【お知らせ】
これまで、一句ごとに鑑賞例を書かせていただいて参りましたが、全句への鑑賞例を書くのは十一月号掲載の作品までとさせていただきます。
「あすか」誌上の「あすか塾」の紙面が2023年1月号から見開き2ページになり、句評は後半の1ページだけになります。そこで取り上げる句のみ、鑑賞文を添える方法になります。
このブログでは、それ以外は、一人一句、評文なしの選出のみという記事になります。
自句への鑑賞・批評を御望みの方は、是非「あすかの会」にご参加ください。
遠方の方でも郵送による投句参加ができます。「あすかの会」へのお問合せは監事さんの、大本尚さんまで。
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あすか塾45
「あすか」誌十二月号作品鑑賞と批評
《野木メソッド》による鑑賞・批評
「ドッキリ(感性)」=感動の中心
「ハッキリ(知性)」=独自の視点
「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ
〇野木桃花主宰の句
平橋の向かう反橋秋気澄む
亡き友へ高野箒の小さき花
あかがねの月に言の葉湧くを待つ
里山の黙解き放つ冬木の芽
夕餉には沈静効果のセロリ買ふ
鑑賞例
一句目、平橋と反橋の対比、遠景と近景の奥行、澄み渡る秋の空気。その景がそのまま読者の心に浮かびます。二句目、高野箒は雑木林などに生えるキク科の落葉低木で、枝は細く分枝して卵形の葉をまばらにつけます。秋には枝頂に白色の頭花を一個ずつつけます。枝を刈って箒を作るのでこの名があります。古名タマボウキ。いつも身の回りを気遣っているような清潔感のある可憐な姿の亡き親友が偲ばれます。三句目、十一月八日の皆既月食では、赤銅色の月が観測できました。言葉を失うような姿で、それを句で詠むことができるまで温めておきたいという気持ちは共感できます、四句目、こちらは沈黙を破って言葉が出たという句ですね。それも春を待つ冬木の芽、詩情がありますね。五句目、確かにセロリの色形と食感には心の沈静効果がありそうですね。
〇 感銘秀句から
「風韻集」
この里の鮭面魂(つらだま)をもて吊らる かずひろ
面魂(つらだましい)とは強い精神・気迫の現れている顔つきのことですね。東北魂そのものですね。
しばらくは手にもて遊ぶ猫じゃらし 典子
野の散策の途中でついつい、無意識に雑草を手折ってしまい、しばらくして野に捨てるという体験はだれにでもあるのではないでしょうか。その雑草が猫じゃらしであるところが、
童心に還ったようでいいですね。
落蟬の飛び立つ形のまま逝きぬ 尚
虫たちの姿にあわれを感じている繊細な心の動きが伝わりますね。
木の椀の中にふるさと芋煮汁 尚
木の椀と芋煮汁でふるさとという郷愁のことばを挟んで表現した詩情のある句ですね。
大いなる声の降りくる花野かな 安代
人知を超えた大いなるものの気配を体感している敬虔な畏怖心に共感します。
秋蝶や迷ひ込みたる絵画展 玲子
秋蝶が迷い込んだところが人工的な美術館の建物の中だった、という表現が斬新ですね。絵画的な心象風景の比喩とも鑑賞できる句で、確かな写生句を大切にしてきた玲子さんの新境地を感じます。
木道を渡り花野の人となる さき子
木道を渡して草花を保護している花野の景ですね。「花野の人となる」という自然に溶け込むような表現がいいですね。
虫の音に闇をゆずりて眠りけり さき子
この句も自然との交歓が詠まれている句ですね。「ゆずりて」という自然に対する謙虚な心に共感します。
癒へし夫雑木紅葉の中を往く みどり
