第19回 教室のない学校
青空学校日記 作 中道 進
解説 1995年、この頃、愚者は以前の不良でわがままな生活から脱皮し懸命にいきる生命論を学んだ。同世代の同志たちもそうだった。まさしく、教室がない勉強会であった。各々が職場も違うし、時間も違うのであるから当然である。だが、たまには、同じ年代なのであるから気が合うのか飲み会もやった。こういう時はリラックスできたのであった。職場では、いじめもあったから当然かもしれない。いじめというと、正法には、三障四魔が当然あると説かれているからしょうがないと思っていた。三障四魔というと、職場の同僚、役職長、権力などがある。又、病魔もある。しかし、同志は、皆がこのような難を乗り越え職場で実証示しているのであるから深刻に考えない。反対に、苦難を成長の因としているのである。
1995年3月29日
どんな戦いも、世論ほど大事なものはない。歴史をよく見てごらん。どんな正しい行動も;民衆の支持がなければ成功しない。 言葉
人生は悩みの連続である。しかし、自分の今いる場所から逃げてしまえば、結局、こうかいと不満しかのこらないであろう。 言葉
1995年3月30日
乙女サルがイモを洗った。次のサルもこれを見て洗った。百番目がイモを洗った時、残りのサルすべてが一斉に洗った。
言葉 一人の力は偉大である。(一人)が立ち上がることで(すべて)を変える。
上記を考えると、乙女サルから、百番目のサル、一人の革命はすべてを変える基礎。一人が大切、故に、対話を、粘りで納得させてるように頑張ることである。上も下もない、周恩来は現場の意見を尊重した。中心は中心としてわきまえる。上下はあるはずはない。たがいに尊重し、良い所を見ていくことである。人は誰しも欠点がある。己のまつ毛は見えない。仲良くしていくことである。団結の良い所は勝利は歴史が現わしている。信長と今川軍、平と頼朝、関ヶ原の戦いなど教えている。
1995年4月1日
色んな業を背負って生まれてきている。リヤカーに重たい石がいっぱいのハンディをしょって生まれてきた人もいる。いかに軽くなるかは強信である。宿業転換し身軽ととなり幸となるのは正法しかない。