あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

あすか 11月号 2024年(令和6年)

2024-10-31 15:10:52 | あすか誌 2024年

あすか 11月号 2024年(令和6年)

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十月あすかの会秀句 兼題「面 秋の声」

2024-10-27 15:11:26 | あすかの会 2024 令和6

 

 十月あすかの会秀句 兼題「面 秋の声」   二〇二四年十月二五日 

 

 野木桃花主宰の句

祈るとは目を瞑ること秋の声

人の世の群れて縺れて葛の花

天高し湯の町に響く下駄の音

赤面の野球部員や鵙日和

 

 野木特選

秋の声肩甲骨のあたりから       孝 子

 

 武良特選

耳打の叔母にザボンのにほひかな    かづひろ

 

 秀句  選の多かった順 

鶏頭花身ぬちにひそむ不発弾       尚     準高得点句

乳の染み残る留袖秋の風        悦 子    準高得点句

小鳥来る私は今日からお姉ちゃん    孝 子    準高得点句

 

をちこちに母の面影菊の庭       玲 子    準々高得点句

虚貝(うつせがい)踏めば遥かな秋の声     尚     準々高得点句

野面積みの穴太(あのう)の剛力天高し   悦 子    準々高得点句

石蹴れば石にもありぬ秋の声      さき子    準々高得点句

 

懐かしき面差し胸に星月夜       典 子

玄関に来し蟷螂も一過客        さき子

銀杏の落葉が栞「たけくらべ」     英 子

面食いはむかしの事よマスカット    孝 子

名優の逝きて閑かな秋の声       都 子

面長の少女のまなざし菊人形      都 子 

故郷の乗り換へ駅や秋の声       玲 子

 

小面にかすかな愁ひ秋ともし       尚

秋の声背中合はせの駅ベンチ      かづひろ

透析に命をつなぐ鬼城の忌       かづひろ

夕暮は煙の匂い薄紅葉         さき子

竜安寺石それぞれの秋思あり      さき子

E・Tとなりて銀翼月に入る      都 子

着る着ない問われる秋の更衣      礼 子

大野原イヤホン外せば秋の声      悦 子

叡山の不滅の灯り秋の声        悦 子

秋澄むや路面電車の音跳ねる      ひとみ

牌ガチャと面子の揃ふ秋灯下      ひとみ

湯の町の花を自在に冬の蝶       英 子

花の息菰よりもらす秋のこゑ      英 子

木洩れ日の水澄む水面昼下がり     市 子

秋入日湖面平らに闇深む        典 子

鉄塔が校歌になつて秋高し       典 子

 

盃を交はす秋風来し人と         尚

小面の青い目をした菊人形       英 子

足元から四方八方稲子発つ       都 子

秋の声椅子に寂びさぶ向こう脛     市 子

秋の声揺れ止む木の間深閑と      市 子

秋の声姉に面会許されず        市 子

水槽を逃れし大亀千草踏む       ひとみ

坂多き町の風道秋の声         ひとみ

秋高し連山望む無人駅         玲 子

音も無く流れゆく霧樹樹を抱く     玲 子

惜しげなく散らす花屑金木犀      典 子

粉吹き出す足裏しみじみ冬隣      礼 子

一膳目ただもくもくと今年米      礼 子

刈り終えし田の面や安堵とわびしさと  礼 子

秋の夜曲芸バイクの面構え       かづひろ

あやふやな暗証番号ちんちろりん    孝 子

 

参考 ゲスト参加 武良竜彦

尊厳死論じて芋の煮転がし       最高得点句

秋の声賢治のセロの弦が鳴る

鬼の子や滅びの鐘が野に街に

 

   

      あすか塾 講話

 

 渚のアポリア―俳人・石牟礼道子への道程   最終回

                 小熊座連載稿(十月号用)

 

むすびに 何故俳句だったのか 

 

 今、わたしたちはどんな世界に生きているのか。

 その文明世界が人類に対して加害的になっている現状の考察、何故、そのようになってしまったかという考察。

 そしてわたしたちは、どう軌道修正するべきなのか、それは果たして可能なのか、という問題に突き当たった。まさに石牟礼道子が問うたのが、この問題だったである。

 簡潔に述べると、ことは近代文明だけの過誤ではなかったということだ。

はじまりは人類が、言葉という「認識の道具」を、論理による世界の理解と征服のために使い始めたことに端を発する、「文明禍」という過誤であったという、人類精神史に関わるスケールの大きい問題だということだ。

 文明という言葉自身が象徴するごとく、言葉で明らかにする、つまり言葉という認識的な象徴符号によって、論理的に世界を観察し、記号的な意味において、論理の不都合を発見し、その原因を取り除き、合理的に世界を解明し、手を入れ、加工という名の自然破壊によって「改善」するという方法が「文明」の手法である。

