サッポーも又、女性同性愛と結びつけられます。彼女がレスボス島出身であることからこれと結びつけられ“レズビアン”の呼称と結びつけられることになります。英語でレスボス人は "lesbian" と表記され、レズビアンの "lesbian" と同じつづりであることから、レスボス島は現在ギリシャ領でであるにもかかわらずトルコ名であるミティリーニ島の名が付けられています。彼女の詩から浮かび上がってくる姿とヘルマに彫られた彼女の容貌、それと下の絵との落差はどこから来るのものなのか。彼女を貶めなければならなかった訳は何なのか。書かれた、描かれた、刻まれたそれぞれの年代とその時代背景を見ればその理由は明らかです。
崖上に立つサッポー。 シャルル メンギン 1877画,( Charles Auguste Mengin , 1853-1933 )https://www.thoughtco.com/sappho-of-lesbos-picture-gallery-4123125
ある伝統では、サッポーはルーカディアンの崖から飛び降りて自殺したと伝えられています。バルビトスを右手に持っています(後述)
ヒュパティアも同様の仕打ちを受けています。時の権力に逆らった者がどういう扱いをされるのか。下の絵が物語っています。
Hypatiaの死、Charles William Mitchell画 1885
サッポーとヒュパティアの姿を見ていると、果たして ”薔薇の花” はどのような扱いになったのかという怖いもの見たさの気持ちになりました。取り上げてみようと思い
ます。
“バラの花の饗宴 (The Feast of the Rose Garlands ) ”を取り上げました。
『デューラーがヴェネツィア滞在中に描いたこの絵はロザリオを祈る信者の集まりを表しており、聖母マリアは膝の上に子供イエスを、右手に聖ドミニクが天使に囲まれ、バラの花輪を信者に配っています。 これは、1506年にヴェネツィア滞在中に描いたドイツの画家アルブレヒト デューラーの作品です。子供のイエスを抱いた聖母マリアに聖ドミニコは花輪の形で彼らに象徴的な祝福(symbolic blessing)を与えているのです。』という解説が付いています。
“象徴的な祝福”という言葉にこの絵を読み解く鍵があるように思います。“symbolic blessing” とは ”何が必要であるかを心得た上での祝福”という意味です。
この絵は、“バラの花の饗宴”という絵題は付いていますが薔薇は、花の形では登場しません。花輪になった姿の見えない薔薇が描かれています。“朝日に濡れ、朝露に包まれた薔薇の花がそっと咲くとき、その香気は頬を染めます”とかつては表現されてきたその花を、摘み取って花輪にしたモノを饗宴の場に引きずり出し、自らの飾り物としたのです。何者をも従え、屈服させた傲慢な顔がそこに見えます。薔薇の花はもはや高潔な精神(?)のシンボルと成り果てたのです。
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