あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

あすか塾 2021年(令和3)年度 Ⅰ

2021-02-27 15:21:21 | あすか塾  俳句作品の鑑賞・評価の学習会
あすか塾 2021年(令和3)年度 Ⅰ

【野木メソッドによる鑑賞・批評の基準】
◎ 高次な抒情の中にドッキリ・ハッキリ・スッキリと自己を表現したい。
○ドッキリ=自分らしい発見感動のことで、日々の生活の中で四季折々に出会う自然や人事など、すべてのものに敏感に反応する素直な心。(感性の力)
○ハッキリ=余分な言葉を省き、単純化した句のことで、のびのびと自由に自己の表現が出来ている俳句。(知性の力)
○スッキリ=季語や切字の働きを最大限に生かした定型の句で、表現は簡素に、心情内容は深い俳句。(意志・悟性の力)
◎ 鑑賞・批評の方法
鑑賞する句の「ドッキリ」「ハッキリ」「スッキリ」に注目して。

 ※ 以下ドッキリを「ド」、ハッキリを「ハ」、スッキリを「ス」と略記。


         ※     ※      ※

「あすか塾」2021年4月

1 今月の鑑賞・批評の参考 
〇 野木桃花主宰句(「蕗の薹」より・「あすか」2021年3月号)
幻聴か梅の遅速を競ふ空
梅咲いて母の命日重ねけり
立春の里山走る縄電車
くれなゐの花の総立ちシクラメン
春の風リスの尾走るこゑ走る

【鑑賞例】
一句目、「音」として聴覚に転換した表現ですね。具象としては、梅の花の開花が畑によって遅速が生じている様ですね。その開花を競い合っているような春に向かう季節の活力を、聴覚に転換した音の気配で表現されていて斬新ですね。二句目、母が逝ったのもこのような梅の咲き競う季節だったなと、毎年沸き起こる感慨を噛みしめている句ですね。「重なる」といえばただの繰り返しですが、「重ねけり」として、毎年毎年、年が経るほどに深く噛みしめているという思いの濃度の表現になっていますね。三句目、春を迎えた里山に電車が走る景かと思って読んでいると、子供たちが外に出てきて「縄電車」ごっこをしている景として結ばれています。早春の動的な空気が立ち上がりますね。四句目、「総立ち」という表現が斬新ですね。勢い、力、何か叫んでいるような景に一変します。五句目、台湾リスに占領されそうになっている三浦半島の実景ですね。横須賀市は害獣指定して駆除の対象にしているようですが、掲句は慈しみの眼差しで春の空気を感じている表現ですね。
〇 武良竜彦の1月詠(参考)
落葉踏む死者の記憶の温くして
寒九の水かけて墓石の父に問ふ

【自解】
 新年・一月詠だというのに暗い句ばかりですみません。意味の分かり易い句ばかりですので、今月は自解するのは控えておきます。ご存じだと思いますが「寒九の水」は晩冬の季語で、その冷たさが極まった様子から神秘的な力があると信じられています。ことに寒中九日目の水は効能があるといわれていて、その水で餅を搗いたり酒を造ったり布を晒したりされてきました。父の声を聴きたくて。 

2 「あすか塾」27    
⑴ 野木メソッド「ド」「ハ」「ス」による合評会
①「あすかの会」メンバー作品から (「あすか」3月号)                   
武士の滅びの美学聴く小春                             大木典子

「ド」寒中のちょっとした暖の日差しには何故か哀感を抱くことがあります。自分のうちに、その古来の武士の「滅びの美学」の哀感を見出している句ですね。
「ハ」「滅びの美学」といえば盲目の琵琶法師が謡う平家物語を想起し、その音声に包まれているような気持ちになります。
「ス」実際にそれを聴いたのかもしれませんが、幻聴と解すると詩情が深まりますね。
裸木や木漏れ日まだら影まだら                           大本 尚
「ド」視点の上から下への動きが、作者の心の動きそのものを表現していますね。
「ハ」眺めて詠む伝統俳句ではなく、その季節感の中で生きている自分の実感から立ち上げた表現ですね。「まだら」のリフレーンのリズムで心にすっと入ってくる表現ですね。
「ス」最初は裸木という自然の様、足元に視線を落として影の描写。その後の余白で読者は作者の思いと共振します。
消印は海沿ひの町葛湯吹く                             奥村安代
「ド」遠い漁村の町の冬に思いを寄せている句ですね。
「ハ」茶碗を抱え込むようにして息を吹きかけながら飲む「葛湯」が効果的ですね。
「ス」あすかの会の句会でも賞賛された詩情豊かな句です。不動の実感表現です。
涌水を守る村里冬紅葉                               金井玲子
「ド」涌いている、と眺めている表現ではなく、「守る」という人の行為への感慨表現ですね。
「ハ」この村人たちの心根までも伝わる表現ですね。
「ス」涌水、村里、冬紅葉という視角を広げてゆく語順も清々しいですね。
咥えゆくものに色あり冬鴉                            鴫原さき子
「ド」鴉の嘴の先の一点の彩の発見と感慨の句ですね。
「ハ」上五の烏の飛んでいる瞬間へのズームが効果的ですね。
「ス」周囲が冬枯れ色に染まる中、鴉自身も黒色一色という景の中で一点の色が目に飛び込んできたのでしょう。自然にはない色、つまり色付き金属のハンガーのような人工物を咥えていることを暗に詠んでいて、そこに批評性がありますね、
駅までを一つの傘に細雪                              白石文男
「ド」誰と誰が、と自然に読者に推測させる句ですね。つまりそういう人と人のふれあいを表現している句だということですね。色んなシチュエーションが想起されます。
「ハ」中七と下五の傘と細雪の描写から、心まで寄り添って歩む姿が浮かびます。
「ス」上五の「駅までを」でつかの間の限定された時間の中の心の交流の表現ですね。
うしろ手にドア締め迷ひ断つ夜長                          宮坂市子
「ド」何か強い思いで決断すべきことがあった表現で、読者の心も揺らす効果がある表現ですね。
「ハ」「うしろ手」「ドア締め」「迷い断つ」と短いリズムの連なりの後を「夜長」で受けているのも効果的ですね。
「ス」市子さんの今月の別の句「冬至風呂渦巻く指紋流れだす」も秀句でした。躰のほぐれの具象的で斬新な表現ですね。
密やかな暮らしの夫婦葛湯吹く                           近藤悦子
「ド」「密やかな暮らし」と「柚子湯吹く」の季語で、老夫婦の質実な生き方を表現しました。
「ハ」上五は別の表現があり得たはずですが、作者は無駄のない質実さをこの言葉で表現したのでしょう。
「ス」密やかはひっそりとした静けさも含む言葉。落ち着いた熟年夫婦の表現に相応しいですね。
道に沿う庭に凛然石蕗の花                             須貝一青
「ド」茎をすっくと伸ばして咲く石蕗に「凛」とした佇まいを感じた句ですね。
「ハ」「道に沿う」で、庭の垣根ぎりぎりの場所を表現。道の側にもきっと石蕗が咲いているでしょう。
「ス」「凛然」で切れにしたのが効果的ですね。                            
鏡餅開くわたしの誕生日                             村田ひとみ
「ド」「鏡開」は仕事始めの意味が強い正月行事。その日が自分の誕生日、という感慨ですね。
「ハ」上五を「鏡開」という名詞にしないで、「鏡餅開く」という動的な動詞にしたのが効果的。
「ス」「鏡開」はもともと正月に供えた鏡餠をおろし、旧式なら二十日、新式なら十一日(江戸時代以降)に小豆粥に入れて食べる。新式は仕事始め(倉開き)の意味が強く、掲句にはそれを踏まえた「わたし」という「仕事」が始まるという決意を感じます。
神無月川底漁る鷺の足                               石坂晴夫
「ド」鷺の細い足にスポットを当てて命の手応えが詠まれていますね。
「ハ」「神無月」は陰暦十月、新暦では十一月で大気と水の冷たさがこの句の背景にありますね。
「ス」「漁る」この句の場合は音数的に「あさる」と読みますが、人間が漁をする「すなどる」の意味もあります。生きもの共通の命の行為ですね。「嘴」とせず「鷺の足」としたことにその思いを感じます。
旅の夜ひるりひるりと虎落笛                           稲塚のりを
「ド」「ひるり」の繰り返しで音だけでない動的な景を表現しました。
「ハ」ヒューという擬音語を背景に、「ひるり」は「翻る」の「ひる」も連想させて効果的。
「ス」しかも、「ひるり」は能狂言の語りのような古語的な響きがあって「旅の夜」にぴったりですね。
②「風韻集」作品から
柚子一つ胸元に寄る終ひ風呂                           磯部のり子

「ド」一家のお母さんが最後にお風呂に入る慣習が残っているのでしょう。「終ひ湯」にはそんなニュアンスがあります。一日が終わったなーという感慨がありますね。
「ハ」胸元に浮かんでいる柚子をクローズアップしたのが効果的。
「ス」疲れを癒すかのように柚子を擬人化して「寄る」と表現して温かみが加わっています。
楮晒す水に錆びたる鎌を持て                           伊藤ユキ子  
「ド」長年その仕事をしてきた重さへの感慨ですね。
「ハ」「錆びたる鎌」にそれを使い熟してきた歴史性が込められています。
「ス」「水に」の「に」が俳句的な修辞法で、かつ省略によって場面の鮮明度が上がっています。
寒天へ傷負ふ槇の神々し                              稲葉晶子
「ド」傷を持つ樹木の姿は、ふつう痛々しいと表現するが掲句はそこに「神々しさ」を感じています。
「ハ」上五に「寒天へ」と意思的な方向性の表現をしているのが効果的ですね。
「ス」槇はマツ目マキ科マキ属の植物です。種は「イヌマキ」で一般的にはこのイヌマキを槇と呼んでいるようです。松に似た針葉樹ですが、やや幅の広い葉が特徴的で、庭木としてよく活用されている植物で。針のようなその葉がいっせいに空を指している様を掲句は切り取りました。
埋火を掻きて多数の駄句ちぎる                           大澤游子
「ド」没にした俳句の短冊を炭火に千切って燃やしているような表現ですね。
「ハ」埋火には熱があります。駄句を無駄とは思わず、そこからさらなる詩情を温めている思いが立ち上がります。
「ス」行為が続いているような動詞止めにしたのが効果的ですね。
乳飲み児の耳朶透ける日向ぼこ                           加藤 健
「ド」命の柔らかさ、初々しさの感慨の句ですね。
「ハ」下五に「日向ぼこ」という暖かさで、その命のかけがえなさを包み込んだ表現ですね。
「ス」耳朶の透明感を切り取る作者の眼差しに柔らかさを感じますね、
次の橋潜れば異郷都鳥                              坂本美千子
「ド」業平の都鳥の和歌の雰囲気に、ここではない向こう側の世界への思いを重ねた表現ですね、
「ハ」上五の「次の橋」という言葉で、作者が橋の多い道を移動中であることを表現しています。
「ス」そのことで「次の橋」が人生の次のステージという未知の世界への象徴性を帯びています。
リードひく散歩の子豚防寒着                            摂待信子
「ド」犬の散歩と思わせて子豚の散歩だったいう意外性。
「ハ」防寒着を着て、リードを引いているのも、人間ではなく子豚のように感じられて愉快です。
「ス」子豚の後、防寒着という季語が着て、なにか丸まるとした温かみさえ感じます。
種袋を並べて記す予定表                             服部一燈子
「ド」生きることは、常に何かの段取をすることだ、という感慨の句ですね。
「ハ」中七の「並べて記す」で、片手間ではなく恒常的にその行為をしている人の生き方まで見えてくる表現ですね。
「ス」下五の「予定表」で、乱雑なメモなどではなくきちんと整えられた心の有り様まで感じます。                  
コンセントあるだけ使う寒の入り                         本多やすな
「ド」空いたままになっているコンセントの穴に、なぜか寂しさを感じている感慨の句ですね。
「ハ」中七の「あるだけ使う」という行為はその寂しさを埋めたくなる衝動の表現ですね。
「ス」この句の詠まれる背景に、癒されない深い喪失体験があることを推測させますね。
冬蝶の震へ伝はる刹那かな                            丸笠芙美子
「ド」凍てつくような冬の寒気に震えている小さな生き物の命と共振している心の表現ですね。
「ハ」技巧を凝らすことを避けて、ストレートに「震へ伝はる刹那かな」と表現して成功しています。
「ス」下五は自分の身体に引き付けて終えたくなりますが、掲句は瞬間の時間に凝縮して効果を高めていますね。
川蜷の砂のふとんが揺れ戻す                            三須民恵
「ド」川底の蜷の小さな身じろぎに、同じ命の鼓動を感じている表現ですね。
「ハ」「砂のふとん」という「喩」に作者の精細な思いが込められています。
「ス」「揺れ戻す」は命の波動の表現ですね。
電飾に時を奪はれ冬木立                              柳沢初子
「ド」電飾のコードでぐるぐる巻きにされた木立たちの居心地の悪さに思いを寄せた句ですね。
「ハ」「時を奪はれ」という表現でその束縛感を効果的に表現しました。
「ス」人の目を楽しませていることに、違和感を抱く視座は詩人の繊細な心ですね。
女正月木履の鼻緒まだきつく                            矢野忠男
「ド」正月には着物、履物を新しくする慣習がありました。それを鼻緒の状態で表現した句ですね。
「ハ」正月と女正月には数日のずれがあります。正月に新調した木履の鼻緒が「まだきつく」という表現に、新年の気分に包まれた時間の幅が表現されていますね。
「ス」掲載紙では「花緒」となっていますが、「鼻緒」の誤植かと。花柄の鼻緒という意味の作者の造語かと解しましたが、ここでは「鼻緒」に変えて記しました。
透析床たんぽぽのぽの音域に                         山尾かづひろ
「ド」「ぽ」はそれを発されるときの弾けるような音が想起されます。一音ではなく、ゆっくり「ぽ」の音が続いて、周りの空間を満たしているというのが「音域」という表現ですね。
「ハ」おそらく数人がベッドに横たわり透析治療を受けている景でしょう。
「ス」治療室にはない、野に咲くたんぽぽの心象を織り込んで、その場の雰囲気を暖かく、柔らかくすることに成功している表現ですね。
寒灯に寒村の闇殺到す                               渡辺秀雄
「ド」外灯の数のとぼしい寒村の夜を描き出した句ですね。
「ハ」下五の「殺到す」で、その僅かな灯火の周りの闇の深さが伝わります。
「ス」外灯だけでなく民家や建物も少なく、夜になると本当に闇に包まれる雰囲気が効果的に表現されていますね。
⑵ 要点を的確に寸評する練習 ☆同人句「あすか集」作品から 
星に願ふ地球の幸や去年今年                           砂川ハルエ
 寸評 地球も星の一つ。逆に地球は、このように誰かの願いや祈りを受けとめられる星になっているのだろうかという思いがわきおこります。
疫病は燎原の火や寒四郎                              松永弘子
 寸評 新型コロナウイルス感染症の広がりを「勢いが盛んで防ぎようがないもの」として使われる「燎原の火」と表現して切迫感がありますね。「寒四郎」は寒の入りから四日目にあたる日。その後の晴雨は一年の作柄に重大な影響があるという俗信がありました。命がかかっていますね。
助走して飛び立つ鴨の一途さよ                           宮崎和子
 寸評 水鳥は水掻きで水面を蹴る助走なしでは飛び立てません。その鴨の姿に「一途さ」を感じて心を動かされている句ですね、
大枯木地上の影は抽象画                             乗松トシ子
 寸評 大枯木の影が抽象画のようだという発見と感慨の句ですね。少し説明文的なので、「大枯木地に影なして抽象画」または「抽象画のように影置く大枯木」としたらどうでしょうか。
きりん親子背丈のそろひ梅一輪                         佐々木千恵子
 寸評 すぐ親に追いつく動物の成長の早いことを温かく見守る視座の表現ですね。
寒林や青のすべては青極め                             滝浦幹一
 寸評 薄暗い所で短波長の青色に近いものが明るく見えるプルキニエ現象というものがあります。寒林の青が際立って青々として見えたという感慨の表現ですね。
大根はいっきに抜かれ目をさます                         千田アヤメ
 寸評 大根は一定の力で引くとスポッと抜けますね。それを受けてさらに「目をさます」と表現したことに、作者の感性がうかがえる句ですね。
冬至湯に浸る三人端と端                             西島しず子
 寸評 見知らぬ人と同じ大浴槽に入ると、なんとなく距離を置いてしまうという事実と同時に、コロナ禍による「密」を避ける世相まで詠み込まれているような句ですね。
地中には賢治の肥料寒激し                            丹羽口憲夫
 寸評 宮沢賢治は冷害に強い肥料の設計や土壌改良をして農家の人を助けていました。その事実を踏まえた句ですね。
探梅や放置されたる耕運機                            浜野  杏
 寸評 事実を淡々と表現した句なので、いろんな読みができますが、三浦半島の畑台地で同じ光景を見たことがあり、放置していても盗まれたりしない国なんだなーと思ったことがあります。
あの鞄この鞄捨てこもる冬                            林  和子
 寸評 一読後、コロナ禍で旅行ができなくなってしまった閉塞感を詠んだ句だと感じました。同時にニュースで、自粛生活で整理されて出されたゴミが増えたことが問題になっていることを知りました。そのことも踏まえた表現のようにも思いました。
ぼたん雪初めて触れしもの濡らす                         星  瑞枝
 寸評 よく考える「あたりまえ」のことを、こうして俳句で表現すると、自然のいとなみが輝き出しますね。それが俳句の創造性でしょう。
休校や小屋の兎の所在なし                            増田 綾子
 寸評 兎たちはきっと、かまってくれる子供たちの姿がなく、さびしい思いをしているでしょう。
寝付きたる子の枕辺に置く春着                          飯塚 昭子
 寸評 親のやさしい眼差しが見える俳句ですね。さっきまで読み聞かせていた童話本も、その隣りに置かれていることでしょう。
隙間風背に届かぬ塗薬                              内城 邦彦
 寸評 半裸になって届きにくい背中に手を伸ばしているのですね。時間がかかって、「隙間風」で体が冷えてきている実感が伝わります。高齢者は体が硬くなってきているので特に……。
湖に全山託し山眠る                               大塚 中子
 寸評 「全山託し」という漢音のリズムで雄大な景を詠み切り、みごとですね。
冬の霧烽火台めく電波塔                             金子 きよ
 寸評 視界の悪い霧の中、すっくと天を衝くような電波塔。天辺の明かりが炎にように揺らいでいるようです。



3月

Ⅰ 今月の鑑賞・批評の参考 (「あすか塾」3月用・「あすか」誌5月号掲載)


〇 野木桃花主宰句(「野水仙」より・「あすか」2021年2月号)

水音の震へやまざる野水仙
早咲きの菜の花翼ほしき靴
椿落つ埋めもどされし遺跡かな


【鑑賞例】
一句目、一月の句会「あすかの会」で特選にさせていただいた句で、重複しますがその時の評を再録しておきます。水音と共振している野水仙。命同士の共鳴の表現ですね。「震え」は恐怖の震えとも解せますが、震えるほどの命の共振ですね。二句目、「早咲きの菜の花」の前段で、少し逸る気持ちが伏線になっていて、後段の「翼ほしき靴」と飛び立つような心の高揚感が表現されていますね。三句目、建物などを建てる前に埋蔵物検査が義務付けられています。重要な遺跡が壊されるのを防ぐためです。掲句の場所にも遺跡らしいものはあったが保存するほどの価値はなかったのか、埋め戻されています。同じ遺跡なのに、そんな等級差がつけられて・・・という作者の心の声が聞こえますね。

〇 武良竜彦の12月詠(参考)

重湯からはじまる術後散紅葉
列島の服喪となるや帰り花


【自解】
 一句目、循環器系の手術入院をすると、手術の前後、絶食と胃腸の洗浄をさせられます。術後の食事の再開は「重湯」から始まり、その一口目には独特の感慨が沸き起こりますね。二句目、帰り花と死者の魂の帰還を結びつける表現は、俳句では常套的ではありますが、大災害後「帰り花」に出会うと殊更、その思いが強くなります。

Ⅱ 「あすか塾」26 野木メソッドによる合評会 同人句「風韻集」2月号より 
                  
回りだす木馬より湧く秋のこゑ                           渡辺英雄
「ド」木馬に乗っている子供たち(とは限らないが)の歓声に「秋のこゑ」を聞いたという感慨。
「ハ」上五の「回り出す」という助走表現としての「起動」、「湧く」という浮き立つ表現。
「ス」作者がそれを「秋のこゑ」と「命名」したことで立ち上がるポエジー。

早足の犬の後追ふ秋の暮                             磯部のり子
「ド」秋の暮の追い立てられているような気ぜわしさを表現。
「ハ」犬までが何故か早足になっていることが表現されていて効果的。
「ス」犬の後を追っているような自発的な表現で、逆に追い立てられているような秋の暮の気忙しさを表現。

山影の中のわが影牛蒡引く                            伊藤ユキ子  
「ド」山影という大きな景の中に自分の影を置く視座。
「ハ」手元の農作業のしぐさへの動的な視点の移動表現が効果的。
「ス」大きな山の影と、小さな自分の影の大小だけでなく、秋の空気の中の濃淡も表現。

百尺の観音統ぶる紅葉山                              稲葉晶子
「ド」百尺、つまり約三十メートルの大観音像が紅葉山を含む秋の景色を統一しているという感慨。
「ハ」実際は山の方が大きいのだが、これは作者の主観。「ようだ」と言わず言い切るのが俳句の効果。
「ス」「統ぶる」という古語的な表現が厳かな雰囲気を醸し出して効果的。

石蕗咲いて風の角角庚申塔                             大木典子
「ド」明治以降、迷信視されて見かけなくなった「庚申塔」が立つ辻。時間の経過と現在の表現。
「ハ」町の角々と言わず、風の角角という表現が効果的。路傍の石蕗の花も効いている。
「ス」庚申塔は庚申塚ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習。明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めた。
そんな歴史的な時間が降り積もる場所に、今、石蕗が咲き、今の風が吹き抜けているという感慨。

風神に後を託して山眠る                              大澤游子
「ド」山と風神が季節のバトンタッチをしているような大きな表現。
「ハ」紅葉の季節が終わった山の色は眠りの色となり、後は北風吹く景となる。その季節の変化を見事に表現。
「ス」擬人的な「後を託して」が効いている。

混沌と秩序綯交ぜ枯れ蓮田                             大本 尚
「ド」枯れ蓮田を哲学的な思弁の中に落とし込んで表現。
「ハ」混沌と秩序の混交とは、つまりカオス。枯れ蓮田にカオスを見た作者の思惟の表現。秩序は自然の巡り、季節の移ろいのこと。
「ス」思念の表現を、抽象的な浮いた表現にならないように枯れ蓮田という具象で実感的に表現。

朴訥な背な冬耕の影落とす                             奥村安代
「ド」朴訥が「背」にかかる形容であることがこの句の命。句全体を統括している言葉になっている。
「ハ」「冬耕の影」と漢文的に簡潔に表現。枯淡の味わいが出ている。
「ス」無言で働いてきたその人の人生までが浮かび上がってくるような表現。

推敲の一字に迷ふ冬の蠅                              加藤 健
「ド」思考を一点に凝らしての推敲の時間。冬の蠅もじっとして動かない・・・共振する時間の感慨。
「ハ」「迷ふ」として、「冬の蠅」に係るようにして、その共振感を表現。
「ス」「迷ひ」として「切れ」てしまうと、蠅は無関係にそこにいる表現になってしまう。

隧道の奥の明るさ秋の海                              金井玲子
「ド」隧道の長さや周りの条件にもよるが、通常は長く暗く向こうの見えない闇の場合が多い。掲句は秋の光の差し込む明るい隧道の表現。
「ハ」下五の「秋の海」で、隧道の向こうに海が見えているようにも感じられる。
「ス」峠の頂点近くの短い隧道で、抜けたら海が見えるという期待感を感じる表現になっている。

赤提灯消えたる街を空つ風                            坂本美千子
「ド」繁華街の灯が早々と消えた後の、寒々とした景の表現。
「ハ」「街を」の「を」で「空っ風」の吹きすさぶ表現が強調されて効果的。
「ス」コロナ禍の時短要請で街の灯が消えた今を背景にした表現に感じられる。

冬瓜の転がるたびにすすむ過疎                          鴫原さき子
「ド」過疎化のじわじわと進むようすを、具象的な感覚に訴えるように表現。
「ハ」収穫されないで放置されているような冬瓜の具象感が効果的。
「ス」冬瓜はずっしりと重く、簡単に転がったりしない。その重量感が心に沁みる。

窓の灯の一つ消えずに冬館                             白石文男
「ド」遅くまで孤独に働いている人がいるんだな、という感慨。
「ハ」「消さずに」ではなく「消えずに」としたことで表現に味わいが出た。
「ス」見上げるような遠望的表現を「冬館」という言葉で受けて余情がある。

朝の日を浴びて白鳥浮き立ちぬ                           摂待信子
「ド」夜明けの朝日が差し込んだ一瞬の、白鳥たちの動きに焦点を絞って表現。
「ハ」景色全体が「目覚め」の時間に包まれるような表現。
「ス」眺めて詠んでいる伝統俳句とは違って、自然の命と共振している動的な表現。

門松を立てぬ歴史の旧家かな                           服部一燈子
「ド」今は門松を立てない家の方が多いので、その中に紛れて目立たないが、この家はずっとそうだったなあ、と言う感慨。
「ハ」作者は「立てない」ことを信条としているその家の家風の歴史を知っているのかも知れない。
「ス」それぞれの家に歴史があるのだという、普遍的な感慨に繋がる表現。 
                   
手袋をしたまま君の手にふれる                          本多やすな
「ド」素手で触れあえないもどかしさの表現。これもコロナ禍の世相の一面の表現だろう。
「ハ」手袋が人と人を隔てる道具になっている。それでも触れ合いたいという思いが強調される。
「ス」「君」という二人称の名指しが効果的。

星冴えて宛先の無き文を書く                           丸笠芙美子
「ド」宛先が無いことの意味にはさまざまなことが考えられる。
「ハ」言葉を受け止めてくれる対象を欠いている情況は、独り言的な孤独感が漂う。
「ス」結びを「書く」と言い切ることで、意思的にそうしているようにも感じられる。

雑煮の具ふたつ減らして年増やす                          三須民恵
「ド」多様な解釈が可能な句だが、確かなことは老境の思いであることがしっかり伝わる。
「ハ」痩せようとしているダイエット減量ではなく、もうそんなにエネルギーを必要としなくなった歳になったなーという感慨だろう。
「ス」食糧が事情で手に入りにくくなっていると解すると別の切ない感慨の句にもなる。

大根蒔く過ぎし日たぐり明日たぐる                         宮坂市子
「ド」大根の種を蒔くという行為には明日があることが前提となっている。掲句は過去を引き連れた意識の中で、未来に思いを寄せている表現。
「ハ」「たぐり」「たぐる」のリフレインが効果的。それが違う時間を「たぐって」いて効果的。
「ス」日々の積み重ねという丁寧な生き方の、過去と未来の中に自分を置く視点がすばらしい。

赤のまま一人の茶事を豊かにす                           柳沢初子
「ド」赤のままの小さな実は、昔は児童のままごとの材料だった。そんな過去の豊かな思いが、今という時の豊かさを支えているという感慨。
「ハ」「一人の茶事」で、自分ひとりの時間を噛みしめているという思いが伝わる。
「ス」下五の「豊かにす」には意思的なものが感じられる。

一村に一樹の銀杏黄落期                              矢野忠男
「ド」村のシンボルのような大樹の銀杏の落葉だろうか。村にひとつの、という表現に詩情がある。
「ハ」事実は複数本あるだろうが、村民に愛されているこの大樹はたったひとつのものだという思いが伝わる表現。
「ス」黄落期は広葉樹の落葉の季節の言葉だが、銀杏は与謝野晶子が「ちいひさき鳥の形」と形容したように、日を浴びながら落ちるさまは美しい。それを愛でる人の心も美しい。

冬満月立ちこぎで追ひたき夜かな                        山尾かづひろ
「ド」本当は夜道を歩きながら仰いでいる満月だろうが、それを「立ちこぎで」と、海をゆくような心象で感慨を表現。
「ハ」中七と下五が句またがりになっていて、「立こぎで追ひ・たき夜かな」と思いを強める効果を上げている。
「ス」月光を潮風のように浴びているような心象まで伝わる表現。

※   ※

2月

Ⅰ 今月の鑑賞・批評の参考 (「あすか塾」2月用・「あすか」誌4月号掲載)

〇 野木桃花主宰句(「乙字忌」より・「あすか」2021年1月号)

冬鳥の翔ちて一村眠りつく
聖夜かな点字ブロック探る音
元町のマヌカン弧愁クリスマス
唄ふごとく聖樹点滅遠汽笛


【鑑賞例】
一句目、一村の夜の静けさが、逆の鳥の羽音で表現されていて効果的ですね。二句目、点字ブロックという、聖夜の足元への意識のズームアップが効いていて、人それぞれに迎える聖夜のさまが見事に捉えられていますね。三句目、横浜「元町」の賑わいの中のショーウィンドウ。その中のマヌカンの不動の姿勢に「弧愁」を感じ取る詩的感性。四句目、木々の飾りのイルミネーションの光に唄のリズムを感じ取る詩人の耳は、聞こえないはずの「遠汽笛」を聞き取っています。 

〇 武良の11月詠(参考)

憂国忌奥歯でことば擂り潰す
革命を薄く延ばせば今朝の秋


【自解】
一句目、「憂国忌」は小説家で戯曲家の三島由紀夫の忌日。一九七〇年十一月二十五日に自衛隊の市ヶ谷駐屯地に「盾の会」のメンバーらと乱入して割腹自殺し、世の耳目を集めた。唯美的にして観念的右翼思想の持主で、「空虚である器に固有の精神を盛るのが日本文化」であるとして、天皇という「象徴的空虚」を軸にした日本固有の文化を守るという倒錯した思想を唱えた。言葉を信じ切れず肉体性を重んじ、実存的な現実からかけ離れた、空虚な「日本精神」という虚構の中で自らの人生の幕を閉じた。そんな三島の空虚性を詠んだつもり。二句目、青春時代の社会革命ついて熱く議論した世代も70代。その熱気も薄れて今という時があるという感慨。 

Ⅱ 「あすか塾」25 野木メソッドによる合評会 同人句「風韻集」1月号より 
                  
風待ちの鷹の眼光廃ドック                           山尾かづひろ

「ド」「風待ち」は船が出航に適した順風を待つ意味。掲句では「廃ドック」で船の姿がない。その船の代りに鷹が風を待っているかのようだという感慨。
「ハ」鷹は三冬の季語で、待っているのは冷たい冬の海風。そこに張りつめた意志のようなものを感じさせる表現。
「ス」内藤丈草の句に「鷹の目の枯野にすわるあらしかな」があり、何かを凝視しているような眼差しを「すわる」と表現している。掲句はそれを「眼光」と表現した。

小海線駅つくたびの星月夜                             渡辺英雄

「ド」固有名詞の「小海線」だけでなく、一読で高原列車の停車駅での感慨であることが伝わる。
「ハ」「つくたび」という表現で、わざわざ車窓から外を覗かなくても、一面の星空が自然に目に入ってくることが伝わる表現になっている。
「ス」JR小海線は小淵沢駅から小諸駅までを結ぶ鉄路。八ヶ岳の麓を超える野辺山高原を走り、小諸に向かって左手に八ヶ岳を臨み、高原地帯を走ったのち、千曲川沿いの谷間を抜け、佐久平地域に入る。掲句は夜の高原地帯の美しい夜空を仰ぐ駅舎の佇まいが目に浮かぶ。

山の端をぽんと離るる望の月                           磯部のり子

「ド」山の端から全貌を表した瞬間の満月に対する感慨。
「ハ」「ぽんと」という擬音語めいた表現が効果的。
「ス」月と地球という天体同士の見えない力まで感じさせる表現。

鳥わたる母郷の空を動かして                            稲葉晶子
「ド」渡り鳥の姿が空全体を動かしているようだという感慨。
「ハ」語順を散文とは逆転させて俳句的リズムで詠み下したのが効果的。
「ス」「母郷」への特別な思いまで滲ませることに成功している。

割り切れぬ素数どこまで冬銀河              大木典子

「ド」素数と冬銀河の無限性への感慨。
「ハ」「割り切れぬ」に「どこまで」と畳みかけてのその無限性を表現。
「ス」素数は、1よりきい自然数で正の約数が1と自分自身のみであるもののこと。最小の素数は2。素数は無数に存在し2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, 43, 47, …というように素数からなる無限数列が得られる。またその出現周期に法則性があるのかないのか、あるとしたら宇宙的物理法則と何か深い関連があるのではないかなどと、神秘性を持つ数である。その神秘性が掲句の「冬銀河」とうまく呼応している表現。

武蔵野を貫く疎水秋ついり                             大澤游子

「ド」あらゆる水路が「武蔵野」という大地を貫いているのだという感慨。
「ハ」「疎水」という言葉、「秋ついり」という季語での表現が効果的。
「ス」疎水は灌漑・給水・発電などのため、土地を切り開いてつくった人工の水路。秋ついりは「秋入梅」「秋黴雨」とも書く梅雨のように降り続く秋の雨。「あきつゆいり」の音変化。その季節の中の武蔵野縦断という大きい視野が呼応している。

日の温み抱へて落葉吹き溜まる                           大本 尚
「ド」落葉の丸まった形に擬人的な温みを添えた表現。
「ハ」「溜まる」は自然に集まるようすの意味だが、掲句では落葉が自ら寄り合っているような人的な温かみが感じられる表現になっている。
「ス」同月別句の「燈明に闇の香あり小夜時雨」も、掲句と同じで微細な気配を全身で受け止めているような味わい深い句。

仮の世の色を極めて酔芙蓉                             奥村安代

「ド」「仮の世」という言葉にはこの世、現世の無常感、はかなさの思いが込められている。酔芙蓉の一日の変化にその思いを託して表現している。
「ハ」色の変化は移ろいと表現しがちだが、掲句は「極めて」と表現したのが効果的。哀感が凝縮しているようでこころに沁みる。
「ス」酔芙蓉は朝には白かった花が昼にはほんのりピンク色に染まり、夕方にはさらに濃いピンク色に変化する不思議な花木。その変化を「酔」と表現したもの。花言葉を調べると、「細な美、しとやかな恋人、幸せの再来」とされている。掲句は「仮の世」を極めた色と読み、言葉以上の思いの表現に成功している。

こぼれ萩無人の寺の暮れ急ぐ                            加藤 健

「ド」時が止まったような無人の寺。「こぼれ萩」の散るさまに時の移ろいを感受している句。
「ハ」「暮れる」「暮れ行く」なら普通の描写。「暮れ急ぐ」はそこに主観の在処を感じさせる表現。
「ス」小林一茶の「萩散りぬ祭も過ぬ立仏」(享和句集)も時間の経過の表現だが、掲句は「こぼれ萩」の風情とマッチした表現で深みを感じる。

老木の枝の賑はひ小鳥来る                             金井玲子

「ド」老木は寂しい景として詠まれがちだが、掲句は逆転した「賑はひ」をそこに与えた。
「ハ」「老木」はそこにかなりの経年があることを前提とした言葉で、句に時間的な奥ゆきを与えている。
「ス」結びで「小鳥来る」と動的に結んだのが効果的。

寝入るまで花野往き交ふ乳母車                          坂本美千子

「ド」中七まででは、読者にはその行為の意味がわからないが、下五で一気に若い母親と乳母車の中の嬰児の姿が浮かび、その意味を了解する。その「意味」に感銘がある。
「ハ」その母親への共感と暖かい眼差しまで感じられる。
「ス」下五で一気にポエジーを立ち上がらせる語順が効果的。

蓑虫の糸伸びきって夕日中                            鴫原さき子

「ド」「伸びきって」の語だけで詩になる感慨の表現。
「ハ」下五の「夕日中」がそのポエジーを包括して効果的。
「ス」普通、蓑虫は枝にくっ付くようにしていて、風が吹くと忙しなく揺れる姿を目にすることが多い。糸が永いとその揺れが大きな柱時計の振り子のような、ゆったりとした揺れを感じさせて効果的。

寒濤の音登り来る千枚田                              白石文男

「ド」冬の潮騒が海に面した千枚田に届いている景を音の擬人化で表現。
「ハ」広々とした景と寒気の表現を「寒濤の音」で表現して効果的。
「ス」「登り来る」という擬人化が効果的、「昇る・上る」では効果が薄れる。

霜茱萸の熟るるや里の風ばかり                           摂待信子

「ド」霜茱萸の赤さにズームすることで里の冬の空気感を表現。
「ハ」「熟るるや」の切字強調の後、「里の風ばかり」と景色を感慨の表現にしているのも効果的。
「ス」「風ばかり吹きゐる霜茱萸熟るる里」の名詞止めより「風ばかり」の用言止めにして効果的。余韻が残る。

受け入れることも覚えて雁の空                          高橋みどり

「ド」何を受け入れるのか書かないことで、読者それぞれの思いを呼び込む表現となり効果的。
「ハ」読みの一例としては、すぐにはなじめない「受け入れがたい」ことの数々という懊悩など、読者それぞれの思いを想起させる。
「ス」下五で内面表現ではなく「雁の空」と広い空の景にしたことも余韻が生まれて効果的。

おのおののコップの光る冬厨                          長谷川嘉代子

「ド」光っているのはコップの持ち主それぞれだなという感慨。
「ハ」上五の「おのおのの」の修辞が効いている。
「ス」最後に場と季感の表現の体現止めにしたのも効果的。

一瞬でなりわい奪う霜夜かな                           服部一燈子

「ド」下五の「霜夜」は、この夜の、という限定から、この冬、そしてこの頃の暮らし全般まで投網にかけたような効果がある。
「ハ」上五から中七を読む限りでは、読者は何によって生計が成り立たなくなったのだろうという思いに駆られる。下五の「霜夜」にはその答えはなく、読者は上五の「一瞬」で、という事態の表現に出会い直す。霜害で作物被害にあったと解してもいいが、コロナ禍の失職全般も想起させる。
「ス」「一瞬」で境遇を激変させる不幸全般の表現として効果を上げている。

冬銀河別れの橋を渡りきる                            本多やすな

「ド」「別れの橋」が現実の橋であることを超えたものであることを感じさせる深い表現。
「ハ」上五の「冬銀河」という大きな景の下の表現にしたのが効果的。
「ス」「別れ」には何かを思い切る心の「別れ」もある。「渡りきる」そこに意志的なものも感じ取れる。

山路来て秋の衣を纏ひけり                            丸笠芙美子

「ド」「秋の衣を纏って」いるのは誰かと引き込まれる表現。
「ハ」「山路行き」なら通過だが、「山路来て」はそこに立ち止まって周りを見渡している景が浮かぶ。佇む人と景色が一体する効果がある。
「ス」山々が秋色なっているのを見ているのだが、自分もその色に染まっているという感慨が立ち上がる。

もういいかい落ちる順番待つ枯れ葉                         三須民恵

「ド」字余りの上五はかくれんぼ遊びの掛け声で、童話的。その響きを落葉の景に呼び込んだ表現。
「ハ」読者は「待つ」までは子供たちのかくれんぼ遊びの景を思い浮かべている。
「ス」下五でそれが枯れ葉の表現であると解り、独特の感慨が起こる。

一枚は素描の山家秋日和                              宮坂市子

「ド」まだ色づけしていない素描の、鉛筆デッサンのような山家の絵に、特別な渋みのある感慨が沸き起こる。
「ハ」路傍で描いている絵か、屋内で見ているたくさんの絵の中の一枚か、どちらかの景だろう。
「ス」上五の「一枚は」が効いていて、下五の「秋日和」と呼応し、他は秋色一色の絵の中で、この一枚だけが墨色の絵である。そこにポエジーがある。

ゆく秋ぞ片手拝みに辻仏                              矢野忠男

「ド」行きずりのちょっとしたしぐさに、普段の心根が表れている感慨。
「ハ」辻仏にはその場所、土地ならではの由来があるはずである。忙しい現代人はそこで立ち止まったりしないようになっていることが、この句の背景の批評眼を感じさせる。
「ス」「片手拝み」が「片手間」的にものごとをやり過ごさない丁寧な生き方を感じさせて効果的。

高原の闇を清むる虫時雨                              柳沢初子

「ド」闇を洗い清めているような虫の声だなあ、という感慨。
「ハ」街中や心の闇ではなく、高原の闇自身にすでに高潔感がある。
「ス」その澄んだ闇をさらに洗い清めているような「虫時雨」と表現して、この上ない清々しさを表現した。

      ※   ※    ※

1月

Ⅰ 今月の鑑賞・批評の参考 (「あすか塾」1月用・「あすか」誌3月号掲載)

Ⅰ 鑑賞

〇 野木桃花主宰句(「命継ぐ」より・「あすか」2020年12月号)

縄文の日差しと思ふ柿日和
水の辺に命の連鎖赤とんぼ
アマビエの案山子の守る学校田
壺の口湿りてをりぬ秋の蝶


【鑑賞例】
 一句目。歳時記的な季語感を突き抜けて、ひと息に縄文文化まで回帰する思いの表現ですね。稲作文化が基調の季語には、それ以前の古代的基層も存在します。二句目、秋の訪れを告げる赤蜻蛉に季節感を超えた「命の連鎖」を感じる大きな句ですね。三句目、「アマビエ」は疫病退散を願う民間信仰像ですが、それを作ったのが
学校田の子どもたちであるということに、何かほのぼのとした心象が起きる句ですね。四句目、小さな蝶が「壺の口の湿り」で水分を採っている瞬間を捉えた句ですね。そう表現されなければ蝶の行為の意味は見過ごされるところですね。 

〇 武良の10月詠(参考)

柿食えばたれかが飢ゑるはぐれ雲
排他的個人水域後の月

【参考自解】
 一句目、柿の味に古都古寺の鐘の音を聞くのどかな文化が終焉したような世相です。感染症の影響で飢えている人がいることに思いを寄せて詠みました。二句目、経済用語の「排他的経済水域」という語を「個人水域」に言い換えて、三密回避が強制される排他性への複雑な思いを詠みました。 

Ⅱ 「あすか塾」24 野木メソッドによる合評会 同人句「風韻集」12月号より 

終活はかけ声ばかり秋風鈴                     柳沢初子

「ド」=必須と思われることになかなか踏ん切りがつかないでいる思いの素直な表明の句。その素直さが共感を呼ぶ句。「秋風鈴」の宙ぶらりん感も効果的。
「ハ」=「何なに活」という軽い語韻の言葉が流行して、死の準備にも「終活」などと使われることへの違和感も言外に込めた表現。
「ス」=「かけ声」は他人への呼びかけだが、この句は自分への「かけ声」であり、自分に対するそれには効果がないという自嘲の思いも滲む句。

猪の寝て塞ぐ御師宿勝手口              山尾かづひろ

「ド」=猪が日常的にそんな振舞いをする場所であることの感慨句。
「ハ」=「御師宿勝手口」という限定的な描写が効果的。
「ス」=「御師宿」の「御師(おし/おんし)」は、特定の寺社に所属して、その社寺への参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者のことで、「御師宿」はその「宿」のこと。特に伊勢神宮のものを「おんし」と呼んだ。御師は街道沿いに集住し、御師町を形成している。そんな風情ある場所に相応しい景の句。

望の夜の誰が為フォーレレクイエム                 渡辺英雄

「ド」=満月の夜にフォーレのミサ曲を耳にしたか、あるいは幻聴したという表現。
「ハ」=ミサ曲なのにどこか至福感もあるこの曲を「誰が為」と表現して、「喪」
が必ずしも悲しみだけのものではないことを、間接的に表現している。
「ス」=フォーレのレクイエムはレクイエムの傑作で、モーツァルト、ヴェルディの作品とともに「三大レクイエム」の一つとされる。フォーレはこう述べている。「私のレクイエムは、特定の人物や事柄を意識して書いたものではありません。……あえていえば、楽しみのためでしょうか」「死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他なりません」「私が宗教的幻想として抱いたものは、すべてレクイエムの中に込めました。それに、このレクイエムですら、徹頭徹尾、人間的な感情によって支配されているのです。つまり、それは永遠的安らぎに対する信頼感です」。この曲に悲しみより安らぎ感を抱くのはそのためだ。

百日紅ほろほろ崩れ友逝きぬ                   磯部のり子

「ド」=親友を亡くした喪失感の表現。
「ハ」=「ほろほろ崩れ」の音韻が効果的。
「ス」=「百日紅」の花の散り方に寄せて、その紅色にも悲しみが滲む。

通学路毀るるままに草の罠                    伊藤ユキ子

「ド」=そのような日常がそこにあることの、しみじみとした思いの表現。
「ハ」=いたずらで子供たちが作った「草の罠」が、同じ子供たちの踏むに任せ、放置されている時間経過まで表現されている。
「ス」=上五、中七、下五の、どの語にも隙がない。

国境のありて無きもの真葛原                    稲葉晶子

「ド」=国境なんて人的な取り決め事に過ぎないのに……という思いの句。
「ハ」=下五に「真葛原」という原野に自生する葛の姿を置いて「国境」という人為的境界線と対比させたのが効果的。
「ス」=「ありて無きもの」という即否定の語調も効果的。

秋の虹はや天辺の消えてゆく                    大木典子

「ド」=秋の虹の消え方に、諸行無常感を抱いた思いの句。
「ハ」=天の橋のような完全な弧の形の虹を見ることの方が稀で、虹はどこかが欠けている姿をよく見かける。この句は完全な弧の形の虹を見た後の句だということも解る。
「ス」=「天辺」から消えてゆく様の描写にしたのが効果的。

四元号迎へし翁菊の宴                   大澤游子

「ド」=遡れば令和、平成、昭和、大正の順になる元号。読者にそう辿らせる表現で、大正生まれの人の長寿を寿いだ句。
「ハ」=時代の経過を元号で表現し「菊の宴」と取り合わせたのがすばらしい。
「ス」=「菊の宴」は陰暦九月九日、重陽の節供の日に宮中で催された観菊の宴。さかずきに菊の花を浮かべて飲む。菊の節会、重陽の宴、菊花の宴、菊水の宴とも言う。その伝統ある「宴」に寄せて「翁」の長寿を寿いだ句。

主張する己が存在木守柿                      大本 尚

「ド」=樹頂にぽつんと一つ残されている柿の実の色に確かな存在性を感じた句。
「ハ」=確かな存在性の表現に木守柿をもってきたところが意表をついて斬新。
「ス」=木守柿の通俗的な印象は孤立した、御仕舞の姿だが、それ故の存在感の表現にしたのが独自の視座。

月明の海へと開く非常口                      奥村安代

「ド」=非常口という言葉は緊急時の脱出口という心象が強い。その固定観念を覆した句。
「ハ」=「月明の海へと開く」という表現で幻想的な趣へと転換した句。
「ス」=安代さんの今月の別の句「限りなき空総立ちの曼殊沙華」も佳句だった。掲句と同じで、作者の視点で風景が一変する表現の力がある。

魚飛んで水音に秋の生れけり                    加藤 健

「ド」=作者が「秋だなあ」と感じた瞬間の感慨の表現。
「ハ」=「秋の生れけり」という言い切りが効果的。
「ス」=跳ねた魚の着水音という絞り込み方に、作者の繊細な心の働きを感じさせる。

うすうすと弦月古都の昼下がり                   金井玲子

「ド」=上五の「うすうすと」としか表現できない弦月の表現。
「ハ」=道具だてがすばらしい。
「ス」=「弦月」「古都」「昼下がり」どの語が欠けても印象が薄れる。

奪衣婆の細目色なき風の中                    坂本美千子

「ド」=実際に「奪衣婆」の像を見ていない句としても、身に滲みる秋風の体感的な表現に成功している。
「ハ」=「細目」というクローズアップの後に、古語的な「色なき風」という季語を置いたのも効果的。
「ス」=「奪衣婆(だつえば)」は、三途川で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼。奪衣婆、葬頭河婆(そうづかば)、正塚婆(しょうづかのばば)姥神(うばがみ)、優婆尊(うばそん)とも言う。多くの地獄絵図に登場する奪衣婆は、胸元をはだけた容貌魁偉な老婆として描かれている。その心象と「色なき風」という秋の風と取合せてうすら寒さを表現した。この季語は久我太政大臣雅実の「物思へば色なき風もなかりけり身にしむ秋の心ならひに」の歌にもとづく。

どこと声ここと答えて芒原                    鴫原さき子

「ド」=風や野生の動物たちが、声を交わしているように感じている句。
「ハ」=鬼ごっこの童遊びのような雰囲気も感じる表現。
「ス」=宮沢賢治は芒原の風を「あ、西さん、あ、東さん」と呼び交わしているように表現している。その感性に通じるものを感じる。

追伸のやうにふたたび虫の声               白石文男

「ド」=一度途切れた虫の声の、間をおいた再開に「追伸」的な間合いを感じた句。
「ハ」=「追伸」に特別な思いをこめて効果的。
「ス」=付言したいことがあるから「追伸」は書かれるもの。その意味合いが立ち上がる表現。

陽の届く奈落や秋の水清し                     摂待信子

「ド」=「奈落」は地下の暗闇、地獄、舞台の底を指す言葉だが、下五の「水清し」で、深い闇を湛えた古井戸が想起される表現。
「ハ」=暗い地獄のような世界や場所にも陽が届くこともあるよ、という言外の意味も立ち上がってくる表現。
「ス」=「奈落」は元々、仏教用語のサンスクリット語「naraka」の音写で,地下にあるとされる世界、転じて地獄を指す。劇場用語にも転用されて、地下室で舞台機構の機械などが置いてある場所。照明の不備だった江戸時代は真暗で地獄のようだというので名づけられた。掲句は深い井戸の暗闇の表現に使って効果的。

淡き陽を寄せ集めたる藪柑子                   高橋みどり

「ド」=「藪柑子」の鮮やかな赤さを、日差しを集めたようだと素直に表現して共感を呼ぶ。
「ハ」=上五に「淡き陽」と置いて、冬の日差しの柔らかさを表現。
「ス」=「藪柑子」は日本全国に分布するサクラソウ科の常緑小低木で、山の木陰に群生し、秋から冬にできる赤い実が美しい。マンリョウ、センリョウ、ヒャクリョウなどとともに縁起の良い「金生樹」とされ、日本庭園や正月飾りに利用される。その明るさに寄せた句。

朝寒し中学生の早歩き                     長谷川嘉代子

「ド」=中学生たちの登下校の姿に日常的に接していての小さな発見の句。
「ハ」=登校時と下校時でも「集団」としてのその様子は違う。朝は早足で、下校はいっせいにではなく、分散していて歩調もそれぞれだろう。冬の朝はその「集団」としての歩みが「早歩き」になっているという発見。
「ス」=子供たちに向けた優しい眼差しを感じる表現。
初霜に終える朝取り畑かな                    服部一燈子

「ド」=霜が降りる季節。農作業の変化についての感慨句。
「ハ」=散文的には「初霜が下りている中での」という意味だが、俳句的省略と韻律で「初霜に」と効果的に表現。
「ス」=たとえば野菜を限定して「キャベツかな」といってもいいところだが、「朝取り畑」と、面的な広がりの言葉にしたのも効果的。

稲の香やふと農民の息遣ひ                     星 利生

「ド」=稲の香にそれを育てた人の「息遣ひ」を感じたという句。
「ハ」=「ふと」が、作者の「気づき」の現場を捉えて効果的。
「ス」=作者は実りの田を景色として感受しているのではなく、そこが苦労の多い労働の場であること、そこで働いている人の存在まるごとを捉えようとしている。

待つ人も待たるる人も菊日和                   本多やすな

「ド」=「待つ」「待たれる」ことの間にある立場を超えた触れ合いの在り方に寄せた感慨の句。
「ハ」=つまり「誰も」ということだが、わざわざ「待つ人も待たるる人も」と表現することで、そこに人間同士のふれあいの機微があることを効果的に表現。
「ス」=深く鑑賞すると「永遠にもう来ない人」に対する思いも込められているように感じられて、含意が深くなる。

筆の跡ひとりの秋を灯しけり                   丸笠芙美子

「ド」=「筆の跡」に続く「ひとりの秋」という言葉で、書をしたためるということが個的な行為であることを効果的に表現。
「ハ」=下五の「灯しけり」で、命の灯という心象に誘って効果的。
「ス」=そしてどんな思いでこの書をしたためたのだろうと、読者を深い思いに誘う表現になっている。

案内に下手な手振りの袖振草                    三須民恵

「ド」=「袖振草」が道端に立って案内をしているようだという擬人化した視点。
「ハ」=「下手な手振り」というユーモラスな表現で和やかな効果をあげている。
「ス」=「袖振草」は芒の異称で、芒の穂が風に吹かれてなびくさまが、ちょうど人が袖を振って招いている様子に似ていると見立てた呼称。『古今集』に「秋の野の草のたもとか花すすきほにいでてまねく袖とみゆらん」とある。掲句は歴史的な趣のある季語の心象を生かした。

夕かなかな足元はたと暮れており                  宮坂市子

「ド」=蜩の音響に包まれる中での、秋の日暮れの早さについての感慨の表現。
「ハ」=「かなかな」「はたと」のひらがな表記が柔らかく、中空から「足元」への視線の誘導も効果的。そこで生きている人の存在感がある。
「ス」=蜩は朝夕、「カナカナカナ」と聞こえる澄んだ高い声で鳴く。秋の空気の透明感まで表現されている。

かまどに火秋の初風受けて納屋                   矢野忠男

「ド」=下五の漢字の「納屋」という体言で止めて、読者にずしりとした手応えを感じさせる表現。
「ハ」=初秋の風ではなく、「秋の初風」とした発見的表現が効果的。
「ス」=読み下って、また上五に戻ると「かまど」の「火」に温もりが感じらてくる表現になっている。

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