オヤジが亡くなってから、終点と通過点の位置を深く考える。
亡くなったものの終点は生きているものの通過点にしか過ぎない。
しかし、残されたものは終点まで歩み続けなければならない。それは個々に違うものなのだが。
オフクロは単なる通過点にしたくないよう。何とか現実を受け止めようとしている。
でも、これを邪魔しているのが認知症なんだよな(-_-;)
二言目には「早すぎたんだよぉ!」って。
年齢的には早すぎではない。平均寿命を越えているのだから。
何が早すぎといえば、容態悪化からの結末なのかなと。
でも、入院直前に娘と息子が「何時死んでもおかしくないから、気持ちの準備だけはみんなでしなけりゃなぁ」って話したことは忘れている。
失くなっちまった、とうのオヤジだって大動脈乖離の痛みを忘れていたのかもしれない。
やっぱ、忘れることは怖いことなんだよな。
些細なことでも書き留めておく生活にしよう。でも、いつまで都筑ことやら。
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