あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

「あすか」誌 十二月号 作品鑑賞と批評 

2023-12-07 14:38:15 | あすか塾 2023 令和5 1

 

「あすか」誌 十二月号 作品鑑賞と批評  

 

《野木メソッド》による鑑賞・批評

「ドッキリ(感性)」=感動の中心

「ハッキリ(知性)」=独自の視点

「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ

 

◎ 野木桃花主宰の句「風爽か」から

 

祭笛風土記の杜の黙示とも

 年中行事化している、伝統ある大きな祭を除いて、地方の小さな祭が消滅しつつあるそうです。祭も「風土記」もその地域に生きた人々の実存的記録ですね。その思いを噛みしめたような句ですね。「黙示」は暗黙のうちに意思や考えを表すこと、隠された真理を示すことですね。特にキリスト教で神が人智を越えた真理や神意などを示すという意味もあります。祭笛の調べに天啓のように、そんな思いが沸き起こったというような表現ですね。

家郷へと杖音さやか風爽か

 杖を突いているのは自分ではなく、「家郷」へと向かっているときの、作者の両親の記憶を呼び起こしているような心象表現でしょうか。ひらがなの「さやか」、漢字の「爽か」の重句で郷里の空気の中を歩いている景が浮かびますね。

運動会記憶の中で走る走る

 下五の「走る走る」が臨場感たっぷりですね。ただの記憶の回想ではなく、実際の運動会の様を見ながら、自分の中の記憶が鮮明に甦っているように感じます。

冬日燦素粒子身内抜けてゆく

 「素粒子」は原子物理学の科学用語なのですが、近年、素粒子レベルの話題が身近に感じられるような世相になりました。俳句にこのように詠まれても違和感がないですよね。それどころか、今までの俳句にはなかった、宇宙的時間の中の私たちという存在の、ダイナミックな表現が可能になったのですね。

 

〇「風韻集」から 感銘秀作

 

涼しさや菩薩の指は頬を指す      悦 子

 句の内容からしてこれは弥勒菩薩のことでしょう。弥勒は仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後五十六億七千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされています。(それまでに人類が生きのびていますかね?)弥勒菩薩の頬を指さす象徴的な姿は、思慮深き救済仏としての心象にぴったりですね。

 

鯔飛んでボード小脇にひき返す     美千子

 波乗りをしようしていた海域で鯔が飛んでいて、サーファーは岸に引き返したようですが、その理由が鯔を避けたのではなく、鯔に場所を譲ったという表現のように読めますね。

 

終戦日青空だけが無傷なり       さき子

 明治からの戦争の歴史の中で日本人はさまざまな疵を負いました。そう言わないで「青空だけが無傷」とした表現が詩的で深いですね。

 

菩提寺に猫の遺骨も小六月       みどり

 衆知のごとく菩提寺は、自分の一家または、親族が代々その寺の宗旨に帰依して、先祖の菩提を弔う寺院のことですね。「菩提 」とは「死後の冥福 」という意味です。この句はその家の飼猫も親族の一員としてお墓に入れてもらっているようですね。人間中心主義の近代的思考に毒されない一族の生き方まで伝わる句ですね。

 

忘れえぬ人とゆきあふ星月夜      芙美子

 優美な幽霊譚を詠んだような心象が沸き起こる句ですね。敬愛していた方の御霊に寄せる作者の思いが伝わります。

 

晩夏光大海の北指す小川        市 子

水源地に近い小川の流れを想起する句ですね。壮大な水の循環の中に在る、わたしたち生き物の在る姿へと思念が誘われます。

 

朝顔や絵日記残し娘の嫁ぐ       初 子

 慈しんだ愛娘が嫁いで、実家に遺していった記憶は、親の心の宝ですが、もう二度と帰らない思い出には淡い哀しみが付き纏います。絵日記の朝顔の色合いが目に浮かびます。

 

青組のお弁当色無き風の中       忠 男

 言葉の魔術のような俳味ある句ですね。「青組」という呼称から幼稚園の運動会のさまが目に浮かびます。色とりどりの弁当に「色無き風」という季語を添える技には脱帽します。

 

梅雨の月こちらを異界と見てをりぬ   かづひろ

 視点の逆転、しかもあの世とこの世の視線の入れ替わりで、はっとさせられる句ですね。

 

梅雨寒や一つ階段ふみはずす      糸 子

 寒さで体が縮こまり階段を踏み外してしまったという、有り勝ちな景を「一つ」という語を挟んで表現したことで、ユーモラスな句になりましたね。

 

空気にはなれない二人冷奴       晶 子

 よく「空気のような存在」と関係性の希薄さを表現する言葉がありますが、この句はその真逆で濃密な心的関係が表現されていますね。その二人の間の空気を「冷奴」が取り持っているような、少しおどけたような表現もいいですね。

 

神社なき町に三代祭笛         典 子

 祭のそもそもの起源を知っている人なら、この句の感慨に共感するでしょう。祭にはその精神的な支えとなった神社の存在は欠かせません。この句は神社が存在しない新興住宅街でしょうか。それでも地域住民の心が一つになれるような、祭というイベントが欲しいという思いで始められ、維持されている祭のようです。その時代の変化も視野に入っている深い内容の句ですね。

 

一村を襲ふ百刃いなつるび       游 子

 雷光を「百刃」とした比喩が効いていますね。曇天を貫く無数の火花のような雷光が目に浮かびます。

 

虫時雨一人の夜の流人めく        尚

 現代人の孤独感はよく文学の主題となっていますが、それを心の漂流民のようだとした比喩には冴えがありますね。

 

八月は過去の入口空仰ぐ        安 代

 日本の八月は特別な歴史が刻印された季節ですね。二つの原爆の被曝という国民的犠牲を筆頭に、戦後、それまでの価値観の否定に続く混乱の時代へ突入した転換の八月なのです。下五の「空仰ぐ」に、作者の言うに言われぬ思いが顕れていますね。

 

秋天と海は一枚遠汽笛         玲 子

 玲子さんの自分の思いを過不足なく託した的確な情景描写力が冴える句ですね。無駄な言葉が一つもない大きな景と心情表現ですね。            

 

〇「風韻集」から 印象に残った佳句

 

永き日や余白の刻を海へむく      信 子

家たたむ九十歳は生身魂        光 友

凛とした着物がにあう後の月      一燈子

古井戸の蓋あたらしく梅雨の蝶     チヨ子

新涼や影絵となりし雨巻山       のりこ

太陽に向いて敬礼終戦日        照 夫

繋留の水夫竿持つ鯊日和         健

 

〇「あすか集」から 感銘秀作

 

放棄せし開墾畑や虹跨ぐ         巖

 荒れ畑を跨ぐ虹の美しさが切ないですね。

 

暮れ方の白き風聴く軒風鈴       久 子

 風鈴の音ではなく、「白き風」を「聴く」としたのが効果的ですね。

 

ふり向けば月の手のひら肩にあり    たか子

 月光が「手のひら」のように肩に置かれている、という表現がお見事ですね。

 

水泳のコーチのペディキュア深紅なり  喜代子

 コーチが若い女性であることが、独特の華やぎを纏って表現されていますね。

 

澄む水に瀬音幽けし魚の影       英 子

 中七の「瀬音幽けし」が、趣向があっていいですね。

 

