あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

「あすかの会」2022年-2

2022-11-27 09:22:52 | あすかの会 2022(令和4)

 

「あすかの会」十二月の秀句から 兼題「断 引」 

 

◎ 野木桃花主宰句

少年のふつと白息弓を弾く

危ふきはよもつひらさか夜半の雪

【鑑賞】

 一句目、冬の寒気と少年の白息。矢を射る直前の緊張感が伝わる表現ですね二句目、吹雪の視界の危うさと、冥界に引き込まれそうな命の危機感を投影した表現ですね。

 武良竜彦句(参考) 

枯れてゆくものみな深きかほを見せ

身の量(かさ)を消して枯野の風となる

 十二月の舞岡公園吟行のときの予備句をそのまま「あすかの会」に投句したものです。久々に自分にも吟行句が作れることを体験しました。

【自解】

☆ 野木桃花主宰特選句

大根引く男の背負う地平線        さき子

 三浦半島の大根畑なら下五の景は太平洋の水平線でしょうが、この句では、「男が背負う」のは「地平線」の重さですね。

☆ 武良竜彦特選句

霜柱育ててをりし夜半の月        悦 子  

 冬の凍月の月光が霜柱を育てたのだ、という表見が詩的ですね。

◎ その他の秀句から

心ひらくまでの長さよ冬薔薇       さき子

落葉して木々の瞑想始まりぬ       さき子

 さき子さんの心情投影的造形俳句の見事さは一流ですね。一句目の時間、二句目の内面性の表現。脱帽です。

落葉踏む土塁の底より武者の声      悦 子

 これは世阿弥の夢幻能のような句ですね。ある場所に纏わる歴史的な記憶を呼び寄せるように、過去の死者の魂がいっとき甦る場面のようですね。

スケボーや冬青空を引き回す       典 子

活断層の上にわが町冬ぬくし       典 子

 一句目、超難度の空中技が青空を背景にして目に浮かぶ表現ですね。二句目、この不気味な危機感と、それでも淡々と日々の暮らしはある、という下五の表現の対比がいいですね。

冬の雨錆びつく蔵の大引戸        市 子

榾明り煙草吸う人断ちし人        市    子

一句目、歴史的な風合いを感じる農家の冬の佇まいが見える表現ですね。二句目、屋外で榾火を囲んで談笑している景が浮かび、その中に煙草を吸っている人がいるようですが。いつもは吸っていたのに止めて吸わなくなった人がいたのでしょう。その変化に気付くのは、作者の眼差しが周囲の人に行き届いているからですね。

 日をうけて明日への構え冬木立       尚

しんしんと身ぬちに沈む冬落暉          尚

 一句目、日を受けて陰影を濃くした冬木立に、これからの厳しい季節に対する自分の心構が投影された表現ですね。二句目、眺めているのではなく、美しい落暉を自分の身体に引き付けた表現で、読者にその実感が共有される表現ですね。

淡墨の雲引くかなた冬夕焼        玲 子

決断はあの日夜明けの霜の声       玲 子

 一句目、高く薄く墨を刷いたような冬空の雲、そこに夕焼の朱が微かに滲んでいる景が見える表現ですね。二句目、急に気温が下がり、明け方霜が降りていたという寒気が、逡巡していたことに意を決した契機となったのですね。

枯蔓を引けば大樹のゆれやまず      ひとみ

枯枝でドッジボールのライン引く     ひとみ

 一句目、まるで大樹が自らの意志で揺れているようなダイナミックな表現がいいですね。二句目、昔は原っぱや空き地という子供の遊び場がありましたが、今は皆無に近いですね。そんな空き地遊びの懐かしい一景が浮かぶ表現ですね。

待つといふ静寂にとつと夕笹子      英 子

掻くに埋火の香ほのめけり       英 子

 一句目はまだ整わない鳴き方をしている冬の鴬の声に耳を傾けている状態を「待つといふ静寂」と詩的に表現したのがいいですね。二句目、埋火のほのかな温かさと色合いを「香」で包んで詩的に表現した句ですね。

湯豆腐や恋ともならず寄する箸      のりを

木枯に追はれ追はれて橋渡る       のりを

 一句目、向かい合って湯豆腐を食べた青春時代の思い出の景でしょうか。稔らなかった恋の淡い記憶が湯豆腐といっしょに揺れているようです。二句目、遮る物のない橋で凩に吹かれた寒さが伝わりますね。

ヒーローの引く手数多や冬麗       都 子

断われず一生付き合ふ初昔        都 子

 一句目、二〇二二年のヒーローは誰のことを想定している句がわかりませんが、テレビの年度総括の特集番組で、よく話題になる季節ですね。二句目、関係を断つに断てない間柄の人とのことでしょうか。「初昔」とは本来は大晦日の夜を指す言葉でもありましたが、今は元日になってから前年を振り返る意味で使われています。回想、総括の意味合いのある季語と取合せた旧知の人との関係の述懐でしょうか。

 

 

「あすかの会」十一月の秀句から 兼題「線 荒」 

 

◎ 野木桃花主宰句

短日の闇を引き寄せ五能線

谷から谷へ秋風通わせ送電線

【鑑賞】

一句目、五能線は、秋田県能代市の東能代駅と青森県南津軽郡田舎館村の川部駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線ですね。海沿い、田園地帯、りんご果樹園と移り変わる窓外の景に旅情があります。掲句は中七「闇を引き寄せ」で夜行と冬景色らしい厳しさが感じられますね。今月の句会の最高得点句でした。二句目、高架送電線が秋空を背景に谷から谷へ渡されています。その細い線に沿って秋風も渡っている、澄んだ空気感が伝わりますね。

 武良竜彦句(参考) 

廃線のかなた根の国帰り花 

荒ぶるはスサノオの魂十一月

【自解】

 一句目、役目を終えた廃線は今、見えない魂を根の国に運んでいるのかも知れません。二句目、兄弟喧嘩になって姉が納める高天原を壊して荒れ狂ったスサノオの息吹を感じる十一月の空気です。

☆ 野木桃花主宰特選句

廃線の鉄路まつすぐ枯野断つ    市子

 枯野の色と共鳴するような廃線の赤錆びた直線。侘しさと寒気の厳しさが伝わります。  

☆ 武良竜彦特選句

長き夜やG線上のアリア沁む    みどり

『G線上のアリア』は元々バッハが作曲した『管弦楽組曲第3番ニ長調』の第2曲「エール (Air)」を、ヴァイオリニストであるウィルヘルミがピアノ伴奏付きのヴァイオリン独奏のために編曲したものの通称で、ニ長調からハ長調への移調を行ったために、ヴァイオリンの4本ある弦のうち最低音の弦、G線のみで演奏できることに由来する通称です。掲句は一弦で弾く長く途切れない旋律を、上五の「長き夜」に呼び込んで詠んだのですね。

◎ その他の秀句から

冬囲かく新しき荒筵        市子

稜線をたどれば故郷冬没り日     〃

 一句目、「かく」・・・「このように」という言葉に、万感の思いを込めて詠まれていますね。二句目、山のあの稜線を辿った先がわたしの故郷、という望郷の思いを込めた表現ですね。

くべながら呟くことば落葉焚    みどり

 「くべる」は漢字では「焼る」「焚る」とも書きますが、すでに火は燃えているところに、あらたな材を補充するときに主に使われることばですね。その含意もあって、掲句の呟くように漏れる独語の趣を深めていますね。

黄葉散るカーブに軋む荒川線     尚

まず一献べったら漬を厚く切る    〃

 一句目、荒川線は、東京都荒川区三ノ輪橋停留場から新宿区早稲田停留場までを結ぶ路線で、かつて東京都23区内を中心に40路線を展開していた都電路線が廃止された後、唯一現存する路線ですね。愛称は「東京さくらトラム」。黄葉散る中を、車道と同じ地面のカーブを、車輪を軋ませて走る姿に詩情がありますね。二句目、「厚く切る」の措辞で作者の心の趣が伝わります。

乾鮭や荒塩すでに円びたり      典子

冬晴や緩きカーブの高架線       〃

 一句目、乾鮭(からざけ)は塩引鮭を一晩冷たい流水に浸し陰干しにしたもの。北国の特産ですね。荒塩は海水を原料に作った塩で,塩化ナトリウムのほかに微量の塩化マグネシウム,ヨウ素その他の塩類を含み,塩味のほかに独特の味わいがあるために料理などに特に選んで用いられる塩です。掲句は「円(まろ)びたり」という言葉を使って、それが乾鮭に馴染んできた時間経過を取り込んで詠んでいますね。二句目、冬空を背景に見上げる高架線の景が浮かぶ表現が効果的ですね。

来し方は折れ線グラフ日向ぼこ   玲子

廃線のここがふる里枯葎       〃

 一句目、人生の浮き沈みを折れ線グラフに喩えた句で味わいがあります。卑近な例では新型コロナウイルス感染症の感染状況の報道で見慣れていて、みなさんの共感を得た句です。二句目、線路は廃されて枯葎の駅舎となろうとも、その町に住む人にはそこが変わりなき故郷であり続けるという重さを感慨深く詠んだ句ですね。

冬の雷吃水線の大き揺れ      ひとみ

枯枝を落して空の深さあり      〃

一句目、吃水線または喫水線は船舶が水に浮いているときの、船底から水面までの垂直距離を喫水といい、船舶外部のラインのことですね。荷物を積めば積むほど喫水線は上甲板すれすれまで近づき、ある限度以上積込むと船の復原力がなくなり危険です。掲句ではその限界ラインが雷鳴で揺れているという危機感のあるダイナミックな表現の句ですね。ひとみさんはこのように男性的な景を大胆に詠むのが得意です。二句目、葉が散って枝だけの向こうに空が見えるようになった景ですが、これを「空の深さあり」と詩的に表現した句ですね。

大鷹の一直線に来る速さ      さき子

芒原風を迷子にしてしまう      〃

 一句目、実際は空を過っているのを見ているだけでしょうが、それを力強く「一直線に来る」と、自分の方へ向かっているような動態表現にしたのが効果的ですね。二句目、芒原の広さを感じる句ですね。芒が八方に倒れて荒れた風の様子が残っている景ですね。

帰路の今これが夜寒と言ふべきか  のりを

この樹からあの枝木まで鵙の陣    〃

一句目、俳句の「か」は疑問や問いかけではなく、心の中の「そうに違いない」という感慨の表現なのですね。掲句は一段と冷え込みの厳しくなった様を截然と表現されていますね。二句目、鵙が陣を張っているような表現が詩的ですね。キイキイと啼いて自己の存在感を示す鳥ですね。

蹲の水面荒ぶる初凩        英子 

芭蕉曾良渡しのほとり雪ぼたる   〃

 一句目、蹲(蹲踞 つくばい)は日本庭園の添景物の一つで露地(茶庭)に設置され、茶室に入る前に手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたものですね。その水面が初凩で激しく波立って様を切り取った句ですね。

二句目、下五を「雪ぼたる」にしたのが詩情があっていいですね。その舞う中で師弟ふたりが川辺の船着き場に佇んでいるのが見えます。

窓辺なる錫の兵隊神の留守    かづひろ

水の無きプールの枯葉点と線    〃

 一句目、懐かしいですね。錫の兵隊またはブリキの兵隊はヨーロッパの男の子たちになじみであったミニチュアのおもちゃの兵隊で日本でも売られていました。自分で制服や装備品に好みの色をつけて遊んだものです。そんな歴史的な時間を背負って窓辺に佇んでいる景に詩情がありますね。二句目、水のないプールの底の直線、

そこに散乱する点としての枯葉。冬の寒気が視覚化された句ですね。

直線に寄せきて曲線冬の波    悦子

バーコード手首に院内外は冬    〃

 一句目、沖から寄せてきて湾の形に広がる波の形を素直に描写して、その動から静に移ろう姿を捉えた句ですね。二句目、長い入院生活者の、早く治癒して自由に外を歩きたいという思いが伝わりますね。

単線の終着駅に冬菫       都子

星月夜疎遠なる友と夢で会ふ    〃

 一句目、静かな田舎の駅の佇まいを下五の「冬菫」で表現して、味わいがありますね。二句目、もう夢でしか会えないほど距離のできてしまった友。二人の間にある屈折した思いを、遠い星空を仰ぐような気持ちで回想しているのでしょう。

 

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「あすか塾」44 -2  4 5   2022年⑺

2022-11-24 15:57:55 | あすか塾  俳句作品の鑑賞・評価の学習会

【お知らせ】

 これまで、一句ごとに鑑賞例を書かせていただいて参りましたが、全句への鑑賞例を書くのは十一月号掲載の作品までとさせていただきます。

 「あすか」誌上の「あすか塾」の紙面が2023年1月号から見開き2ページになり、句評は後半の1ページだけになります。そこで取り上げる句のみ、鑑賞文を添える方法になります。

 このブログでは、それ以外は、一人一句、評文なしの選出のみという記事になります。

 

 自句への鑑賞・批評を御望みの方は、是非「あすかの会」にご参加ください。

 遠方の方でも郵送による投句参加ができます。「あすかの会」へのお問合せは監事さんの、大本尚さんまで。

 

       ※                   ※

 

あすか塾45

「あすか」誌十二月号作品鑑賞と批評  

 

《野木メソッド》による鑑賞・批評

「ドッキリ(感性)」=感動の中心

「ハッキリ(知性)」=独自の視点

「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ

 

〇野木桃花主宰の句

平橋の向かう反橋秋気澄む

亡き友へ高野箒の小さき花

あかがねの月に言の葉湧くを待つ

里山の黙解き放つ冬木の芽

夕餉には沈静効果のセロリ買ふ

鑑賞例

一句目、平橋と反橋の対比、遠景と近景の奥行、澄み渡る秋の空気。その景がそのまま読者の心に浮かびます。二句目、高野箒は雑木林などに生えるキク科の落葉低木で、枝は細く分枝して卵形の葉をまばらにつけます。秋には枝頂に白色の頭花を一個ずつつけます。枝を刈って箒を作るのでこの名があります。古名タマボウキ。いつも身の回りを気遣っているような清潔感のある可憐な姿の亡き親友が偲ばれます。三句目、十一月八日の皆既月食では、赤銅色の月が観測できました。言葉を失うような姿で、それを句で詠むことができるまで温めておきたいという気持ちは共感できます、四句目、こちらは沈黙を破って言葉が出たという句ですね。それも春を待つ冬木の芽、詩情がありますね。五句目、確かにセロリの色形と食感には心の沈静効果がありそうですね。

 

〇 感銘秀句から

「風韻集」

この里の鮭面魂(つらだま)をもて吊らる     かずひろ

面魂(つらだましい)とは強い精神・気迫の現れている顔つきのことですね。東北魂そのものですね。

 

