雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

なんてことない土曜日。無事にここまで来れたことが奇跡の様なものなのかも

2022-05-07 20:18:22 | 日記

今日は月イチの掛かりつけ医に行く日。1ケ月経つの早くない?

外へ出るとお金使うよねぇ・・・。

先ずはデパートの開店待って買い物をし、先に娘宅に寄り、そして掛かりつけ医に。

娘宅にお土産、先生にはお礼。クリニック終わってから再び娘宅に。

Jは居ない。土曜日だけれど学校だ。授業がある。部活も始まっている。

娘は『土曜日もお弁当が要る。眠い・・・』と。

朝練もあるようだし、初めての電車通学だし、教科書がやたら多いし、部活の荷物も有りぃので、

毎日リュックと旅行鞄?バッグ?持って行っているらしい。しんどくないのかしら?

先日は部活の歓迎会があったらしく、高校生だからアルコールは無いだろうけど、高校生男子の

運動部の歓迎会ってどんなの?とちょっと心配したわ、おばあは。

早速”J!”と下の名前で呼ばれているらしい。JもTも、名字で呼ばれたこと無いんじゃないかな?

2人共呼びやすい名前だからね。良い名前だこと(^^♪

下のTは今日は機嫌が上々で、相手してくれた(^^)/。中学校はどう?慣れた?しんどくない?

娘曰くはやっぱり小学校に比べると覚えることも多くて、遠くなったしで、色々本人も大変らしい。

ま、ふつーに暮らしてくれれば、それだけでありがたい。

渡すもの渡し、受け取るもの受け取って引き揚げる。いつも短時間の滞在だ。速い(;^_^A

 

世の中物騒になって、色んな事故や事件がある。誰かが言ってた。無事にここまで来れたことが、

もしかしたら奇跡のようなものなのかもと。ホントそう思う。それは大人も子どもも。

ちょっと違ってたら違ってたかもだから。有難いと思わなくては。

 

阪神が食料品売り場が工事完全に終了?更に綺麗になっていた。お魚・お肉・果物、お店がたくさん

あって品揃えが豊富。帰りに自分ちの食材も買って、更に大丸に寄って頼みごとをして帰宅。

帰り道、兄から電話。姉と6月に会うよと。あらっ!忘れて無くて早いこと連絡してくれたのね、

ありがとう。都合は?と聞かれた2つの日にち、どちらでも良いよと返事して、お互いの連れ合いも

一緒に(私には居ないけど💧)皆で会おうよと。

元気な時に仲良く顔を合わせられたら、それに越したことは無い。段々機会も減って来るだろうから。

 

夕方近所に住む孫のNに『明日の夜はシーフードカレーとコールスロー。要る?』と聞くと要ると。

若い子の予定が分からないのでね。友だちと会う予定が入っているのかいないのか。

私は自分が作るカレーが一番好き。てか、コロッケでも餃子でも何でも、自分作がやはり一番好きかな。

みんなそうだよね?


姉や兄の衰えの現実を見るのはイヤ。しっかりしてくれいっ!

2022-05-05 18:13:59 | 日記

昨日は上の娘がお直しした振袖を取りに来た。近くに住む孫Nも一緒に。

着物に合う帯を選び、帯揚げ・帯締めとなった時に、振袖に合う私や娘のものはもう古いし、

他のどれもイマイチなので、新しいものを買えば?と。

昼食をはさみ、私は付いて行くのがしんどいので、大〇のカードを持たせて、娘と孫との2人で

見に行かせた。成人式の写真撮りだけらしく、着物の新調は不要とのことだったの、せめて小物

くらいは新しくしてやらないとね。草履もキレイだったので持って帰ったが、何でもかんでも

うちに置いとくんじゃないよ。だから余計にモノが多い。娘2人のものがまだ色々残っている。

片付かないのは私のせいだけでもないみたいだな・・・。

 

家に帰った娘から、”色々ありがとう”のLINEが来たついでに、私の姉の近況報告が有った。

上の娘は、私の姉の娘(つまりは娘からすれば従妹、私からすれば姪)と、たまに連絡し合って

いるようだ。『Hさんが(我が家の娘も甥姪たちも、誰も皆 おじさんおばさんとは呼ばない。

それには私が思うに多分、深い事情があるのだが、長くなるので又いつか別途説明)、

要介護2になったらしい』と。

私が思わず『えっ!?要介護?』と聞くと、『あっ、間違えた、要支援2』と。

何でも、先日もゴミ出ししててコケたとか。そして今、手に力が入らなくて包丁が持てないそうだ。

野菜が切れないので、近くに住む娘に頼むのだそうだ。カット野菜じゃダメなの?と娘が聞いても

カット野菜はダメ!冷凍食品もダメ!と言うんだとか。

はあ・・・とため息が出る。

 

姉は幼いころから病弱だ。身体も細い。ちょっとのことですぐ倒れる。私とは何もかもが対極の人だ。

そして一度も”就職”なるものをしたことが無い人。

娘にも『Eちゃん(姪)に言っといて』と言ったが、同じことを兄に電話して言う。

娘(姪)は近くに居て助けてあげられるなら可能な範囲で助けてあげればいいけれど、フルタイムで

働いている子だ。無理難題言われたら、出来ないことは出来ないと断ることも必要かもよと。

そして、一番に思うのは”義兄さん何してるの?”と言うことだ。兄もその話を聞いて、真っ先に

そう思ったそうだ。

あの夫婦は昭和の権化かっ!

