洛中在住

京都暮らし

子どもが授かるまで2

2013-01-28 | 日常
子どもって、つくろうと思ったら、すぐできるものだと思ってました。
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不妊に気がついても、やっぱり自分の趣味や仕事に必死で、なかなか病院に行くことはしませんでした。
たまに大喧嘩もするけど旦那は優しいし、仕事も評価してもらってる。
子どもはつくるものではなく、授かるもの。
うん、無理してつくることはない、できなかったらそれでもいい、私はとっても幸せだ。

…と、言い聞かせていたのかもしれません。


でも正直、自分のことに時間を費やすのもそろそろ満腹になってきた。
なにか空しい。
いや、さみしい。
充実しているし幸せなのに、涙なんか出たりする。

相変わらず祖母の「子供つくれ」攻撃に
姉の「子供は可愛いでー早よつくりー」攻撃に
母の「友人たちは孫育てに忙しいのに、(孫はアメリカだから)私はなにもなくて虚しい」攻撃。

皆、悪気なく(むしろ心配して)私を傷つける。
ほっといてよ。
不妊に悩んだことないから、こういうことが平気で言えるんだな。
こんなに切なくさみしい思いをしているのに、誰もわかってくれない。

私は本当にわがままに生きていたなぁと今思いますが、その時は色々と限界でした。
余裕なんか全然ない。

ある夏の終わりの夜、私は泣きながら旦那に言いました。
「不妊治療したい。明日○○婦人科医院に予約する」

それから私のながい不妊治療がはじまりました。


なかなか予約の取れない人気の医院に通い、数か月かけて痛い思いをし、いろいろ調べましたが、
(ホルモン検査・卵管造影検査・ヒューナーテストなどなど)
私も旦那もとくに大きな問題はナシ。
タイミングでなんとかやっていこうと進みだしたときに、旦那の大阪転勤が決まりました。


つづく
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