加東市藤田 木梨神社(こなし)
10代崇神天皇の時、物部八十手がこの地に、八十枉津日神を祀りのち、将軍彦坐命が丹波の賊を征伐した時、当地において神託があり神社を創建されたといわれている。
また、木梨軽太子が神前に幣帛を捧げられた因縁から、社号を木梨神社と呼ぶようになったといわれている。
60代醍醐天皇(平安時代)の時、将軍多田満仲公がこの里に大池(多田池)を築造され、同時に満仲公によって再建された由緒ある神社で、延喜式(えんぎしき)の神名帳(じんみょうちょう)に記載された式内社であり、天皇の勅使参向の官社であった。
のち、この大池に大蛇が住むようになり、藤田三郎太夫行安(だゆうゆきやす)が当社に祈願して、これを退治した伝説は有名である。
その後、藤田明神とも聖九社明神とも呼ばれたことがあり、明治6年(1873)11月郷社格に加列され、大正8年(1916)2月神饌幣帛料供進神社に指定される。
案内板より
現本殿
寛政10年(1798)築造か?
彫刻師 中井丈五郎正忠 久須善兵衛正清
外部より
脇障子
黄安仙人
夏・兎王 龍退治
内陣 画像提供 まさ氏 (通常は、内覧できません。)
境内摂社
市杵島姫神社
築造不詳
彫刻中井一門か?
菊慈童
本殿内の写真使ってもらってありがとうございます。
いつ行っても、本殿内は見られないので、中に入れてもらって写真が取れたのは5回目に行ったときでしょうか(笑)
久須善兵衛政精と中井丈五郎のペアーで良い作品だと
思われます。
脇障子の夏の菟王は、私のお気に入りの構図です。
画像提供ありがとうございます。
今後ともよろしくです。
ここの刻銘久須さん政清になってますね。