しばらくは手にもて遊ぶ猫じゃらし  典子

 野の散策の途中でついつい、無意識に雑草を手折ってしまい、しばらくして野に捨てるという体験はだれにでもあるのではないでしょうか。その雑草が猫じゃらしであるところが、

童心に還ったようでいいですね。

 

落蟬の飛び立つ形のまま逝きぬ    尚

 虫たちの姿にあわれを感じている繊細な心の動きが伝わりますね。

木の椀の中にふるさと芋煮汁     尚 

 木の椀と芋煮汁でふるさとという郷愁のことばを挟んで表現した詩情のある句ですね。

 

大いなる声の降りくる花野かな    安代

 人知を超えた大いなるものの気配を体感している敬虔な畏怖心に共感します。

 

秋蝶や迷ひ込みたる絵画展      玲子

 秋蝶が迷い込んだところが人工的な美術館の建物の中だった、という表現が斬新ですね。絵画的な心象風景の比喩とも鑑賞できる句で、確かな写生句を大切にしてきた玲子さんの新境地を感じます。

 

木道を渡り花野の人となる      さき子

 木道を渡して草花を保護している花野の景ですね。「花野の人となる」という自然に溶け込むような表現がいいですね。

虫の音に闇をゆずりて眠りけり    さき子

 この句も自然との交歓が詠まれている句ですね。「ゆずりて」という自然に対する謙虚な心に共感します。

 

癒へし夫雑木紅葉の中を往く     みどり

 病の癒えた解放感を祝うように「雑木紅葉」という彩で包んであげる作者の細やかな心と愛を感じる句ですね。

 

灯に遠き柱にもたれ夜の秋      市子

 歴史のある古い農家の室内空間の広さを感じる句ですね。居間の方には囲炉裏があって温かい空気に包まれているのに、自分は秋冷の迫る外気に触れる廊下側に座して、季節の移ろいを肌で感じ、噛みしめているかのようです。

 

石榴ざくろ笑う奴から地に落下    忠男

 この巧みでユーモラスな表現に触れて、無条件で読者も笑みがこぼれますね。

 

「あすか集」

傾ける十字の墓や木の実降る    ひとみ

 国内では数少ない外人墓地を吟行されたのでしょうか。異国に骨を埋めることになった人たちの屈折した思いを「傾ける十字」と表現して、心に沁みますね。

 

銀翼や蟷螂鎌を振りかざす      都子

 上空の巨大な人造物である飛行機を敵と見做して、地上の小さな命の蟷螂が斧を振りかざして威嚇している、その対比が冴えている表現ですね。人間の比喩とも読める句ですね。

 

貝合貝桶一対櫨紅葉         静

 貝合わせとは平安時代に起源がある遊びの一種で、旧暦の日数に合わせた三百六十個もの貝殻の中から、同じ装飾・同じ形の片割れを探し合わせて遊んでいました。また貝桶はひな人形を飾る際の道具の一つでもあり、江戸時代、大名家の息女がお輿入れするときに嫁入り道具として用意しました。婚家への花嫁行列の際には先頭に立って運ばれたのだそうです。二つの貝桶で一対となるのが常であるとされ、花嫁行列が無事に婚家へ到着した暁には、貝桶を輿入れする家に引き渡す儀式の「貝桶渡し」が行われていました。掲句はそんな日本の古来の風習を詠み込んだものですね。下五が櫨紅葉という外の景を想わせる表現なので、華やぎのある花嫁行列をも思わせますね。

 

登山者の帽子にたのむ秋茜      昭子

 「帽子にたのむ」とはなかなかできる表現ではなく、もうベテランの域のことば使いと巧みな詠みの句ですね。蜻蛉の気持ちに作者が乗り移って詠んでいるように感じますね。

 

小鳥来る書籍小包小窓付き      のりを

 今はもう小窓開きにすると書籍小包扱いで料金が安くなる制度はなくなったと思いますので、この句は回想の句でしょうか。地方の書店には置いていない書物を注文して、手元に届くにはとても時間がかかっていました。だから本が届いたときの感慨はひとしおでしたね。

 

掃苔や父祖の歴史をなぞり読む    巖

 掃苔は墓掃除のことですね。墓石の苔を落しながら、父祖の生きた時代のことを「なぞり読む」思いになっているのでしょうか。詩情豊かですね。

 

歩け歩けニ百十日をやり過ごす    悦子  

立春から数えて二百十日目、今の陽暦で九月一日ごろ、台風襲来の時期で、稲の開花期にあたるため、昔から二百二十日とともに農家の厄日とされています。その厄日を自分にも降りかかる厄災のように引き付けて、それをやり過ごすために「歩け歩け」と自分を鼓舞しているような表現が面白いですね。

晩秋やたまゆら美(は)しき遊歩道   英子

 たまゆらは草などに露の置く様の古語ですが、このことばには他に、勾玉同士が触れ合って立てる微かな音(玉響)の意味と、そこから転じて、「ほんのしばらくの間」「一瞬」「かすか」の意味も含み持つことばです。掲句は葉の上の美しい水滴につかのまの美を、古語の響を使って表現した句ですね。「はしき」という古語の言い回しも効いていますね。

 

〇 印象に残った佳句  

「風韻集」

秋深し繰返し読む忘備録       糸子

目を閉じて色なき風を身の内に    のりこ

七変化吾の時間も濃淡に       ユキ子

星飛んで山国の闇ことさらに     晶子

秋暑し井戸端会議の国葬論      游子

心弾く水琴窟や初もみぢ       健

無造作に剥いてくれよと長十郎    美千子

風集ふ身の丈ごしに咲く紫苑     信子

初霜や小鳥の声も消えにけり     一燈子

月代の闇にこぎ出す櫂の舟      芙美子

萩の風庭に出したる男下駄      チヨ子

路線バス霧追ひかけていろは坂    初子

「あすか集」

風鈴の音が取り持つ縁結び      初生

朝刊の一面二面そぞろ寒       涼代

白萩や終点見えし長き旅       綾子

新涼や藪を飾りし仙人草       みどり

虫の音が迎えてくれる家路かな    和子

床下にけものの気配十三夜      けい子

ポストには朝刊夕刊稲の秋      邦彦 

朝顔の種採る媼卒寿なる       久子

冬瓜やのつぺらぼうの顔をして    民枝

足枷の続く秋霖シャッター街     照夫

一水の流れに透ける秋灯       きよ

雲間より吾に見せむと後の月     照子

早世の弟ひとり望の月        妙子

青き空今年の鰯やや小ぶり      勲

単線を乗り継ぐ先の秋深し      保子

利酒の猪口のうずまきまわりだす   美代子

名月の虚空を渡るひとり旅      一青

星飛んで裏山の森闇深し       ヒサ子

妻が植ゑコスモス畑の庭となる    稔

蔦紅葉からむ落葉松真すぐなる    ハルエ

虫の声やこゑにして読む方丈記    静子

糸瓜料理ミャンマー人に教えられ   光友

秋夕焼山びこさがす幼かな      富佐子

野良猫の人に寄り来る夜寒かな    幹一

菊膾母の色どり香りたる       真須美

蟷螂としばし目の合う産卵後     楓

丈合はぬ外湯めぐりの宿浴衣     キミ

黄カンナの次々開く風少し      アヤメ

わが眼にはゆがんで映る望の月    久美子

すすき野の風は光の波に消え     眞啓 

秋日和酒交わす羅漢さん       しず子

ゆっくりと急いでゆけと鯛焼屋    憲夫

空缶の二つぷかりと秋出水      新二

華やぎて咲くも翳ある彼岸花     トシ子

稲雀飛び込む大樹あるを知る     杏

月上る天に一つ地に一人       和子

大楠の啼くや寒禽抱く朝       福男

一人居の金魚の鉢に水そそぐ     瑞枝 

 

