西宮市社家町 西宮神社 平成24年度秋祭礼 若戎会地車
数年ぶり?それともお初?毎年ではないと思いますが、大社町にある、式内社・旧社格官幣大社・廣田神社への宮入の様子。
西宮神社と廣田神社の関係(ウィキペディア他より)
西宮神社は成立において「南宮社」との関わりが深いとされる。これは、現在も西宮神社境内にある、廣田神社の摂社である南宮神社から戎信仰が興ったとの説による。西宮神社は、廣田神社 . . . 本文を読む
新たに「相野伊兵衛」銘の彫刻残る神社発見!!
地図には、神社あれど・・・・狭い道・・
ぐるぐる廻ったあげく・・・ここ通れる?と思うほどの細道。
よくあるパターンが苦労して来たけど、彫刻まったくなしの社殿。
本殿見たところ彫刻なし(泣)
あれ?社務所つづきの舞殿?神楽殿?これは!!相野!!
よく見ると伊兵衛さんかなぁ・・・銘は探せど見当たらず。
これは、住職に聞き込み。
今回は、すごく親切にして . . . 本文を読む
摂州彫刻師列伝
本日は、このブログ何度も登場の「堀喜太吉」
彫師 新井弥三郎正次 二男
生・慶応4年(1868)~昭和16年(1941)歿
婚前に親戚筋の堀家に新井家より養子に入る。
新井弥三郎正次長男が農業に専念?したにもかかわらず、父の血のせいか彫師家業の道へ
修行は、父の元ではなく、大坂の地へ
(多可町白石氏調査内容参考)
有馬・丹波・東播地方を主に多く彫刻を残す。
判明分最古明治3 . . . 本文を読む
本日は国宝の話題から
「漢委奴国王」金印(かんのわのなのこくおう)
中国の文献「後漢書・東夷伝」にある、倭(日本)の奴国(魏志倭人伝記載ある九州福岡にある小国家)の王が紀元57年に後漢から下賜された印綬(印とそれに付ける組み紐)
昭和29年国宝指定
この金印実は江戸時代後期1784年農地より偶然発見されたもの。
当時よりこの金印の真偽論争あり、今日に至っている。
現在の本物説側は、中国各地より . . . 本文を読む
雉
昨年の春の画像
寒い日が続いてますのでブログだけでも春をかんじましょう。
あまりうまく撮れてませんが、春に野山で多く見られる野鳥。
遠くで鳴き声が・・・・
お!「きじ」
なんとかカメラに収める為少しでも近づきますが・・・・
そうは、なかなかうまくいきませんね(泣)
「おい!こっちむいてくれ」無理・精一杯です。↓
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本日寒かったですね。
六甲山裏表とも依然アップした画像以上に真っ白でした。
裏六甲といえば有馬温泉。
こんな寒い日は温泉入りたい!!
たしか・・秀吉の歴史小説で有馬温泉は、その当時湯浴は、泉浴でなく蒸気を浴びる蒸し風呂であった。となってましたが、有馬の湯は、日本書紀にも登場する、日本三大古湯ですよね。秀吉より以前の時代より湯殿で泉浴はあったはず。
阪神・淡路大震災で倒壊した極楽寺より発見させれた . . . 本文を読む
中井権次橘正貞
丹波篠山神社など過去に何度もレポート登場しましたが、あたらめて紹介
中井6代目
先代丈五郎正忠 長男
生不明~安政2年歿(1856)
幼名・文吉 (文五郎正貞銘刻もあり)
中井一門最多の社寺彫刻を残す。
まさに江戸時代末期丹波地方における彫物師の寵児
福知山・大原神社拝殿正面丸彫り龍に代表される巨大な彫物から摂社等の小宮の彫刻まで多岐にわたり彫刻し他者に追随を許さない圧倒的な . . . 本文を読む
先日推定相野彫刻のお寺を発見
聞き取りするため、ご住職に取り次ぎ願いましたが・・・・
いかんせん容姿のせいか?かなり食下がったのですが、適当にあしらわれてしまいました。
もっと年を重ねないといけないのかなぁ・・・・
もう来年50ですけどね・・・
その点学術調査の肩書きや教授、先生は、すんなり本堂内陣見学できているよう・・・
以前紹介した中井彫刻研究発表展示された方も元教師とのこと
手前味噌ですが . . . 本文を読む
相野伊兵衛銘ある神社の梅
まだまだ寒いですが、確実に春の足音が聞こえてきてますね♪
相野伊造に関してコメントいただいた「古市北町様」
東光寺にて上地車図会様より解説いただいておりますのでご確認参考にしてください。 . . . 本文を読む