義兄さん、とっくに仕事リタイアしてる。もう75歳のはず。高給取りだったから、結構いい金額の

年金と企業年金とで、老後も金銭に関しては悠悠自適だろう。現役時代はスーパーサラリーマン

だったか何か知らんけど、仕事辞めたらただのおっさんだ。

歳取ったら、夫婦で力を合わせて助け合い補い合いして生きて行くものなんだよ。

それを、食べるもの(食材)に付いてもあーだこーだといちいち細かい。そして又それを今まで

はいっ!はいっ!と聞いて来て、未だにそのワガママを許している姉にも責任はある。

上の子(甥)が高校卒業するまで、転勤時は家族中で大移動していた。義兄は何度も転勤しているくせに

ただの一度も単身赴任の経験が無い。ねーさん、よく支えて来たと思うよ。

 

娘は『Hさん、主婦としてのプライドがあるんかも知れんけど・・・』

出たっ!私のキライな言葉が。何のプライドじゃい!日本中、主婦はごまんといる。大なり小なり

皆主婦のプロじゃわいな。野菜を包丁で切ることが、冷凍食品を使わないことが、主婦としての

プライドですかい?そんな人世の中にいっぱい居るでしょ。フルタイムで働いていても、一から十まで

手造りの人は居るだろうし、専業主婦でも冷凍食品使う人は居ると思うよ。

私が言いたいのは・・・要は・・・いつまで経っても若い時と同じと思うなってこと。頭も身体も

同じじゃないのだ。自分の状態に応じて、やり方・考え方 変えて行かなくてどうするの?ってこと。

環境も変わって来ている。世の中のトレンドも。ガチガチに自分たちの考え・やり方、押し通そうと

すると生きにくくって仕方ないと思うけれど。歳相応に順応していかなくては。

世間知らずの姉と、それを良いことに自分の価値観・やり方を押し付けて来た義兄。

いい歳していつまでもそんなことしてたら、きっと歪は出て来る。リタイアして料理をしている

ご主人、いっぱい居るでしょ?義兄はきっと何も出来ない。姉が先に死んだらどうするんだろ?

子どもたちが悲惨だわ。

 

子どもや周りの人に極力迷惑かけないよーにと、私なら思う。

野菜を包丁で切ることがそんなに大事なことか?旦那が居るのにわざわざ子どもを呼びつけて

野菜切らせる?まあ、私には理解出来ない。好きにすればいいけれど。

兄は姉の近場で早々に会わないといけないねと言うが、そう言うあなた(兄)もすぐに忘れるよね。

にーさん、電話で喋っていても、返答のタイミングが遅くなって、私は心配だよ。今日は返事を

じっと待ったわ。私イラチだけれど、にーさんが脳内変換中だなと考えてね。義姉には言ったけど。

あーイヤだっ!歳取るってこと。みんなもっと上手くやってくれませんかねぇ?不器用過ぎるんだよ。

姉75歳・兄73歳。まだまだ老いぼれるには早いよ。細く長く元気で居てよ。

私はまだ、老化だなんて思いたくないよーっ!!


欲をかかずに、ぼちぼちそれなりに・・・

2022-05-05 00:04:27 | 日記

前回の続きだが、先ずは自分の友だちがこの様なことになるなんて、思いもしなかったってこと。

しかしよくよく考えてみれば、今までが皆元気で会えていたのは、たまたま運良くだったのかも。

誰にでも起こり得ることで、この歳になれば誰かに何かあっても本当はおかしくは無いのかも

知れない。

私は50歳の頃初めて脳ドックなるものを受けた。そしてたまたま小さな脳動脈瘤が見つかった。

それを機に、年イチ検査を受けて、7~8年は変わりなかったものが、その後徐々に大きくなって行き

最終的に先生に手術どうするか聞かれて自分で決心したもの。

未破裂と破裂してからとでは、危険度は全く違う。それでも私は手術前に先生に『手術中に亡くなる

ことも有る。その確率が1/3・後遺症が残る場合1/3・完全に元通りになるのは1/3』と言われていた。

未破裂なので、それを承知で手術受けなければならない。同意書にサインした。

通常4~5時間と言われた手術が私の場合は8~9時間かかったので、外で待っている娘は”中で亡くなって

いるのではないだろうか・・・”と思ったらしい💧 いいドクターに巡り合えてラッキーだった。

くも膜下出血の場合の手術は有無を言わさずだ。Nは自分の頭の中に脳動脈瘤があることを知らなかった。

何度か検査受けそうになったが、閉所恐怖症であのMRIだのCTだのは耐えられなかったそうだ。

他の友に、脳ドック受けた方が良いよと。

 

私は仕事をリタイアしたら身の回りの整理をしようと思っていた。いわゆる断捨離・終活ね。

でももうその考えは捨てようと思う。さっさと合間合間にモノを捨てる。そして要らぬものが

何も無くなってスッキリした状態で仕事は可能な限り続ける。頭と身体が続く限りは。

従って私に老後のゆったりとした時間と言うのは無いのだと覚悟しよう。

仕事が好きなんだもの。辞めると、きっとボケるんだもの。その為にも出来るだけ長く

仕事していたい。いつなんどきどうなるかなんて、誰にも分らないのだから。

要らぬものをごちゃごちゃといっぱい残したまま死にたくはない。きれいに片づけて死にたい。

だから先に準備しておく。

今まではヒマが無かったのではなくて、覚悟が無かっただけで、アレもコレも潔く捨てると

決心さえすれば早いものだと思う。

 

たまたま偶然だが、ちょっと前に会社に『もう活動費は要らない。成功報酬だけで良い』と

申し出ていた。最初は持ち出しになるだろうからと活動費の面倒見て貰ってたが、もう今は

成功報酬だけでやって行ける。今まで面倒見て貰って感謝してる。仕事は今まで通りやるけれど、

出社の回数は減るかもしれない(遠いので通勤がしんどい)。これで正真正銘フリーだ。

好きにやって(今でも大概好きにやっているが💧)、会社にも自分にも少しでも多く残したい。

何もかも自分次第だ。仕事獲れなければ収入”0”だからね。年金だけで生活しなければならない。

その心づもりもしなければならないし。徐々に慣らして行かなくてはね。

あまり欲はかかない。そしてお世話になった人たちに還元する。

そんなことを目標にして細く長く続けたい。

周りに感謝して、元気で普通に(これが結構難しいのよね)⇒ぼちぼちそれなりに、

生きて行ければな・・・と、思います。


くも膜下出血から生還した友!

2022-05-04 23:16:51 | 日記

会社は4月29日から大型連休だ。5月2日と6日は有給休暇取得奨励日なので、その2日間を有休に

すると連続で10日間の休みになる。

しかし今、自分営業担当の設備の仕上げでFATが12日に迫る中、調整が遅れているので

メカ・電気・協力会社の多くの人たちが休み返上で仕事をしてくれている。

なので私も、自分だけがのんびり休んでいる場合ではない。

29日は日頃の疲れがたまっていることと、前日夕食に出掛けたことも有り身体を休めたが、

30日(土)は遅めに出社して皆を昼食に誘った。営業なんて、それ位のことしか出来ない。

ましてや女で、71歳間近の私なんて、工具ひとつ扱えない。ボルト締めるくらいは出来るかな。

その日は自分案件の人たちだけが出社していた。勿論、他の工事で出張の人たちは他にも居るが。

そして5月の2日も出た。その日は有休を取らずに出ている人もちらほら居た。6日も行くつもり。

 

そんな中、土曜日の夜に友から電話あり、実に衝撃的な出来事があった。今だから書けるが、

その時は信じられず、しばし呆然とし、何をどう言えばいいのかも分からなかった。

月イチ食事に行く6人会のメンバーのうちの1人Nが、くも膜下出血で倒れたのだ。”まさかっ!!”

救急車で運ばれ、即手術が行われ、その段階で意識が無い状況と。

それから今までずっと、気持ちが塞ぐ?落ち込む?説明のつかない様な心境で過ごして来た。

それは皆、同じだったと思う。何をどうすることも出来ない。

意識戻ったら連絡くれるということだったけど、その後『連絡は無い?』と聞くのが空しかった。

私は自身が未破裂脳動脈瘤の手術をしているので、くも膜下出血のことはある意味解っている。

命助かって欲しい。レベルに依るが後遺症が無いように。若しくは軽い様に。

 

彼女は強かった。昨日、ご主人が声をかけると足を動かした!たまに目を開ける!

そして今日、看護師さんに名前を聞かれ、ちゃんと答えた!車いすに乗せてもらって病院内を

散歩した!そう、意識が戻っただけでなく、後遺症もほとんど無いのでは?と思われるくらい

回復したのだ。

ある友は、倒れた時よりこの連絡のメールで泣いたと。皆どれ程嬉しかったか。

詳しいことは分からないが、先ずは命の危機から脱して、後はリハビリだけよね状態なのが

ホント嬉しい。偉かったね、よく頑張ったね、N。

Nの今回のことで、色々考えたこと。-次に続く-