 その過程でわたしたちは何を失ったのか。

「文明」という言葉の対比概念としての「野蛮さ」という概念に一括りされた、自然や世界との一体感を基調とした、「不合理な迷信的なもの」のすべてを失ったのだ。

 そして「文明」が非人間的で、人間に対して加害的になることで、自然に対して加害的になっていた、ということだ。当然、それは人間の自然な生存のあり方の喪失、いや、全否定的な加害性を持つに至った世界ということだ。

 もう、わたしたちは、その喪われた自然や世界との一体感のある生き方、非自我的認識、書き言葉的な言語ではない、声としてのかたりのことばの世界を取り戻すことは、不可能な地点で生きているということだ。

 不可能だが、そのことについての問題意識を持つことが先ず大切であることは、もはや自明のことであろう。

 自然や世界との一体感のある生き方。

 そう、それは日本の詩歌の心の根底にあるものではなかったか。そこに何か考えるヒントがあるのではないか。

 先に触れたモリス・バーマンはその前の著『デカルトからベイトソンへ―世界の再魔術化』(柴田元幸訳 文藝春秋社二〇一九年)で、すでに次のように述べている。
 ことばが実体を失い、果てしなく記号化し、現世的な価値観優先主義で簡潔化、操作性を重視する近代にあって、わたしたちの生、自然の一部である命は、その内容を哲学的・宗教的に突き詰めたものとしての「意味」を失ってしまった、と。

 この実体喪失の根が十六・十七世紀の科学革命にあり、その仕上げが資本主義と産業革命だった。

 それ以前は、不思議な生命力を湛えた世界への畏怖と共感の中に人間の命は置かれているように感じられていた。

 それを当時の人々が自覚していたかどうかに関わらず。

石牟礼道子が「かたった」ように、岩も木も川も雲もみな生き物として、人々をある種の安らぎのなかに包んでいた。前近代の宇宙は、何よりもまず帰属の場としてあった。人間は疎外された観察者ではなく、宇宙の一部として 宇宙のドラマに直接参加する存在だった。

バーマンはそれを「参加する意識」と呼んでいる。
 彼にとって、問題の核心は人間の認識論のパラダイムである。時代を支配する科学主義優先の思い込みから、人間の認識が転換されない限り、人類に未来はないのだ。

 科学的意識とは、自己を世界から疎外する意識である。 自然への参入ではなく、自然との分離に向かう意識である。

 主体と客体とがつねに対立し自分が自分の経験の外側に 置かれる結果、まわりの世界から「私」が締め出される。

 世界は「私の行為」とは無関係に成り立ち、「私」のことなど気にもかけずにめぐり続ける。

 世界に帰属しているという感覚は消滅し、ストレスとフラストレーションの毎日が結果する、というバーマンの言葉の重要な部分を引く。

「問題は我々の日常生活に深く食い込んでいる。(略)今世紀初頭に一握りの知識人が囚われていた疎外感・無力感を、いまでは街を歩くふつうの人々がそれぞれに抱え 持っているようだ。感覚をマヒさせるばかりの仕事 薄っぺらな人間関係。茶番としか思えない政治。伝統的価値観 の崩壊によって生じた空虚のなかで、我々にあるものといえば、狂信的な信仰復興運動、統一教会への集団改宗、そして、ドラッグ、テレビ 精神安定剤によってすべてを忘れてしまおうとする姿勢である。あるいはまた、いまや国民的脅迫観念と化した、精神療法の泥沼の追求。何百万ものアメリカ人が、価値観の喪失と文化の崩壊を感じながら、自分の生を建て直そうともがいているのだ。」

 さらに、とバーマンは続けて論述している。

 ここには、消費主義体制に巻き込まれた心のパラドックがある、と。

 自分自身に対して抱いている不安を、ものの所有によって埋めようとするがゆえの行動、すなわち、体制から受ける心の苦痛を和らげようとすることが──体制の心理的呪縛から自由になろうとするあがきが──体制を活気づけて しまうという閉塞状況のパラドックスの中にある現代を、わたしたちは生きているのだ、と。
 そして精神の荒廃の根底にあるのは、宇宙や自然との一体感と、そこで充足できる自己との一体感、そんな全体性の喪失である、と。

 まさにそれこそが、石牟礼道子文学の主題の背景と通底する問題である。宇宙、自然、自己という命、存在の一体感、つまり「全体性の喪失」という大問題である。

 

石牟礼道子が最後に選んだのが、なぜ俳句だったのか。

もう一度、石牟礼道子のことばを思い出しておこう。

 俳句は死者たちと、そして死者たちのたましいと「道行き」をする私にとって、大いなる慰撫であった、ということばを。

 自然や宇宙との一体感に不可欠なのが、死者の眼差しの内面化である。一体感の喪失は死の排除に起因している

 物言わぬ自然や宇宙と死者。

 自分もその一部であると認識してはじめて内面化できる一体感。

 近代文明の一部である近代文学は、死と共存する口誦的かたりの文体も喪失した。

 ロジカルな個我と社会の軋轢などという、西洋的問題意識が文学的主題にとって替った。

 重複するが、本稿本章、二の〈「かたり」についてー近代的な「作者」の死〉の項で述べたことを、再度、確認の意味で、ここで述べ直しておこう。

 江戸の文化を濃厚に引きずる明治期、持て囃された西洋的な近代小説の手法に背を向け、前近代的「かたり」を死守した泉鏡花の作品を取り上げ、石牟礼文学はその流れに位置することを、すでに指摘したのでここではもう繰り返さない。
 前近代の「ものかたり」の作者は、いわば共同幻想的な集合無意識的、非人称的な「かたり手」だったのである。

 石牟礼道子の『苦海浄土』が文学として優れているのは、民びとの「かたり」に憑依し、そこで生きている人の命の真実の姿を「かたり」得ているからである。

 それは近代的な「作者」がいる、近代小説の手法では表現が困難な世界である。

 バルトが指摘する「作者の死」を乗り越えて、はじめて可能となる文学的地平であったといえるだろう。

 石牟礼道子文学の創作者は石牟礼道子に他ならないのだが、その「かたり」のかたり主である「作者」ではない。

 自然や宇宙との一体感を有する魂の蘇生のための文学において、近代的自我の「作者」は一端、葬られなければならない。

 日本の非文字文化の中の、口誦的文化の中に豊穣に存在していたもの、文学が本当に、そこに言葉を与えるべく目指すことは、未だだれもそこに言葉を与えていないが、人間の血肉の中に埋め込まれている無自覚な「もの」「かたり」に言葉を与えて、顕在化してみせることではないか。

石牟礼道子の初期の短編小説、随想の書かれ方がまさしくそれであった。

メディアへの発表作品としては短歌から始まり、「水俣病」問題に向き合う過程で、自我と叙情的にこだわる短歌の限界を自覚し、『苦海浄土』に始まる小説を書く中で、自分が真に向き合うべき文学的主題である「死者」を発見し、然るべくして石牟礼道子は、最後に俳句という表現形式に辿り着いたのだ

 いや精神的には「帰還」したのだ。

 だがそれは既存の伝統俳句や現代俳句を意味しない。あくまで彼女にとっての「俳句」だ。わたしたちも、自分自身にとっての「俳句」とは何かと模索しなければならない。

 石牟礼道子にとって俳句とは、死者の魂に添寝して詠う「うた」であった。かつて日本国土に遍在した、自然と宇宙との一体感を有する、存在の手応えそのものを表現する、口誦文化の流れを自覚した、新しい創造的表現の地平。

 石牟礼道子のこういう声が聞こえる。

 今生きてある「価値」だけに囚われるのを止めて、もっと死者を自分の魂の中に住まわせ、その魂の奥底から立ち上がってくる旋律を「かたり」なさい、と。論理を述べたてるためにだけに声を使うのは止めなさい、と。書き言葉依存症という文明病から自由になりなさい、と。

  月影や水底はむかし祭りにて      

  童んべの神々うたう水の声

 これは通常の俳句表現を逸脱しているがゆえに、魂の深いところをゆさぶる肉声的な表現の「うた」ではないか。

 本稿は、石牟礼道子のこのような文学精神世界への、わたしからのささやかなオマージュである。   ― 完 

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あすか塾 66 2024年10月

2024-10-18 14:38:06 | あすか塾 2024年

   あすか塾 66 

《野木メソッド》による鑑賞・批評              

「ドッキリ(感性)」=感動の中心

「ハッキリ(知性)」=独自の視点

「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ

 

 野木桃花主宰十月号「新涼」から

 

この影はステゴサウルス夏木立

 繁った樹木の影が、恐竜のステゴサウルスに見えたのですね。子供心を失わない、しなやかな俳人ならではですね。

 

花火師の潮の匂ひをもち帰る

「花火師の」の「の」は散文では「が」に当りますが、俳句独得の助詞の使い方で韻律を生み出します。花火を打ち上げた場所まで目に見えて、火薬と潮の香が匂い立つ句ですね。

 

やはらかき日差し鬼の子顔を出す

「鬼の子」は蓑虫の異名で、「枕草子」の「43蓑虫いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心地あらんとて」とあることに基づいています。俳句では三秋の季語の子季語ですね。他に鬼の捨子、父乞虫、みなし子、親無子、蓑虫鳴く、木樵虫があります。

 この句では暖かくなって蓑から顔を出している表現で、可愛らしいですね。

 参考までに、蓑虫の名句に次があります。

    蓑虫の音を聞に来よ草の庵      芭蕉「続虚栗」

    みのむしや秋ひだるしと鳴くなめり  蕪村「夜半叟句集」

    蓑蟲や足袋穿けば子もはきたがり   渡辺水巴「水巴句集」

 

 「風韻集」十月号から 感銘秀句

 

鮮血の走る静脈秋思かな        矢野忠男

 自分の体内を巡る血流を普段は意識しませんが、病気をしたときなど、ベッドに横になっているとき、それを生きていることの証のように、確かに感じます。

 

自然洞つかふ村バス蝸牛        山尾かづひろ

自然にできたトンネルを整備してバス道にしている、珍しい景の句ですね。鄙びた田舎を感じる表現で、下五を「蝸牛」にしたことで、そのゆったりとした速度も感じますね。

 

父の日や納屋に掛けある菅の笠     吉野糸子

 俳句全体から立ち上がるノスタルジーを感じる表現ですね。菅の笠は昔ながらの労働の景によく合いますね。

 

川石を文鎮として餓鬼忌かな      安齋文則

「餓鬼忌」は七月二四日の芥川龍之介の忌日「河童忌」の子季語ですね。河童忌とすると上五の「川石」と近すぎるので避けたのでしょうか。拾ってきた川石を文鎮にして書をしたためている、という景に詩情がありますね。

 

川音の膨らむ朝雨蛙          磯部のり子

 「川音」が「膨らむ」とした表現が詩的ですね、雨蛙の声がそれに一層、趣を添えています。

 

子に譲る夏の箸置き涼しげに      大木典子

 作者の愛用の箸置きを子供に譲ったというだけの表現ですが、下五の「涼しげに」で、特別な仕様の高価なもので、使わずに大切にとってあった物だということが伝わりますね。

 

青田風課外授業の小学生        大澤游子

 田植が終ったばかりの田を吹き渡るすがすがすがしい景が浮かびます。課外授業の内容は色々想像されますが、最初に思いつくのは、みんなで田植をした景ですね。手足、顔に泥をつけた元気な姿も浮かびます。

 

三々五々渡御の出を待つ男衆      大木 尚

 しっかり昔ながらの祭の意義と伝統を大切にしてる人達の姿が浮かびます。「渡御」とは神輿渡御、「神輿で練り歩くこと」で、神さまが神輿にのって街を練り歩き、大きな力を振りまいて人々の「災い」を清めるという意味があり、だから神輿を激しく揺さぶり、神さまの力を高めて豊作や大漁を願う理由があるのですね。この句では男衆が神輿担ぎの出番を待っている場面で、そんな伝統を守っている町の雰囲気も伝わりますね。

 

占ひは信ぜず七夕祭かな        風見照夫

 一見、占いと七夕祭は無関係のようですが、双方とも人間が考え出した非現実的なものである、という共通点がありますね。その一方はあまりいいことではなく、一方には抵抗がないという違いの不思議を詠んだ句ですね。 

 

藁屋根に一叢の草南風(みなみ)吹く       金井玲子

 藁葺屋根に生きている草が生えるまでには、それなりの時間の経過を必要とするでしょう。その落ち着いた風情を「南風」と季節感の中で表現して詩情がありますね。

 

夢の世や茅花流しの只中に       近藤悦子

 「茅花流し」は初夏の季語で、茅花の花穂を吹き渡る、雨の気配を含んだ南風ですね。自分の人生という夢のような時間を、その風の只中に置いた詩的な表現ですね。

 

研ぎ味をトマトに試す朝曇       坂本美千子

 刃物の具合を日本語では「味」という言葉で表現しますね。この句の「研ぎ味」そしてその「切れ味」というふうに。それをトマトで試している景ですね。下五の「朝曇」で、刃物の鋭利さが少し曇って感じられているという繊細な表現ですね。

 

青嵐石の天使の翼しなう        鴫原さき子

 石の天使の彫像の翼まで、風に撓っているようだ、という表現ですね。とはいっても、青嵐は初夏の、青葉を揺すって吹き渡るやや強め風という程度の強さですから、翼がまるで飛翔しているようだ、という句意に主眼がある表現ですね。

 

潮騒の中なるランチ冷し蕎麦      摂待信子

 海の香のするレストランのランチといえば、洋食を思い浮かべますが、「冷し蕎麦」だという表現ですね。冷し中華のことかとも思いますが、やはりここは和の蕎麦の意外性がいいですね。

 

春蟬とワーグナー聴く庭テラス     高橋光友

 ワーグナーと言えば壮大な交響曲の響を思い浮かべてしまいますが、春蟬との響演ならば、室内楽ほどの心地よい小曲かもしれませんね。

 

積石に秋重ねゆく生家かな       高橋みどり

 積石には和風建築の分厚い塀、または建物の柱の下に置く土台、礎があります。この句は後者の方を思い浮かべますね。その「重ね」と季節を重ねて、詩情がある表現の句ですね。間接的に両親と、そこで育った自分の過去の歴史に対する慈しみが感じられますね。

 

何気なく腰を弄る芝の栗        服部一燈子

 普通名詞的には「芝栗」という品種を指す言葉を、「芝の栗」と、間に「の」を入れて山野に自生する野性の栗であることを表現した句ですね。野性の目立たないようすを「何気なく腰を弄る」としたのが効果的ですね。

ひと粒づつ物種を蒔く胸に母      宮坂市子

「物種(ものだね)」は穀物・野菜・草花などの種のことですね。「ものざね」とも読み、他に「ものごとの、おおもとになるもの」という意味もあります。その語感を踏まえて、種蒔きをしているとき、母の代からもそうしてきた、という思いを抱きしめる表現にして味わい深いですね。

 

もう起きて歩いてみるか熱帯夜     村田ひとみ

 熱帯夜で眠れない思いをした方は、今年の猛暑では誰もがした経験でしょう。作者はついに起き上がって、少しは涼しい外気の中を歩こう、と決心したようです。

 

歌舞伎座の列に香水並びくる      柳沢初子

 誤読かもしれませんが、わたしはそこに一つの迷惑行為的なことを感じて暗に批判しているような作者の思いを感じました。そんな人が隣りの席にいたら、気が散って、観劇どころの気分ではなくなりますよね。

 

 「あすか集」十月号から 感銘好句

うらうらと紅葉かつ散る日の床几    紺野英子

 「床几」は移動用の折り畳み式簡易腰掛けで、脚をⅩ状に組み合わせ、上端に革や布を張ったものですね。これに座って屋外の紅葉を鑑賞している景が浮かびますね。

 

紅花の刺まだ柔きひと抱へ       齋藤保子

 紅花の茎の刺は早朝は柔らかいですが、日中は固くなって刺されると痛いようです。そのことを知っている栽培家のような実感のこもる表現ですね。

 

異論などある筈もなく西瓜食ぶ     笹原孝子

もちろん、西瓜を食べることに誰も異論はないでしょう。その言い切りのユーモラスなことに加えて、他の議論まで断ち切ってしまうような爽快さがありますね。

 

  猫じゃらし午後は品薄直売所      須賀美代子

 上五の路傍の草「猫じゃらし」で、その直売所がある場所まで想像できますね。農作物は朝出しが普通ですから、午後、何か残っていたら幸運ですね。売れ残りものですが。

 

煮炊きして命の伸びる梅雨晴間     須貝一青

 作者は愛妻を亡くされ、独り暮らしで、自炊が億劫に感じられている日々なのでしよう。だからこの句は「久ぶりに」が省略されたものと読むと、共感される人が多いのではないでしょうか。

 

  踊の輪くの字の爺のしなやかに     鈴木 稔

 賑やかな祭の踊りの中で、一際目を引くご高齢の方のようです。腰は曲がっていても、年期の入った所作が見事だったのですね。高齢者への敬意とやさしさを感じる句ですね。

  早々に雨戸繰る庭五月闇        砂川ハルエ

「五月闇」は陰暦五月の、梅雨時の夜の暗さのことですね。この句で、未明に雨戸を開けたのは、おりからの猛暑のせいだということが想像されますね。

  窓広き路面電車の街涼し        関澤満喜枝

最近の電車は冷暖房完備で窓は開けないことが多いですね。この句ではそんな路面電車の大きい窓の車内を涼しい、といわず、「街涼し」としたのがいいですね。

 

手はどこと探すや葛が蔓伸ばす     高野静子

 誰が誰の手の在処を問うているのか不明の表現ですね。わたしは旺盛に蔓を伸ばす蔦が、まるで触手のように何かを弄っているようすを読み取りました。

 

風鈴の風なき夜にチリと鳴る      高橋富佐子

 無風の蒸し暑い夜の景が浮かびますね。風鈴の音色はふつう涼を感じるものですが、「チリ」とだけ一音聞こえたという表現で、暑さが際立つ効果をあげていますね。

 

屋根上に気位高き花南瓜        滝浦幹一

瓜はふつう露地や棚がけ栽培ですが、この句では蔓が屋根まで延びて花を咲かせているようです。それを「気位高き」と表現して詩情がありますね。

 

猛暑日や猫は尾っぽで生返事      立澤 楓

飼猫の横着なまでの、ちょっとしたしぐさを切り取って、この暑さだもの、と笑っている作者のやさしいまなざしを感じる表現ですね。

 

風船の夏空めざし塔を越ゆ       千田アヤメ

 ただ風船が空へ上っていくと表現せず、目に見えるような「塔を越ゆ」としたのが効果的ですね。塔のある街並みも見えますね。

 

引越すも表札そのまま梅雨湿り     坪井久美子

 梅雨湿りの最中、引っ越し作業が終わったばかりでしょうか。取り急ぎ、旧居から持ってきた表札を玄関に掛けたのでしょう。当座の間に合わせか、愛着あるものだったのでしょうか。

尾根道を点す紫葛の花         中坪さち子

 まるで紫色の葛の花が、道先案内のように「点」っているという表現に詩情がありますね。尾根道、とありますから、登山の場面が想像されます。

 

大花火遠音にひびく宵の風       成田眞啓

 下五を「宵の風」としたのが効果的ですね。その風に乗って、遠花火の音が運ばれてきたかのようです。

 

父の日やモールス符号打つてたネ    西島しず子

 いろんな場面が想像される句ですね。父上が昔、無線士だったので、居間にいても無意識に家族の前で、モールス符号のリズムを刻んでいた、というような景を思い浮かべました。この符号を音や光で信号にするのがモールス信号なのてすね。モールスは発明者の名ですね。

 

家ごもりごろりごろごろ大暑かな    沼倉新二

 大胆に擬態語の畳句で一句を成立させ、そのようすまで目に見えるような表現で、おもわず笑ってしまいました。

 

一幅の幽霊の絵や夏の寺        乗松トシ子

 たぶん高名な日本画家の筆になる幽霊画なのでしょう。少し黄ばんでいるでしょうが、その鬼気迫る雰囲気が伝わりますね。

 

山百合の咲けど香れど人の無き     浜野 杏

咲けど香れど」のたたみかけが効果的ですね。こんなに綺麗に咲き、香り立っているのに、という作者の思いが溢れる表現ですね。

 

蟬さえも声をひそめて夕を待つ     林 和子

 今年は猛暑のせいか蟬の声をあまり耳にしませんでした。ニュースでもそのようなことが報道されていましたね。このまま異常気象が続けば、季語の「蝉時雨」が絶滅遺産になるかもしれませんね。

 

貝殻を砕きて鶏に秋の朝        平野信士

 自家製の餌で鶏を育てている方でなけれぱ詠めない句ですね。定期的にそんなカルシウム分を含んだ餌を与えないと、外殻のない甘皮だけの卵が生まれるそうです。

 

今年また魔除け風鈴軒先に       曲尾初生

この風船は涼を呼ぶための澄んだ高音を立てるものではなく、古代の風鐸の流れを汲む「魔除け」的なものでしょうか。毎年、玄関先に吊るされているようです。

 

痛み出す腰椎側弯梅雨湿り       幕田涼代

 「腰椎側弯」とは「腰椎変性側弯症」の略語で、脊柱が側方や後方に曲がってくる症状ですね。罹患経験のない人には馴染みのない医学専門語です。加齢によって激しい神経系の痛みを伴う、脊椎、手足の骨の病気にかかりやすくなるので辛いですね。

 

遠雷の転がる音や歯科帰り       増田綾子

 雷鳴が転がるように鳴り響いて感じられたのでしょう。治療したばかりの歯の神経に響いたのかもしれません。

盆灯籠五百羅漢に嘆き顔        水村礼子

 五百羅漢像はたくさんあり過ぎて、普段は一体一体の表情に気をとめたりしませんが、盆灯籠の灯の真下になった一つの像が、まるでスポットライトを浴びたかのように見えたのでしょうか。しかも作者の心情を反映してか「嘆き顔」に見えたのですね。

 

あの山のあのあたりかな秋茜      緑川みどり

 「秋茜」は初夏に山地へ行き、秋になると平地に群れて帰る習性があるそうです。その「帰り」を待ちわびているような表現ですね。

 

酷暑なり出口の見えないことばかり   望月都子

 俳句はストレートな感情表出をすると、奥行きのない、それだけの狭い表現になってしまうおそれがありますが、この句は、今年の猛暑という異常体験で、そんなこと、構ってられないほどだった、という共感させる力がありますね。

 

玄関の主となりて棕櫚の花       保田 栄

 玄関先に植えられた棕櫚がある家なのですね。見事な花が咲き、今では主のようだ、という感慨表現ですね。他の植物ではこうはいかないですね。

 

幸せを詰めて赤らむさくらんぼ     安蔵けい子

 上五の「幸せを詰めて」が、元気な赤ちゃんの艶々とした、膨らんでいる頬っぺたのような表現ですね。

 

パリ五輪壁に大判世界地図       内城邦彦

 五輪に限らず、スポーツ・イベントの世界大会になると、活躍する参加選手の国の場所を知りたくなりますね。この句では大判の世界地図を用意したようすですね。ただ、五輪だけでは季語にならないので、有季俳句にするのなら、「夏季五輪」と書くべきですが、「パリ五輪」と言いたかったのでしょう。あのパリの熱気に季節感を感じましたよね。

 

砂浜に足跡残し夏惜しむ        大谷 巌

 波が寄せる浜辺の足跡は、すぐ消えてしまう、はかないものですね。それが下五の「夏惜しむ」の季語とぴったりの表現ですね。

 

老い愉し塩分控へ梅漬けて       大竹久子

 上五で「老い愉し」と断言されていて、どうして、と思ったら、その後が、気持ちの表明ではなく、具体的に塩分控えめにして梅を漬けている表現になっているのが、効果的で読者も元気をもらいます。

 

夏草や目高の墓をつつむかに      小澤民枝

「つつむかに」という下五の表現で、目高の墓まで作ってあげる作者の気持ちという「心の手」で、包んでいるようなやさしさが立ち上る表現になっていますね。

 

汗流し厨は主婦の戦場よ        柏木喜代子

 孤独な「戦場」ですよね。共感される方が多い句でしょう。いろんな境遇も想像されます。

 

消灯の病室照らす梅雨の月       金子きよ

 明りが付いているときは気づかなかったのでしょう。消灯と同時に、蛍光灯の市内の光とは違う、やさしい月光が病室を満たしたのですね。梅雨の時期の雲間から差す月光ですね。

 

白南風同じ時代を走りぬけ       神尾優子

 時代を同じくして生きたのが、誰または何かということが略された、俳句的表現なので、まるで上五の白南風という季語と共に、というようにも解釈できる句ですね。変わらぬ季節の風だけど、このときの、この風は特別だったいう感慨が立ち上りますね。

 

曼珠沙華昔々は土饅頭         木佐美照子

 今のように死後、火葬にされて整備された墓地の墓に埋葬されるようになる前、日本全国「土葬」で墓印も粗末な時代の方が永かったのでしょうね。曼珠沙華はそんな昔の景に相応しいですね。

 

父の日に贈りしシャツの着惜しみて   城戸妙子

 わたしたちの父母の時代は倹約質素の文化が根付いていました。物を大切にする亡き父の面影がうかびます。と同時に、娘から貰った贈りものが嬉しくて、着ないで大切にとっておかれたのかもしれません。

 

マリネして振舞うさっぱ釣り三昧    久住よね子 

 マリネは、肉・魚・野菜等を酢やレモン汁などの漬け汁に漬け込む料理ですね。サッパ(この句ではひらがな書きされています)はニシン目に分類される汽水域に生息します。共通の釣りという趣味で楽しげな雰囲気が伝わる句ですね。

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九月あすかの会秀句 兼題「澄む 積」   2024年9.27

2024-10-01 11:31:26 | あすかの会 2024年・令和6年

  九月あすかの会秀句 兼題「澄む 積」   2024年9.27

 

 野木桃花主宰の句

目鼻あるトーテムポール秋気澄む

新涼の澄みし空気に包まれる

積年の夢が叶ふ日涼新た

フルートの音色澄みく望の月

 

 野木主宰特選

籾袋積み込む蔵や窓一つ    市 子

  武良竜彦特選

諍ひはなかったことに石榴の実 孝 子

  秀句  選の多かった順 

木道に硬き靴音秋気澄む         尚     最高得点句

 今日の月空の広さを上りけり      さき子    準高得点句

 

消印は積丹岬鳥渡る          悦 子

歩荷積む荷の高々と秋の空        尚

 

透析の血の色澄みし後の月       かづひろ

災禍なほ止まぬ列島草ひばり      英 子

かなかなの声の限りの句読点      さき子

星澄むやライヴの火照りより出でて   ひとみ

 

暮れなづむ神田古書店秋の色      悦 子

まつすぐに置くや涼しき紙と筆     悦 子  

秋の澄むこの郷生れ替りても      市 子

逆しまに揺らめく湖景水澄めり     英 子

 

澄む水の川音尖る谿深し        礼 子

秋雲の風に散らされラブの文字     礼 子

面積の公式さらふ休暇明        礼 子

一葉義経末路語るかに        英 子

河原石積んで竈に芋煮会         尚

この径の終点は何処真葛原       玲 子

積み上る瓦礫に秋の大夕焼       玲 子 

木道に色なき風の岐れゆく       典 子

積ん読の机辺のあたり秋気満つ     孝 子

積雲の折り重なりて野分前       都 子

 

秋澄むや山間の村過疎進む       市 子

風よけて休むや新藁積む陰に      市 子

強力へ積荷を分けて鰯雲        かづひろ

湧水の音澄み切って鰯雲        かづひろ

行商にもとめしぼた餅居待月      かづひろ

松虫を門外不出の古刹かな       さき子

灯火親し吾積ん読に成り果てぬ     さき子

廃城の石積む隙間苔の花        英 子

船底に石積む帆掛け秋時雨       典 子

娘来て芋煮馳走になろうとは      典 子

誰ぞ積むケルン撫でゆく秋の風     典 子

鰯雲遺跡の上に建つ校舎        玲 子

魁夷見て庭園巡る水の秋        玲 子

ゲリラ豪雨過ぐ虫の音の高らかに    ひとみ

左右荷を持ち替えて秋没日       ひとみ

積読の嵩より一つ秋灯し        ひとみ

秋うらら定期満期の通知来る      礼 子

敬老会一際高く澄んだ声        礼 子

油照コンクリートジャングル人を呑む  都 子

パリ五輪人力競ふ秋の空        都 子

皓皓と空を澄ませて盆の月       都 子

大皿に猫の足跡秋日和         悦 子

秋澄めりどこやらの児の無き騒ぐ    孝 子

稚の名を尋きつ訊かれつ盆の家     孝 子

 

参考 ゲスト参加 武良竜彦

秋澄むや我が身に刻む戦禍あり

この星はかぐやの流刑地夕月夜

秋の河原石を積みては父母のため 

過失なら赦せますかと曼珠沙華     

 

講話 あすか塾 65

和讃「賽の河原の石積」は生諸事のあわれ・日本人の仏教的心性の原型

 

人が死んで冥土の旅に出た後、三途の川の手前にある河原に至る。それが賽の河原
親よりも先に死ぬと、賽の河原に行き、石積みをしなければならないという俗信があった。根拠は『法華経』の「童子戲聚沙爲佛塔」和訳「童子の戯れに沙(すな)を聚(あつ)と塔を為す」である。これを元に鎌倉時代の法相宗(ほっそうしゅう)の僧侶、貞慶(じょうけい)が作った『賽の河原和讃』。

      ☆

〇 その冒頭

帰命頂礼 世の中の 定め難きは無常り。

※「帰命頂礼(きみょうちょうらい)」仏に信順し,仏の足を自分の頭に戴き礼拝すること。仏教の

最敬礼。仏に祈念するとき,その初めに唱える語。


親に先立つ有様に 諸事のあわれをとどめたり。

※この一文で、この和讃が人生の苦難の比喩であることを示している。

一つや二つや三つや四つ 十よりうちの幼子(おさなご)

母の乳房を放れては 賽の河原に集まりて

昼の三時の間には 大石運びて塚につく。


夜の三時の間には 小石を拾いて塔を積む。

一重(ひとえ)積んでは父の為

二重(ふたえ)積んでは母の為

三重(みえ)積んでは西を向き

しきみほどなる手を合わせ 

郷里の兄弟わがためと

あらいたわしや幼子は 

泣く泣く石を運ぶなり。

     

〇 賽の河原和讃の教えの意味

 この世は無情の世界であることの比喩で、ここでの子の受難劇は人生の比喩。

 親よりも子供が先に死んでしまうという設定は、自分や親兄弟を見舞う災難の典型的な例示。その中に自分の行いの報いの意味も秘められている。

 子供は死後(人生の最中)賽の河原という疑似地獄に行き、「一重積んでは父の為、二重積んでは母の為」と石を積んで仏塔を作る。朝六時間、夜六時間、泣きながら石を運び続けねばならず、石にすれた手足がただれ、指から血がしたたり、体が鮮血に染まる。その苦しさに、
「お父さーん、お母さーん、助けてー どうして助けてくれないのー」
とその場に崩れ、突っ伏して泣くことになる。

 すると、獄卒のがにらみつけ、
「なんだお前のその塔は。ゆがんでいて汚いな。そんなもので功徳になると思うのか。
早く積み直して成仏を願え」
と怒鳴りつけ、せっかく作った塔を鉄の杖やムチで壊してしまう。

 このように毎日十二時間、石を積んでは崩され、石を積んでは崩され、これをいつ果てるともなく繰り返すことになる。母親のお腹に宿ってから十ヶ月、両親に様々な心配をかけ、大変な苦しみに耐えて、血肉を分けてこの世に産んでくださったのに、親孝行もせずに先立ち、両親を悲しみ苦しませたのは、恐ろしい五逆罪である。

 悲しみ苦しませた父親の涙は火の雨となり、母親の涙は氷のつぶてとなって、やがて自らにふり注いでくる。近づくと両親の姿はたちまち消え失せて、河の水は炎となって燃え上がり、身を焼く。

 

〇 賽の河原の石積みの和讃は、この世の苦しみの比喩 そこからの解脱へ

 人は毎日朝から晩まで汗水たらして働いている。生き地獄である。

 目標を達成しても次の目標がある。和歌にもこう詠まれている。

越えなばと 思いし峰に 来てみれば なお行く先は 山路なりけり

 それは、果てしなく続いて、これで終わったということはない。

 どこまで行っても、心からの安心も満足もなく、汗と涙で築いたものが色あせ崩れる悲劇を繰り返し、人生を終わって行く。

 果てしなく繰り返す賽の河原の石積みは、私たちの人生の姿である。

 それは親不孝、兄弟不幸、我欲の結果である。それを改めなさい、ということ。

 それを自覚して心の地獄から脱出しないさいという教えの和讃である。

 

 

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