ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

出石城

2015年03月21日 20時27分06秒 | 史跡

兵庫県豊岡市出石町 出石城跡

1604年(慶長9)、小出吉英により有子山城の山上の丸および天守部分が廃され、有子山城山麓の郭および館のみを出石城と命名し幕府に居城として届けた。それにともない平地に、堀で囲まれた三の丸が築かれ、下郭、二の丸、本丸、稲荷丸が階段状に築かれた。城主の居館も成り、このとき城下町も整備され、出石の町並みが形成された。山上の旧有子山城天守は城割は行われなかったが幕府を憚り荒れるに任されたため樹木が生い茂り一見したところ山林となった。なお、一国一城令により、但馬守護山名氏以来の出石城が但馬国唯一の城郭となっている。

江戸時代は、出石藩の藩庁となり、小出英及が1696年(元禄9)3歳で死去すると小出氏は無嗣改易となった。代わって松平(藤井)忠周が入城。1706年(宝永3)忠周が転封となると、仙石政明が入城し、廃藩置県まで仙石氏の居城となった。

明治時代になり、廃城令で出石城も取り壊されたが、辰鼓櫓、堀、石垣などが現存、また隅櫓、登城門・登城橋などが復元された。

(ウィキメディアより)




















城下町寺院彫刻


















出石そば

宝永3年(1706)に出石藩主松平氏と信州上田藩の仙石氏(仙石政明)がお国替えとなる。
その際、仙石氏と供に信州から来たそば職人の技法が在来のそば打ちの技術に加えられ誕生した。

現在は割り子そばの形態をとっており、この形式となったのは幕末の頃で、屋台で出す時に持ち運びが便利な手塩皿(てしょうざら)に蕎麦を盛って提供したことに始まったと言われている。

その後、出石焼きが始まり白地の小皿に盛る様式が確立された。







うまいですよね♪

好物のひとつです。

2013年・6月訪問

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