来し方の愚直の透けて稲光       ヒサ子

 自虐的ではなく、しみじみとした感慨を感じる表現ですね。

 

里芋の葉の小さしと言ひ合ひて      稔

 今年は天候の乱れのせいで発育が悪かったのでしょうか。そのことがどうしても話題になる世相が写し取られていますね。

 

障子開け亡夫に見せる十三夜      キ ミ

 無条件にグッとくる句ですね。作者の優しさと孤独感、寂しさがひしひと胸に沁みます。

 

爽やか譲らるる席軽き揺れ       さち子

 下五の「軽き揺れ」という心の繊細な「揺れ」の表現に痺れました。

 

せせらぎを領土としたり群れ蜻蛉    ひとみ

 中七の「領土としたり」という占有感の表現が効果的ですね。そういう自然がそのままずっと続きますように、という作者の祈りのような気持ちが託されているようですね。

 

ひと言の会釈が救ひ秋の雲       都 子

 そういうちょっとした心遣いと所作が失われ、世の中が殺伐としてきていますから、「救ひ」に感じるのでしょう。読者も無条件で共感する句ですね。

 

〇「あすか集」から 印象に残った佳句

 

おおよそてふ幸せの数栗拾ふ      たか子

秋天に安達太良山頂置いて去る     たか子

柚子の香を羨ましと星ささめきぬ    たか子

参拝の手水の作法水の秋        民 枝

虫籠に幼な児そつとカステイラ     民 枝

裏道の風受け止むる秋海棠       き よ

四阿に拾ふ鉛筆つづれさせ       き よ

稲光折れたる先に岬山         照 子

産土神の茅の輪くぐりや家族づれ    妙 子

園児の戯列の乱るる運動会       よね子

村まつり太公望の無言劇         勲

牧柵の白く塗られて今朝の秋      保 子

蝗炒る砂糖多めの父の味        美代子

食卓を文机として暑に耐える      一 青

「ようこそ」の看板朽ちて葛かづら    稔

廃校の真新し里や秋の風        ハルエ

夜の長し手酌の夫の相馬節       静 子

閼伽桶に空ゆらめきて竹の春      富佐子

ふり返る頬のあたりに今朝の秋     幹 一

水青き葉月生れをいつくしむ      真須美

秋日傘やんわり止まるあげは蝶      楓

一人居の広き縁側盆の月        キ ミ

今朝の秋心くすぐる子猫の目      アヤメ

店頭を色どる花束秋彼岸        久美子

遠山の陽射し呑み込む鰯雲       眞 啓

歯科内科眼科通院秋の空        眞 啓

あの家もエコカーテンのゴーヤかな   しず子

仲見世に金龍の舞ひ菊供養       新 二

銀漢や相模の海を跨ぎ行く       トシ子

稔田や陽を照り返す黒瓦         杏

ブギウギで昭和にかえる神無月    林 和子

隣国の兵士の名残り白木槿       初 生

一鍬をふればすとんと秋の暮      涼 代

匂ひ来る秋の空気や供花を切る     綾 子

秋暑しスカイラウンジ少し揺れ   緑川みどり

うつむいて灯す明るさ秋海棠     宮崎和子

細道のカーブの果ての芒原       ひとみ

秋茜いつしか風の向き変はる      都 子

遠山を串ざしにして稲光        けい子

浦風と西日を抱く帆引船        けい子

曼珠沙華ひとの意見に無関心      邦 彦

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あすか」誌 2023年10月号 作品鑑賞と批評

2023-10-14 15:41:50 | あすか塾 2023 令和5 1

 

「あすか」誌 十月号 作品鑑賞と批評  

 

 《野木メソッド》による鑑賞・批評

「ドッキリ(感性)」=感動の中心

「ハッキリ(知性)」=独自の視点

「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ

 

◎ 野木桃花主宰の句「山上湖」から

 

淡海路や波紋のやうに秋の雲

秋涼し軋み鳴きして湖上線

新涼や碧く鎮もる山上湖

遠近に赤とんぼ湧く湖上駅

秋気澄む湖にせり出す湖上線

 

 秋の吟行の旅の連作でしょう。湖上泉とは大井川鐡道井川線ことですね。愛称は奥大井恋錠駅。そこに架かったレインボーブリッジにある駅が奥大井湖上駅です。エメラルド・グリーンの湖に浮かぶ孤島に駅があり、湖とそれを囲む山並みが一望できます。陸の孤島のようで秘境駅の一つに数えられています。その様子を詠まれたこの連作は的確で鮮やかな描出表現で旅情に誘われますね。皆さんも小旅行をされたときは、このような連作を作って記録するといいですね。

 

〇「風韻集」から 感銘秀作

 

落ちてなを華やぎてをり夏椿          金井玲子

 後は茶色に変色して枯れるばかりの落ち椿の花に、それでも最後の輝きを持たせた作者のやさしい視点が心に沁みますね。

 

星の井や風の涼しき切り通し          金井玲子

 「星の井 星ノ井」は鎌倉市坂ノ下にある星井寺の前、極楽寺坂切通にある井戸の跡ですね。「星月の井・星月夜の井」とも言われ、鎌倉の観光名所とされた良質な水が湧いたり、伝説が残ったりしている井戸で、「鎌倉十井」の一つです。満天の澄んだ夜空の星を映しているような心象のある言葉ですね。それをそのまま彷彿とされる詠み方がいいですね。

庭に干すてびねりの壺柿若葉          近藤悦子

 陶芸の「手びねり」とはその名の通り、自分の手ひとつで作っていく技法です。もちろん、道具として手回しロクロを使ったりするのですが、電気やモーターなどは一切使わず、手でひたすら作ってゆきます。その分、端正な形を作るのが難しくなりますが、指跡のゴツゴツ感や微妙なゆがみなどに作り手の個性が出ますね。まるで自分を愛おしむように作者が眺めているようすが微笑ましく浮かびますね。

 

白装束の駆けおる月山大夕立          近藤悦子

 ゆっくりした登山の景ではなく、何やらユーモラスな景が月山という霊山の雰囲気を騒がせているような、面白い一場面を切り取った句ですね。

 

ひとりだけの錨を下ろす夏の芝         鴫原さき子

 自分をとりもどす静かなひとときが、巧みな比喩で表現されていますね。

 

会葬の緑雨の傘をたたみけり          鴫原さき子

 お葬式に参列したときの、悼みの思いが伝わる表現ですね。「緑雨の傘」が見事。

 

うまごやし野面かがよふ風の声         摂待信子

 「野面かがよふ」という古文的な表現に詩情がありますね。

 

父母に詫びてばかりの墓掃除          高橋みどり

 みどりさんは心の繊細な動きを掬い上げるのが巧みですね。

 

村の墓しばし華やぎ盆用意           高橋みどり

 墓場というどちらかと言えば暗くて静かな場所を、まるで楽しいお祭りのように飾る、地域文化が活写されている句ですね。

 

生きるとは若葉照る中そよぐ中         宮坂市子

 市子さんの実存俳句の傑作ですね。

 

薔薇一本選ぶとしたらけふは白         宮坂市子

 薔薇が特別なのではなく、そういう心構えに誘う大切な日なのですね。表現が見事。

 

異次元へ弾けるつもり鳳仙花          矢野忠男

 日常を突き抜けてゆくような表現の句ですね。

 

盆踊り突かけ草履の緒がきつい         山尾かづひろ

 夢中になって楽しく踊っているのが伝わる句ですね。

 

爪紅や透析解かる小半日            山尾かづひろ

 透析治療に医院に通う方の苦労は余人には分かりにくいものですが、その当事者のかづひろさんは、ただ上五に「爪紅」の花を置いた俳句で控え目に表現して、心に沁みますね。

 

麦笛の少年日暮れを引き寄する         稲葉晶子

 「日暮を引き寄する」という表現に詩情がありますね。

 

またたびの白き遠近峠越え           大木典子

 山野の花「またたび」の鮮やかな白、それを旅情に添えて、詩情がありますね。

 

西行の松は何処ぞ梅雨の月           大木典子

 「西行の松」は和歌短歌が好きな人は既知のことばですね。「西行戻しの松公園」が松島にあります。西行法師が諸国行脚の折り、松の大木の下で出会った童子と禅問答をして敗れ、松島行きをあきらめたという由来の地。 この公園は桜の名所で、展望台からは桜と松島湾の景色が一体となった、他に類をみない花見が味わえます。この句の「何処ぞ」は探しているのではなく、そう表現することで回想しているのですね。

 

ところてん終りの見えぬ愚痴を聞く       大澤游子

 「ところてん」のずるずると続いて押し出されるさまを、他人の愚痴を聞く時間のようすに喩えた面白い句ですね。

 

捩れても天指す気骨捩り花          大本 尚

 捩り花は螺旋状の形をしていますね。それを「天を指す」という志向性という意思のようなものを添えた詩的な表現ですね。

 

吾を向くひともとの百合挑むかに       大本 尚

 百合はラッパ状の花で、「鉄砲百合」という名の種類もあるように向かっているような雰囲気があります。それを自分に挑んでいるかのようだと内面的な表現にして詩的ですね。

 

結界に水の匂へり青葉闇            奥村安代

 神社仏閣の聖域の「結界」ということばで、その場の空気感まで取り込んだ表現の句ですね。

 

文机に何もなき日よ月涼し           奥村安代

 デスクワークに勤しんでいる人の感慨を見事に詠み込んだ句ですね。

 

緑雨かな記憶の襞のほぐれ来て         奥村安代

 思い出せず、ずっと気になっていたことが、鮮明に心に蘇って、わだかまりのようなものまで解れて行く様を詩情豊かに表現した句ですね。

 

〇「風韻集」から 印象に残った佳句

 

乱鴬の声の満ちたる能舞台           加藤 健

ねぢれ花幾度母を泣かせしか          坂本美千子

白南風の一番列車人まばら           高橋光友

升席に白地の浴衣艶めけり           服部一燈子

青山河故郷は胸の中にあり           丸笠芙美子

潮の香や風存分に鯉のぼり           村上チヨ子

強風に噴水の腰よろけをり           柳沢初子

植ゑ付けし夏の野菜に添へ木して        吉野糸子

薔薇匂ふ「あすか」創刊六十年         磯部のりこ

菖蒲湯をたててやもめの暮しかな        風見照夫

 

〇「あすか集」から 感銘秀作

 

死をまねて非戦の構へ毛虫翁          小川たか子

 反撃することだけが善なる方法だろうか、非戦の心とは武器ではない方法を選び通すことではないか、そんな作者の「非戦」に込めた想いが伝わりますね。

 

ねぢ花に止まり白蝶線となる          紺野英子

 美しい日本画のような、静謐な時空を捉えた巧みな表現ですね。

 

波乗りの海をなだめる腕かな          高橋富佐子

 「海をなだめる」というスケールの大きな表現が巧みですね。

 

洗はれて洗はれ出づる梅雨の月         滝浦幹一

 繰り返しの巧みな表現で梅雨の月のさまが見事に捉えられていますね。

 

さみしさは枝豆一人でつまむこと        丹治キミ

 寂しさという心情を枝豆をつまむ行為として具象化した巧みな句ですね。

 

寂びてなほ青空恋ふる泰山木          乗松トシ子

 泰山木の姿に自分の心境を巧みに詠み込んだ表現の句ですね。

 

送り火の燃え尽き夫の影を追う         林 和子

 夫に先立たれた人の心の動きを繊細に表現した句ですね。

 

青田風囁き合つてゐるやうに          村田ひとみ

 童話や児童詩のようなやさしい表現で青田風を表現した句ですね。

 

金魚鉢マティスのやうに窓に置く        村田ひとみ

マティスの絵のようだ、とは言わず、「やうに置く」という自分の心の動きに添わせた表現に詩情がありますね。

 

七夕や順繰りの幸噛みしめる          望月都子

 順繰りに巡りくるものにはいろいろある。まず一番大きなものは季節のめぐりだろう。それぞれの季節がわたしたちにみたらす「幸」のことを、この句は詠んでいるのでしょうか。

 

しんがりは昭和一桁登山道           安蔵けい子

 「しんがり」は何かの最後部のことで、この句では登山者の列の最後尾のことのようですから、先に登っているのは自分より若い世代の人たちでしょう。体力が若い人についてゆけなくなった衰えを詠んだ句と解釈できますが、先をゆく後の世代を、高齢者として温かく見守っているような雰囲気も感じ取れる句ですね。

 

〇「あすか集」から 印象に残った佳句

 

ポケットに去年の切符秋の雲          飯塚昭子

猛暑かな日に二リットル二リットル       内城邦彦

縁側に猫の欠伸の涼しさよ           大谷 巖

土用入り地面につぐかに犬の舌         大谷 巖

逢いたくて蛍袋に灯をともす          大竹久子

水打ちて地球の熱を冷ましけり         大竹久子

蘭鋳の尾のふるへ見てときめきぬ        小川たか子

葭簀して街の噂に遠くをり           小川たか子

蝉しぐれ一つ鳴き止み個に帰る         小川たか子

風を呑み風に呑まるる青田波          小澤民枝

点ひとつ又てん一つめだか生る         小澤民枝

熱帯夜三時に朝刊入る音            柏木喜代子

子供らの鉢持ち帰る夏休み           柏木喜代子

荷を運ぶ蟻の一途さしたたかさ         金子きよ

鮎料理皿に残りし美しき骨           木佐美照子

梅雨晴や赤いエプロン六地蔵          城戸妙子

蓬莱壮マンボとフラの夏祭           久住よね子

白鷺や釣人の側ぴつたりと           斉藤 勲

つゆ草のそこだけ残し草を取る         齋藤保子

白芙蓉シネマ歌舞伎の玉三郎          須賀美代子

切り傷の残る額や梅雨明ける          須貝一青

十薬の十字に誓ふ夫のこと           鈴木ヒサ子

時の日の銀ぶら雨の時計塔           鈴木 稔

寝袋の顔出し天の川眺む            砂川ハルエ

五月闇黒船いづこ浦賀の海           高橋静子

尾瀬ヶ原木道染めて大夕焼           忠内真須美

足元に遠慮がちなる藪茗荷           立澤 楓

はたた神百余の鳥居くぐり来て         丹治キミ

向日葵は枯れてなおかつ背を伸ばす       千田アヤメ

煙火音夏の神事の合図なり           坪井久美子

七夕笹野菜売場のかたはらに          中坪さち子

海開きセイバーの赤帽沖に消ゆ         成田眞啓

汗だくの婦警の寸劇特殊詐欺          西島しず子

物売の船の寄り来る川開き           沼倉新二

早口のデビューしたての時鳥          浜野 杏

バタフライ出来て新たな水着買う        星 瑞枝

里山の古民家カフェの一夜酒          曲尾初生

着ることもなき水着ふと出して見る       幕田涼代

半夏生草今日も植田の隙間埋め         増田綾子

蝉の声聞かず抜け殻ばかりなり         緑川みどり

明け易し夢の続きが気にかかる         宮崎和子

恋路めく額紫陽花の坂の道           宮崎和子

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あすか」誌 九月号 作品鑑賞と批評 2023(令和5)年

