リアルタイムでは見逃してしまったのですが、デザイナーの花井幸子さんが先月、SC(ショップチャンネル)のゲストとして出演されたようです。
花井幸子さんといえば、今や全国各地の百貨店を中心にショップを展開する、日本屈指の著名なファッションデザイナーですが、専門学校を経てフリーデザイナーとして独立する前は、地元の信用金庫にOLとして勤務していました。
実は、花井さんは私の母の出身高校の後輩でして、卒業後に母の勤める信用金庫に入社してきたそうです。
信用金庫を2、3年で辞めた後モード専門学校に入学、卒業後わずか5年後には阿佐ヶ谷にアトリエ設立、更に4年後には銀座にオートクチュールブディック・マダム花井を設立と、デザイナーとして華々しい道を歩んできた花井幸子さん。
母の話によると、高校時代から常にスケッチブックを携帯して絵を描き、その才能を発揮していたそうです。
ファッションイラストレーターや写真家としても活躍する花井さんですが、もう30年以上も前の事になりますが、可愛がっていた当時6歳の姪を交通事故で亡くすという悲しい体験もされています。
11月の冷たい雨の降る午後、祖母と一緒に歩道を歩いていた姪のK子ちゃんは、急に車道に飛び出してきた女性を避けようと急ハンドルを切った暴走車に轢かれ、その短い生涯を閉じました。
悲しみに包まれたお通夜の日、参列した私の母に花井さんは、「Y子ちゃん、ちっとも変わらないわね!」と、声を掛けてくれたそうです。
既に(株)マダム花井を設立し、超有名人となっていたユッコちゃん(花井さんの愛称)に声を掛けてもらえるとは思ってもみなかった母は、昔と同じ様に接してもらってとても感激したそうです。
K子ちゃんが亡くなった日は、ちょうど(K子ちゃんの)11月15日の七五三のお祝いの日でした。
その年は金曜日にあたっていたので、二日後の日曜日に七五三のお祝いをする事に決まっていたそうです。
それなのに、その日が悲しい告別式の日となってしまうなんて、なんと悲しい運命なんでしょう。
K子ちゃんは、晴れ着となるはずだった花井さんのデザインした着物を着て、天国に旅立っていきました。
花井幸子さんといえば、今や全国各地の百貨店を中心にショップを展開する、日本屈指の著名なファッションデザイナーですが、専門学校を経てフリーデザイナーとして独立する前は、地元の信用金庫にOLとして勤務していました。
実は、花井さんは私の母の出身高校の後輩でして、卒業後に母の勤める信用金庫に入社してきたそうです。
信用金庫を2、3年で辞めた後モード専門学校に入学、卒業後わずか5年後には阿佐ヶ谷にアトリエ設立、更に4年後には銀座にオートクチュールブディック・マダム花井を設立と、デザイナーとして華々しい道を歩んできた花井幸子さん。
母の話によると、高校時代から常にスケッチブックを携帯して絵を描き、その才能を発揮していたそうです。
ファッションイラストレーターや写真家としても活躍する花井さんですが、もう30年以上も前の事になりますが、可愛がっていた当時6歳の姪を交通事故で亡くすという悲しい体験もされています。
11月の冷たい雨の降る午後、祖母と一緒に歩道を歩いていた姪のK子ちゃんは、急に車道に飛び出してきた女性を避けようと急ハンドルを切った暴走車に轢かれ、その短い生涯を閉じました。
悲しみに包まれたお通夜の日、参列した私の母に花井さんは、「Y子ちゃん、ちっとも変わらないわね!」と、声を掛けてくれたそうです。
既に(株)マダム花井を設立し、超有名人となっていたユッコちゃん(花井さんの愛称)に声を掛けてもらえるとは思ってもみなかった母は、昔と同じ様に接してもらってとても感激したそうです。
K子ちゃんが亡くなった日は、ちょうど(K子ちゃんの)11月15日の七五三のお祝いの日でした。
その年は金曜日にあたっていたので、二日後の日曜日に七五三のお祝いをする事に決まっていたそうです。
それなのに、その日が悲しい告別式の日となってしまうなんて、なんと悲しい運命なんでしょう。
K子ちゃんは、晴れ着となるはずだった花井さんのデザインした着物を着て、天国に旅立っていきました。