         ※          ※

 

「あすか塾」44 11月-2 

 

「あすか」二〇二二年十一月号の鑑賞・批評の参考  

 

◎ 野木桃花主宰句「撫子の花」より)

月見草夜明けの海のおもほゆる

夕さりの撫子の花母の花

高みへと顕となりし烏瓜

十三夜人恋しさの募る駅

【鑑賞例】

 一句目、夕方開く月見草から、海の暁光への発想の跳躍がすごいですね。二句目、暮れなずむ光の中、撫子に亡母への思慕を表現して詩的ですね。三句目、烏瓜のどこか寂し気な朱、一つだけ木の高いところにぽつんとある孤高感を捉えた表現ですね、四句目、人の気配の少ない駅の景が浮かびますね。十三夜のまだまん丸になっていない月との取り合わせが絶妙ですね。

 

〇 武良竜彦の九月詠(参考)

人斬らぬ名刀の黙鵙の贄 

 (自解)(参考)

武器を持っていること自身に、それを使いたくなる危うさがあります。防衛力の歯止めなき増強の 危うさと緊張感を詠んだつもりです。

 

2 「あすか塾」44 11月-2 

野木メソッド「ドッキリ」「ハッキリ」「スッキリ」による鑑賞

※「ド(感性)」=感動の中心、「ハ(知性)」=独自の視点、「ス(悟性)」=普遍的な感慨へ。

この三点に注目して鑑賞、批評してみましょう。この評言を読んで自分の句のどこが良かったのかと、発見、確認をする機会にしてください。

 

「風韻集」作品から 
        

あざなえる白衣の闇をすけて秋                          矢野 忠男

「あざな(糾)える」は文語動詞「あざなふ」の命令形+完了を表す文語助動詞「り」の連体形。「あざなふ(糾う)」は「糸をより合わせる」「縄をなう」を意味ですから、この句は「白衣」と「闇」を撚り合せているようなイメージの表現で、自分の病の不安に揺れる気持ちが伝わりますね。

 

見栄切つたまま着せ替えの菊人形                        山尾かづひろ

 菊人形の花の着せ替え作業をしている景ですね。骨組みを顕にして見栄を切っている姿を切り取った、どこか諧謔味のある表現ですね。

 

祝宴の席に居並ぶ生身魂                             吉野 糸子

 長寿を祝う席に居並んだお年寄りの、多様で個性ゆたかな姿が浮かびます。

 

黒雲の迫りみんみんぴたと止む                          磯部のりこ

 自然のなかの小さな生き物たちの、本能的な感度のよさへの感嘆ですね。

 

片減りの靴夏草の匂いして                            伊藤ユキ子

 この夏、活動的に方々に出かけたのでしょう。その証としての靴の片減りを切り取った切り口が冴えていますね。

  

筑波嶺の古代の色へ夕焼くる                           稲葉 晶子

 近代化よる大気汚染の累積で変わってしまった点も多いでしょうが、あの夕焼空の茜色は、古代のままで、古代人はどんな思いで見ていたのでしょう。自然への真直ぐな畏怖心に満ちていただろうと思います。この句はそんなことも想像させますね。

 

正直に生きて高きへ揚羽蝶                            大木 典子

 その軽々とした飛翔感は、自然に対してあるがままに「正直」に生きた証でしょう。

 

雑草も室礼として蛍草                              大木 典子

 室礼はしつれいではなく、しつらい。つまり平安時代、宴や儀式などを行うハレの日に、寝殿造りの邸宅の母屋や庇に調度類を置いて室内を装飾する意味の言葉ですね。その調度のひとつに雑草も加えたという視点がすばらしいですね。下五の季語の「蛍草」も効いていますね。

 

秋蝉の終の一声置く夕べ                             大澤 游子

 「一声置く夕べ」と言う表現に深い詩情が立ち上りますね。しみじみとした哀感があります。

   

何時の間に蟻の門渡り夕厨                              大本  尚

 迷惑がっている響ではなく、どこか生きものたちへの慈しみを感じる表現ですね。

 

追伸にやうやく本音流れ星                            大本  尚

 手紙の本題として書こうして書けなかったことが、別件のご挨拶的な文を書き連ねた後、その余韻のように、やっと本音を添える形で書けたという、心理の揺れが表現された句ですね。

 

秋蟬や終の命を手秤りに                             奥村 安代

 下五の「手秤りに」と、包み込むような表現に命への慈愛を感じますね。

 

いつの間に空に奥行き終戦日                           奥村 安代

 気象的に読むと、それまで分厚く垂れこめていた雨雲が切れて、青空がのぞいたのかもしれません。戦後の紆余曲折の果てという心境が込められているのを感じますね。

 

龍潜む淵に見えたる父の影                            加藤   健                 

 この上なき亡父への追悼表現の句ですね。

 

海光へ向かふ抜け道風涼し                            金井 玲子

 まっすぐで力強い、夏の日差しと空気感が捉えられている表現の句ですね。

 

ジャズ流す白の眩しき海の家                           金井 玲子

 確かに海の家には白とジャズが似合います。

 

地続きにちちはは在す庭花火                           坂本美千子

 心の「地続きに」、という深い追慕の表現ですね。庭でやっている花火の取り合わせに詩情がありますね。

 

遠くから風見えてくる秋桜                            鴫原さき子

 上五の「遠くから」は見事な表現ですね。この一言で秋の遠景から近景までの空間性が句に呼び込まれて、その広大な野の中で揺れるコスモスの姿が浮かびます。

 

追伸は森の奥からつくつくし                           鴫原さき子

 法師蝉の声を「森」という自然からの通信、しかも「追伸」としたのが詩的ですね。

 

タラップをつなぐ鎖の光る秋                           攝待 信子

 この一点集中の切り取り表現が効果的ですね。逆にそこから周りのすべての景が想像されます。

   

瓜の馬ひとつ位牌に父と母                             高橋みどり

 盂蘭盆会の「瓜の馬」と、仲良く並んでいる父母の位牌を、「ひとつ」で結びつけて、その両方に掛っている巧みな表現の句ですね。相次いで他界された両親への思慕の情が伝わります。

吾亦紅差して母の忌陽の淡く                           高橋みどり

 「差して」なので、吾亦紅の可憐な花を花簪にしてみた、という景でしょうか、亡母へ思慕の詩的表現の句ですね。                                            

 

女郎花咲き終えてなお凛と立つ                          服部一燈子

  人生的な比喩を感じる表現の句ですね。

   

地図になき女の小径藤袴                             本多やすな

 女性独得の人生の道筋というものがあり、そこには先を見通せる地図のような見取り図はない、という思いの句ですね。季語の「藤袴」の取り合わせが効いていますね。

 

ひぐらしや橋には橋のものがたり                         丸笠芙美子

 人には人の物語があるのは当然ですが、この句は詩情豊かに「橋」にも物語があると詠みました。

 