2023-09-09 15:14:09 | あすか塾 2023 令和5 1

「あすか」誌 九月号 作品鑑賞と批評 

 

《野木メソッド》による鑑賞・批評

 「ドッキリ(感性)」=感動の中心

 「ハッキリ(知性)」=独自の視点

 「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ

 

◎ 野木桃花主宰の句「花野の風」から

 

里山に秋のことぶれ風立ちぬ

 

 「ことぶれ」は事触れ・言触れとも書き、物事を世間に広く告げ知らせることですね。この句の場合は気配としての季節の先触れのことで、こういう古風な言い回しで表現すると詩情がありますね。

 

法師蝉再開発の鎚の音

 

 人間は原野を都合のいいように改造して、人間の領域を広げてきました。「再開発」と詠まれていますから、里山と共存する形での昔ながらの開墾の域を超えた開発がされているのでしょう。ここはそのまま遺して欲しいと思うようなところまで開発の手が入るのを見るのは、あまりいい気分ではないですね。法師蝉のオスは午後の陽が傾き始めた頃から日没後くらいまで鳴きますが、その「ツクツクボーシ」が「つくづく防止」と聞こえてきますね。

 

草稿を手に月光を浴びに出る

 

 俳句の草稿でしょうか。句帖といわずに「草稿」と詠まれているところからすると、依頼された随筆か小論かもしれません。頭だけで考えた理屈の表現になることを避けて、自然の中に一度身を委ねてみようと発心されたような、現場の雰囲気を感じる句ですね。

 

顧みる歳月花野の風となる

 

 自分の来し方を振り返ったとき、その歳月を花野と見立てて、自分がそこを風のようにわたってきたのだ、と思うことができる人が、何人いるでしょうか。野木先生には「あすか」を率いての歳月に、そう思うことのできる確信があるのでしょう。

 

〇「風韻集」から 感銘秀作

 

江ノ電の遮断機閉じて青葉潮          金井 玲子

 

 季語の「青葉潮」から新緑の葉が鮮やかに茂り、海から涼しい風が吹いてくる季節と、鎌倉の海岸に位置する夏の風景が見えます。遮断機が閉じる瞬間、電車の通過が始まる直前の僅かな時間を切り取って、海の輝きが増しましたね。

 

一枚の空に浮きをり花水木           近藤 悦子

 

 「一枚の空」で空を一枚のキャンバスのように表現しています。「花水木」の花は手の平を広げたように咲き、それを歌手の一青窈は「空を持ち上げて」と歌いましたが、悦子さんは「浮きをり」と詩的に表現しました。ひとつのいのちの様として描いて心が共振しているようですね。

 

トルソーの白き鎖骨に緑さす          鴫原さき子

 

「トルソー」フランスの彫刻家ロダンによって制作された彫刻の一つですね。特に鎖骨が際立つ人間の胴体の一部です。具象に見えますが実は抽象的で、美の探求と形の研究に捧げられた作品だそうです。石膏の白い肌に浮かび上がる鎖骨は美の象徴とされています。この句では鎖骨に緑がさすことで美しさが一層際立っていますね。

 

窓若葉書棚に夫のコンサイス          鴫原さき子

 

窓から見える美しい若葉の季節の景と、書棚に収められた夫の、英和、和英どちらかの「コンサイス」という辞書。その並列描写だけで作者の生活観や感受性が伝わります。ちなみに「コンサイス」という語には「簡潔・簡明な」の意味がありますから、知的で清潔な心象も付随する効果がありますね。

 

一握に足る児の五指や緑の夜          高橋みどり

 

 「一握に足る児の五指」という表現は、その小ささの簡潔な表現から、命の掛け替えのなさが心的に立ち上る表現ですね。「緑の夜」という季語は生命力だけでなく、命というものの神秘性をも纏う言葉ですね。これから成長してゆく幼子に対する深い愛情を感じる表現ですね。

 

父の忌や寺領に点る桐の花           高橋みどり

 

 父の忌日で、先ず父親に対する思いを提示して、寺で見かけた桐の花の美しさの表現へと展開されていますね。哀悼の思いと自然の花の美の融合表現が詩的で効果的ですね。

 

少年の瞳まつすぐ新樹光            丸笠芙美子

 

 伸び盛りの少年の邪気のない真直ぐのまなざし。そして季語の新樹光の命の輝きこれ以上のマッチングはないですね。

 

足裏に砂のつぶやく五月かな          丸笠芙美子

 

五月の爽やかな潮風の吹き渡る砂浜。裸足ではしゃぎ駆け回る子供たちの姿が浮かびます。その柔らかな足裏にくっついて跳ね上がる砂つぶも歓喜の声をあげているかのようです。

 

余花の雨黙長ければなほ暗む          宮坂 市子

 

 季語の「余花」の本意は、夏になって若葉の中に咲き残る桜の花のことですね。立夏前の桜が残花、立夏後は余花といいます。地域や高い山などに見られます。農家の方らしい作者の環境に思いがゆきます。雨ふりの期間の長短に関心が向くのは当然のことでしょう。長雨が続くと作物への影響が心配されます。それを「雨長ければ」ではなく「黙長ければ」と表現して「なほ暗む」という下五に続ける思いが伝わります。

 

種おろす地道に鍬をふりつづけ         宮坂 市子

 

 季語の「種降し」は晩春の季語「種蒔」の子季語で、他に「すぢ蒔、籾蒔く、籾おろす」などの言葉があります。稲の籾を苗代に撒くことで、八十八夜(立春から数えて八十八日目)ころに行われます。野菜や花の種を蒔くのは「物種蒔く」「花種蒔く」と言って区別されていますから、この句は稲の方を詠んだ句ですね。季節ごとに違わぬ時期にひたすらそのことを繰り返す直向きさが胸に沁みます。

 

茅葺の規矩を正して柿若葉           矢野 忠男

 

 古風な言い回しの「規矩を正す」。日常会話でも普通の散文でもあまりみかけませんが、それを敢えて使っていることに詩的な情緒が立ち上りますね。物事や行動の基準、手本を正しくすることですが、この句では「正して」いるのは、「茅葺」の屋根そのものか、葺き替えの手順でしょうか。下五でそれを受ける「柿若葉」が効いていますね。茅葺の民家の屋敷に植えられている大きな柿の木まで目に浮かびます。

 

早苗田の水のふくらみ風生る          矢野 忠男

 

 水を張った早苗田の様を「ふくらみ風生る」と詩的に表現できる力は尋常ではないですね。

 

鬼百合の己が重さに耐へてをり         山尾かづひろ

 

 作者の置かれている身体的な負荷の重さの詩的な暗喩表現のように感じます。言い過ぎず、言い足りる省略の文芸である俳句の底力を感じる句ですね。

 

