本日確認してきました。
草花平四郎 棟札
元文4年巳未5月 (1740)建立
彫物師 大坂 草花平四郎
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丹波市青垣町西芦田 蘆井神社
神社庁のデータでは、住所 栗住野とあります。
由緒
創立年不詳。往古、野々宮といい、天正年間(1573~1591)、芦田吉宗により社殿再建。
天和年間(1681~1683)、芦田屋英、元文年間(1736~1740)、芦田武英、それぞれ改築す。
寛文9年(1669)、芦田又右衛門、再建。数十年後、芦田英長・小田林右衛門、改修す。
明治6年(1873)、 . . . 本文を読む
当ブログでこそっと取り上げていました、私的には、最高級の彫刻
誰やろ?浪花の巨匠で間違いないとおもってましたが♪
名無しの権兵衛として追及してました。
ついに判明
名無し権兵衛
↓
http://blog.goo.ne.jp/aniki0528/e/bfd1f6d7776720a4ed17c7c2127d8772
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三田市天神 三田天満宮 南嶽(なんがく)地車
旧町名南町 現三田町7番区・8番区所有地車
平成21年大屋根修理の際 棟札より
弘化3年(1846)制作
大工・三田 壽美屋利祐 他5名
彫師 曲り村 弥三良 徳三良
この地車の彫師は、以前より三田市藍本 新井弥三郎正次と推定しておりましたが、曲り村弥三良は、おそらくは、新井弥三郎正次推定通りと思われる。
しかしながら南嶽地車の彫からは . . . 本文を読む
加東市社 佐保神社
社町の由来となった神社
第11代垂仁天皇の御代に創建され、延喜式にも所載の神社。初め坂合神社と呼ばれていたが、いつの頃からか佐保神社と称されるようになる。鎌倉時代には、朝廷や幕府との崇敬を集め隆昌を誇り八丁四方に、内の鳥居、一里四方に外の烏居を造営し、その中の一基(酉の内の烏居)は、規在でも社町鳥居地区に地名となって残っている。
室町期に入り、度々の騒乱により一時荒廃いし . . . 本文を読む
丹波市山南町谷川 高座神社
創立年代は不詳(式内社)祭神は丹波国造家の祖神、丹波の守護神として奉祭されたと伝えられている。
古来田久下田久下両村の総氏神として年々の祭事に継承され現在に至った。中世には当郷地頭久下氏の所領として当町金屋に鎮座していたが後年この地に遷座された。この時旧社地より移植した松の一本が参道の大松で「お供の松」といわれている。
徳川時代には谷川領主織田家の崇敬厚く社領の寄進 . . . 本文を読む
丹波市山南町神社5
丹波市山南町大河 大歳神社
神社詳細不詳
彫刻推定 三田市藍本 新井弥三郎正次
懸魚 鳳凰
向拝柱 獅子噛み 龍・頭部欠損
木鼻 獅子 獏 鳳凰 像 兎
持ち送り
牛?
側面 龍
手挟み 牡丹
脇障子 蓑亀 鶴
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彫刻師列伝
浪花彫刻司 草花平四郎
延亨5年(1748)発刊 難波丸綱目に堂社彫物師として中川利兵衛・美濃村松雲とともに記載あり、その存在が確認させていたが、現存する彫刻なく伝説化した彫刻師
浜松歌国の随筆「摂陽奇観」に草花平四郎とみょうが屋清七の彫刻対決の話があり、落語や漫談で今もなお語られている。
内容簡潔にまとめると
ある時彫刻の腕を競うべく2人は期日を設けて彫刻を作事、草花は、すぐ . . . 本文を読む
花岡正一
摂州彫物師ではなく播州彫物師ですが、浪花・華岡一門系譜
多可町つながりで多可町だんじり見学道中で拝見した同町中区安田稲荷神社 東安田屋台の狭間彫刻
大坂浪花木彫史によると
神戸市兵庫区住
明治9年生(1876)~昭和9年歿(1934)
播州花岡一門として屋台彫刻等に作品がみられる。
二代目花岡正一銘ある屋台狭間彫刻も存在。
結構似たような場面が多いので武者物苦手です。
題材微妙 . . . 本文を読む
摂州彫刻師列伝
本日は、このブログ何度も登場の「堀喜太吉」
彫師 新井弥三郎正次 二男
生・慶応4年(1868)~昭和16年(1941)歿
婚前に親戚筋の堀家に新井家より養子に入る。
新井弥三郎正次長男が農業に専念?したにもかかわらず、父の血のせいか彫師家業の道へ
修行は、父の元ではなく、大坂の地へ
(多可町白石氏調査内容参考)
有馬・丹波・東播地方を主に多く彫刻を残す。
判明分最古明治3 . . . 本文を読む