(ネタばれあり)
原題 Casualties of War (日本語訳、戦争の被害者たち)
ベトナム戦争で起きたアメリカ軍兵士による戦争犯罪に焦点をあてた戦争映画。
1989年制作。
実話をもとにしている。
この映画の一番の戦争の被害者は、
拉致、強姦、暴力の末、殺害される農民の娘。
さらに、娘をさらわれた娘の家族、
戦争に加担していないのに、被害にあった人たち。
アメリカ軍兵士は、
農村で暮らしていたふつうの娘を誘拐し、
ベトコンの娼婦だと言い放ち、強姦し、
隠滅のために、無残に殺害する。
娘の受けたあまりの痛ましさ、むごさが胸に突き刺さった。
身が震えるほどだった。
娘の拉致を支持したリーダーの軍曹は、
映画の冒頭では、
新米兵を命がけで、救う英雄でもあった。
それが、、
ベトナム兵の奇襲にあい、仲の良い黒人兵を殺されたことにより、
倫理観を失い、非道な行為に走るようになる。
戦争がなければ、軍曹は、
残忍な行為をするような人間ではなかったろう。
ふと、
娘を殺したアメリカ兵たちも
戦争の被害者であるかもしれないと思う。
それでもやはり、私は、
「すべて戦争が悪い」と、すまされることではないと感じた。
最も悪いのは戦争をはじめた国であるのは当然だが、
個人も罪を負うべきだ。
戦争という極限状態に置かれたことのない私が、
言えることではないのかもしれないが、
兵士たちの蛮行は、絶対に許せないことだ。
私には兵士が精神が病んで、狂気に走ってしまったようには見えなかった。
映画の主人公の上等兵は、
軍曹に命令されても娘の強姦に加わらなかった。
加わらなかったことで、
命を狙われる危険があるとわかっていても
拒否した。
この上等兵は、
拉致された娘を助けようと、軍曹に訴える。
「(黒人兵の)ブラウンが生きていたら、
こんなことは許さなかった」と。
軍曹の友だちというだけではなく、
黒人兵は陽気で、人を引っ張っていく雰囲気もあった。
彼のいうことなら、ついていく人がいたろう。
だが、悲しいことに上等兵は体も小さく、
意見が全く通らない下っ端であった。
私は、強くなりたいと思った。
自分に力があれば、
暴力を止めることができるかもしれない。
リーダーが暴走すると、集団も暴走してしまう。
強いもの正しくなる。
正しい行いをするためには、
自分に強い力がなければだめなのだと、
現実を突きつけられる思いがした。
人を助けたいのなら自分が強くならなければならない、
力を持たなければならない。
それが現実である。
娘を助けられなかった上等兵は、
見殺しにしてしまったという思いから、
苦しみを抱えることとなり、
彼も被害者となる。
上等兵は、こんなことを言っている。
「おれたちは間違っていないか。
何か勘違いしている」
「いつ(爆撃され)吹き飛ばされるかわからない。
だから何をしていいと何も構わなくなる。
大切なことは反対だ。
いつ死ぬか分からないからこそ、
よけいに考えるべきなんだ。
きっとそれが大切なんだ」
兵士たちは、戦地で殺し合いをしているうちに、
社会のルールが壊れていると気付き、
自分のルールで判断するようになったように見える。
「ここでは何も構わない。悪いことをしてもいいんだ」
「ここでは何も構わない。自分だけが生き残ればいい」
仲間の裏切りや、口封じのために殺されそうになっても
考えることをやめなかった上等兵と、
何も構わなくなる人との違いはなんだろう。
平和な集団社会で生き抜くためにみんな仲良く、
「殺してはいけない」がふつうの状態。
戦争で、生き抜くため
「殺してもいい」という異常な状態になったのが、
この映画で描かれている状況。
状況に合わせて、人間は変わってしまうのか。
群衆心理的要素があったとしても影響されない人もいるし、
戦争が人を変えるのではなく、
もともとあった邪悪な心が強くなってしまうのではないかという気がする。
秩序のある社会の中で、
おさえられていた悪や弱さが表に出てきてしまう。
個人の本質が強く出てしまうのではないか。
暴力傾向のある人、
優柔不断なひ弱な人。
考えのない人。
人種差別的な考えが表に現れたり、
自分の身を守るだけの人。
すべてを戦争のせいにすることによって、
思考が止まることのおそろしい。
私は戦争の現実を知らないので、
偉そうには言えないが、
この映画に関して言えば、
もともと持っていた本質が行動をさせたと思える。
戦争での行為を反省する人間性があれば、
精神的後遺症に悩まされるのかもしれない。
難しい問題ではあるが、
やはり兵士たちの蛮行を許してはいけないと強く思う。
この映画を観て、被害者になる恐ろしさと同じくらい、
加害者になる恐ろしさを感じる。
私の本質を冷静に考える。
加害者になるとしたら、
弱いために、自分の身を守るためリーダーに、
従ってしまうかもしれない。
不正義が行われ、不正義が隠される。
「世の中はこういうものだから諦めろ」に従うことなく、
「良心」持ち続けられる人間でありたい。
戦争被害者はいつでも弱い立場の人たちである。
