あすか創始者、思郷先生と、現主宰の私(野木桃花)作句理念について
2014年年度大会の挨拶より
新たな会貝の皆様に「あすか」の根底に流れる思郷先生のご方針、ご指導をお伝えするのも、現主宰である私の役目であるのかもしれません。
折に触れての寸言を参考にしながら、再度いくつかお伝えいたします。
◆ 一句にものを多く詰め込まないこと。
◆ 原則的に「一句一動詞」を大切に。動詞が多いと説明的になりやすい。
◆ よい句は、十分な客観性があり、それでいて背後には作者自身がしっかりと控えている。作者が表に出過ぎると句が主観的になってしまう。
◆ 俳句は、どんな点に物の本意を捉えているかによって句の評価が決まる。単に花が綺麗というだけでは当たり前で、写真と同じになってしまう。綺麗な花の本意(本質・情緒・あり方)を掴み、それを表現していくことが大切である。
◆ 作意(創作意図)がなくては句は作れない。しかし、作意が見え透いていては、句として失敗作である。
◆ すべてを言いつくしてはつまらない。風物をよく見て、夢を持たせるような句作りに努める。
◆ 一句一章の俳句はどうしても弱くなる。「あすか」のルーツである大須賀乙字は二句一章を提唱した。
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○ 一句一章とは、一物仕立てとも言われ、一句の中に切れがなく、上五から下五まで一気に詠み流す作り方のこと。
○ 二句一章とは、取り合わせや二物衝撃とも言われ、俳句の中に句切れを入れて、相互に関連のないものを一句に仕立てること。
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◆ 吟行だから」という考えを捨てよ。写生は弱いし類想類句につながる。雑念を払い、物の一点に集中し、句心を散逸させないこと。吟行中は話などせず、旬作りに集中すること。
◆ 俳句は即物非情の詩であり。自分の感情を出来るだけ外に出さないこと。
※即物とは‥実際の事物のこと※非情とは‥木石。人間らしい感情のないこと。
◆ 俳句は元来孤独な詩で、実と虚の間にある詩である。実だけではつまらないし、虚だけでは嘘になる。
「あすか」が目指すのは虚実の孤独性である。
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以上は思郷先生のご指導から思いつくままの抜粋です。
改めて読み直すと。ずいぷんと厳しいお言葉が並んでいますが、非常に大切な事ばかりです。
思郷先生が真摯に俳句に向き合っておられた姿勢がひしひしと伝わってきて、身の引き締まる思いです。
これらを学ぶには、句会に参加しつつ、少しずつ身につけていくしかありません。
思郷先生は添削を一切なさいませんでした。
理由は「添削をするとボクの句になるので」と述べておられました。
したがって、上手な人はいつも選の上位に名を連ね。点の入らない人は、どこが悪いのかを知らぬまま、年月を重ねることになるのでした。
それはそれとして、現主宰である私の句会では、皆さまの句が少しでも良い句になるように、季語の再検討など問いかけをしながらゆっくりと進めています。
仲間たちと「もっと良い句に、もっと自分らしい句にするには?」と話し合いながら、開かれた楽しい句座を目指しています。
舞岡などへの吟行会では、仲間と共に、花を愛で、鳥の声を聞き、情報交換しながら楽しんでいます。
諸般の事情で句会や吟行会に参加できない方も、この「あすか」誌を通して、ゆっくりと学び俳句を楽しんで頂けたらと思います。継続は力なりです。諦めずに共に楽しく進んで参りましょう。