あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

「あすかの会」八月の秀句から 季題「新涼」・兼題「遠」 

2023-08-26 16:09:21 | あすかの会 2023・令和5

「あすかの会」八月の秀句から 季題「新涼」・兼題「遠」   

 

◎ 野木桃花主宰句

新涼や碧く鎮もる山上湖    

遠近に赤とんぼ湧く湖上線  

秋涼軋み鳴きして湖上線   

 

☆ 野木桃花主宰特選句

秋風や遠流の島に灯の点る      玲 子

 

☆ 武良竜彦特選句

涼新た夕日を跨ぐ水溜まり      市 子

 

◎ その他の秀句から 【支持・評価の高かった順】

牛の目の寂しきに会う晩夏光     さき子

姥百合のぶつきらぼうに遠汽笛    かづひろ

涼しさや菩薩の指は頬をさす     悦 子

新涼や夢二好みの立ち姿       英 子

 

窓際に遠き目をもてソーダ水     みどり

茶筌の穂ととのへてゐる月明り    英 子

 

遠方に延ぶる木道尾瀬は秋       尚

新涼やまずパレットに白を溶く    さき子

ここよりは基地立秋の海右へ     ひとみ

黒松を晩夏の木とし海荒れる     かづひろ

涼新た豆腐の水を切りにけり     かづひろ

薄暗き湯小屋のランプ秋日影     悦 子

 

さつと過ぐ雨新涼の風誘ふ       尚

新涼や鏡の中の眉の弓        みどり

明易し入れ子細工のやうな夢     みどり

日差しにも疲れの見へて夏の果    みどり

昼の虫鳴くだけ鳴かせ化粧坂     さき子

塩田の跡とや舟虫踏むまじく     かづひろ

新涼や朝刊めくる音も香も      市 子

新涼やオープンカフェの白き椅子   玲 子

秋時雨絵筆遠のく和紙の嵩      悦 子

榠樝の実生る道帰る遠回り      ひとみ

七夕や再会誓ふ女文字        都 子

 

子に託す我が家のあした涼新た    典 子

遠くより祭太鼓の乱れ打       典 子

新涼や海辺のカフェに席をとる    都 子

 

〇 ゲスト参加 参考

虹色の貝を遺骨とせし八月      竜 彦

新涼やはだしのゲンの足洗ふ     竜 彦

ひまはりや今も俘囚の日本あり    竜 彦

 

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「あすか」誌2023 年 7・8月合併号 作品鑑賞と批評 

2023-08-03 15:38:51 | あすか塾 2023 令和5 1

「あすか」誌七・八月合併号 作品鑑賞と批評  

 

《野木メソッド》による鑑賞・批評

「ドッキリ(感性)」=感動の中心

「ハッキリ(知性)」=独自の視点

「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ

 

◎ 野木桃花主宰の句「青葉潮」から

 

 今回はすべて「あすか誌60周年記念祝賀会」を題材として詠まれた句ですが、その中から選んだ次の四句も、その題材詠だと特定しなくても鑑賞できる、普遍性のある表現にされていますね。そこがやはり野木主宰の実力です。学びたいものです。

 

欠席の友待つやうに薔薇咲きぬ

 ああ、とうとう今日は「あの人」は参加できなかったなあ、という感慨に薔薇の花束を添えたような詩情のある表現ですね。諸般の事情で欠席であることは事前に解っていた、というケースも考えられます。会員の一人ひとりを大切する結社の主宰ならではの句ですね。

 

今日の日を通過点とし夏の蝶

 

 人生で起こることはすべて、その中の通過点に過ぎない、と言ってしまえばその通りですが、個人的な感慨を超えて、志を同じくする仲間と、この通過点を噛みしめている場面が想像されて感慨がありますね。

 

あふれくるあすかの月日青葉潮

 

 「あ」の音で頭韻を踏んで、リズム感のある表現ですね。弾むような湧き立つ思いの表現にピッタリです。「青葉潮」は日本列島に添って北上する、勢いの盛んな暖流(黒潮)を表わす季語で、その「あふれる」「潮」の心象がなお勢いをつけますね。

 

恙無く宴果てたる首夏の海

 

「首夏」の「首」は「始め」を意味しますので、「首夏」は夏の始まりのことですね。これから勢いの盛んになる「朱夏」に向かう季節です。その時節に仲間と心の絆を深める祝賀の宴を恙無く催せた充実感の伝わる表現ですね。

 

〇「風韻集」から 感銘秀作

 

追憶のふらここの揺れ友のこゑ     奥村安代

 

 親しかった友と、共に過ごした楽しい時、その遠い記憶のすべてが揺らいでいるような郷愁の響のある表現ですね。

 

母子像の丘にいつまで蝶一頭      金井玲子

 

 母子像といえばキリストと聖母マリア像でしょうか。その無上の愛の形を慕うように、いつまでも離れない蝶。作者の想いの暗喩表現とも解せる表現ですね。  

 

咲きみちて一寺を統べる山桜      近藤悦子

 

 山桜に覆われているようなお寺。散文的に言えばそういうことですが、それを「統べる」と文語的に詩情豊かに表現できるのが俳句の力ですね。

 

黄砂降るどこかの戦塵かもしれず    鴫原さき子

 

 ロシアによるウクライナ侵攻のことが脳裡に浮かびます。それを具体的に言ってしまうと説明文になってしまいます。この暗喩的表現が俳句の力で、世界のどこでも起こり得る人間というものの不可解さが投網にかけられたような表現になりますね。

 

フルートを吹く肘高く若葉光      高橋みどり

 

 「肘高く」という造形表現が効いている表現ですね。下五の「若葉光」の季語が、澄み切ったフルートの音が新緑の野に流れていくような情景に誘いますね。

 

辛きとき唄が生まれる田植かな     服部一燈子

 

 田植唄などの労働歌は、その単純作業の身体的な辛さを吹き飛ばし、楽しさに転換する働きがあったのですね。

 

菜種梅雨離ればなれにきくラジオ     宮坂市子

 

 「離ればなれ」が、いろいろな情況を想像させますね。読者によってさまざまな受け留められ方がされると思います。一つの例ですが仕事とか、結婚とかで実家を出た我が子が、同じラジオ放送を別の場所で聴いていて、互いのことを想っている、という状況などです。離れて間もないことが想像されて詩情が深まります。

 

改札の夫婦つばめに発車ベル      矢野忠男

 

 「夫婦つばめ」という呼び方に親しみが込められているように感じる句ですね。駅の構内は広いので、よく燕の巣を見かけます。雄雌交互に餌を運びますが、このとき二羽がたまたま巣の側にいたのでしょうか。「発車ベル」に詩情がありますね。

 

捨て舟に潮の満ち引き鑑真忌      山尾かづひろ

 

 旧暦五月六日が唐招提寺を開いた鑑真の忌日ですね。日本の要請で来日に成功するまで何度も失敗を繰り返しています。「捨て舟」と「潮の満ち引き」がその労苦を思わせる句ですね。

 

春の月ふんはり母の腕の中       吉野糸子

 

 母の腕の中に「ある」または「いる」のは、嬰児でしょうが、月光が「いる」という表現にも解することができて詩情がありますね。

 

花束を地に置くやうに花菫       磯部のりこ

 

 花束を地に置くという行為は、何かの鎮魂と祈りを思わせますね。菫の色がそんな思いに相応しいですね。

 

人の輪のやがて人の和大焚火      稲葉晶子

 

 焚火を囲む単なる人の輪だったのが、真ん中に火を置いて囲む談笑の中で、心身とも温まり、和みの景へと変わっていったということを、俳句で稲葉さんがこう詠まないと出現しない心的景を創出したのがみごとですね。リフレインのリズム感もとてもいいですね。

 

襖絵に義経の秘話春深し        大木典子

 

 鳥越の地に留め置かれ、鎌倉へ入ることを兄、頼朝に拒まれた義経。平家との闘いの功労者だった彼の凋落はここから始まりました。それが襖絵に描かれているのですね。そこをクローズアップしたのが効果的ですね。

 

無限とはまさにこのこと花吹雪く    大本 尚

 

 上五の出だしが哲学的ですが、その「無限」が「花吹雪」の景として詠み切られています。まるで無限に散るかのような目の前の景から、しかしこの景自身が何年も、まるで無限に繰り返されてきているような「時間」の継続を、自分は目撃しているのだという感慨へと深めてゆく表現がみごとですね。

 

〇「風韻集」から 印象に残った佳句

 

一本の樹があれば足る花見酒      風見照夫

十字架の墓石の傾ぐ花月夜       加藤 健

行き先は三千世界花行脚        坂本美千代

紅しだれ桜の大樹は吾が齢       摂待信子

花祭ドロップの缶に釈迦の絵図     高橋光友

飛花落花ふいに浮かびし人の影     丸笠芙美子

のどかさや苔寺を訪う杖の音      村上チヨ子

廃屋のいきさつ知らず沈丁花      柳沢初子

忍城を攻める一陣飛花落花       大澤游子

 

〇「あすか集」から 感銘秀作

 

広島は聖地となりて夏兆す       望月都子

 

