ロサ ケンティフォリアhttp://www.noibara.net/encyclopedia/old_rose/encyclopedia-378.html
Wiki(一部加筆)に次のような説明があります。『Rosa × centifolia、ロサ ケンティフォリア、またの名をプロヴァンスローズ、キャベツローズ、ローズドマイは、17世紀から19世紀の間に、おそらくそれ以前にオランダのバラ育種家によって開発されたハイブリッドローズです。その親には、Rosa×damascenaが含まれますが、複雑な雑種かもしれません。中略 テオプラストス( Theophrastus、BC371 –BC287、古代ギリシャの哲学者、博物学者、植物学者。植物学の祖と呼ばれています。)やプリニウスによって言及された「百葉」(centifolia)バラではないようです。1580年より以前についてははっきりと断定することはできません。又、ルドゥーテが言うように現在あるロサ ケンティフォリアは改良種のようです。』
このことはダマスクローズが何者であるかを知る上ではっきりとさせておかなければならないことなので言及しておくことにしました。
Rosa × centifolia
Pierre-Joseph Redoute from "Les Roses," Firmin Didot※, Paris, 1817.
※ Firmin Didot (フィルミン・ディドット;フランスの印刷業者、彫刻家1764/4/14 –1836/4/24 )
ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ (Pierre-Joseph Redouté、1759/7/10-1840/6/20、ベルギーの画家、植物学者。) が描いたケンティフォリア
ルドゥーテはユリやバラなどの絵を多く残しました。銅版画の一部分に彩色を施した多色刷り印刷を確立。ナポレオン1世の皇后ジョゼフィーヌが庇護するマルメゾン城のバラ園でバラや他の植物の絵を描きました。中でも「バラ図譜(Les Roses)」は傑作と言われています。「バラ図譜」には169種のバラが精密に描かれ、芸術的価値だけではなく植物学上にも重要な資料です。その原画は1871年のルーブルの図書館の火災で消失し、現在あるのはその複製です。上の絵は1817年、フィルミン・ディドットによる複製画です。
プロヴァンローズについては『テオパルドⅠ世( Teobaldo I de Navarra;5/30/1201-7/8/1253、フランスのシャンパーニュ伯、ティボーⅣ世、後にナバラ王。1239-1241年に聖地エルサレムへの遠征軍を率いた。)がパリ近郊のプロヴァンスにR. gallica officinalis (Rose of Province) を1240年に自らのヘルメットの中に入れてダマスカスから持ち帰ったと言われています。。薔薇に隠然とした力を認めた彼はすぐさまプロヴァンス近郊に薔薇園を作りました。プロヴァンの薔薇園はすぐに有名になり、宗教的、世俗的儀式、医学に頻用されるようになった。』という言い伝えがあります。真偽のほどはわかりませんが、有名なお話なのでここにご紹介しておきます。
(R. gallica officinalisでなければ、何だったのかということになりますが、想像の域を出ないお話なのでこのお話はこれまでにしておきます。
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