風に舞う初夏の竹林語りだす          磯部のりこ

 

 「今語りだしたようだ」という発見のときめき、現場感があっていいですね。今年竹の瑞々しい真直ぐな姿が目に浮かびます。

 

行く雁や空には空の国境            稲葉 晶子

 

「空から見たら、宇宙から見たら国境なんてどこにもない」という視座で詠んだ俳句はよく見かけます。国境が暴力によって犯されている現今の世相から、鳥たちだって空の国境があって、それを正しく認識して飛んでいるのに、という批評性も立ち上る表現ですね。もちろん、このような評文で鑑賞しなくても、素直に共感できる表現ですね。

 

三社祭早や行列の麦とろ屋           大木 典子

 

 「あすかの会」の句友の間では知らぬ人のいない、典子さんの「祭好き」ですが、必ず三社祭には出かけ、こんな句を詠む方なのです。それも視点が行列の先の「麦とろ屋」。江戸ですね。こんな句は典子さんにしか詠めません。

 

車椅子の犬も鉢巻祭伊達            大木 典子

 

 これも典子さんのお祭り句ですね。車椅子の犬まで神輿を見に来ていて、祭鉢巻きをしてもらっています。下五が「祭伊達」。江戸っ子の犬のようです。

 

この空虚埋める術なし若葉騒          大本  尚

 

 若葉の季語としての本意はやわらかく瑞々しい落葉樹の新葉のことで、そこから立ち上がる心象は、若葉をもれくる日ざし、若葉が風にそよぐ姿、若葉が雨に濡れるさまなど、どれも清々しいものです。しかし、この句は「この空虚埋める術なし」と、心象的に正反対のことが表現されています。反対の景と取り合わせることで、その心情の深さが心に沁みます。

 

岬端に既視感のごと白日傘           大本  尚

 

 上五の「岬端(みさきは・みさきはな)」がいいですね。遠望しているような景に見えます。そしてそこを通っている「白日傘」に、何故か胸が騒ぐような「既視感」を抱いているという表現ですね。ただのノスタルジーを超えた何かが立ち上がります。

 

さみどりに膨らんで来る島の夏         奥村 安代

 

 初夏、どんどん若葉が茂ってゆく島の様を簡潔に詩的に表現した句ですね。

 

生れたての風を絡めて柿若葉          奥村 安代

 

 「生まれたての風」がすばらしいですね。その風は生まれたばかり柿若葉が生み出しているかのようです。

 

〇「風韻集」から 印象に残った佳句

 

青葉して光の渦のただ中に           丸笠芙美子

キューポラの街の変貌つばくらめ        風見 照夫

島涼し懐に抱く朱印帳             加藤  健

豆御飯母とは語る反抗期            坂本美千子

電気柵巡らす唐黍畑の里            摂待 信子

武者飾りを前に自撮りの留学生         高橋 光友

ターナーを架けたる壁の梅雨湿り        高橋みどり

梅雨の街浸水表示五メートル          服部一燈子

揚羽蝶胸をすりぬけ風の中           丸笠芙美子

倒木のあはれ新芽のにほひ立つ         宮坂 市子

若布干す妻の高さに縄を張る          村上チヨ子

朝の陽透けて若葉の溶くるかに         柳沢 初子

田一枚舞台に合唱雨蛙             吉野 糸子

筍を届け筍飯貰ふ               吉野 糸子

女郎蜘蛛お局墓所の見張番           大澤 游子

 

〇「あすか集」から 感銘秀作

 

触れ合うて語り合ふがに美人草         紺野 英子

 

 「美人草」は「虞美人草」の別名で三夏の季語ですね。作者は漢字文字の重い「虞美人草」を避けて、すっきりとした心象を与える「美人草」の方を選んだのではないでしようか。同じところに咲いている仲間たちと談笑しているような心象で詠んだのが独創的ですね。

 

倖せは手の平サイズ小判草           紺野 英子

 

 「小判草」は仲夏の季語で、小さな山野草ですね。緑色のときは他の草かげにまぎれて目立ちません。やがて小判型と色の花実をつけて、少しは目立つ時期もありますが、最後は茶色に枯れてしまいます。この俳句の「倖せは手の平サイズ」よりも小さく指先の爪ほどの大きさですね。結びをそんな、より小さな「小判草」にしたのが効いていますね。

 

手を広げ掴むものなし芋の蔓          須貝 一青

 

 暗喩表現が巧みで、命の寄る辺なさを感じる句ですね。

 

吊し雛国防服の切れ端で            丹治 キミ

 

 「吊し雛」は仲春の季語「雛祭」の子季語の中の「変り雛」の一種。飾られている色々な飾りには、それぞれに意味があります。

 長寿を願う「桃」、魔除けの意味がある「猿っ子」、無病息災の「三角」(昔は薬袋や香袋が三角だったため)を基本として、安産や子宝を願う「犬」、娘に悪い虫がつかないようにとの願いから「トウガラシ」、五穀豊穣の縁起物の「スズメ」、家族の強い結びつきを象徴する「紫陽花」、不苦労と書く「ふくろう」、健やかに成長してほしいという気持ちから「枕」などです。この句では、それを不用になった「国防服」の端切れで作っていると詠まれていて詩情がありますね。

 ちなみに「国防服」という言葉の意味が解らない人も多くなったと思います。昭和十五(一九四〇)年、国民服令が制定され、男性の標準服は国防色といわれるカーキ色の布地でつくられた「国民服」が着られるようになりました。昭和一七(一九四二)年に制定された女性の標準服には、洋服式・和服式・防空着の各種類がありました。このうち、「もんぺ」といわれる防空着は、足首でしぼったズボンのような服で、戦局が悪化すると多くの女性が着るようになりました。これらの総称が国民服ですが、それを「国防服」と、戦のイメージの強い言葉で呼んでいたのです。

 この句は「国防服」ということばを使ったことで、そういう戦争の時代が終わった後の、庶民の安堵感と、特に母親の娘たちの将来の平和を願う気持ちが伝わりますね。

 

梅雨深しめくり癖ある文庫本          村田ひとみ

 

 作者のひとみさんが家の書棚にあった文庫本を読んでいるのか、図書館などの公共の場所の文庫本を読んでいるのか特定できませんが、「めくり癖」がついているのは、自分以外の多くの人が、ページをめくって読んだ、愛されている本であることを示していますね。外は梅雨の真最中の長雨です。心に沁みる名作を読んでいることが想像されますね。

 

カフェに入る夏野の土を靴底に         村田ひとみ

 

 中七下五の「夏野の土を靴底に」で、都会の「カフェ」ではなく、散策のできる野原のある町の「カフェ」であることが分かります。店の名に「喫茶店」ではなく「カフェ」の文字が使われているような、客を迎える特別な店構えなのだろうと思われます。

 

炎帝や人種渦巻く交差点            望月 都子

 

 外国人が多く住んでいる都市の交差点だろうと想像できます。実景ではなく比喩的な表現と解すると、地球自身を暗示している句だともとれます。国家の名での戦争が続いている昨今の世相を背景にして鑑賞すると、上五の「炎帝や」の猛暑感にも特別な感慨が湧く句ですね。

 

〇「あすか集」から 印象に残った佳句

 