原題 Casualties of War (日本語訳、戦争の被害者たち)
ベトナム戦争で起きたアメリカ軍兵士による戦争犯罪に焦点をあてた戦争映画。
1989年制作。
実話をもとにしている。
この映画の一番の戦争の被害者は、
拉致、強姦、暴力の末、殺害される農民の娘。
さらに、娘をさらわれた娘の家族、
戦争に加担していないのに、被害にあった人たち。
アメリカ軍兵士は、
農村で暮らしていたふつうの娘を誘拐し、
ベトコンの娼婦だと言い放ち、強姦し、
隠滅のために、無残に殺害する。
娘の受けたあまりの痛ましさ、むごさが胸に突き刺さった。
身が震えるほどだった。
娘の拉致を支持したリーダーの軍曹は、
映画の冒頭では、
新米兵を命がけで、救う英雄でもあった。
それが、、
ベトナム兵の奇襲にあい、仲の良い黒人兵を殺されたことにより、
倫理観を失い、非道な行為に走るようになる。
戦争がなければ、軍曹は、
残忍な行為をするような人間ではなかったろう。
ふと、
娘を殺したアメリカ兵たちも
戦争の被害者であるかもしれないと思う。
それでもやはり、私は、
「すべて戦争が悪い」と、すまされることではないと感じた。
最も悪いのは戦争をはじめた国であるのは当然だが、
個人も罪を負うべきだ。
戦争という極限状態に置かれたことのない私が、
言えることではないのかもしれないが、
兵士たちの蛮行は、絶対に許せないことだ。
私には兵士が精神が病んで、狂気に走ってしまったようには見えなかった。
映画の主人公の上等兵は、
軍曹に命令されても娘の強姦に加わらなかった。
加わらなかったことで、
命を狙われる危険があるとわかっていても
拒否した。
この上等兵は、
拉致された娘を助けようと、軍曹に訴える。
「(黒人兵の)ブラウンが生きていたら、
こんなことは許さなかった」と。
軍曹の友だちというだけではなく、
黒人兵は陽気で、人を引っ張っていく雰囲気もあった。
彼のいうことなら、ついていく人がいたろう。
だが、悲しいことに上等兵は体も小さく、
意見が全く通らない下っ端であった。
私は、強くなりたいと思った。
自分に力があれば、
暴力を止めることができるかもしれない。
リーダーが暴走すると、集団も暴走してしまう。
強いもの正しくなる。
正しい行いをするためには、
自分に強い力がなければだめなのだと、
現実を突きつけられる思いがした。
人を助けたいのなら自分が強くならなければならない、
力を持たなければならない。
それが現実である。
娘を助けられなかった上等兵は、
見殺しにしてしまったという思いから、
苦しみを抱えることとなり、
彼も被害者となる。
上等兵は、こんなことを言っている。
「おれたちは間違っていないか。
何か勘違いしている」
「いつ(爆撃され)吹き飛ばされるかわからない。
だから何をしていいと何も構わなくなる。
大切なことは反対だ。
いつ死ぬか分からないからこそ、
よけいに考えるべきなんだ。
きっとそれが大切なんだ」
兵士たちは、戦地で殺し合いをしているうちに、
社会のルールが壊れていると気付き、
自分のルールで判断するようになったように見える。
「ここでは何も構わない。悪いことをしてもいいんだ」
「ここでは何も構わない。自分だけが生き残ればいい」
仲間の裏切りや、口封じのために殺されそうになっても
考えることをやめなかった上等兵と、
何も構わなくなる人との違いはなんだろう。
平和な集団社会で生き抜くためにみんな仲良く、
「殺してはいけない」がふつうの状態。
戦争で、生き抜くため
「殺してもいい」という異常な状態になったのが、
この映画で描かれている状況。
状況に合わせて、人間は変わってしまうのか。
群衆心理的要素があったとしても影響されない人もいるし、
戦争が人を変えるのではなく、
もともとあった邪悪な心が強くなってしまうのではないかという気がする。
秩序のある社会の中で、
おさえられていた悪や弱さが表に出てきてしまう。
個人の本質が強く出てしまうのではないか。
暴力傾向のある人、
優柔不断なひ弱な人。
考えのない人。
人種差別的な考えが表に現れたり、
自分の身を守るだけの人。
すべてを戦争のせいにすることによって、
思考が止まることのおそろしい。
私は戦争の現実を知らないので、
偉そうには言えないが、
この映画に関して言えば、
もともと持っていた本質が行動をさせたと思える。
戦争での行為を反省する人間性があれば、
精神的後遺症に悩まされるのかもしれない。
難しい問題ではあるが、
やはり兵士たちの蛮行を許してはいけないと強く思う。
この映画を観て、被害者になる恐ろしさと同じくらい、
加害者になる恐ろしさを感じる。
私の本質を冷静に考える。
加害者になるとしたら、
弱いために、自分の身を守るためリーダーに、
従ってしまうかもしれない。
不正義が行われ、不正義が隠される。
「世の中はこういうものだから諦めろ」に従うことなく、
「良心」持ち続けられる人間でありたい。
戦争被害者はいつでも弱い立場の人たちである。