入相の鐘秋蝉の鳴きやまず                            丸山芙美子

 入相の鐘(いりあいのかね)は日暮れ時に寺でつく鐘、またその音のことです。晩鐘ですね。夜は鳴かない蟬たちがその日の最後の声を振り絞っているかのようですね。

 

畝立てる一ㇳ鍬ごとに玉の汗                           宮坂 市子

 その農作業の現場に立ち会っているようなリアリティのある表現ですね。カタカナの「ト」が鍬の形に似ていて趣がありますね。

 

八十路まだ明日の希望種を取る                          宮坂 市子

 種を取るという作業自身にこめられた、未来への思いが伝わりますね。八十路の身とはなったけれど、という思いも伝わります。

 

風鈴市印半纏靡きおり                              村上チヨ子 

 印半纏を着た人が、街中で風鈴を売っているような、江戸情緒を感じさせる句ですね。

 

悠久の時をめぐりて神の滝                            柳沢 初子

 滝の落下し続ける水の流れに、悠久の時の流れを感受した句ですね。

 

「あすか集」作品から 

 

庭下駄に亡父の足形ちちろ鳴く                          星  瑞枝

 履いていた人の足形が遺るほど、長年履かれていた庭下駄でしょう。季語の「ちちろ鳴く」と合わせて、敬慕の情が伝わる句ですね。

 

折鶴の重ね連なる原爆忌                             曲尾 初生

 広島の原爆記念公園には、全国から寄せられる折鶴を展示する所があります。今もそれは途絶えることがありません。この句はそれを踏まえつつ、その祈りが続いていることを表現した句ですね。

                 

苦瓜の棚ごとゆすり風去りぬ                           幕田 涼代

 蔓が棚と一体化している様を巧みに表現した句ですね。

   

合掌に始まるヨガや涼新た                            増田 綾子

 東洋の心身鍛錬には修行のようなところがあり、礼と型を重んじます。その気持ちと「涼新た」が響きあっている句ですね。

 

山門をしずしずくぐり観蓮会                           緑川みどり

 「しずしずくぐり」に、蓮見に向かう、ちょっと荘厳な気持ちが現われていますね。

 

草原は我等の陣地ばったとぶ                           宮崎 和子

 野の飛蝗に憑依して、その心意気を表現した句ですね。

 

消せぬ悔いひとつ銀漢仰ぎをり                          村田ひとみ

 何度も思い出して、ゆっくりその「悔い」が薄らぐものと、ますます後悔の情が深まるものがあります。少しオーバー気味に「銀漢仰ぎ」と表現したことに、その気持ちの深さが現れていますね。

 

いつの間に私だけに花野道                            村田ひとみ

 仲間とはぐれたのか、夕暮れてきて人がいなくなったのか、いずれにしろ、花野の花たちの方に気持ちが向かっていた作者の没入感が現れている句ですね。

                              

艶やかや闇夜の底の虫の声                            望月 都子

 虫の音に風情を感じたり、ましてこの句のように「艶やかさ」を感じるのは、日本人だけの繊細な感性のようですね。

 

黄揚羽の羽化見届ける狭庭かな                          阿波  椿

 自宅の庭で黄揚羽の羽化を見守っていたときの、愛おしむ気持ちが「狭庭」という言葉に込められていますね。

 

赤とんぼ村に一つの信号機                            安蔵けい子

 上五の「赤とんぼ」と中七下五の「村に一つの信号機」の取り合わせが効いていますね。それだけで小さな町の雰囲気が伝わります。

        

浴槽に鯉を放ちて池普請                             飯塚 昭子

 池普請で池の水を抜いて掃除をする「池浚い」をするために、一時的に鯉たちを浴槽に移したのでしょうか。テレビで「池の水をぜんぶ抜く」という番組が高視聴率を得ているようですが、それを自宅でやっている句を初めて読み、新鮮でした。

 

敬老日さらりと風の吹いてをり                          稲塚のりを

 中七と下五の、さらりとした言い切りの呼吸がいいですね。作者の物事に執着しない恬澹(てんたん)とした生き様、姿勢を感じさせる句ですね。

 

榠樝の実割れば話の解る人                            内城 邦彦

 生食はできないが酒や砂糖漬け、のど飴などの原料になる。そんな一手間のかかることを厭わぬ者同士の「解り合い」を阿吽の呼吸とするのがいいですね。

 

夏惜しむかに風鈴の小さく鳴る                          大竹 久子

 この感度の高い繊細な感性と表現力に関心させられました。

 

秋冷や一枚羽織りポストまで                           大谷  巖

 上着を一枚増やしたくなる秋気の実感的表現がいいですね。

                    

絵日記に泣く日笑ふ日鳳仙花                           小澤 民枝

 自分がつけた絵日記ではなく、子供か孫のものを見たときの思い出でしょうか。家族の喜怒哀楽がそこに詰まっていたようです。 

             

コオロギに騙され夜道違へたり                          風見 照夫 

 思わず蟋蟀の鳴き声に魅かれて行ってしまったのでしょうか。それを「夜道違へたり」と表現してユーモラスですね。      

  

帰省子の濃きひげ太声祖父似なる                         金子 きよ

 思春期の子供たちの成長と変化に驚くべきものがありますね。一学期という短期を経て再開したときなど、その変化ぶりがよく解ります。加えてそこに隔世遺伝の兆しを見出したという感慨句ですね。
 

雲間より菩薩の気配望の月                            木佐美照子

 満月の神々しさを纏う光を表現した句ですね。

                   

完熟の音のバギッと西瓜切る                           城戸 妙子

 熟れきって実がパンパンに膨らんでいる西瓜に、包丁を入れた時の音を「バギッ」という独特のオノマトペで表現したのが効果的ですね。

  

松蟬や地上に出れば令和の代                           近藤 悦子

 セミの一生は、幼虫七年+成虫七日=七年七日程度と言われています。今年は令和四年ですから、今年の蟬は平成生まれなのですね。それを俳句で巧みに表現しました。その間の人間社会はどうだったのか、という批評性を背景に感じる句ですね。

 

右肩にたかぶり残る祭あと                            近藤 悦子

 神輿の左側の人は右肩で、右側の人は左肩で担ぎます。特に「右肩に」としたことで、神輿の担ぎ手のそんな姿が浮かぶ、簡潔にして的確な描写表現ですね。

 

茶会終へ折山弛ぶ扇置く                             紺野 英子

 茶会の独特の所作で行う、その場の空気が感じられる句ですね。扇の「折山」が「弛ぶ」という繊細な表現が効果的ですね。

 

積み上げて銘柄競ふ今年米                            斉藤  勲

 新米の季節の店頭でよく見かける景ですね。上五の「積み上げて」から「銘柄競ふ」と流れるように詠んだリズムがいいですね。

 

変身の友に驚く休暇明                              斎藤 保子

 長い休暇明けに、変身した友人に驚かされているのでしょう。休暇というものが人それぞれの時間であったことへの感慨も込められている句ですね。

   

つまべにやつくづく五指を広げ見る                        須賀美代子

 つまべに【爪紅】を季語として使っているので植物の鳳仙花の別名のことでしょう。でもこの言葉に女性の化粧で指の爪に紅を塗る意味もありますね。子供の遊びで鳳仙花の花弁を潰して爪にしばらくつけて、ほんのりピンクに染める遊びがありました。大人になった自分の五指をそんなことも思い出して見ているのでしょうか。

   

手の作る影絵の妖し秋の夜                            須貝 一青

 子供たちといっしょになって、そのひと時を楽しむ影絵ですが、そこに何やら「妖しさ」を感じているのですね。怪しいのではなく、どこか妖艶さを感じているのが独得ですね。

 

工作の椅子諸手で抱き休暇果つ                          鈴木ヒサ子

 丁寧に愛おしむように、あれこれ工夫してやっと完成した、という思いのこもる表現ですね。

 

朝顔のすつくと立つや日を溜めて                         鈴木  稔

 下五の「日を溜めて」が詩的ですね。蔓型の植物でから「すつくと」は立たないのですが、丁寧に支柱を添えてやって育てたのですね。

 

墓洗ふいつもの手順親ゆづり                           砂川ハルエ

 墓参して墓石を洗う手順も親から学んだものだという感慨を素直に詠んで、亡き親への思慕を表現した句ですね。

   

吾妻嶺や浄土へ続く蟻の道                            高野 静子

 吾妻嶺は銘酒の名ではなく、山形県と福島県にまたがって東西に伸びる火山群吾妻山のことでしょうか。、二〇三五mの最高峰・西吾妻山を含む「吾妻連峰」とも呼ばれる連山でしょう。夏の季語の「蟻の道」を登山客の行列に見立てて、その先に浄土を幻視しているダイナミックな句ですね。  

 

古民家の厨に残る渋団扇                             高橋 光友

 古民家の構え、厨の佇まい、そして渋団扇と、ズームアップしてゆくような表現が効いていますね。

 

振り向けば秋色やさし亡夫の椅子                         高橋冨佐子

 上五の「振り向けば」が詩的ですね。夫はもういないが、振り向けばいつもそこに居て、自分を見守っているかのような気配を表現している句ですね。

    

父の笛なくてはならぬ在祭                            滝浦 幹一

 在祭は秋季に行なわれる祭で、地元で守られているものですね。父がその祭囃子の笛の名手だったようです。伝統を守る故郷の雰囲気を感じますね。

  

今朝の秋海から届く風を聴く                           忠内真須美

 下五の「風を聴く」が詩情があっていいですね。まるで海からの音の便りのようです。

  

あじさいのドライフラワーとして生きる                      立澤  楓

 ドライフラワーはその色彩が残るように保存されます。この句はそれを第二の人生のような比喩として詠んでいるような味わいがありますね。

 

忘れえぬ夫との時間こころぶと                          丹治 キミ

 間食に夫婦でよく心太を召し上がっていたのでしょう。三杯酢と和辛子の味といっしょにその記憶が鮮明に心に刻まれているのでしょう。

 

虫の声ささやきあって朝になる                          千田アヤメ

 夜もすがら、まるで囁き交わしているような虫の音を堪能していたのでしょうか。ゆったりとした時間の流れと心のゆとりを感じさせる句ですね。

 

熊蝉のエンジン全開バテ知らず                          坪井久美子

 まるで何馬力もあるエンジンを積んでいるマシンのようだ、という比喩が独創的ですね。

 

旅の宿一輪挿しの花芒                              成田 眞啓

 花芒の一輪挿しを客間に飾ってある宿、風情がありますね。

 

ヘブンリーブルー新種の並ぶ朝顔市                        西島しず子

 直訳すると天国の青。なにかと思ったら朝顔新種の名前なのですね。爽やかな朝市の景がうかびます。

 

もう犬のいない犬小屋赤蜻蛉                           丹羽口憲夫

 愛犬を亡くすと、しばらく犬を飼えなくなる人が多いようです。この句はそんな深い喪失感の表現のようです。季語の「赤蜻蛉」の取り合わせが効いていますね。

 

ひまはりやまた読み返すトルストイ                        沼倉 新二

 ロシアのウクライナ侵攻のせいで、ウクライナ名産の向日葵が戦争と平和の象徴になりました。そこからトルストイの名作の読み返しという内面的な表現に掘り下げた句ですね。

 

落蝉の骸をそつと手に包む                            乗松トシ子

 「そつと手に包む」に作者の優しく温かい心根が感じられますね。

 

震災忌賞味期限を確認す                             浜野  杏                 

 大震災の体験は、防災備蓄品についての意識が高まるきっかけにもなりました。定期的に賞味期限を確認しないと無駄になります。それが慣習になることはいいことですね。  

 

来し方やお薄泡立つ夏茶碗                            林  和子

 「お薄」は薄茶を丁寧にいうときの言葉で、茶の湯で用いる抹茶の一種やこれを用いた点前。一般に濃茶よりもタンニンの含有量が多く少し苦みや渋みがあります。「来し方」の苦い思い出が甦っているのでしょうか。

 

子別れの鴉の声を聞き分ける                           福野 福男

 鴉にも子育てと子別れの時があるのでしょうか。この句はその様子の声色の違いを敏感に聞き分けている感度の高い表現ですね。

 

 

 

 

 

 

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あすか塾 2022年 ⑹ 11月-1

2022-11-24 15:35:26 | あすか塾  俳句作品の鑑賞・評価の学習会

「あすか塾」44 11月 -1

1 今月の鑑賞・批評の参考 

 

 野木桃花主宰句 「十五夜」より (「あすか」二〇二二年十月号)

ひつそりと言葉たくはへ吾亦紅

今日の風負うて精霊飛蝗飛ぶ

水音の身を濯ぐごと秋澄めり

全身を耳にひたすら水の秋

十五夜の二人無口になるばかり

【鑑賞例】

 一句目、秋に枝分かれした先に穂をつけたような赤褐色の小さな集合体の花をつける吾亦紅。花言葉は変化、移りゆく日々、もの思い、明日への期待。掲句はそこに小さな思いの言葉を蓄えていると詩的に表現されていますね。二句目、旧暦のお盆(精霊会)のころによく見られることで精霊の名がついた飛蝗ですが、飛翔時のキチキチという音からキチキチバッタともいいますね。掲句はその緑の軌跡を描く飛翔の姿を「風負うて」と表現されていますね。三句目と四句目は秋の気配を澄んでくる水音で象徴的に詠まれていますね。五句目、言葉を失うばかりの満月の美しさだったのでしょう。心通い合う二人の絆も感じますね。

 

 武良竜彦の八月詠 (参考)

新涼の人語を解す巨木あり

(自解 参考)

 大欅の幹に手を当て、振り仰いで何かをつぶやいているご老人の姿を見かけたときの句です。高齢の人大樹が何か対話をしているようで。

 

2 「あすか塾」44 11月 -1

野木メソッド「ドッキリ」「ハッキリ」「スッキリ」による鑑賞

※「ド(感性)」=感動の中心、「ハ(知性)」=独自の視点、「ス(悟性)」=普遍的な感慨へ。

この三点に注目して鑑賞、批評してみましょう。この評言を読んで自分の句のどこが良かった

のかと、発見、確認をする機会にしてください。

 

 「風韻集」作品から 「あすか」十月号

 

現世を離れ蛍の闇にゐる                             柳沢 初子

 蛍たちは今を生きて光っているのですが、それを包む闇に作者は安らぎを感じているのでしょう。

 

かかしかかし中に一際大案山子                          矢野 忠男

 かかし、の繰り返しで、たくさんの案山子が並んでいる景が見え、その中に特別な存在感のある大案山子がある、というボスめいた雰囲気が愉快ですね。

 