しんがりは昭和一桁登山道           安蔵けい子

実梅採る寡黙な父と子でありぬ         飯塚 昭子

直ぐ乾く野良着頼りに梅雨の入         内城 邦彦

明日を待つ月影映す代田かな          大谷  巖

ひと日もと散りし花掃く梅雨晴間        大竹 久子

琵琶食めばびわ色の友眼裏に          小川たか子

指笛に合はす麦笛風となる           小澤 民枝

香を抱き早く実になれ柚子の花         小澤 民枝

マスクする女医の睫の長きこと         柏木喜代子

かみ合はぬ会話に疲れ道をしへ         金子 きよ

称賛の声は馴れっこ薔薇開く          木佐美照子

麦畑風の誘ひで変る色             城戸 妙子

紫陽花や彩づく前の絹の色           久住よね子

風鐸は千古のえにし苔涼し           紺野 英子

添削の朱文字諾ふ月涼し            紺野 英子

母鴨に一列縦隊雛十羽             斉藤  薫

よき風を吹かせ五月の大試験          齋藤 保子

早苗田に雲のいくすじ越の国          須賀美代子

羊飼日の子等が聞きゐる麦笛よ         鈴木ヒサ子

紫陽花や藍のあふるる海の色          鈴木  稔

童女めく母を連れ出す濃紫陽花         砂川ハルエ

野にあれば我が耳飾る百千鳥          高野 静子

我先と色をつくして四葩かな          高橋富佐子

紫蘭咲く市長は私の教へ子よ          滝浦 幹一

ラベンダーの風に呼ばれて居る二人       忠内真須美

厚き雲梔子の香を留めたり           立澤  楓

かりがねや磐梯山が湖に浮く          丹治 キミ

さみしさは枝豆一人でつまむこと        丹治 キミ

うちわ風位牌の夫が微笑みし          丹治 キミ

武者ノボリ山を背負うて一軒家         丹治 キミ

温度計くるいはじめる熱帯夜          千田アヤメ

赤べこに留守をたのんで午睡かな        坪井久美子

登校の緑なる髪更衣              中坪さち子

水温むポアンポアンと鯉の口          成田 眞啓

吾子あやす新米パパや宮参り          西島しず子

父の日の父の似顔絵百貨店           沼倉 新二

緑陰や文庫本閉ぢ風を聴く           乗松トシ子

梅雨晴間日の斑遊ばす大欅           乗松トシ子

大粒の桑の実鴉の知ることに          浜野  杏

コンコース燕滑空口五つ            林  和子

香を放ち十年ぶりの柚子の花          曲尾 初生

縄張りは声届くまで牛蛙            幕田 涼代

遠き日や桐の花見しかくれんぼ         増田 綾子

呼鈴に庭より返事朱夏の朝           緑川みどり

夫病みて梅雨の晴れ間にふとん干す       緑川みどり

吊橋や揺れて薫風身に纏う           宮崎 和子

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あすか」誌2023 年 7・8月合併号 作品鑑賞と批評 

2023-08-03 15:38:51 | あすか塾 2023 令和5 1

「あすか」誌七・八月合併号 作品鑑賞と批評  

 

《野木メソッド》による鑑賞・批評

「ドッキリ(感性)」=感動の中心

「ハッキリ(知性)」=独自の視点

「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ

 

◎ 野木桃花主宰の句「青葉潮」から

 

 今回はすべて「あすか誌60周年記念祝賀会」を題材として詠まれた句ですが、その中から選んだ次の四句も、その題材詠だと特定しなくても鑑賞できる、普遍性のある表現にされていますね。そこがやはり野木主宰の実力です。学びたいものです。

 

欠席の友待つやうに薔薇咲きぬ

 ああ、とうとう今日は「あの人」は参加できなかったなあ、という感慨に薔薇の花束を添えたような詩情のある表現ですね。諸般の事情で欠席であることは事前に解っていた、というケースも考えられます。会員の一人ひとりを大切する結社の主宰ならではの句ですね。

 

今日の日を通過点とし夏の蝶

 

 人生で起こることはすべて、その中の通過点に過ぎない、と言ってしまえばその通りですが、個人的な感慨を超えて、志を同じくする仲間と、この通過点を噛みしめている場面が想像されて感慨がありますね。

 

あふれくるあすかの月日青葉潮

 

 「あ」の音で頭韻を踏んで、リズム感のある表現ですね。弾むような湧き立つ思いの表現にピッタリです。「青葉潮」は日本列島に添って北上する、勢いの盛んな暖流(黒潮)を表わす季語で、その「あふれる」「潮」の心象がなお勢いをつけますね。

 

恙無く宴果てたる首夏の海

 

「首夏」の「首」は「始め」を意味しますので、「首夏」は夏の始まりのことですね。これから勢いの盛んになる「朱夏」に向かう季節です。その時節に仲間と心の絆を深める祝賀の宴を恙無く催せた充実感の伝わる表現ですね。

 

〇「風韻集」から 感銘秀作

 

追憶のふらここの揺れ友のこゑ     奥村安代

 

 親しかった友と、共に過ごした楽しい時、その遠い記憶のすべてが揺らいでいるような郷愁の響のある表現ですね。

 

母子像の丘にいつまで蝶一頭      金井玲子

 

 母子像といえばキリストと聖母マリア像でしょうか。その無上の愛の形を慕うように、いつまでも離れない蝶。作者の想いの暗喩表現とも解せる表現ですね。  

 

咲きみちて一寺を統べる山桜      近藤悦子

 

 山桜に覆われているようなお寺。散文的に言えばそういうことですが、それを「統べる」と文語的に詩情豊かに表現できるのが俳句の力ですね。

 

黄砂降るどこかの戦塵かもしれず    鴫原さき子

 

 ロシアによるウクライナ侵攻のことが脳裡に浮かびます。それを具体的に言ってしまうと説明文になってしまいます。この暗喩的表現が俳句の力で、世界のどこでも起こり得る人間というものの不可解さが投網にかけられたような表現になりますね。

 

フルートを吹く肘高く若葉光      高橋みどり

 

 「肘高く」という造形表現が効いている表現ですね。下五の「若葉光」の季語が、澄み切ったフルートの音が新緑の野に流れていくような情景に誘いますね。

 

辛きとき唄が生まれる田植かな     服部一燈子

 

 田植唄などの労働歌は、その単純作業の身体的な辛さを吹き飛ばし、楽しさに転換する働きがあったのですね。

 

菜種梅雨離ればなれにきくラジオ     宮坂市子

 

 「離ればなれ」が、いろいろな情況を想像させますね。読者によってさまざまな受け留められ方がされると思います。一つの例ですが仕事とか、結婚とかで実家を出た我が子が、同じラジオ放送を別の場所で聴いていて、互いのことを想っている、という状況などです。離れて間もないことが想像されて詩情が深まります。

 

改札の夫婦つばめに発車ベル      矢野忠男

 

 「夫婦つばめ」という呼び方に親しみが込められているように感じる句ですね。駅の構内は広いので、よく燕の巣を見かけます。雄雌交互に餌を運びますが、このとき二羽がたまたま巣の側にいたのでしょうか。「発車ベル」に詩情がありますね。

 

捨て舟に潮の満ち引き鑑真忌      山尾かづひろ

 

