ネタばれあり。
予備知識なしで観ることをおススメしたい。
「孤独でも笑って死ねる 勇気をくれる傑作」
という紹介文に心が動き、映画館へ向かった。
主人公のジョン・メイは、
ロンドンの民生係。
仕事は身よりなく亡くなった人を弔うこと。
死ぬのはまだ先のことだろうと思っていても、
「お葬式をあげてくれる人はいない」という現実に襲われ、
時折、猛烈に悲しくなるひとりものの私。
冒頭のお葬式で、
参列者がジョン・メイひとりきりという場面から、
孤独死する側に感情移入したため、大泣きして、
体力を使ってしまい、中盤で頭痛になってしまったのが、
悔やまれるほどいい映画だった。
なによりも主人公のジョン・メイがかわいいのだ。
ジョン・メイは
故人の親族、知人を探しだし葬儀に参列をお願いする。
葬儀にふさわしいBGMを選び、
弔辞を書いたり、
故人のために誠意を尽くしている。
彼の仕事ぶり、
おみおくりぶりを観ているうちに、
心が落ち着いてきたのは、
ジョン・メイのような人がおみおくりしてくれるから、
孤独死しても大丈夫だと思ったからではない。
邦題の「おみおくりの作法」なので、
孤独死をした人の弔い作法が描かれていると思いそうだが、
ちょっと違う
原題『STILL LIFE』は、静止画という意味。
故人の部屋に入り、
死者が残したハンドクリームの指の跡、
寝ていたことをしめす枕の凹みを見る。
静止したものを見つめることによって、
動いていた時間を感じ、
故人の人生に思いをめぐらし、
みおくる準備をするジョン・メイ。
静止しているように見えても
すべての物の上には時間が流れ動いているのだなあ。
みおくった人の写真をジョン・メイは自宅のアルバムに貼る。
身よりのない死者の写真(静止画)たちは、とても切ない。
しかし、その静止した画を見続けると、
生きていた(動画)感じられ、心を揺さぶられた。
この映画は、静かに淡々と描かれている。
些細なところで、
クスッと笑えるユーモアも効いていて、
だから、生きるって楽しいんだと思える。
人生で何が大切なのか考えさせてくれた。
ある日、
ジョン・メイは解雇を言い渡される。
理由は、
ひとりひとりの故人に時間をかけすぎ、
コストがかかっているから。
22年間誠実に勤めた44歳。
ひどい話である。
私と同年代だし、
器用に生きられないのは私も同じなので、
この辺りから、ジョン・メイのことが、
他人事とは思えなくなってきた。
ジョン・メイのアパートの向かいの部屋で
孤独死をした人の担当が最後となる。
こんな近くで、自分と同じように
家族はなく、友人も訪れない人がいて、
ひっそり死んだことに気づかなかったなんて、
ジョン・メイも多少なりともショックを受けたのではないかと思う。
ジョン・メイはひとりで生きていても
孤独だとは感じないようにに生きていたように見える。
それでも最後の仕事に今まで以上に取り組むことによって、
人と関わりを深く持ち、心が変わっていく。
今までとは違う行動をするようになる。
それまで不満を持って生きてきたわけではないと思うけれど、
新しい経験をして、少しずつ心を解放していくよう見えた。
彼女が家に来るかもしれないと思って、
犬の絵のついたマグカップをふたつ買ってしまうところでは、
私もうれしくなった。
観ている私も浮かれたように、
ジョン・メイも浮かれて注意不足になったのかもしれない。
今までなら車がいない横断歩道でも左右しっかりと確認して渡る彼が、
そうしなかったばかりに、大変なことが起きる。
私はここで映画に置いて行かれた。
すぐには状況を受け止められなかった。
人生は本当に思いがけないことが突然やってくる。
彼は受け入れられただろうか。
ジョン・メイが最後に担当した人は、
悪い人ではないけれど、
真面目に生きてきたジョン・メイとは正反対の生き方をしていた。
どんな生き方がいいか簡単には言えないけれど、
ジョン・メイと、最後の担当の人の葬儀が
対照的になっていて、胸に痛かった。
仕事の成果が出たから、彼は喜んでいるだろう。
それでもやっぱり悲しい。
映画を観終わった後、
