他の工事で出張の人たちは他にも居るが。
そして5月の2日も出た。その日は有休を取らずに出ている人もちらほら居た。6日も行くつもり。
そんな中、土曜日の夜に友から電話あり、実に衝撃的な出来事があった。今だから書けるが、
その時は信じられず、しばし呆然とし、何をどう言えばいいのかも分からなかった。
月イチ食事に行く6人会のメンバーのうちの1人Nが、くも膜下出血で倒れたのだ。”まさかっ!!”
救急車で運ばれ、即手術が行われ、その段階で意識が無い状況と。
それから今までずっと、気持ちが塞ぐ?落ち込む?説明のつかない様な心境で過ごして来た。
それは皆、同じだったと思う。何をどうすることも出来ない。
意識戻ったら連絡くれるということだったけど、その後『連絡は無い?』と聞くのが空しかった。
私は自身が未破裂脳動脈瘤の手術をしているので、くも膜下出血のことはある意味解っている。
命助かって欲しい。レベルに依るが後遺症が無いように。若しくは軽い様に。
彼女は強かった。昨日、ご主人が声をかけると足を動かした!たまに目を開ける!
そして今日、看護師さんに名前を聞かれ、ちゃんと答えた!車いすに乗せてもらって病院内を
散歩した!そう、意識が戻っただけでなく、後遺症もほとんど無いのでは?と思われるくらい
回復したのだ。
ある友は、倒れた時よりこの連絡のメールで泣いたと。皆どれ程嬉しかったか。
詳しいことは分からないが、先ずは命の危機から脱して、後はリハビリだけよね状態なのが
ホント嬉しい。偉かったね、よく頑張ったね、N。
Nの今回のことで、色々考えたこと。-次に続く-