 旧暦五月六日が唐招提寺を開いた鑑真の忌日ですね。日本の要請で来日に成功するまで何度も失敗を繰り返しています。「捨て舟」と「潮の満ち引き」がその労苦を思わせる句ですね。

 

春の月ふんはり母の腕の中       吉野糸子

 

 母の腕の中に「ある」または「いる」のは、嬰児でしょうが、月光が「いる」という表現にも解することができて詩情がありますね。

 

花束を地に置くやうに花菫       磯部のりこ

 

 花束を地に置くという行為は、何かの鎮魂と祈りを思わせますね。菫の色がそんな思いに相応しいですね。

 

人の輪のやがて人の和大焚火      稲葉晶子

 

 焚火を囲む単なる人の輪だったのが、真ん中に火を置いて囲む談笑の中で、心身とも温まり、和みの景へと変わっていったということを、俳句で稲葉さんがこう詠まないと出現しない心的景を創出したのがみごとですね。リフレインのリズム感もとてもいいですね。

 

襖絵に義経の秘話春深し        大木典子

 

 鳥越の地に留め置かれ、鎌倉へ入ることを兄、頼朝に拒まれた義経。平家との闘いの功労者だった彼の凋落はここから始まりました。それが襖絵に描かれているのですね。そこをクローズアップしたのが効果的ですね。

 

無限とはまさにこのこと花吹雪く    大本 尚

 

 上五の出だしが哲学的ですが、その「無限」が「花吹雪」の景として詠み切られています。まるで無限に散るかのような目の前の景から、しかしこの景自身が何年も、まるで無限に繰り返されてきているような「時間」の継続を、自分は目撃しているのだという感慨へと深めてゆく表現がみごとですね。

 

〇「風韻集」から 印象に残った佳句

 

一本の樹があれば足る花見酒      風見照夫

十字架の墓石の傾ぐ花月夜       加藤 健

行き先は三千世界花行脚        坂本美千代

紅しだれ桜の大樹は吾が齢       摂待信子

花祭ドロップの缶に釈迦の絵図     高橋光友

飛花落花ふいに浮かびし人の影     丸笠芙美子

のどかさや苔寺を訪う杖の音      村上チヨ子

廃屋のいきさつ知らず沈丁花      柳沢初子

忍城を攻める一陣飛花落花       大澤游子

 

〇「あすか集」から 感銘秀作

 

広島は聖地となりて夏兆す       望月都子

 

 やわらかな批判意識をさらりと詠んだのがいいですね。聖地化とは祈りの形式化であって、本当の痛みが伴う、鎮魂の思いは薄らいでしまっているのではないですか、と問うているような表現ですね。

 

青葉冷え古き団地のドア重し      安蔵けい子

 

 新築のマンションは建材が進化して、軽くて丈夫な扉が使われるようになっているようです。一方で築何十年も経った団地の金属性のドアは重く、そのことを詠んで、取り残されているような歴史性が感じられますね。

 

子猫生れ抱く私を温めをり       小川たか子

 

 人が小動物を抱いて温めているのではなく、抱いている人間の方が温められている、という視点の転換がみごとですね。同じ命同士としての絆が生まれているようです。

 

落椿富士の形に身を処して       城戸妙子

 

 落ちた後の椿の花がどうなったのか、それは偶然というものですが、富士山の形になっていることを「富士の形に身を処して」と独特の表現で詠まれています。人生の有終の美を飾ろうとする意思そのものを表現しているようで、味わい深いですね。

 

水音の涼しさに居て盆点前       紺野英子

 

 水音の涼しさそのものの中に居る、という表現がずばり核心を衝いていて見事ですね。

 

残り鴨水尾の一筋かなしとも      丹治キミ

 

 下五の「かなしとも」という伝承語りの口調が余韻の残る表現ですね。孤独、孤立感のようなものが詩情豊かに立ち上ります。

 

マスクとり律儀に老けて夏迎え     林 和子

 

 「律儀に老けて」という独特の表現がユーモラスで、思わず笑みがこぼれる句ですね。

 

人赦す羅漢の伏し目薄暑光       村田ひとみ

青柿や口つぐみたる反抗期       村田ひとみ

 

 一句目、現代の人々が不寛容になっている風潮への批判意識を感じる格調ある表現ですね。二句目、青柿の未熟、反抗期という未熟故の苛立ちと反抗心、といううまい取合せの表現ですね。

 

 

〇「あすか集」から 印象に残った佳句

 

剣道具木蔭に並べつくし摘む       飯塚昭子

アパートの窓に乗出す紙幟        内城邦彦

廃校となりし母校の桜かな        大谷 巖

スーパーに名水あまた夏きざす      大竹久子

新緑や幹はいつでも聞き上手       小川たか子

母へ作るがま口みたいな柏餅       小川たか子

大名の遺す庭園小判草          小澤民枝

友に逢う庭の青紫蘇プレゼント      柏木喜代子

新学期六地蔵ある通学路         金子きよ

海色の一汁一菜新若布          木佐美照子

さくらんぼはにかみ色に出羽の里     久住よね子

懐かしき田植休みや小学校        斉藤 勲

故郷の八十路の集ひ花衣         齋藤保子

天女へと螺旋にのせる文字摺草      須賀美代子

風光るもう登られぬ脚立かな       須貝一青

掌に登りてもらはれゆく子猫       鈴木ヒサ子

茅葺の光る紺屋の松の芯         鈴木 稔

はらからと父母の忌修す薄暑かな     砂川ハルエ

花三分トンネルつなぐ出羽の道      高野静子

田を植ゑる一面鏡の静寂かな       高橋富佐子

いつの句に喃語はどこへさくらんぼ    高橋富佐子

うららかや両手をパパママ歩き初め    滝浦幹一

ハマ帰港残雪の富士歓迎す        忠内真須美

産卵の一粒発見あげは蝶         立澤 楓

園児等のスキップ遊技木の根明く     丹治キミ

母の日は鉢植えかかえ息子来る      千田アヤメ

花は葉にいつもの仔犬と握手する     坪井久美子

テレビより流るる戦争昭和の日      中坪さち子

腐葉土を鋤きこむ花壇に大蚯蚓      成田眞啓

「ただいま」と学童保育春灯       西島しず子

ダービーに一瞬の静寂十万余       沼倉新二

葉桜や蛇行の川の静もれる        乗松トシ子

蛇苺踏まれてならじと赤主張       浜野 杏

木の芽山眼下に被災の海光る       星 瑞枝

町中の小さき森の百千鳥         曲尾初生

五月晴長持唄は兄の声          幕田涼代

石楠花のしなだる百花の光かな      幕田涼代

豌豆の飛び立ちさうな白き花       増田綾子

夏めくやデパート売場の外国語      増田綾子

じやがいもの花の控へ目貸畑       増田綾子

鳶の羽根真下に見えて夏の雲       緑川みどり

花の山亡夫の呼ぶ声空耳か        宮崎和子

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あすか」誌 六月号作品 鑑賞と批評  

2023-06-13 09:30:10 | あすか塾 2023 令和5 1

「あすか」誌 六月号作品 鑑賞と批評  

 

《野木メソッド》による鑑賞・批評

「ドッキリ(感性)」=感動の中心

「ハッキリ(知性)」=独自の視点

「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ

 

◎ 野木桃花主宰の句「永遠なる助走」から

 

永遠なる助走なりけり風光る

 