「報われたんだ」と思おうとしたけどだめだった。
わかりやすいハッピーエンドではないので、
人によって正反対の想いになるかもしれない。
私は切なくて苦しい想いが消えない。
故人を偲ぶと、
ジョン・メイはとてもいい人だった。
器用に生きている人よりも
ジョン・メイのような心を持った人が私は好きだ。
後扉を開けたまま走りだしたトラックを追いかけて行って、
トラックに追いつけるはずないのに知らせようとするジョン・メイはいい人。
それでやっぱりトラックには追いつけずに、
荷物のアイスクリームが路上に落ちたのを拾って、
家で食べている姿がかわいらしかった。
お土産に生の魚をそのままもらって帰っても、
きっとジョン・メイは焼けないんだから、
困っているんじゃないかなと思っていたら、
やっぱり家で焼いて焦がしたりするのもかわいかった。
ズボンのベルトの強度を確かめて、
窓枠に引っかけた時は、嫌な予感がしたけれど、
4階からベルトを口で咥えてぶら下がっている時間で
寄附金がつり上がっていくイベントで、
3分半も頑張ったという故人の行動を真似しようとしただけだった。
44歳のいい大人の男性が、
亡くなった人の気持ちを理解しようとしてそんなことをするのもかわいい。
本当にいい人なのだ。
「よくいい人そう」という言葉を聞くけど、
私は本当にいい人にあったことはない。
本当にいい人は、ジョン・メイみたいな人で、
きっと突っ込みどころが満載で楽しい。
いい人だからこそ断れなかったり、
無駄にみえることに一生懸命になったり、
計算してないからかわいらしいんだと思う。
ジョン・メイのような人が報われてほしい。
私が気付かないだけで、
ジョン・メイのような人は周りにもいるのかもしれない。
人の心を見て、生きていきたい。
現代社会は人間関係が希薄となり冷たくなりつつある。
だからこそ、
わかりやすい欲望に左右されるのではなく、
心ある生き方をすることが大切なのだと強く思う。
気付かれないやさしさは切ないけれど、
あたたかい。
この映画を観て、胸に残ったのはあたたかさだった。
予備知識なしで観ることをおススメしたい。
「孤独でも笑って死ねる 勇気をくれる傑作」
という紹介文に心が動き、映画館へ向かった。
主人公のジョン・メイは、
ロンドンの民生係。
仕事は身よりなく亡くなった人を弔うこと。
死ぬのはまだ先のことだろうと思っていても、
「お葬式をあげてくれる人はいない」という現実に襲われ、
時折、猛烈に悲しくなるひとりものの私。
冒頭のお葬式で、
参列者がジョン・メイひとりきりという場面から、
孤独死する側に感情移入したため、大泣きして、
体力を使ってしまい、中盤で頭痛になってしまったのが、
悔やまれるほどいい映画だった。
なによりも主人公のジョン・メイがかわいいのだ。
ジョン・メイは
故人の親族、知人を探しだし葬儀に参列をお願いする。
葬儀にふさわしいBGMを選び、
弔辞を書いたり、
故人のために誠意を尽くしている。
彼の仕事ぶり、
おみおくりぶりを観ているうちに、
心が落ち着いてきたのは、
ジョン・メイのような人がおみおくりしてくれるから、
孤独死しても大丈夫だと思ったからではない。
邦題の「おみおくりの作法」なので、
孤独死をした人の弔い作法が描かれていると思いそうだが、
ちょっと違う
原題『STILL LIFE』は、静止画という意味。
故人の部屋に入り、
死者が残したハンドクリームの指の跡、
寝ていたことをしめす枕の凹みを見る。
静止したものを見つめることによって、
動いていた時間を感じ、
故人の人生に思いをめぐらし、
みおくる準備をするジョン・メイ。
静止しているように見えても
すべての物の上には時間が流れ動いているのだなあ。
みおくった人の写真をジョン・メイは自宅のアルバムに貼る。
身よりのない死者の写真(静止画)たちは、とても切ない。
しかし、その静止した画を見続けると、
生きていた(動画)感じられ、心を揺さぶられた。
この映画は、静かに淡々と描かれている。
些細なところで、
クスッと笑えるユーモアも効いていて、
だから、生きるって楽しいんだと思える。
人生で何が大切なのか考えさせてくれた。
ある日、
ジョン・メイは解雇を言い渡される。
理由は、
ひとりひとりの故人に時間をかけすぎ、
コストがかかっているから。
22年間誠実に勤めた44歳。
ひどい話である。
私と同年代だし、
器用に生きられないのは私も同じなので、
この辺りから、ジョン・メイのことが、
他人事とは思えなくなってきた。
ジョン・メイのアパートの向かいの部屋で
孤独死をした人の担当が最後となる。
こんな近くで、自分と同じように
家族はなく、友人も訪れない人がいて、
ひっそり死んだことに気づかなかったなんて、
ジョン・メイも多少なりともショックを受けたのではないかと思う。
ジョン・メイはひとりで生きていても
孤独だとは感じないようにに生きていたように見える。
それでも最後の仕事に今まで以上に取り組むことによって、
人と関わりを深く持ち、心が変わっていく。
今までとは違う行動をするようになる。
それまで不満を持って生きてきたわけではないと思うけれど、
新しい経験をして、少しずつ心を解放していくよう見えた。
彼女が家に来るかもしれないと思って、
犬の絵のついたマグカップをふたつ買ってしまうところでは、
私もうれしくなった。
観ている私も浮かれたように、
ジョン・メイも浮かれて注意不足になったのかもしれない。
今までなら車がいない横断歩道でも左右しっかりと確認して渡る彼が、
そうしなかったばかりに、大変なことが起きる。
私はここで映画に置いて行かれた。
すぐには状況を受け止められなかった。
人生は本当に思いがけないことが突然やってくる。
彼は受け入れられただろうか。
ジョン・メイが最後に担当した人は、
悪い人ではないけれど、
真面目に生きてきたジョン・メイとは正反対の生き方をしていた。
どんな生き方がいいか簡単には言えないけれど、
ジョン・メイと、最後の担当の人の葬儀が
対照的になっていて、胸に痛かった。
仕事の成果が出たから、彼は喜んでいるだろう。
それでもやっぱり悲しい。
映画を観終わった後、
「報われたんだ」と思おうとしたけどだめだった。
わかりやすいハッピーエンドではないので、
人によって正反対の想いになるかもしれない。
私は切なくて苦しい想いが消えない。
故人を偲ぶと、
ジョン・メイはとてもいい人だった。
器用に生きている人よりも
ジョン・メイのような心を持った人が私は好きだ。
後扉を開けたまま走りだしたトラックを追いかけて行って、
トラックに追いつけるはずないのに知らせようとするジョン・メイはいい人。
それでやっぱりトラックには追いつけずに、
荷物のアイスクリームが路上に落ちたのを拾って、
家で食べている姿がかわいらしかった。
お土産に生の魚をそのままもらって帰っても、
きっとジョン・メイは焼けないんだから、
困っているんじゃないかなと思っていたら、
やっぱり家で焼いて焦がしたりするのもかわいかった。
ズボンのベルトの強度を確かめて、
窓枠に引っかけた時は、嫌な予感がしたけれど、
4階からベルトを口で咥えてぶら下がっている時間で
寄附金がつり上がっていくイベントで、
3分半も頑張ったという故人の行動を真似しようとしただけだった。
44歳のいい大人の男性が、
亡くなった人の気持ちを理解しようとしてそんなことをするのもかわいい。
本当にいい人なのだ。
「よくいい人そう」という言葉を聞くけど、
私は本当にいい人にあったことはない。
本当にいい人は、ジョン・メイみたいな人で、
きっと突っ込みどころが満載で楽しい。
いい人だからこそ断れなかったり、
無駄にみえることに一生懸命になったり、
計算してないからかわいらしいんだと思う。
ジョン・メイのような人が報われてほしい。
私が気付かないだけで、
ジョン・メイのような人は周りにもいるのかもしれない。
人の心を見て、生きていきたい。
現代社会は人間関係が希薄となり冷たくなりつつある。
だからこそ、
わかりやすい欲望に左右されるのではなく、
心ある生き方をすることが大切なのだと強く思う。
気付かれないやさしさは切ないけれど、
あたたかい。
この映画を観て、胸に残ったのはあたたかさだった。