
神々が怒っているのか?このところ通常にない自然現象が多いですね?
この前まで寒さが厳しくやっと暖かくなったかと思えば梅雨末期にも似た大荒れの空模様
あければ、真夏の異常の暑さでしょうか?
ひとまず、神戸春祭りの熱気も落ち着いたと思います。
さて、本日は枚方地車特集つづき。
枚方市中宮西之町・百済王神社 中宮地車
百済王神社(くだらおう)・その昔紀元前・後朝鮮半島にあった国・百済
百済が唐によって滅ぼされ、百済王と王族・貴族を含む百済人が倭国に亡命し一部が朝廷に仕えた。善光(または禅広)の子孫は朝廷から百済王(くだらのこにきし)の姓を賜った。
百済王氏は8世紀に敬福(きょうふく)が陸奥守として黄金を発見し東大寺大仏造立に貢献するなど日本の貴族として活躍し、当初より主たる者に従五位下以上が与えられ、中下級官人にとどまる者が多い帰化人のうち別格の地位にあった。
百済王氏の本拠地は当初難波にあったが、その後北河内交野郡中宮郷、現在の枚方市中宮に本拠を移し、この地に百済王の祀廟と百済寺を建立した。百済寺は中世に焼失し現在は跡地公園として百済王神社隣接している。(ウィキペディア参考)
肝心の地車ですが、築造年・棟札より天保7年と思われます。
彫物師は地車に残る墨書きより小松源蔵、花岡良三、相野清七と思われる。
相野清七?藤七ではと思うが、墨は清七。
小松は刻みで小松源蔵藤原勝義となっている。
花岡はかなり薄く見えにくい。
境内飾りつけのみ曳行されていません。

大屋根・獅子噛 懸魚

大屋根・車板 この裏に小松銘(刻み)

大屋根・枡合

小屋根・正面獅子噛 これは相野特長出てます・相野伊兵衛ぽいです。

小屋根・後ろ獅子噛

小屋根・車板 この裏に相野の墨

小屋根・枡合 どちらかの裏に花岡の墨


箱棟 獅子 相野ですかね?


この前まで寒さが厳しくやっと暖かくなったかと思えば梅雨末期にも似た大荒れの空模様
あければ、真夏の異常の暑さでしょうか?
ひとまず、神戸春祭りの熱気も落ち着いたと思います。
さて、本日は枚方地車特集つづき。
枚方市中宮西之町・百済王神社 中宮地車
百済王神社(くだらおう)・その昔紀元前・後朝鮮半島にあった国・百済
百済が唐によって滅ぼされ、百済王と王族・貴族を含む百済人が倭国に亡命し一部が朝廷に仕えた。善光(または禅広)の子孫は朝廷から百済王(くだらのこにきし)の姓を賜った。
百済王氏は8世紀に敬福(きょうふく)が陸奥守として黄金を発見し東大寺大仏造立に貢献するなど日本の貴族として活躍し、当初より主たる者に従五位下以上が与えられ、中下級官人にとどまる者が多い帰化人のうち別格の地位にあった。
百済王氏の本拠地は当初難波にあったが、その後北河内交野郡中宮郷、現在の枚方市中宮に本拠を移し、この地に百済王の祀廟と百済寺を建立した。百済寺は中世に焼失し現在は跡地公園として百済王神社隣接している。(ウィキペディア参考)
肝心の地車ですが、築造年・棟札より天保7年と思われます。
彫物師は地車に残る墨書きより小松源蔵、花岡良三、相野清七と思われる。
相野清七?藤七ではと思うが、墨は清七。
小松は刻みで小松源蔵藤原勝義となっている。
花岡はかなり薄く見えにくい。
境内飾りつけのみ曳行されていません。

大屋根・獅子噛 懸魚

大屋根・車板 この裏に小松銘(刻み)

大屋根・枡合

小屋根・正面獅子噛 これは相野特長出てます・相野伊兵衛ぽいです。

小屋根・後ろ獅子噛

小屋根・車板 この裏に相野の墨

小屋根・枡合 どちらかの裏に花岡の墨


箱棟 獅子 相野ですかね?


動かしていないのですか?残念ですね~、前に肩いれたら動かせますね!
そうですね。古い幕式地車は感じるものがありますね。
動かすのはどうでしょうか?
地元のお話聞いた方は動かしたいようですが、曳きかたもあまり知らない方が多いようですし、足回りの整備が必要かと思います。
たしか?一応蔵からまっすぐ出し、そのまま後退して蔵入れに動いてはいます。
ですから蔵正面は地車後部が正面です。
彫刻を洗うのはどうかとも思いますが・・・私の意見はどうでも良いですね(笑)
名前からして、江戸時代の彫り師さんでしょうか?
洗われても、銘は残ってる物なんですね。
刻みが入っていると残るのもわかるのですが・・・
いえいえ色んな意見あっていいと思いますよ。
本来欅は年代経てば艶がでて良い色合いになるものですよね。木目なんかもなかなかあじになります。
ただどうしても地車の場合祭礼で曳きまわし動かしますのでなかなかいい状態で長年保管できないのが現状ではないかと思います。
どうしても主要部を修理交換(安全面からも)となると旧彫物との色合いにギャップがあり、洗いになるのかなぁと思います。
たしかに洗うと表面がもろくなりあれますね。
地方の曳き山では、祭礼以外は解体され、木箱等に彫物各々入れ大事に保管させている町もあるように聞いてます。しかしなかなか地車はそう言うわけにはいかないでしょうね。
実は私も洗いには反対派です。
中宮地車
年代は屋根裏にある棟札より文中にあるように天保7年と推定されます。長らく保管休止されていた地車で平成に入り修理されていますので、本体屋根や柱新調、彫物追加されているようです。修理前の状態は私は知りません。
ただこの年代の彫物の特長は出ています。この年代の小松と相野の獅子の区別がはっきり私は断定まだできません・・・・・ほんまに断定できる人がいるのかも怪しいものです。ですから古い彫物には間違いありません。
墨はたしかにその部分を丁寧に扱わないと消えますね。多くの地車は上から墨を入れなおしているように思います。この地車がそうかは解りません。墨部分はかなり薄いです。
なんとなく・・・相野の銘有りましたか?
太鼓は2階においてあるようですが、本来下段でたたくようになってますよね?
彫刻はわかりませんが、素人目にも箱胸の部分はなんか見たことある感じですね(わたしもいうようになったもんだ 笑)
たしかに小松かもしれませんが相野かもしれません。ここに銘は確認できません。
首地蔵さん
太鼓はこの時は小太鼓が中段に置いてあり、大太鼓は外に置いてありました。以前は、下に積んでいたのか?はたまた中断から太鼓台でみられるように縦に下げていたのか確認しませんでしたので不明です。
大きいで!動くかなぁ(笑)