病の癒えた解放感を祝うように「雑木紅葉」という彩で包んであげる作者の細やかな心と愛を感じる句ですね。
灯に遠き柱にもたれ夜の秋 市子
歴史のある古い農家の室内空間の広さを感じる句ですね。居間の方には囲炉裏があって温かい空気に包まれているのに、自分は秋冷の迫る外気に触れる廊下側に座して、季節の移ろいを肌で感じ、噛みしめているかのようです。
石榴ざくろ笑う奴から地に落下 忠男
この巧みでユーモラスな表現に触れて、無条件で読者も笑みがこぼれますね。
「あすか集」
傾ける十字の墓や木の実降る ひとみ
国内では数少ない外人墓地を吟行されたのでしょうか。異国に骨を埋めることになった人たちの屈折した思いを「傾ける十字」と表現して、心に沁みますね。
銀翼や蟷螂鎌を振りかざす 都子
上空の巨大な人造物である飛行機を敵と見做して、地上の小さな命の蟷螂が斧を振りかざして威嚇している、その対比が冴えている表現ですね。人間の比喩とも読める句ですね。
貝合貝桶一対櫨紅葉 静
貝合わせとは平安時代に起源がある遊びの一種で、旧暦の日数に合わせた三百六十個もの貝殻の中から、同じ装飾・同じ形の片割れを探し合わせて遊んでいました。また貝桶はひな人形を飾る際の道具の一つでもあり、江戸時代、大名家の息女がお輿入れするときに嫁入り道具として用意しました。婚家への花嫁行列の際には先頭に立って運ばれたのだそうです。二つの貝桶で一対となるのが常であるとされ、花嫁行列が無事に婚家へ到着した暁には、貝桶を輿入れする家に引き渡す儀式の「貝桶渡し」が行われていました。掲句はそんな日本の古来の風習を詠み込んだものですね。下五が櫨紅葉という外の景を想わせる表現なので、華やぎのある花嫁行列をも思わせますね。
登山者の帽子にたのむ秋茜 昭子
「帽子にたのむ」とはなかなかできる表現ではなく、もうベテランの域のことば使いと巧みな詠みの句ですね。蜻蛉の気持ちに作者が乗り移って詠んでいるように感じますね。
小鳥来る書籍小包小窓付き のりを
今はもう小窓開きにすると書籍小包扱いで料金が安くなる制度はなくなったと思いますので、この句は回想の句でしょうか。地方の書店には置いていない書物を注文して、手元に届くにはとても時間がかかっていました。だから本が届いたときの感慨はひとしおでしたね。
掃苔や父祖の歴史をなぞり読む 巖
掃苔は墓掃除のことですね。墓石の苔を落しながら、父祖の生きた時代のことを「なぞり読む」思いになっているのでしょうか。詩情豊かですね。
歩け歩けニ百十日をやり過ごす 悦子
立春から数えて二百十日目、今の陽暦で九月一日ごろ、台風襲来の時期で、稲の開花期にあたるため、昔から二百二十日とともに農家の厄日とされています。その厄日を自分にも降りかかる厄災のように引き付けて、それをやり過ごすために「歩け歩け」と自分を鼓舞しているような表現が面白いですね。
晩秋やたまゆら美(は)しき遊歩道 英子
たまゆらは草などに露の置く様の古語ですが、このことばには他に、勾玉同士が触れ合って立てる微かな音(玉響)の意味と、そこから転じて、「ほんのしばらくの間」「一瞬」「かすか」の意味も含み持つことばです。掲句は葉の上の美しい水滴につかのまの美を、古語の響を使って表現した句ですね。「はしき」という古語の言い回しも効いていますね。
〇 印象に残った佳句
「風韻集」
秋深し繰返し読む忘備録 糸子
目を閉じて色なき風を身の内に のりこ
七変化吾の時間も濃淡に ユキ子
星飛んで山国の闇ことさらに 晶子
秋暑し井戸端会議の国葬論 游子
心弾く水琴窟や初もみぢ 健
無造作に剥いてくれよと長十郎 美千子
風集ふ身の丈ごしに咲く紫苑 信子
初霜や小鳥の声も消えにけり 一燈子
月代の闇にこぎ出す櫂の舟 芙美子
萩の風庭に出したる男下駄 チヨ子
路線バス霧追ひかけていろは坂 初子
「あすか集」
風鈴の音が取り持つ縁結び 初生
朝刊の一面二面そぞろ寒 涼代
白萩や終点見えし長き旅 綾子
新涼や藪を飾りし仙人草 みどり
虫の音が迎えてくれる家路かな 和子
床下にけものの気配十三夜 けい子
ポストには朝刊夕刊稲の秋 邦彦
朝顔の種採る媼卒寿なる 久子
冬瓜やのつぺらぼうの顔をして 民枝
足枷の続く秋霖シャッター街 照夫
一水の流れに透ける秋灯 きよ
雲間より吾に見せむと後の月 照子
早世の弟ひとり望の月 妙子
青き空今年の鰯やや小ぶり 勲
単線を乗り継ぐ先の秋深し 保子
利酒の猪口のうずまきまわりだす 美代子
名月の虚空を渡るひとり旅 一青
星飛んで裏山の森闇深し ヒサ子
妻が植ゑコスモス畑の庭となる 稔
蔦紅葉からむ落葉松真すぐなる ハルエ
虫の声やこゑにして読む方丈記 静子
糸瓜料理ミャンマー人に教えられ 光友
秋夕焼山びこさがす幼かな 富佐子
野良猫の人に寄り来る夜寒かな 幹一
菊膾母の色どり香りたる 真須美
蟷螂としばし目の合う産卵後 楓
丈合はぬ外湯めぐりの宿浴衣 キミ
黄カンナの次々開く風少し アヤメ
わが眼にはゆがんで映る望の月 久美子
すすき野の風は光の波に消え 眞啓
秋日和酒交わす羅漢さん しず子
ゆっくりと急いでゆけと鯛焼屋 憲夫
空缶の二つぷかりと秋出水 新二
華やぎて咲くも翳ある彼岸花 トシ子
稲雀飛び込む大樹あるを知る 杏
月上る天に一つ地に一人 和子
大楠の啼くや寒禽抱く朝 福男
一人居の金魚の鉢に水そそぐ 瑞枝
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「あすか塾」44 11月-2
「あすか」二〇二二年十一月号の鑑賞・批評の参考
◎ 野木桃花主宰句(「撫子の花」より)
月見草夜明けの海のおもほゆる
夕さりの撫子の花母の花
高みへと顕となりし烏瓜
十三夜人恋しさの募る駅
【鑑賞例】
一句目、夕方開く月見草から、海の暁光への発想の跳躍がすごいですね。二句目、暮れなずむ光の中、撫子に亡母への思慕を表現して詩的ですね。三句目、烏瓜のどこか寂し気な朱、一つだけ木の高いところにぽつんとある孤高感を捉えた表現ですね、四句目、人の気配の少ない駅の景が浮かびますね。十三夜のまだまん丸になっていない月との取り合わせが絶妙ですね。
〇 武良竜彦の九月詠(参考)
人斬らぬ名刀の黙鵙の贄
(自解)(参考)
武器を持っていること自身に、それを使いたくなる危うさがあります。防衛力の歯止めなき増強の 危うさと緊張感を詠んだつもりです。
2 「あすか塾」44 11月-2
野木メソッド「ドッキリ」「ハッキリ」「スッキリ」による鑑賞
※「ド(感性)」=感動の中心、「ハ(知性)」=独自の視点、「ス(悟性)」=普遍的な感慨へ。
この三点に注目して鑑賞、批評してみましょう。この評言を読んで自分の句のどこが良かったのかと、発見、確認をする機会にしてください。
◎「風韻集」作品から
あざなえる白衣の闇をすけて秋 矢野 忠男
「あざな(糾)える」は文語動詞「あざなふ」の命令形+完了を表す文語助動詞「り」の連体形。「あざなふ(糾う)」は「糸をより合わせる」「縄をなう」を意味ですから、この句は「白衣」と「闇」を撚り合せているようなイメージの表現で、自分の病の不安に揺れる気持ちが伝わりますね。
見栄切つたまま着せ替えの菊人形 山尾かづひろ
菊人形の花の着せ替え作業をしている景ですね。骨組みを顕にして見栄を切っている姿を切り取った、どこか諧謔味のある表現ですね。
祝宴の席に居並ぶ生身魂 吉野 糸子
長寿を祝う席に居並んだお年寄りの、多様で個性ゆたかな姿が浮かびます。
黒雲の迫りみんみんぴたと止む 磯部のりこ
自然のなかの小さな生き物たちの、本能的な感度のよさへの感嘆ですね。
片減りの靴夏草の匂いして 伊藤ユキ子
この夏、活動的に方々に出かけたのでしょう。その証としての靴の片減りを切り取った切り口が冴えていますね。
筑波嶺の古代の色へ夕焼くる 稲葉 晶子
近代化よる大気汚染の累積で変わってしまった点も多いでしょうが、あの夕焼空の茜色は、古代のままで、古代人はどんな思いで見ていたのでしょう。自然への真直ぐな畏怖心に満ちていただろうと思います。この句はそんなことも想像させますね。
正直に生きて高きへ揚羽蝶 大木 典子
その軽々とした飛翔感は、自然に対してあるがままに「正直」に生きた証でしょう。
雑草も室礼として蛍草 大木 典子
室礼はしつれいではなく、しつらい。つまり平安時代、宴や儀式などを行うハレの日に、寝殿造りの邸宅の母屋や庇に調度類を置いて室内を装飾する意味の言葉ですね。その調度のひとつに雑草も加えたという視点がすばらしいですね。下五の季語の「蛍草」も効いていますね。
秋蝉の終の一声置く夕べ 大澤 游子
「一声置く夕べ」と言う表現に深い詩情が立ち上りますね。しみじみとした哀感があります。
何時の間に蟻の門渡り夕厨 大本 尚
迷惑がっている響ではなく、どこか生きものたちへの慈しみを感じる表現ですね。
追伸にやうやく本音流れ星 大本 尚
手紙の本題として書こうして書けなかったことが、別件のご挨拶的な文を書き連ねた後、その余韻のように、やっと本音を添える形で書けたという、心理の揺れが表現された句ですね。
秋蟬や終の命を手秤りに 奥村 安代
下五の「手秤りに」と、包み込むような表現に命への慈愛を感じますね。
いつの間に空に奥行き終戦日 奥村 安代
気象的に読むと、それまで分厚く垂れこめていた雨雲が切れて、青空がのぞいたのかもしれません。戦後の紆余曲折の果てという心境が込められているのを感じますね。
龍潜む淵に見えたる父の影 加藤 健
この上なき亡父への追悼表現の句ですね。
海光へ向かふ抜け道風涼し 金井 玲子
まっすぐで力強い、夏の日差しと空気感が捉えられている表現の句ですね。
ジャズ流す白の眩しき海の家 金井 玲子
確かに海の家には白とジャズが似合います。
地続きにちちはは在す庭花火 坂本美千子
心の「地続きに」、という深い追慕の表現ですね。庭でやっている花火の取り合わせに詩情がありますね。
遠くから風見えてくる秋桜 鴫原さき子
上五の「遠くから」は見事な表現ですね。この一言で秋の遠景から近景までの空間性が句に呼び込まれて、その広大な野の中で揺れるコスモスの姿が浮かびます。
追伸は森の奥からつくつくし 鴫原さき子
法師蝉の声を「森」という自然からの通信、しかも「追伸」としたのが詩的ですね。
タラップをつなぐ鎖の光る秋 攝待 信子
この一点集中の切り取り表現が効果的ですね。逆にそこから周りのすべての景が想像されます。
瓜の馬ひとつ位牌に父と母 高橋みどり
盂蘭盆会の「瓜の馬」と、仲良く並んでいる父母の位牌を、「ひとつ」で結びつけて、その両方に掛っている巧みな表現の句ですね。相次いで他界された両親への思慕の情が伝わります。
吾亦紅差して母の忌陽の淡く 高橋みどり
「差して」なので、吾亦紅の可憐な花を花簪にしてみた、という景でしょうか、亡母へ思慕の詩的表現の句ですね。
女郎花咲き終えてなお凛と立つ 服部一燈子
人生的な比喩を感じる表現の句ですね。
地図になき女の小径藤袴 本多やすな
女性独得の人生の道筋というものがあり、そこには先を見通せる地図のような見取り図はない、という思いの句ですね。季語の「藤袴」の取り合わせが効いていますね。
ひぐらしや橋には橋のものがたり 丸笠芙美子
人には人の物語があるのは当然ですが、この句は詩情豊かに「橋」にも物語があると詠みました。
入相の鐘秋蝉の鳴きやまず 丸山芙美子
入相の鐘(いりあいのかね)は日暮れ時に寺でつく鐘、またその音のことです。晩鐘ですね。夜は鳴かない蟬たちがその日の最後の声を振り絞っているかのようですね。
畝立てる一ㇳ鍬ごとに玉の汗 宮坂 市子
その農作業の現場に立ち会っているようなリアリティのある表現ですね。カタカナの「ト」が鍬の形に似ていて趣がありますね。
八十路まだ明日の希望種を取る 宮坂 市子
種を取るという作業自身にこめられた、未来への思いが伝わりますね。八十路の身とはなったけれど、という思いも伝わります。
風鈴市印半纏靡きおり 村上チヨ子
印半纏を着た人が、街中で風鈴を売っているような、江戸情緒を感じさせる句ですね。
悠久の時をめぐりて神の滝 柳沢 初子
滝の落下し続ける水の流れに、悠久の時の流れを感受した句ですね。
◎「あすか集」作品から
庭下駄に亡父の足形ちちろ鳴く 星 瑞枝
履いていた人の足形が遺るほど、長年履かれていた庭下駄でしょう。季語の「ちちろ鳴く」と合わせて、敬慕の情が伝わる句ですね。
折鶴の重ね連なる原爆忌 曲尾 初生
広島の原爆記念公園には、全国から寄せられる折鶴を展示する所があります。今もそれは途絶えることがありません。この句はそれを踏まえつつ、その祈りが続いていることを表現した句ですね。
苦瓜の棚ごとゆすり風去りぬ 幕田 涼代
蔓が棚と一体化している様を巧みに表現した句ですね。
合掌に始まるヨガや涼新た 増田 綾子
東洋の心身鍛錬には修行のようなところがあり、礼と型を重んじます。その気持ちと「涼新た」が響きあっている句ですね。
山門をしずしずくぐり観蓮会 緑川みどり
「しずしずくぐり」に、蓮見に向かう、ちょっと荘厳な気持ちが現われていますね。
草原は我等の陣地ばったとぶ 宮崎 和子
野の飛蝗に憑依して、その心意気を表現した句ですね。
消せぬ悔いひとつ銀漢仰ぎをり 村田ひとみ
何度も思い出して、ゆっくりその「悔い」が薄らぐものと、ますます後悔の情が深まるものがあります。少しオーバー気味に「銀漢仰ぎ」と表現したことに、その気持ちの深さが現れていますね。
いつの間に私だけに花野道 村田ひとみ
仲間とはぐれたのか、夕暮れてきて人がいなくなったのか、いずれにしろ、花野の花たちの方に気持ちが向かっていた作者の没入感が現れている句ですね。
艶やかや闇夜の底の虫の声 望月 都子
虫の音に風情を感じたり、ましてこの句のように「艶やかさ」を感じるのは、日本人だけの繊細な感性のようですね。
黄揚羽の羽化見届ける狭庭かな 阿波 椿
自宅の庭で黄揚羽の羽化を見守っていたときの、愛おしむ気持ちが「狭庭」という言葉に込められていますね。
赤とんぼ村に一つの信号機 安蔵けい子
上五の「赤とんぼ」と中七下五の「村に一つの信号機」の取り合わせが効いていますね。それだけで小さな町の雰囲気が伝わります。
浴槽に鯉を放ちて池普請 飯塚 昭子
池普請で池の水を抜いて掃除をする「池浚い」をするために、一時的に鯉たちを浴槽に移したのでしょうか。テレビで「池の水をぜんぶ抜く」という番組が高視聴率を得ているようですが、それを自宅でやっている句を初めて読み、新鮮でした。
敬老日さらりと風の吹いてをり 稲塚のりを
中七と下五の、さらりとした言い切りの呼吸がいいですね。作者の物事に執着しない恬澹(てんたん)とした生き様、姿勢を感じさせる句ですね。
榠樝の実割れば話の解る人 内城 邦彦
生食はできないが酒や砂糖漬け、のど飴などの原料になる。そんな一手間のかかることを厭わぬ者同士の「解り合い」を阿吽の呼吸とするのがいいですね。
夏惜しむかに風鈴の小さく鳴る 大竹 久子
この感度の高い繊細な感性と表現力に関心させられました。
秋冷や一枚羽織りポストまで 大谷 巖
上着を一枚増やしたくなる秋気の実感的表現がいいですね。
絵日記に泣く日笑ふ日鳳仙花 小澤 民枝
自分がつけた絵日記ではなく、子供か孫のものを見たときの思い出でしょうか。家族の喜怒哀楽がそこに詰まっていたようです。
コオロギに騙され夜道違へたり 風見 照夫
思わず蟋蟀の鳴き声に魅かれて行ってしまったのでしょうか。それを「夜道違へたり」と表現してユーモラスですね。
帰省子の濃きひげ太声祖父似なる 金子 きよ
思春期の子供たちの成長と変化に驚くべきものがありますね。一学期という短期を経て再開したときなど、その変化ぶりがよく解ります。加えてそこに隔世遺伝の兆しを見出したという感慨句ですね。
雲間より菩薩の気配望の月 木佐美照子
満月の神々しさを纏う光を表現した句ですね。
完熟の音のバギッと西瓜切る 城戸 妙子
熟れきって実がパンパンに膨らんでいる西瓜に、包丁を入れた時の音を「バギッ」という独特のオノマトペで表現したのが効果的ですね。
松蟬や地上に出れば令和の代 近藤 悦子
セミの一生は、幼虫七年+成虫七日=七年七日程度と言われています。今年は令和四年ですから、今年の蟬は平成生まれなのですね。それを俳句で巧みに表現しました。その間の人間社会はどうだったのか、という批評性を背景に感じる句ですね。
右肩にたかぶり残る祭あと 近藤 悦子
神輿の左側の人は右肩で、右側の人は左肩で担ぎます。特に「右肩に」としたことで、神輿の担ぎ手のそんな姿が浮かぶ、簡潔にして的確な描写表現ですね。
茶会終へ折山弛ぶ扇置く 紺野 英子
茶会の独特の所作で行う、その場の空気が感じられる句ですね。扇の「折山」が「弛ぶ」という繊細な表現が効果的ですね。
積み上げて銘柄競ふ今年米 斉藤 勲
新米の季節の店頭でよく見かける景ですね。上五の「積み上げて」から「銘柄競ふ」と流れるように詠んだリズムがいいですね。
変身の友に驚く休暇明 斎藤 保子
長い休暇明けに、変身した友人に驚かされているのでしょう。休暇というものが人それぞれの時間であったことへの感慨も込められている句ですね。
つまべにやつくづく五指を広げ見る 須賀美代子
つまべに【爪紅】を季語として使っているので植物の鳳仙花の別名のことでしょう。でもこの言葉に女性の化粧で指の爪に紅を塗る意味もありますね。子供の遊びで鳳仙花の花弁を潰して爪にしばらくつけて、ほんのりピンクに染める遊びがありました。大人になった自分の五指をそんなことも思い出して見ているのでしょうか。
手の作る影絵の妖し秋の夜 須貝 一青
子供たちといっしょになって、そのひと時を楽しむ影絵ですが、そこに何やら「妖しさ」を感じているのですね。怪しいのではなく、どこか妖艶さを感じているのが独得ですね。
工作の椅子諸手で抱き休暇果つ 鈴木ヒサ子
丁寧に愛おしむように、あれこれ工夫してやっと完成した、という思いのこもる表現ですね。
朝顔のすつくと立つや日を溜めて 鈴木 稔
下五の「日を溜めて」が詩的ですね。蔓型の植物でから「すつくと」は立たないのですが、丁寧に支柱を添えてやって育てたのですね。