三の丸晩夏の風は松に棲む                           山尾かづひろ

天守閣が三の丸まであるのは大きな構えの城郭ですね。石垣に松林まであるスケールで、中七下五の表現に風情がありますね。

 

木漏日を抜け山頂をめざす夏                           吉野 糸子

木漏日のある林が切れて、岩場の多い山頂部に出たのですね。それで大きな山に挑んでいることがわかります。

 

老夫婦旱に不作なしと言ふ                            磯部のりこ

 世代の違う農家の人達の会話が聞こえますね。老夫婦の経験智が安心感を齎してくれます。

 

野蒜掘る人と戦後の飢え語る                           伊藤ユキ子

 戦時下の野草に詳しくなった食糧難の時代を生き抜いた人の体験談に重みがありますね。

 

ひまわりや恐怖の色に棒立ちす                          稲葉 晶子

滴りの折り目正しくひかりをり                           〃

 一句目、向日葵の姿から笑顔を連想するのは類型的ですが、恐怖心を取合せた意表を撞く表現ですね。背景に向日葵の名産地であるウクライナの現状を憂える気持ちがあるのでしょう。二句目、一定のリズムで滴っている音の心地よさを「折り目正しく」と独創的に表現しましたね。

 

古本の文字の小さしソーダ水                           大木 典子

遠雷や忘れたころに痛む傷                              〃

 昔の本の活字が小さかったという歴史的事実と、作者が老眼になって読みづらくなっていることを合わせて表現していますね。二句目、「遠雷」には確かに遠い記憶を呼び覚ますようなところがありますね。

 

蝉の穴病みし地球の吐息出づ                           大澤 游子

 最近の世相から地球の未来を案じている感慨の句ですね。その思いを「蝉の穴」の暗さで象徴的に表現しましたね。

駅なかや時間つぶしの書肆涼し                           大本  尚

大方は老いの繰り言冷し酒                              〃

 一句目、町中の本屋さんではなく「駅なか」という冷房の効いた大きな施設の中の書店ですね。それを古風な「書肆」ということばで表現して爽やかですね。二句目、冷し酒とこのやや自嘲ぎみの表現がユーモラスですね。

 

蓮青葉ほろと光の玉こぼす                            奥村 安代

ひとひらは舟となりゆく紅蓮                             〃

 安代さんの俳句は自然で巧みな言葉のワザがありますね。一句目の「ほろと」、二句目の上五中七は、言えそうでなかなか言えない表現ですね。

 

水あびせ締める神輿の担ぎ棒                           加藤  健

 力強い神輿担ぎの雰囲気が伝わる表現ですね。

 

やはらかな風を探して夏の蝶                           金井 玲子

鬱蒼と闇を掲げて大夏木                               〃

 一句目、上五と中七がすばらしいですね。写生句の類型を脱するのは、このような主観表現がさりげなくできる技ですね。二句目、この句も「闇を掲げて」が独創的ですね。 

  

二階家は昭和の下宿軒忍                             坂本美千子

百年の欅七日の蟬の声                               

 一句目、昭和以前の懐かしい景が浮かびますね。二句目、大欅が見てきた百年という歴史の分厚さと、地上での短い七日間という蝉の命の対比が効果的ですね。

 

サボテンの針の鋭く孤独なる                           鴫原さき子

孤独という心的状況をサボテンの針の尖りに象徴させた表現が見事ですね。

 

老鶯やつつがなき日の庭仕事                           攝待 信子

 夏鴬の伸びやかな声を聴きながらの庭仕事。平和な景に心なごみます。

 

蛍火を待つ時醸す故郷の酒                            高橋みどり  

地酒の味わいをこれ以上ない詩情溢れる表現で詠んだ句ですね。

                                                                                      

夏帽子かぶりて我は古希に入る                          服部一燈子

「古希」は数え年で七十歳を迎える年 (満年齢 六十九歳)とされています。この句は上五で季語の夏帽子と取合せて、老いても溌溂とした雰囲気があっていいですね。

   

散歩道会釈にのこる草いきれ                           本多やすな

 理由は定かではないがすれ違った人から草いきれの香がした、というだけの表現ですが、それだけで自分の散歩道の夏らしい雰囲気が浮かぶ簡潔にして的確な句ですね。

 

夕焼をひとりじめして海の駅                           丸笠芙美子

 人の往来が少ない海に面した無人駅の、広々とした景色が浮かびます。

 

手造りの味噌玉樽にねせて初夏                          宮坂 市子

 統のある大きな農家の台所の雰囲気と、自前の味噌づくりを守り続けてきた時間の積み重ねも感じます。 

 

夫の墓夏鴬の声こぼす                              村上チヨ子 

 亡き夫への思慕を夏鴬ののびやかな声で象徴したのが効果的ですね。 

 

「あすか集」作品から 「あすか」十月号

 

初凱旋の高校球児杜の秋                             福野 福男

 「杜の秋」で、杜の都とも称される仙台であることが判り、祝福の気持ちが表れていますね。

 

幾何学を諳じ蜘蛛は囲をつむぐ                          星  瑞枝

 「幾何学を諳じ」という比喩表現が効果的ですね。

 

湯上りにやはらかきかな団扇風                          曲尾 初生

 扇風機ではなく団扇の風のやわらかさを詠んだのが効果的ですね。

   

ハピバスデー歌つて貰ふ夏句会                          幕田 涼代

 とても雰囲気のいい句会であることが想像されます。そういう心温まる交流の場でもあるのですね。

  

送り火の麻幹の消えてひとりかな                         増田 綾子

 「麻幹」は盂蘭盆の門火をたくときなどに用います。「苧殻」とも書きます。亡き人の霊を送って、独り遺された孤独感が心に沁みます。

 

夏期テスト終え少女らは駅ピアノ                         松永 弘子

 生徒たちの夏期テスト後の開放感と、駅という旅情ただよう空間でピアノの音を響かせた表現がいいですね。               

             

梅雨晴間縄文人の住居跡                             緑川みどり

 こう詠むだけで作者が縄文人の暮らしに思いを寄せているのが伝わりますね。

 

夏の旅久闊を叙す三姉妹                             宮崎 和子

「久闊を叙す」(長期間にわたって会っていなかった人と再会して、親交を温め直すこと)という成句で表現して、三姉妹の教養豊かな様子が浮かびますね。

 

晩夏光盲導犬の寄り添ふ目                            村田ひとみ

 盲導犬はただ寄り添っているだけでなく、絶えず主人を見上げる仕草をしますね。その様を掬い取った表現が効果的ですね。

 

八月の墓標が並ぶ丘の上                             望月 都子

 戦後の日本の「八月」には戦争の悲劇が刻印されています。そのことを丘に並ぶ墓標で表現したのが効果的ですね。

 

鮎釣りや雲を走らす川の水                            安蔵けい子

 釣をしている川面に映る雲を動的に表現して、夏らしい一コマの表現にしたのが効果的ですね。

       

ところ天波の形に盛られあり                           飯塚 昭子

 日本の古来の模様表現に「青海波」のような比喩表現にして涼やかな句になりましたね。

 

へばりつく汗の野良着の儘シャワー                        内城 邦彦

 全身に汗まみれの不快感を一気に洗い流す爽快感が伝わります。

 

帰る刻ふり返りゆく茄子の牛                           大竹 久子

 盂蘭盆会の迎え馬の胡瓜と、帰り牛の茄子のことでしょう。遺す者への心残りの心情を「ふり返りゆく」と表現して詩情がありますね。

 

