昨日・史跡訪問と言うよりやっと休みに暖かくなった♪
と愛馬にまたがり園部へツーリング!&社寺ぶら&桜
彫刻ははっきり言って亀山・園部方面は期待薄はわかっていたので春を感じるツーリングが主
まだ午前中は寒かったですね・・・
桜もまだまだ、そんな園部ぶらぶら記
園部城址
元和5年(1619)但馬出石から移封となった初代園部藩主小出吉親公は、約2年間を費やして、この地に園部陣屋を築きました。
歳月を経て、折しも戊辰戦争のさなか最後の園部藩主(第10代)小出英尚公は明治政府から園部陣屋をより堅固な園部城として整備する許可を受け、明治元年(1868)から2年(1869)にかけて、櫓門・巽櫓の他、小麦山山頂に三層の櫓などを築きました。
しかし、新たな時代の潮流の中、園部城は明治5年(1872)そのほとんどが取り壊され、今は残った巽櫓などが往時を偲ばせます。
激動の時代に再整備されるという、例のない歴史を持つ園部城も、現在はその跡地に園部公園や京都府立園部高等学校が設置され、憩いの場・教育の場として住民から親しまれています。
園部町
園部高校
現地案内板原文
園部高校校門となった櫓門 桜は、まだまだ。
巽櫓とまだまだの桜
近代建築の国際交流会館
小麦山山頂・三層の櫓址 現況は石碑
大活躍の愛馬
以下社寺まいり・・・・34社めぐるも彫刻は4社ほどお寺については外部は皆無(内部はみてません)
園部町新堂 日吉神社
目貫 三猿
神社詳細不詳
園部町千妻 朝倉神社の大杉 社殿に彫刻なし。
この大杉は朝倉神社の神木として、古くから地域の人々に親しまれ保護され、その間いく度かの落雷被害にも耐え今日に至りました。神社拝殿に掲げられた天保10年(1839年)の「奉買請御帳木之事」という買請証文の内容から、千妻村の人々が山方奉行からこの杉を神社の神木として10両2分で買い取ったことや、またその当時この杉は幹まわりが1丈5尺2寸(約4.6m)であったことが分かります。府下にもこうした神木は多いが、そのうちでも最大といえる巨木であり、天保10年から140年あまりの期間に幹まわりが約4.4m増大し太さとしてはほぼ2倍に成長したことが分かる貴重な樹木です。
昭和58年京都府指定文化財(天然記念物)として指定されました。昭和59年3月 京都府教育委員会 園部町教育委員会
現地案内板原文
落雷?こげ跡あり。
園部町船岡 月読神社
文化12年(1815)再建とあります。
彫刻 刻銘なし。彫師不詳 推定京彫
目貫 高砂 木鼻 正面獅子 側面獏
手挟み 菊もしくは牡丹
側面 上部 申 蟇股 波に兎
脇障子が難解 向かって右 仙人&龍&滝 左が仙人&虎(獅子かも)&滝
遅めの昼食は道の駅 京都新光悦村 「たまごかけごはんセット 」500円(税別)
地元園部産の温心米(コシヒカリ)と、美山の平飼い卵を使った名物メニュー
卵に地元産だし醤油をかけていただきました。
う~ん、私にはたまごの味を見極めできませんね。(笑)やっぱり食レポは無理。
その後は、ほとんど彫刻なく帰路へ
川西~妙見口(黒川)~野間~亀岡宮前~亀岡千代川~丹南八木~丹南吉富~園部町内ウロウロ
帰りは能勢~猪名川~西谷に廻って帰ってきました。
行程約150キロ
行って見たかったんですよね。
中井彫刻みたいに紹介されてたと思ったのですが、
遠景の彫刻を見たら中井ではないなぁって感じて
ノーチェックでした(笑)
園部方面はまだ未調査です(笑)
例の本ですか?
彫刻=中井一棟と監修されている。
毎度のことく地図上の社寺行き当たりです。
園部は比較的彫刻建築少ないように思います。