 やわらかな批判意識をさらりと詠んだのがいいですね。聖地化とは祈りの形式化であって、本当の痛みが伴う、鎮魂の思いは薄らいでしまっているのではないですか、と問うているような表現ですね。

 

青葉冷え古き団地のドア重し      安蔵けい子

 

 新築のマンションは建材が進化して、軽くて丈夫な扉が使われるようになっているようです。一方で築何十年も経った団地の金属性のドアは重く、そのことを詠んで、取り残されているような歴史性が感じられますね。

 

子猫生れ抱く私を温めをり       小川たか子

 

 人が小動物を抱いて温めているのではなく、抱いている人間の方が温められている、という視点の転換がみごとですね。同じ命同士としての絆が生まれているようです。

 

落椿富士の形に身を処して       城戸妙子

 

 落ちた後の椿の花がどうなったのか、それは偶然というものですが、富士山の形になっていることを「富士の形に身を処して」と独特の表現で詠まれています。人生の有終の美を飾ろうとする意思そのものを表現しているようで、味わい深いですね。

 

水音の涼しさに居て盆点前       紺野英子

 

 水音の涼しさそのものの中に居る、という表現がずばり核心を衝いていて見事ですね。

 

残り鴨水尾の一筋かなしとも      丹治キミ

 

 下五の「かなしとも」という伝承語りの口調が余韻の残る表現ですね。孤独、孤立感のようなものが詩情豊かに立ち上ります。

 

マスクとり律儀に老けて夏迎え     林 和子

 

 「律儀に老けて」という独特の表現がユーモラスで、思わず笑みがこぼれる句ですね。

 

人赦す羅漢の伏し目薄暑光       村田ひとみ

青柿や口つぐみたる反抗期       村田ひとみ

 

 一句目、現代の人々が不寛容になっている風潮への批判意識を感じる格調ある表現ですね。二句目、青柿の未熟、反抗期という未熟故の苛立ちと反抗心、といううまい取合せの表現ですね。

 

 

〇「あすか集」から 印象に残った佳句

 

剣道具木蔭に並べつくし摘む       飯塚昭子

アパートの窓に乗出す紙幟        内城邦彦

廃校となりし母校の桜かな        大谷 巖

スーパーに名水あまた夏きざす      大竹久子

新緑や幹はいつでも聞き上手       小川たか子

母へ作るがま口みたいな柏餅       小川たか子

大名の遺す庭園小判草          小澤民枝

友に逢う庭の青紫蘇プレゼント      柏木喜代子

新学期六地蔵ある通学路         金子きよ

海色の一汁一菜新若布          木佐美照子

さくらんぼはにかみ色に出羽の里     久住よね子

懐かしき田植休みや小学校        斉藤 勲

故郷の八十路の集ひ花衣         齋藤保子

天女へと螺旋にのせる文字摺草      須賀美代子

風光るもう登られぬ脚立かな       須貝一青

掌に登りてもらはれゆく子猫       鈴木ヒサ子

茅葺の光る紺屋の松の芯         鈴木 稔

はらからと父母の忌修す薄暑かな     砂川ハルエ

花三分トンネルつなぐ出羽の道      高野静子

田を植ゑる一面鏡の静寂かな       高橋富佐子

いつの句に喃語はどこへさくらんぼ    高橋富佐子

うららかや両手をパパママ歩き初め    滝浦幹一

ハマ帰港残雪の富士歓迎す        忠内真須美

産卵の一粒発見あげは蝶         立澤 楓

園児等のスキップ遊技木の根明く     丹治キミ

母の日は鉢植えかかえ息子来る      千田アヤメ

花は葉にいつもの仔犬と握手する     坪井久美子

テレビより流るる戦争昭和の日      中坪さち子

腐葉土を鋤きこむ花壇に大蚯蚓      成田眞啓

「ただいま」と学童保育春灯       西島しず子

ダービーに一瞬の静寂十万余       沼倉新二

葉桜や蛇行の川の静もれる        乗松トシ子

蛇苺踏まれてならじと赤主張       浜野 杏

木の芽山眼下に被災の海光る       星 瑞枝

町中の小さき森の百千鳥         曲尾初生

五月晴長持唄は兄の声          幕田涼代

石楠花のしなだる百花の光かな      幕田涼代

豌豆の飛び立ちさうな白き花       増田綾子

夏めくやデパート売場の外国語      増田綾子

じやがいもの花の控へ目貸畑       増田綾子

鳶の羽根真下に見えて夏の雲       緑川みどり

花の山亡夫の呼ぶ声空耳か        宮崎和子

 

 

 

 

 

 

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