故郷の祭典行事も、新型コロナウィルスのおかげ神事以外は無し。
祭典に必須な、町内の曳き山の製作責任者はうちのオヤジだった。
先月、亡くなるまで二台。
現在の激突に耐えうる曳き山の形状を作ったのは曾祖父みたい。
オヤジは国民学校が最終学歴なのだが、他の曳き山と比較して引回しがスムースに出来るよう、365日考えていた。
危険過ぎる故、若い衆は実践出来ずにいた事案もあった。
オヤジも昨年から認知症が酷くなっちゃって、祭典の日にちとか解らなくなっていたし。
先月の16日に弔問に訪れた、町内の祭典生字引のAさんが「大先輩方みんな逝っちゃって、ホントに昭和がおわったよな!」と。
そのときは、この言葉の意味の重さが理解できなかったけれど、今実感。
その昔、「人は皆、仏様になるときは死んだ時のまま」って聞いたことがある。
だとすれば、日にち、曜日、季節、家族構成も不完全な記憶で忘れたまま亡くなっちまったのはどうなんだろ?
それより、納骨のスケジュールをきちんとしなけりゃだわ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます