あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

あすか塾 2022年 ⑷ 7月から

2022-07-26 10:28:04 | あすか塾  俳句作品の鑑賞・評価の学習会
1 今月の鑑賞・批評の参考 (「あすか塾」八月) 


◎ 野木桃花主宰句(「青山河」より・「あすか」二〇二二年七月号)
手鏡に青空を溶き風涼し
元町をまつすぐまつすぐ夏の蝶
海へ出る路地白日傘傾けて
抽斗に終活ノート遠雷す
沁み沁みと独りの時間青山河

【鑑賞例】
 一句目、「青空を溶き」で、梅雨入り前の空の爽やかさを、その手にしているような表現ですね。 二句目、夏の蝶がまるで散策する人の道案内をしているような、楽しいリズム感がありますね。 三句目、梅雨入り前の晴れた日に、海までの道をあるく白日傘がまぶしいですね。以上の三句は神奈川現俳協の横浜吟行会のときに詠まれたようです。四句目、終活ノートを書く年齢になった感慨が下五の「遠雷」に込められていますね。「したためて」とは言わず「上五」でただ「抽斗に」とする俳句的省略が効いていますね。五句目、主宰という立場は結社を導く緊張感の中にあります。だからこそ、独りの時間が貴重なのですね。下五の「青山河」の視界が開かれるような季語が効果的ですね。

〇 武良竜彦の五月詠(参考)
キチキチの詰め物五月十五日

(自解)(参考)
「キチキチの」は「基地、基地」の語呂合わせで、沖縄に米軍基地が日本全体の70パーセントがあることを暗に批判したものです。五月十五日は沖縄慰霊の日。

2 「あすか塾」41 8月 

〇「風韻集」作品から 「あすか」7月号 
 
露草を見つけ恩師の顔浮かぶ                           三須 民恵
 朝だけ咲く可憐な露草の花を見つけて、それを季語に俳句を詠んだ記憶に、俳句の師との思い出が甦ったのでしょうね。

喜びのメール絵文字の初出社                           宮坂 市子
 今年が初出社の子供からのメールでしょうか。自分はあまり使わない若々しい絵文字に、心が弾んでいますね。

風光る観音堂へ後二段                              村上チヨ子
 「後二段」の措辞で息を弾ませて今、階段を上っているさまが浮かびますね。上五の「風光る」もいいですね。

すきとほる鴬の声家苞に                             柳沢 初子
 「家苞(いえづと)」はわが家に持ち帰るみやげもの。鴬の声をお土産に持ち帰ろう、という詩情豊かな句ですね。この「家苞」は万葉の時代から使われたゆかしい言葉で、もともとは藁などを束ねてその両端を縛る「藁苞」で、後には贈物や土産品の意味に使われるようになった言葉。こういう言葉を使うと趣があって、いいですね。

さみどりの風を迎えて武者幟                           矢野 忠男
 幟が「風を迎えて」という表現が生き生きとしていますね。

骨董市出店割り振り牡丹散る                          山尾かづひろ
 自分が出店の割り振りをしているような、感情移入した表現がいいですね。

旅宿に友と雑魚寝や明け易し                           吉野 糸子
 下五が季語の「明け易し」ですから、夜が白むまでおしゃべりをしていた愉しさが伝わります。

残る雪戦火の中に幼の目                             磯部のりこ
 時節柄、背景に大国の隣国への軍事侵攻を思ってしまいますが、特定しなくても、幼い子供たちが真っ先に犠牲になる戦争への、静かな批判が伝わりますね。

野遊びや仏の父を連れだして                           伊藤ユキ子
 父の位牌でもいいですし、心の中の父でもいいですね。心の中にいつも父がいる、そんな思いを抱えた作者の人柄が伝わります。

芽柳や風の形をみてゐたり                            稲葉 晶子
芽柳の揺れる形に「風の形」が見えるようですが、それを芽柳がみているとした表現がいいですね。

春落葉深き土塁の昏さかな                            大木 典子
 土塁は城の砦のことで、土で造った砦ですね。「昏さ」という表現から、いにしえの命を懸けた攻防に思いを馳せているようです。
            
はくれんの終の錆色病む地球                           大澤 游子
白木蓮をひらがな表記で、その散り際にさす錆色に、病んでいる地球の姿と未来の憂いを表現しました。
  
しがらみを振りほどくかに樹々芽吹く                       大本  尚
漆黒の幹の漲る老桜                                 〃

 一句目、人生や世間的な煩わしさを「振りほどいて」いるような隠喩的表現に深みがありますね。二句目、普通、漲るといったら、命とか、力とかの関連で使う語ですが、それを裏切って「漆黒の幹」と表現して、老いの中にもある命の美学を「老桜」に持たせたのがすごいですね。
 
はなびらに重さありけり鯉の髭                          奥村 安代
鳥雲に入るひとひらの置手紙                             〃

 一句目、花弁は重さというものがないが、鯉の髭という触覚なら、その重さを感受できそうですね。その繊細さの表現がいいですね。二句目、「ひとひらの置手紙」という表現がいいですね。言葉が風に舞っているようで、書かれている伝言も軽やかに感じます。

万霊が城址を埋めて飛花落花                           加藤   健
 この城址に纏わる人々の苦難の記憶としての「万霊」を感じ取っているのですね。下五の「飛花落花」に抒情性が立ちあがります。

黄昏の海を眼下に鐘朧                              金井 玲子
花種を蒔くや戦禍を思ひつつ                             〃

 一句目、高台にある鐘楼の鐘が眼下の黄昏の海原に響き渡ってゆくさまが目に見えるようです。二句目、戦禍はたくさんの命が失われること、花種を蒔くのは命の育むこと、その対比が効いていますね。

母の眼の虚空に遊ぶかすみ草                           坂本美千子
 亡き母の視線を感じているのか、存命の母の、もう言葉を発せず、視線だけが何かを語っているのを見守っているのか、その双方が浮かぶ表現ですね。

青空の重たくなりし八重桜                            鴫原さき子
黙黙と苺つぶしてすねている                             〃

 一句目、八重桜はぽったりして重たげですね。その上に見える青空まで重たげな表現ですね。二句目、小さい子供が拗ねている、可愛げのあるユーモラスな表現ですね。

先がけて淡きいろなす富士桜                           攝待 信子
 富士桜は、桜の原種のひとつで日本固有種。富士山周辺や箱根を中心に多く自生することから、「富士桜」「箱根桜」とも呼ばれ、他の桜と比べて樹高や花びらが小ぶりなことから「豆桜」とも呼ばれます。他に先がけて咲く、地域性のある表現がいいですね。

一山に生あるうねり青嵐                              高橋みどり
集ひきて夜は火を囲む避暑の宿                           〃

 一句目、実感的な登山詠ですね。山と風に命の手応えを感じている表現ですね。二句目、高山の夜は暗く冷えるでしょう。一期一会の山で会った人たちとの暖かな交流のひとときですね。
 
朧月妣の笑顔に重なりぬ                             服部一燈子
 朧月のような笑顔とは、どんな笑顔でしょう。温かみのある優しい笑顔でしょうね。
 
ひとつずつ光がつつむ花こぶし                          本多やすな
 辛夷の小さな花のひとつひとつを光が包んでいるように感じた温かい表現ですね。

花月夜時のはざまに迷ひ込む                           丸笠芙美子
 桜の花の木を月光が照らす夜のことを花月夜といい、この言葉自身に何か幻想的な雰囲気があります。この句はそこに時の迷路という謎を加えていますね。 
 
◎「あすか集」作品から 「あすか」七月号
 
尖塔の先の青空みどりの日                            乗松トシ子
 地上から見上げるように青空を表現したのがいいですね。

掌に載りしバッタの子ども跳ねもせず                       浜野  杏
 小さな命を愛おしむような作者のまなざしが伝わります。

種浸す一坪菜園息子(ソク)の域                             林  和子
 一坪菜園が息子さんの「聖域」であるような表現が、それを見守る母親の優しい眼差しを感じさせますね。

退院す青葉若葉の香り食ふ                            福野 福男
 力強く、「香り食ふ」とした表現に、喜びと強い意思がこめられていますね。

安達太良山の水杓してや代田掻く                         星  瑞枝
 山とその麓の代田を動的にダイナミックに表現しましたね。
   
父と子の無二のひととき凧をあぐ                         曲尾 初生
 凧の紐を二人で握り操っているときの、心の一体感が表現されていますね。 
 
つんつんと生き方諭す蘆の角                           幕田 涼代
 角ぐむ蘆の先を擬態語で表現して、その生命力の表現かと思っていたら、「生き方諭す」と自分の心に向かってくるように表現したのが、意外性があって新鮮ですね。
 
百合剪るをためらつてゐる明日かな                        増田 綾子
 一日の部屋飾りに、いつものように庭に出たのですが、剪るつもりだったが百合が、あまりにも美しく、瑞々しく、ためらって、そのまま立ち竦み眺めていたという、感動の素敵な表現ですね。

風薫る土手の自転車空を漕ぐ                           松永 弘子                         
 「空漕ぐごとく」としないで、俳句的な言い切り「空を漕ぐ」としたのがいいですね。

友逝きてネモフィラの青空の青                          緑川みどり
 深く喪に服す思いを、天と地の二つの「青」で表現したのがいいですね。
 
十重二十重青葉若葉の径走る                           宮崎 和子
 二つの重ねことばで、走る、のリズムが伝わる表現ですね。

片かげり多弁な母と父の黙                            村田ひとみ
キーウとの時間差六時間明易し                            〃

 一句目、片陰の中を歩く両親の男女差をたくみに表現しましたね。二句目、戦禍の中にあるウクライナの首都と日本の距離を、六時間という時間に転換して、その痛みを共有しようとする意思を感じる句ですね。

五月雨の音連れ歩く古城かな                           望月 都子                      
 「連れ歩く」という表現が効果的ですね。雨を嫌がらず楽しんでいる雰囲気が出ました。

川風に託す百匹鯉幟                               安蔵けい子                          
 「託す」という表現が効果的ですね。眺めているのではなく、鯉幟を我が子のように思っている気持ちが伝わりますね。
     
しばらくを谷に久女のほととぎす                         飯塚 昭子
「しばらくを谷に」とした表現が巧みですね。久女の「谺して山ほととぎすほしいまま」を踏まえた句ですね。これは久女が四十一歳のときに詠んだ句で、久女の円熟期の代表作の一つ。夫の赴任先福岡で詠まれたもので、「山ほととぎす」の「山」は英彦山だといわれています。深緑の季節、久女は少し険しい谷伝いの山道を登り、この英彦山を訪れました。そのとき、突然何ともいえぬ美しい響きをもった大きな声が、木立の向うの谷間から聞こえてきました。単なる鳥の鳴き声を超えた神々しい響きに心を打たれた久女は、その後何度も英彦山を訪れ、その自然の中に身を置くことによって、ほととぎすの鳴き声の「真の写生」に成功したのではないかといわれています。

少年の音立てて伐る今年竹                            稲塚のりを
 勢いのある今年竹と、成長盛りの少年を取合せたのが効果的ですね。すがすがしい表現になりました。

寝室は二階なりけり月涼し                            内城 邦彦
 「二階なりけり」が効いていますね。それだけで涼しさが倍増する感じです。

青山椒味醂漬して亡母恋ふも                           大竹 久子
 きっと亡き母上がよくそうしていたのでしょう。その味と母の記憶が密接に繋がっているのですね。

大木の陰に庭師の三尺寝                             大谷  巖
 下五の「三尺寝」が効いていますね。三夏の季語、昼寝の子季語で、他に午睡、昼寝覚、昼寝起、昼寝人がありますが、「三尺寝」は日陰が三尺ほど移る間の短い眠りであるところからこういわれています。夏の暑さによる食欲不振や身体の衰弱を恢復するための昼寝で、弁当を終えた庭師さんが、ちょっとした日陰を選んで横になっている景が見えます。
 
減塩の旨みますます豆の飯                            小澤 民枝
 豆御飯の旨みを利用して、使う塩を減らしているのですね。その旨みが伝わります。 
 
飛蚊症の眼をよぎる夏燕                             風見 照夫
 私も飛蚊症なのでよく解ります。飛蚊症は視界内に小さな薄い影(蚊や糸くずなどに見える)のようなものが現れる症状で、網膜の部分剥離で起こります。本当は特定の位置に影はあるのですが、眼球の運動による視界の移動により、この影が動き回っているように感じられます。この句では「また飛蚊症の影がと思っていたら、目の前を過ったのは燕だった」と、夏燕の飛翔速度と取合せて表現し、どこか楽しんでいるような表現に転化していますね。

空気まで染めて祈りの花の山                           金子 きよ 
 花の山全体を祈りのように感じているのは、作者の心ですね。「空気まで染めて」という強調表現が効いていますね。

石仏の錫杖のぼる蟻の列                             木佐美照子                          
 まるで蟻が巡礼登山をしているような表現ですね。

望郷や壺焼の香とはらからと                           城戸 妙子
 古郷の思い出はいろいろな体験の記憶と結びついていますね。この句では「壺焼の香り」で、家族で火を囲む姿が見えますね。

受験子を預かりひたすらみじん切り                        近藤 悦子
人力車の長柄地に置く夕桜                              〃

 一句目、作者のおもてなし、励ましの心が溢れる表現ですね。二句目、江戸情緒溢れる、夏の観光の一景をたくみに表現しましたね。

日傘てふ小さな孤独持ち歩く                           紺野 英子
水に影映し皮脱ぐ今年竹                               〃

 一句目、「小さな孤独」がたくみで効果的な表現ですね。二句目、ただ竹皮脱ぐではなく、水面に投影した景にしたのが効果的ですね。

行々子都県境の歌合戦                              斉藤  勲
 東京と隣接する県の河原の景でしょうか。「行々子(ギョギョシ)」は、オオヨシキリの別名で、鳴き声からの名前ですね。「ギョギョシ ギョギョシ ギョギョシ」あるいは「ケケス ケケス カイカイシ」などと聞こえる大きな声で、多数がさえずっていると暑苦しく、煩く感じます。小林一茶が「行々子口から先に生まれたか」と詠んでいるくらいですね。この句は煩さの表現でなく、楽し気な「歌合戦」と表現して楽しんでいる感じですね。

ボート漕ぐ水やはらかし花筏                           斎藤 保子
 「水やはらかし」という表現で、ただ眺めているのではなく、まるで自分がオールを漕いでいるようですね。

荷を解くは二階角部屋朴の花                           須賀美代子
 二階角部屋、という表現が効いていますね。旅の気分が、その窓外の朴の大きな葉と花の揺らぎを含めて伝わってきます。

春キャベツ刻んで今日の始まりぬ                         須貝 一青
音もなく揺れる振子よ春愁                              〃
目に青葉グルーブホームは別世界                           〃

 今月の一青さんは深い秀句揃いでした。奥様が施設に入られて、一人暮らしの独りの時間が増えたのが影響しているのでしょうか。一句目、キャベツを刻んでいるのは自分自身の手ですね。日々の暮らしを見つめ直している心が伝わります。二句目、独り暮らしの静けさが身に沁みる表現ですね。三句目、グループホームという特別な体験と青葉を取合せた表現が効果的ですね。

城堀の水も華やぐ夕桜                              杉崎 弘明
 いつもは何気なく見ていた城のお堀ですが、夕桜を映して華やいで見えたのですね。小さな発見とときめきを感じる句ですね。
 
丹田にこんにやく湿布走り梅雨                          鈴木ヒサ子
 丹田は針灸療法でいうツボのひとつですね。そこに蒟蒻を貼るという療法なのでしょう。雨季の始まりの気分をみごとに表現しましたね。

隣より裾分け貰ふ昭和の日                            鈴木  稔
 町や村の小さなコミュニティが健全に機能していた時代の記憶の表現ですね。その、人と人との温かい繋がりも失われようとしていますね。

行き帰りのぞく校庭初ざくら                           砂川ハルエ
 行き帰り、という表現がユーモラスで、また小さなときめき感のある表現ですね。

小濁りの阿武隈川や菜種梅雨                           高野 静子
 大河の「小濁り」の表現が巧みで効果的ですね。下五の「菜種梅雨」でしっかり目前の景に引き付けた表現になりました。

小綬鶏の声愛み畑仕事                              高橋 光友
 「愛み」は形容詞「うつくし」の語幹に「み」の付いた、万葉の時代から使われているゆかしい表現です。現代語では「いとしんで」というような意味になりますが、現代語ではしっくりこない味わいのある言葉ですね。小綬鶏は身体に似合わぬ大きな声で鳴き、「チョットコイ、チョットコイ」と聞こえます。作者が「今は畑仕事しているから、行けないよ」と心で応えているかのようですね。

卯の花のこぼれて白き風を生む                          高橋冨佐子
 白き風を生む、という表現が巧みで効果的ですね。そのさまが目に浮かびます。

母の日の母若若し写真集                             滝浦 幹一
 男性にとっては、若い時代の母の遺影は特別な思いがありますね。

早起きのベランダに我が桜草                           忠内真須美 
 「我が桜草」という独り占め感がいいですね。可愛らしい花です。

二十四年の黙やぶる蘭花咲けり                          立澤  楓
 植えてから二十四年も変化がなかった蘭が咲いたのですから、感嘆もひとしおでしょう。その気持ちが巧みに表現されていますね。

苺受く子のてのひらは宝石箱                           丹治 キミ
鬼追いの目となる園児声上げて                            〃

 二句とも、子どもたちに向ける作者の、優しく温かい眼差しが伝わる句ですね。一句目、宝石箱の輝きの比喩、二句目、一心不乱な子どもらの姿の表現が巧みで効果的ですね。

春場所を応援すればすぐ負ける                          千田アヤメ
 特定の贔屓力士がいるのでしょうが、「春場所を」と興行まるごとにした表現が巧みで効果的ですね。贔屓の力士が負けたときの落胆ぶりも伝わります。

つややかに花かと紛ふ木の芽かな                         坪井久美子
 つややかに、という形容も効果的ですが、「花かと紛ふ」という和歌的な表現もいいですね。

手植えせし紫陽花富士を望む丘                          成田 眞啓
 富士山の雄姿を望む丘に、紫陽花を手植えしている景ですね。遠近感と手元への引き付け表現が効果的ですね。

陽を包む枝垂れ桜の若木かな                           西島しず子
 上五を「陽を包む」とした表現が巧みで効果的ですね。枝垂れ桜の枝が繊細な人の指に見えます。

またの名は水の入れ物七変化                           丹羽口憲夫
 まるで歌舞伎の見得きりの場面のような粋な表現ですね。紫陽花を「七変化」という言葉にしたのも、芝居がかっていていいですね。

牡丹散るねんごろにやる御礼肥                          沼倉 新二
 「ねんごろにやる」とひらがな書きにしたのが巧みで効果的ですね。作者の思いが伝わります。



      ※        ※

1 今月の鑑賞・批評の参考 (「あすか塾」七月) 

◎ 野木桃花主宰句(「梅雨の蝶」より・「あすか」二〇二二年六月号)
ゆつくりと海へ筏を組む落花
ひと言に黙の重なる新樹光
頬杖に明るさふやす桐の花
窓に置く夏雲一朶煌めきぬ
憶念の回向柱や梅雨の蝶

【鑑賞例】
 一句目、川から海への視界を入れることで、花筏の小さな花弁の壮大な旅に見えてきますね。二句目、音としての言葉に、心の無音の沈黙を重ねることで、「新樹光」の季節の、ある想いに深みを感じさせる表現ですね。三句目、愛らしい表現で、明るさが増しているのは人と花の双方であることを感じますね。四句目、本当は窓から流れる夏雲を見上げている景ですが、「窓に置く一朶」とすることで、その煌めきが部屋中に溢れるのを感じますね。五句目、「回向柱」は善光寺の御開帳の際に、本堂の前に建てられる大きな柱。参拝者はこぞってこの柱に触れようとします。この回向柱が「善の綱」によって本尊と繋がっていて、阿弥陀如来のいのちを宿すとされるためです。この句の上五「憶念」は仏教用語で、記憶して心にとどめておくこと。こういう言葉を俳句で使える技が凄いですね。下五の「梅雨の蝶」が人の魂の象徴のような表現です。 

〇 武良竜彦の四月詠(参考)
誰も採らぬ土筆居尽し多摩の土手
   
(自解)(参考)
 「土筆居尽し」が語呂合わせで言葉遊びですが、内容は大真面目に批評性を含ませました。

2「あすか塾」40  2022年七月 
  
⑴ 野木メソッド「ドッキリ」「ハッキリ」「スッキリ」による鑑賞例
―「風韻集」六月号作品から 
※「ド(感性)」=感動の中心、「ハ(知性)」=独自の視点、「ス(悟性)」=普遍的な感慨へ。
この三点に注目して鑑賞、批評してみましょう。この評言を読んで自分の句のどこが良かった
のかと、発見、確認をする機会にしてください。   
  
            
この海はかつて戦場月おぼろ                           丸笠芙美子
 吟行は主に「今」の季節を詠みますが、その場所の「時」を詠む視点も大切ですね。          

若い枝我にも有りて夏来る                            三須 民恵
 初夏の木々が枝を広げる様の生命力の心象で、自分の内なる命の鼓動を噛みしめている句ですね。  

チェーンソー唸り雪解け急かしたる                        宮坂 市子
 山仕事の始動の様を、音響効果でみごとに詠みましたね。 

新品のかたき靴紐梅真白                             村上チヨ子
 足元の新品の靴紐から、頭上の白い梅の花へと視線を移動した表現が効果的ですね。 

青き踏む砲火に沈む国のこと                           柳沢 初子
 直接的に反戦や批判の思いを述べず、噛みしめるように詠んだのがいいですね。

夏隣瀬音の軋む水車かな                            矢野 忠男
「瀬音」は浅瀬を流れる川の音ですね。散文的には軋んでいるのは濡れている木製の水車ですが、それを川全体に響くような「瀬音の軋む」としたのが効果的ですね。

仁王像蜂の巣作り黙視して                           山尾かづひろ
実際は仁王像の傍に蜂が巣をかけている景ですか、それを「仁王像」が「黙視」していると表現して、詩情がありますね。仁王は金剛神・金剛力士ともいい、元来はインド神話の神で、寺門(仁王門)の左右に安置され釈尊を衛っています。

パレットに押し出す黄色花菜畑                          吉野 糸子
 花菜畑の絵を描いている景と解してもいいですが、比喩表現と解しても鮮やかですね。 
            
せせらぎをひかりの帯に木の芽風                         渡辺 秀雄
 散文にすると「せせらぎを光の帯のようにして」ですが、「に」で切って、季語の風に繋ぐと、俳句らしい詩情溢れる表現になりますね。 
     
水草生ふ列をなしたる稚魚の群                          磯部のりこ
 視線が水面から水中へ透き通るように入ってゆくリズムが効果的ですね。

どこまでが故郷の空鳥雲に                            伊藤ユキ子
 空には境目などない、と言えば理屈の世界ですが、「どこまでが故郷」と韻文的な問いの表現にすると詩情が立ちあがりますね。「鳥雲に」という空間の広がりと季節性の言葉の下五が効いています。

山焼きの焔にはかに狂気めく                           稲葉 晶子
 野の火の姿は風などの影響で姿を変えますね。在る一瞬に「狂気」のようなものを感じたのですね。「めく」で切った表現が効果的ですね。 

陽に弾け風に弾くる石鹸玉                            大木 典子
 「石鹸玉」の軽々とした浮遊感を「弾ける」という動詞のリフレインで表現したのが効果的ですね。             

燕来る母郷の空を袈裟斬りに                           大澤 游子
 燕の飛翔の素早さを日本刀の「袈裟斬り」の鮮やかで表現したのが効果的ですね。
 
ミモザの黄少し重たき空の下                           大本  尚
 尚さんの心象投影的な造形表現はいつも詩情がありますね。やや重苦しい思いを抱えている(空に託した心の)状態を、逆に鮮やかな「ミモザの黄」に対比して効果的ですね。
 
卒業歌ふるさとの海まつ平                            奥村 安代
「あすかの会」での投句で絶賛された句です。「卒業歌」ですから、これから生徒たちは違う環境に踏み出すのですね。青く平に広がる故郷の海の記憶は、みんなの心の拠り所となってゆくでしょう。

ウォークはまづ連翹の所まで                           加藤   健
「まづ」に言外の思いが詰まっていますね。今日はここまで、明日はどこまで、という未来への目標という視界がひらけてゆくような表現ですね。

余寒なほこんと音立て募金箱                           金井 玲子
 余寒の中、募金箱の乾いた音の表現が効いていますね。自分のこの献金が、だれかの幸いに繋がりますようにという、祈りの音でしょうか。

昨夜の雨畝を濃くせる菠薐草                           坂本美千子
 雨が畝の色合いを濃くしたのですが、「昨夜の雨」で切った俳句表現にすると、「菠薐草」が「畝を濃く」した、と生き生きとした表現になり、より鮮やかになりますね。 

かさと音立てて余寒を投函す                           鴫原さき子
 さき子さんの、「余寒」のような非物質的な概念語を、具象のように転換して詠む技には、いつも鮮やかな切れがありますね。

春雪に耐へ竹林の立ちあがる                           攝待 信子
 実際の景として想像すると、竹林の枝から雪が零れて、竹が起き上がった場面だと思われますが、それを「春雪に耐へ」と表現することで、詩情が深くなりますね。
 
蒲公英の絮を弾きて祖母となる                           高橋みどり
「弾きて」の「て」で切って、下五の「祖母となる」の、直接的な因果関係のないものに繋げる、少しずらしたような呼吸の表現で、作者の深い感慨が立ちあがりますね。
 
食に帰すあらゆる木の芽山に入る                         服部一燈子
一般にはサンショウの若芽を「木の芽」と言います。この句の「あらゆる」は種類ではなく、「見つけた木の芽のすべて」という意味でしょう。下五の「山に入る」に喜びのリズム感がありますね。
 
湯煙は大地の息吹枯尾花                             本多やすな
 比喩ですが、俳句的に言い切り表現にすることで詩情が立ちあがりますね。


◎「あすか集」(「あすか」六月号) から
 
金婚や源平桃の争わず                              沼倉 新二
「源平桃」は紅白の花が同じ木に咲く桃ですね。その名のようには争わず咲いていると見立てて、自分の「金婚」を迎えた穏やかな日々に思いを寄せた句ですね。

花満ちて瑞穂国の浮き上る                            乗松トシ子
 衛星のような高度から日本列島の花の季節を眺めると、とりどりの花かざりに彩られて、宙に浮きあがって見えるだろうという視野の大きな表現ですね。 

笑草や「元気を出して」と言いたけに                       浜野  杏
「笑草 (エミグサ)」は甘野老(あまどころ)・鳴子百合・牡丹蔓・竜胆の古名で、その中の「甘野老」は細長い鐘形の白い花が二個または一個ずつ咲きます。地下茎から澱粉を採るほか、すり下ろして腰痛、打撲傷に用いたりする草です。まさに「元気を出して」と励ましているような草ですね。

柱の傷二センチ上がって春休み                          林  和子
 童謡の歌詞「柱の傷は一昨年の五月五日の背比べ」を踏まえた句ですね。春休みに計ったら二センチ成長していたのでしょうか。子供への愛情を感じる句ですね。

父の忌や手もて墓石の雪を掃く                          星  瑞枝
 「手もて」という、直接触れるという心の動きが感じられる表現が効果的ですね。
   
新しき塔婆を撫づる涅槃西風                           曲尾 初生
 「涅槃西風」は陰暦二月一五日の涅槃会の前後に吹く風で、「涅槃会」は釈迦入滅の忌日に行う法会ですね。ですから「塔婆」は表現として少し近い言葉ですが、「新しき」「撫づる」という言葉で表現すると詩情が豊かになりますね。

俄陽に花芽となりし春キャベツ                          幕田 涼代
 野菜などの花茎が伸びてかたくなることを、薹(とう)が立つといいますが、春キャベツなどがそうなると、キャベツとしては旬を過ぎたことになってしまいますね。成長が早いの「俄陽」で、薹が立ってしまったのでしょうね。春の日差しの暖かさを具象化した表現ですね。

空畑を埋めなづなとほとけの座                          増田 綾子
 なづな、ほとけの座、といえば春の七草ですね。「芹(せり)薺(なずな)御形(ごぎょう)繁縷(はこべら)仏(ほとけ)の座(ざ)菘(すずな)蘿蔔(すずしろ)、春の七草」と唱えて覚えました。七草の二つを並べるだけで、読者の頭には後の五つが浮かんで、空畑を埋めつくしている様が見えますね。

春野菜直売主婦の顔となる                            緑川みどり
 散歩か別の用事で出かけた道すがら、「春野菜直売」に出会ったのですね。忽ち主婦の顔になったという表現がユーモラスで活気に満ちていますね。
 
夜桜やそっと振れ合う肩と肩                           宮崎 和子
 人と人との微妙な距離感を「そっと振れ合う」で表現しましたね。「触れあう」ならもっと近い恋人、夫婦や家族、知人の距離感で、この「振れ合う」は行き交う他人という絶妙な距離感でしょうか。

受け入れると言ふは易しよ春の虹                         村田ひとみ
囀や五年三組黙食中     
                            〃  
 二句とも「あすかの会」で好評の句でした。一句目は避難民の受け入れ問題という時事も背景に感じますね。二句目もコロナ禍の中での子供たちの姿に感慨を感じます。

この空の果ての戦火や地虫出づ                          望月 都子
 名指ししてはいませんが、背景にロシアのウクライナ侵攻のことがある句でしょう。日本のこの空と一続きのできごとであると、思いを馳せた句ですね。「地虫出づ」の季節なのに、と。

勢子の声牛の角突き佳境なり                           阿波  椿                       
 「牛の角突き」は新潟県長岡市山古志地域・小千谷市などの「二十村郷」周辺で江戸時代より行われている闘牛の一種。 国の重要無形民俗文化財に指定されています。リズム感のある表現で現場の空気が伝りますね。
         
歓声に風を捉へて凧あがる                            安蔵けい子
 中七の「風を捉へて」で、勢いよく凧が空に舞い上がる姿が見えますね。
  
春泥や子が地団駄を踏むやうに                          飯塚 昭子
 散文的には下五「踏むやうに」の後が省略された俳句的な表現ですから、そこから先は読者の鑑賞に委ねられます。「春泥」を前にすると、「だれもが子供のようにその中で地団駄を」とも読めますし、どのように読んでも自由ですね。

クラブ振る広さ見定め花辛夷                           稲塚のりを
 誰かがクラブを振っているのを見ているのか、自分が振っているのは明かされていませんが、辛夷の花が咲いている木がある庭で、その木との距離を測っていることが伝わりますね。

跣足袋雨持て余す穀雨かな                            内城 邦彦
「跣足袋」の読みは「はだしたび」で地下足袋のことですね。靴ではなく、あくまでも足袋なのだけど、直接戸外で履けるように底を厚く作った足袋ですね。それが「雨持て余す」ほどの雨量で「穀雨」を実感的に表現した句ですね。

花見とや妣の使ひし遊山箱                            大竹 久子
「遊山箱(ゆさんばこ)」は、徳島県徳島市で生産される重箱で、野山への行楽(遊山)や雛祭りの弁当箱として使った三段重ねの、杢張りという木工技術を活かし塗装をしている重箱ですね。桃の節句や菖蒲の節句等に山や海、野原へ遊山をする風習があり、その時に利用されました。この句ではそれが亡き母の形見のようで、趣がありますね。

故郷の山河包みて梨届く                             大谷  巖
 中七の「山河包みて」が効果的ですね。故郷の香がする梨が届いたようです。
 
桜咲くおにぎり形の高気圧                            小澤 民枝
 中七の「おにぎり形の」の具象性がいいですね。行楽日和のウキウキ感が伝わります。

公園に幼児と桜と鳩の群                             風見 照夫
 動詞なしで、「幼児」「桜」「鳩」そして、それを包む「公園」という空間を詠んだだけで、春らしい空気が表現できる、俳句の力ですね。
 
水色の自転車赤い靴の春                             金子 きよ 
童話の表紙か本文中の挿絵のような鮮やかで、楽しい景が見えます。最後を「赤い靴」にして足元に視線を引き付けた表現が効果的ですね。

内裏雛笑みうつすらと奥座敷                           城戸 妙子
 「うつらと奥座敷」という表現で、雛飾りの華やかにして、どこかシンとした雰囲気が出ていますね。

太筆に水をたつぷり春の富士                           近藤 悦子
 水彩画を描いているところでしょうか。雪解けの瑞々しい景自身の比喩表現とも解せますね。
 
水禍まだ手付かずの土手蕨萌ゆ                          紺野 英子
蝶舞ふや小さき命の小さき影                             〃

 一句目、水害の痕がまだ生々しく残っている土手に、それでも命が芽吹いている、という感慨が見事に表現されていますね。二句目、「小さき」のリフレインで愛おしむような心の動きと、蝶の動きをシンクロさせた旨い表現ですね。

青鷺や釣り師二人の間に立てり                          斉藤  勲
 偶然の妙で、そんな光景を目撃した感慨が伝わります。海が見えます。

木の芽みな光集めて膨れをり                           斎藤 保子
 中七の「光集めて」が効果的で、生命力を感じますね。

傍らに妻いる如し春うらら                            須貝 一青
 一青さんは先月、永い介護を経ての、奥様が施設に入所されたときのとが詠まれていました。この句はその後の思いが率直に詠まれていますね。

親を真似仔馬の跳ねる牧場かな                          杉崎 弘明
 ほのぼのとした光景の句ですね。作者の視線の温かさも伝わります。


仰向けになれる幸せ聖五月                            鈴木ヒサ子
 何かの身体的な事情で、長く仰臥できない生活が続いていたか、そう深刻ではない状況で、例えば立ち続けの状態からの解放感の表現ですね。下五の「聖五月」で、しみじみ噛みしめている感じが伝わりますね。

山桜案内人は元校長                               鈴木  稔
 下五「元校長」で、長い時間が経過したドラマ性を感じる句ですね。その「校長」との、そこに集った人たちとの関係性がいろいろ想像されますね。

絮たんぽぽ宇宙旅行夢ならず                           砂川ハルエ
 蒲公英の絮の飛翔から、壮大な宇宙旅行に発想を飛ばした句で斬新ですね。

液晶に指もて記す春の詩                             高野 静子
 あまり使い慣れていない電子機器を操作している緊張感が伝わる句ですね。「春の詩」というのはもちろん短い俳句のことでしょう。俳句にも緊張感をもって臨んでいる姿勢まで感じる句ですね。
              
ブレザーのシミそのままに卒業子                         高橋 光友
 いくら洗っても落ちなくなったシミに、充実した学校生活の歴史が刻印されているような表現ですね。

竹秋の竹林の子ら拉致されて                           滝浦 幹一
 「拉致」という、北朝鮮による国際的な拉致事件の報道で身近になった言葉が下五に来て、一瞬ぎょっとするようなインパクトがありますね。竹にとってはそれくらいの「事件」かもしれないと、しみじみ感じさせる句ですね。

早春の空の蒼さや三輪車                             忠内真須美
 上五中七までの表現はよくありますが、下五で「三輪車」と、一気に子供目線に誘われて、空の高さ、青さが際立つ表現になっていますね。

光りたる青蛙の背夜の庭                             立澤  楓
 小さな「青蛙」の背中に宿るかすかな光にスポット当てた句で、「夜の庭」の月光に青蛙の小さな命の灯が点っているようです。

無口となる苑一面の金盞花                            千田アヤメ
 圧倒的な一面の金色に言葉を失っている情況ですが、上五で「無口となる」と始めたのが効果的ですね。

青空に紅を極めて椿落つ                             坪井久美子
 まるで椿の花が落ちる直前に一瞬、命を輝かせたような感慨を抱いたのですね。
 
下萌や闇に集まる通し鴨                             西島しず子
「通し鴨」は夏になっても北へ帰らないで残っている鴨のことですね。それが夜、数羽、暗がりに集まっている景でしょうか。どこか拠り所のない寂しさのようなものを感じさせる表現ですね。

樹の中を昇る水音夏の庭                             丹羽口憲夫
 これは比喩表現、または作者の思いの中の幻聴としての水音の表現ですね。樹々の内部で起きている命の気配を、こうして具象化して表現できるのも俳句ならではですね。
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