今日の川柳
千年も辿れば根っこは同じ民
せんねんもたどればねっこはおなじたみ
平安時代の日本の人口は約500万人であったといわれる
高々2,3世代の家系図なんぞ持ちだしてわが家系は、なーんて・・・。
その浅はかさ、安っぽさにはただ呆れるばかり。
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BMI6つも差がある間柄
びーえむあいむっつもさがあるあいだがら
同じ20台でも見た目はだいぶちがうのだが・・・。
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我が家にもスイセン咲けば爪木崎
わがやにもすいせんさけばつめきざき
スイセンには違いなく。
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ヨーロッパ青春ドライブ紀行
1972年7月30日(月)~8月27日(土)
8月20日(日)
シャモニー→アオスタ(イタリア)→シャモニー
天気は相変わらずよくない。
お父さんの提案で、モンブラントンネルをくぐりイタリー側へ行ってみよう、
山脈の向こう側は天気がいいかも知れないからという。
さっそくその案をいただくことに。
モンブラントンネルは、自動車専用のトンネルで、距離はなんと11.6kもある。
簡単にフランスからイタリー側へ行くことができるトンネルである。
トンエンルを潜り抜けたら、予想していたように、イアタリー側は晴天。
目の前に、モンブラン山群の岩山が雪を被っているのが望める。
その神々しい姿に感動した。その隣にはあのグランドジョラスが・・・。
麓の町で20$をL.に変えてもらう。
グランドジョラスが見晴らせる丘の草原に横になる。
陽があたりなんとも心地よい。
お父さんはここからケーブルに乗り、モンブラン越えシャモニーヘ戻るという。
我々3人はそのまま車でAosta, Matigny(スイス)を経由して、山道を辿りシャモニーヘもどることにする。
~続く~