昼顔や無人屋敷にそそと咲き                           大谷  巖

 漢字では「楚々と」(清らかで美しく見えるさま) と書くところを、ひらがな表記にして、そのひっそり感を巧に表現した句ですね。

                   

コスモスの大きく育つ小さき島                          小澤 民枝

 都会の人工的に栽培されているコスモスより、サイズが大きく見えるというだけでなく、その花の存在感の大きさで、島の小ささを巧に表現した句ですね。

 

ピカドンの意味の薄れし原爆忌                          風見 照夫

 確かに「ピカドン」が「原爆」の炸裂する様の語である共通認識が薄れてきているようですね。

  

父作る蝉取り網の柄の長さ                            金子 きよ 

 夏休み、父が子のために作ってあげている蝉取り網でしょうか。ついつい大人サイズになってしまっている、という表現がユーモラスで、家族の雰囲気まで伝わりますね。

 

嬰泣くやちりちり赤き百日紅                           木佐美照子

 「ちりちり赤き」が独創的ですね。赤ん坊のチリチリ頭の毛のようにも感じられる句ですね。 

                  

夕立過ぐ視界の折り目すつきりと                         城戸 妙子

 夕立一過、空気が澄んで、視界がくっきり見えることを「視界の折り目」と、独創的に表現した句ですね。

  

青栗の棘やはらかし少年期                            近藤 悦子

ざわわざわわ梯梧の花の紅すぎる                           〃

 一句目、反抗期の少年の心の棘も、まだ幼くて愛らしく感じている温かな眼差しを感じる句ですね。二句目、有名な「さとうきび畑」の歌詞のリフレインが浮かび、哀しみを「梯梧の花の紅」に象徴したのが効果的ですね。

 

敗戦日八十路の今も正座して                           紺野 英子

何もかも洗つて盆の雨一日                              〃

 一句目、この後いつまで、このような居住まいを糺す心で「敗戦日」を迎えると言う心の文化が伝承され続けるでしょうか。二句目、暑気を払うさっぱり感の巧な表現ですね。

 

合唱の取りをとるのは法師蝉                           斉藤  勲

 合唱が終った後も聴こえている法師蝉の声。それを「取りをとる」と舞台芸に表現したのが独創的ですね。

 

滝壺や七色に立つ帯の橋                             斎藤 保子

 滝壺を跨いでいるように見える虹を「七色に立つ帯の橋」と表現して詩情がありますね。

  

酔芙蓉ひと日ひと日を背すじ立て                         須賀美代子

 酔芙蓉は蕾の時は赤に近い濃いピンクで、朝に白い花を咲かせます。お昼には優しいピンク色になり、夕方には濃いピンクになります。毎日、そんな繰り返しが見られる花ですね。そこにある種の規律性を感じ取った表現の句ですね。

  

風鈴や嫌いなものは洗い物                            須貝 一青

 奥さんが施設に入られて、慣れない家事をする独り暮らし。男性は家事の中で特に洗い物が苦手で、共感する人も多いでしょう。

 

足指に石を噛ませて滝行者                            鈴木ヒサ子

 滝行者の水中の足元をクローズアップした表現で、行の激しさを巧みに表現した句ですね。

 

両側に夕顔灯る家路かな                             鈴木  稔

 両側に夕顔が咲いている家路を「灯る」と詩情豊かに表現した句ですね。

 

父母の戦時のくらし竹煮草                            砂川ハルエ

 竹煮草は竹似草とも書く植物で、果実は莢状にたれて、風に揺れると音を立てることから、ささやき草とも呼ばれます。そこから戦時の父母の労苦へと思いを馳せた句ですね。

  

師の文字の消すには惜しき夏季講座                        高野 静子

 見惚れるような先生の板書の達筆ぶりが浮かびますね。憧憬の気持ちがよく出ていますね。

 

禊萩をの写真に百三歳                             高橋 光友

禊萩(ミソハギ)は盆花や精霊花という別名の通り、お盆に供養する餓鬼は、のどが狭くごはんが食べられないことから、水とのどの渇きを抑える作用のあるこの花を供えることになったといいます。百三歳で大往生された妣の供花とされたのでしょう。

泥より出で泥に染まらぬ蓮華かな                         高橋冨佐子

 「泥中(でいちゅう)の蓮華」というように、汚い泥に染まらず清らかで美しい蓮華は、仏典では清浄な姿を仏などに例えます。仏・菩薩の座る蓮華の台を蓮台、蓮華座といいます。その仏識をそのまま俳句で表現した句ですね。

   

山葡萄一房禽に分けておく                            滝浦 幹一

 作者の優しい気持ちが伝わり、和む句ですね。

 

病床の夫に土産の江戸風鈴                            忠内真須美

 闘病中の夫への見舞いとして、涼やかな江戸風鈴で慰めようとしているのですね。その音色に病む人も介護する人も心和むでしょう。

 

ともだちに逢いに来る如あげは蝶                         立澤  楓

 蝶の窓辺への来訪は思いがけないものですが、それを友達に逢いにくるように、と詩情豊かに表現した句ですね。

 

糸とんぼ水打つ影の音持たず                           丹治 キミ

 静かで繊細な動きを「影の音持たず」と表現したのが効果的ですね。

 

娘乗せ細き足くび茄子の牛                            千田アヤメ

 亡くなったのは娘さんのようですね。盂蘭盆会に茄子で作る送り牛に乗って、冥界に帰る娘さんの姿を幻視している表現で、心に沁みますね。

 

サングラスの人に聞かれる接骨院                         坪井久美子

 サングラスをしている人に尋ねられたのが、整骨院の場所だったという、意外性を表現してユーモラスですね。 

 

ひとり旅湯畑湯煙風は秋                             成田 眞啓

 湯畑湯煙と畳みかける表現で、湯の町の雰囲気が伝わります。その賑やかな雰囲気の中の、ひとり旅ということで、少し寂しげな旅情も感じる句ですね。

 

店先の総菜揚げる大西日                             西島しず子

 総菜を揚げているのは店の人ですが、全体が夕焼色に染まって、まるで「大西日」が総菜を揚げているかのような表現にしたのが効果的ですね。

 

見ておれば猫も見て折る夜長かな                         丹羽口憲夫

 ただ意味もなく、飼猫と視線が合い、見つめ合っているという景ですが、静かな夜長の雰囲気が伝わる表現ですね。

  

追ひ込みのねじり鉢巻き夏休み                          沼倉 新二

 受験生なら夏が勝負、というのは予備校の宣伝文句ですが、この句は夏休みの宿題をぎりぎりになって仕上げている景にもとれる句ですね。

 

現世にしなやかに揺れ大賀蓮                           乗松トシ子

 「現世に」の「に」が時と場所と、作者の心のありようを象徴させた巧みな表現ですね。

 

かなかなや茅葺きの屋根燻蒸す                          浜野  杏                 

 上五を季語の「かなかな」にして、その音響を背景に、歴史の厚みを感じさせる茅葺屋根の旧家の佇まいを、「燻蒸す」と動的に表現して、響き合わせたのが効果的ですね。

 

ふる里に夏座敷あり父母いづこ                          林  和子

 帰省すると夏座敷が、そのまま遺っていて、いろいろな思い出が甦ってくるのでしょう。でも、父母はすでに他界して久しく寂しさが募ったのでしょう。呼びかけるように「父母いづこ」と下五で表

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