地車彫刻における鵺 (上地車)
地車形態で分類すると泉州地方で曳行される岸和田型地車(下地車)を除く上地車と言われる地車において「源三位頼政鵺退治」を題材とした彫刻があるのを調べてみると(調査は、見聞・インターネットだんじりサイト多数より検索)およそ10台(他にもあるかもしれません。)
年代順に列記
河内長野市 三日市北部 弘化3年(1846)
宝塚市 川面東 不詳推定江戸 . . . 本文を読む
その他近畿に残る源三位頼政史跡
平等院以外にも頼政の墓所あり。
そのひとつ兵庫県西脇市高松町 長明寺
この地がなぜ源三位頼政ゆかりの地であるかは調査不足にて不明。付近に、頼政墓や鵺の名がつく地等があり。
境内には、鵺退治のブロンズ像あり。昭和55年建立
なかなかの迫力。
寺院には、気になる彫刻はありませんが、創建651年の法道仙人の開基と伝わる古刹。
頼政は、歌人でもあるので歌集関係でのつなが . . . 本文を読む
鵺退治終話・頼政最後
平家物語現代語訳最終話
二条天皇のおぼえも良く、頼政に、御衣を授けることにしました。
今度は、大炊御門(おおひのみかど)・右大臣の藤原公能が受け取り、頼政の肩に掛ける時、「史記」にも登場する矢の名人である養由は昔、雲の外の雁を射て、今、頼政は、雨の中の鵺を射たのだなあ」と感心しました。
藤原公能は、
「五月(さつき)闇名をあらわせる今宵かな」
と詠みました。
頼政は、
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鵺退治二回目
現代語訳つづき
應保の頃(1161年~1163年)、二条院が天皇だった時、鵺という化鳥が禁中で鳴き、しばしば、二条天皇を悩ませたことがありました。その時も、先例に習い、頼政が呼ばれました。
時季は5月20日ほど、まだ宵の時間に一声鳴いただけで、2声目はありませんでした。目当てにする物もない闇で、姿形も見えないので、矢の狙いを定めることができませんでした。
そこで、頼政は、まず大 . . . 本文を読む
遅くなりました。準備&前夜祭??
なんとか明日の第2回だんじりパレードは、好天のもとおこなうことができそうですね!♪
今週の鵺
トップ画像・神戸市東灘区御影・西御影地車見送り正面 制作不詳・推定明治中期
鵺退治のあと
現代誤訳つづき
近衛天皇は感激し、獅子王という御剣を頼政に与えることにしました。
宇治の左大臣・藤原頼長が御剣を受け取り、源頼政に与えようと、御前の階段を半分ほど降りた時、 . . . 本文を読む
源頼政鵺退治・鵺の正体 猪早太勇姿
平家物語において頼政の鵺退治は2回
最初は1151年~1154年のころ
上地車彫刻題材大半は郎党(猪早太)を伴うのでこの1回目の鵺退治と思われる。
平家物語現代語訳つづき
頼政が、きいと見上げると、雲の中に怪しい物の姿がありました。頼政は、射損じたら生きてはおられないと思いました。しかしながら、矢を取って弓につがい、南無八幡大菩薩と心の中で祈願し、よつ . . . 本文を読む
鵺登場前
現代語訳つづき
源頼政は、信頼していた家臣である遠江国の住人・猪早太(いのはやた)に、鷲の両翼の下に連なる羽の中で風切りという羽ではいだ矢を背負わせ、猪早太一人だけを供にしました。
頼政は、自分は、表裏同色の狩衣に、山鳥の尾っぽの毛ではいだ、先のするどくどがった矢を2筋、滋藤の弓といっしょに持ち、南殿の大床に行きました。
頼政が矢を2筋持っていたのは、公卿補佐の源雅頼が、その時雅頼 . . . 本文を読む
今週は、頼政が鵺退治に呼び出された訳
平家物語・現代語訳続き
この源頼政は、一代の功名とすることが多くありましたが、中でも、仁平の頃(1151年-1154年、近衛院が天皇だった時代に、近衛天皇が夜毎に苦しんだことがありました。
有験の高僧、貴僧に命じて大法・秘法が修せられましたが、効果はありませんでした。
近衛天皇の苦しみは、丑の刻(午前2時)に限ってのことでした。東三条殿の角振隼(つのふり . . . 本文を読む
金曜新シリーズ!♪
いつまでつづくが疑問ですが・・・
川面東地車後部車板題材 「源頼政 鵺退治」
この部分は懸魚に隠れ覗きこまないと見えませんが私のお気に入りの彫刻題材
彫刻・源頼政鵺退治を追求シリーズで紹介
頼政の史跡を訪問兼ねてのレポート・もちろん彫刻視点
源頼政鵺退治とは、「平家物語 巻第四 一四 ヌエ」より
現在放映中NHK大河ドラマ・平清盛もこの物語内
川面東後部懸魚 鷲の裏部分
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