墓洗ふいつもの手順親ゆづり 砂川ハルエ
墓参して墓石を洗う手順も親から学んだものだという感慨を素直に詠んで、亡き親への思慕を表現した句ですね。
吾妻嶺や浄土へ続く蟻の道 高野 静子
吾妻嶺は銘酒の名ではなく、山形県と福島県にまたがって東西に伸びる火山群吾妻山のことでしょうか。、二〇三五mの最高峰・西吾妻山を含む「吾妻連峰」とも呼ばれる連山でしょう。夏の季語の「蟻の道」を登山客の行列に見立てて、その先に浄土を幻視しているダイナミックな句ですね。
古民家の厨に残る渋団扇 高橋 光友
古民家の構え、厨の佇まい、そして渋団扇と、ズームアップしてゆくような表現が効いていますね。
振り向けば秋色やさし亡夫の椅子 高橋冨佐子
上五の「振り向けば」が詩的ですね。夫はもういないが、振り向けばいつもそこに居て、自分を見守っているかのような気配を表現している句ですね。
父の笛なくてはならぬ在祭 滝浦 幹一
在祭は秋季に行なわれる祭で、地元で守られているものですね。父がその祭囃子の笛の名手だったようです。伝統を守る故郷の雰囲気を感じますね。
今朝の秋海から届く風を聴く 忠内真須美
下五の「風を聴く」が詩情があっていいですね。まるで海からの音の便りのようです。
あじさいのドライフラワーとして生きる 立澤 楓
ドライフラワーはその色彩が残るように保存されます。この句はそれを第二の人生のような比喩として詠んでいるような味わいがありますね。
忘れえぬ夫との時間こころぶと 丹治 キミ
間食に夫婦でよく心太を召し上がっていたのでしょう。三杯酢と和辛子の味といっしょにその記憶が鮮明に心に刻まれているのでしょう。
虫の声ささやきあって朝になる 千田アヤメ
夜もすがら、まるで囁き交わしているような虫の音を堪能していたのでしょうか。ゆったりとした時間の流れと心のゆとりを感じさせる句ですね。
熊蝉のエンジン全開バテ知らず 坪井久美子
まるで何馬力もあるエンジンを積んでいるマシンのようだ、という比喩が独創的ですね。
旅の宿一輪挿しの花芒 成田 眞啓
花芒の一輪挿しを客間に飾ってある宿、風情がありますね。
ヘブンリーブルー新種の並ぶ朝顔市 西島しず子
直訳すると天国の青。なにかと思ったら朝顔新種の名前なのですね。爽やかな朝市の景がうかびます。
もう犬のいない犬小屋赤蜻蛉 丹羽口憲夫
愛犬を亡くすと、しばらく犬を飼えなくなる人が多いようです。この句はそんな深い喪失感の表現のようです。季語の「赤蜻蛉」の取り合わせが効いていますね。
ひまはりやまた読み返すトルストイ 沼倉 新二
ロシアのウクライナ侵攻のせいで、ウクライナ名産の向日葵が戦争と平和の象徴になりました。そこからトルストイの名作の読み返しという内面的な表現に掘り下げた句ですね。
落蝉の骸をそつと手に包む 乗松トシ子
「そつと手に包む」に作者の優しく温かい心根が感じられますね。
震災忌賞味期限を確認す 浜野 杏
大震災の体験は、防災備蓄品についての意識が高まるきっかけにもなりました。定期的に賞味期限を確認しないと無駄になります。それが慣習になることはいいことですね。
来し方やお薄泡立つ夏茶碗 林 和子
「お薄」は薄茶を丁寧にいうときの言葉で、茶の湯で用いる抹茶の一種やこれを用いた点前。一般に濃茶よりもタンニンの含有量が多く少し苦みや渋みがあります。「来し方」の苦い思い出が甦っているのでしょうか。
子別れの鴉の声を聞き分ける 福野 福男
鴉にも子育てと子別れの時があるのでしょうか。この句はその様子の声色の違いを敏感に聞き分けている感度の高い表現ですね。