 永遠なる助走」という言葉には、時間や物事の連続性と常に進み続ける力強い意志が感じられます。「助走」とは準備段階のことであり、目標に向かって力強く駆け出す状態を指す言葉ですね。その状態の持続によって自分と周囲を永遠に輝かせる作用を及ぼすでしょう。

 

静かなるまなざし紋白蝶の空

 

「静かなるまなざし」という言葉の静かで深い思考の表現、そして「紋白蝶の空」という言葉の繊細な優雅さ、その向こうに広がる青い空、この二つの心象をクロスさせて、自らの句世界の心境を表現されたのではないでしょうか。

 

野遊びの子から受けとる石一つ

 

 「野遊びの子」という言葉で、自由で純粋な心を持った子供の姿が浮かびます。子供たちは自然の中で遊び、その日常の中でさまざまな発見や驚きを体験していることでしょう。

その子供から「受け取る石一つ」という言葉には、その童心をまるごと受け止めたという作者の意志が感じられますね。物質的な価値観に溢れる大人世界から束の間解き放たれて、子供達の純真な心的世界に心を解き放っているような表現です。自分にとって俳句を詠むということは、そういう心的作用なのだ、という作者の思いが伝わります。

 

ゆく春の光体となる鳥一羽

 

 自然の中の光に溶け込むように、その一点となって春の空を舞う一羽の鳥。大いなる自然の中の一点にすぎないことを受容するその姿の表現に、かけがえのない一つの命という存在の手応えを感じますね。命の在り方の普遍的な表現がここにあります。

 

穏やかに生きて薄暑の庭に佇つ

 

 平穏な日常を噛みしめて、日々を丁寧に生きる姿勢。次第に夏の暑さが増して、いよいよ自然の命たちの活動が活発になる中、そんな自然の空気感を全身で受け止めて、わたしは今、ここにこうして生きている、という実感を噛みしめている思いが伝わりますね。

 

六十年一期一会の薔薇の苑

 

 「六十年」はもちろん、「あすか」誌創刊六十周年という時間の経過を指しているのでしょう。その中で繰り広げられた会友たちとの「一期一会」。その瞬間瞬間の輝きを表現しているのですね。それを咲き競う「薔薇の苑」に見立てて、壽いでいる句でしょうか。

 

「あすか」路の道は一筋花擬宝珠

 

 俳句結社「あすか」の未来を壽いだ句ですね。その旅路のまっすぐで美しい一本道。その行く手に輝く「花擬宝珠」を配しています。価値観を共有する句仲間と競い合いつつも励まし合い、その未来に輝くものを共視しているかのような表現ですね。ちなみに「花擬宝珠」という言葉は、「あすか」創立主宰「名取思郷」氏の第二句集の名でもあったようです。先達を敬い、その初志を受け継ぐ意志の表明でもあるでしょうか。

  

〇「あすか」誌六月号の同人新作競詠から 感銘秀作  

       ※今月は選評無しの選のみです

 

庭先に今年不作の蕗の薹      磯部のりこ

 

猫だけが通るこの径ふきのたう   稲葉 晶子

 

竹の子を下げて来し友老いにけり  内城 邦彦

 

軽トラの弾んで零す春キャベツ   大木 典子

 

啓蟄や関東ローム動き出す     大澤 游子

 

集まって生きる楽しさ数珠子かな  大竹 久子

 

ふらここに夕日留めし親子かな   大谷  巖

 

思ひ切るために空蹴る半仙戯    大本  尚

 

椅子に垂るる脚音符めく入学式   小川たか子

 

廃校と決まりし窓辺鳥雲に     奥村 安代

 

ぴつたりの名前貰ひし子猫抱く   小澤 民枝 

 

角刈の躑躅の並木今盛り      柏木喜代子

 

初蝶や平和の鐘に撞木なく     加藤  健

 

花ござに稚児の手足の游ぎたる   金井 和子

 

発掘の土を篩ひて木の芽晴     金井 玲子

 

幼子の「あのね」の尽きぬ春のバス 金子 きよ

 

薄紙剥げば引き目鉤鼻春匂ふ    近藤 悦子

 

柄杓にて柄杓を浄む彼岸寺     紺野 英子

 

初蝶の紛れこんだる車間距離    鴫原さき子

 

剪定の枝の切口潤みおり      須賀美千代

 

菊根分夫の物言ひ聞こえくる    砂川ハルエ

 

剪定の音さまざまや高梯子     摂待 信子

 

春灯下辞書引いて読むプーキシン  高野 静子

 

桜湯のほぐれて野辺の風となる   高橋富佐子

 

春景に一礼しての帰郷かな     高橋みどり

 

啓蟄の虫先づ浴びよ娑婆の雨    滝浦 幹一

 

節分や海の町には海の鬼      忠内真須美

 

囀りの小さな庭を大きくす     西島しず子

 

ざわめきは樹々の語らい若葉山   林  和子

 

指先に沈む入日や鳥帰る      丸笠芙美子

 

鳴き砂の音知る足裏うららけし   宮坂 市子

 

光へと誘はれたり初音かな     村田ひとみ

 

単線の走る家並や春装ふ      望月 都子

 

句を杖に重ぬる齢二月行く     柳沢 初子

 

清明の空の広さよ辻仏       矢野 忠男

 

豆御飯ルビー縁なき厨妻      山尾かづひろ

 

〇  同人新作競詠から 印象に残った佳句

 

新緑の哲学の道風と来て      阿波  椿

老木の力出し切る芽立てかな    安蔵けい子

引くたびに軋む小箪笥春の雨    飯塚 昭子

校庭に溢るる児童花万朶      風見 照夫

飛花落花仁王は留守よ吉野山    木佐美照子

春の草やさしく大地摑みゐて    城戸 妙子

常節や浜に漂う醤油の香      久住よね子

尺超への鯉の産卵のぞきみる    齋藤  勲

背伸びして楤の芽たぐる雑木山   齋藤 保子

円卓にガレのランプを謝肉祭    坂本美千代

一里塚大樹となりし山桜      須貝 一青

啓蟄や老老介護の笑ひ声      鈴木ヒサ子

蝶々の影や小さなにはたづみ    鈴木  稔

百年の幹の太さや枝垂桜      高橋 光友

花は葉に墨堤通り静かなり     立澤  楓

雪おろし屋根の下よりピアノ曲   丹治 キミ

犬ふぐりスクラムくんでそこかしこ 千田アヤメ

春の昼どこも満車のパーキング   坪井久美子

亡き友と出合へし句集おぼろの夜  中坪さち子

初登校六年生を先頭に       成田 眞啓

おぼろ月遠く遠くへ救急車     沼倉 新二

磐座の古き注連縄山桜       乗松トシ子

草餅で父母と畠の小昼かな     服部一燈子

「アーアー」と鴉の子育て風纏う  浜野  杏

薙刀の打ち込む気合木の根明く   星  瑞枝

つかの間の少女にもどる初桜    本多やすな

満開の桜の朝に父逝けり      曲尾 初生

身の丈のほどに枝垂れし雪柳    幕田 涼代

子ねずみの菓子屑拾ふ春の昼    増田 綾子

久々にレディスランチ春の昼    緑川みどり

山吹や日の燦燦と光り合う     宮崎 和子

ふんわりと音なき音や春の雪    村上チヨ子

道草の子等春泥を飛び跳ねて    吉野 糸子

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする