お寺の由緒がないので、新聞ネタ
島左近・関ヶ原後も生存?
島左近・石田三成の重臣、三成に「過ぎたるもの」とうたわれた武将。
定説では、関ヶ原で討ち死にしてとされている。
大阪城天守閣の研究主幹によると近年?購入した、島左近の肖像画を収める箱の蓋に「左近は関ヶ原の戦場を逃れ、京都の北山に隠れ住み、後に徳川家康に会って仕官を勧められたものの固辞し伊吹山(滋賀県)に隠棲し、寛永9年(1632)6月26日に死んだ」略歴が記されていた。
その記されて亡くなった年月日は、京都市上京区日蓮宗・立本寺にある左近の墓に刻まれる命日と同じである。
肖像画に描かれている幟に、「鬼子母善神」「十羅刹女」日蓮宗の守護神が記されている点も立本寺との関係をうかがわせる。
真相は、わかりませんが、400年経って新たな歴史の断片が発見されることにロマンを感じますね。
まだまだ江戸浪花彫刻家の足跡発見できそうですね!!
丹波市氷上町大崎 真宗大谷派 教王山 佛現寺
由緒等詳細不詳
彫刻
山門 推定 中井言次君音
本堂 向排柱 推定 中井丈五郎正忠
山門
本堂
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